第千五百十三話 望みの彼方(二)
「どうしたもこうしたもないわ」
ミリュウは、警戒を解こうとはせず、刀を構え、相手の出方を伺った。その相手とは、寸分違わずセツナそのものの姿をした人物だ。姿形、声、態度、なにもかも、ミリュウの思い描くセツナそのものであり、それ以外のなにものでもなかった。どこにも怪しいところはなく、普段のミリュウならば喜んで抱きつき、だれもいないことをいいことに、彼を独り占めにできることに満足さえしていただろう。
しかし、彼女は、そのセツナそのものの人物に違和感を抱いてしまった。
違和感の出処は、よくわからない。
彼は、セツナだ。だれがどう見ても、セツナ本人というだろう。セツナを知っている十人が十人、彼をセツナと判断し、認識するはずだ。
(それなのに……どうして?)
違和感は拭いきれず、故に彼女はラヴァーソウルの柄を握る手に力を込めた。余分な力が入ってしまうのは、相手が相手だからだ。もし仮に、本物のセツナだったら、どうしよう。そんな不安も彼女の中には渦巻いていた。だから、問う。
「あなた、セツナじゃないわよね?」
「……なにを言い出すかと想えば」
彼は、あきれたような表情をして、頭を振った。その表情、声音、仕草のどれをとってもセツナ本人だった。セツナはあんな表情をするし、あんな風に反応を示すことが多々あった。よく知っているのは、ミリュウが常にセツナを見ているからだ。
ミリュウにとって、セツナこそこの世のすべてだ。
彼に嫌われれば、なにもかも終わる。彼に好かれたい。そのためにも、彼のことを知らなければならない。彼のことをよく知るためには、彼を観察することだ――などと深く考えていたわけではないが、気がつくと、彼のことばかり見ていた。
ほかにだれがいようとお構いなしに、彼女は彼を見続け、彼だけに意識を集中することが多かった。もちろんそれは平時の話で、戦闘中までセツナだけを見ているわけもない。そんなことをすればセツナに嫌われるのは目に見えている。セツナは、仕事熱心な人間が好きらしい。それなら、自分も仕事に熱中するべきだ。戦闘中の彼を見続けていたいと思うこともあるが、それよりも、彼に好かれるほうがいい。
「まったく、どうしたらそんな風に思うんだ?」
「……本当によくできていると思うし、似ているわ。そっくりよ。なにからなにまでね。でも、あなたはセツナじゃない」
「だから、俺は俺だって」
「そういうところも、ね。でも、違う」
「なにが違うんだよ」
彼は、少しばかり苛立たしげに告げてくる。セツナらしい素直な反応。だが、違和感は消えない。彼のどこにセツナとは異なるところがあるのか、ミリュウは、彼の表情を見て、ようやく見当がついた。
「セツナは、そんなきつい顔じゃないわよ」
「……は?」
「もっと、可愛いもの」
「大の男を捕まえて、可愛いってなんだよ」
「……もう、いいわよ。あなた、セツナじゃないわ」
ミリュウは、うんざりと、告げた。セツナではないと断定した以上、茶番を続ける道理はなかった。相手は、なんらかの方法でセツナに成り済ましているのだ。召喚武装の能力か、別のなんらかの力を用いて、セツナとまったく同じ姿に変身しているのか、あるいは、そういう幻覚を見せているのか。いずれにせよ、なにものかがミリュウたちに攻撃を行っているのは間違いなかった。でなければ、セツナの偽者などが姿を見せるわけもない。
「だれよ? なんの目的があってセツナのふりをしているの?」
「だから、俺は俺だ。ふりとか、そんなんじゃねえ!」
彼は苛立ちを露わにして叫ぶと、飛びかかってきた。その速度たるや、ミリュウの知っているセツナよりもずっと速く、故に彼女は反応が遅れた。一瞬にして間合いに入られた上、刀を弾かれ、足を払われる。態勢が崩れた。視界が流転する。しかし、ミリュウの体が床に激突することはなかった。偽セツナが転倒するミリュウの体を抱きとめたからだ。
「嘘……!?」
「嘘じゃねえよ。俺は、俺だ」
ミリュウは、間近で聞こえた偽セツナの声の優しさにどきりとした。声は、セツナそのものなのだ。セツナの声で甘く囁かれれば、ミリュウの心に響かないはずもない。偽者だとわかっていても、そうなのだ。仮に本物のセツナがそんな風にいってくれば、彼女は胸をときめかせたに違いない。
「ミリュウ」
「……セツナ」
ミリュウは、間近で見る偽者の顔が、やはりセツナそのものであることに驚きを隠せなかった。顔の造作も、紛れもなくセツナ本人と同じだった。
「いい子だ」
抱えられたまま頭を撫でられて、きょとんとする。
「なんなの……?」
「なにも恐れることなんてないさ。なんの心配もいらない」
彼が言い聞かせるように、いってくる。まるでこれから起こることに期待を抱けといわんばかりの言葉。それが本物のセツナが発した言葉であれば、どれだけ心を躍らせたか。いや、いまも、胸の内で高鳴る音が聞こえている。偽者なのに。偽者と断定しているのに。セツナの声で発せられる言葉は、どうしようもなく彼女の心に響き、狂わせる。
「俺がいうんだ。そうだろう?」
ぎらぎらした獰猛なまなざしは、セツナらしくはなかった。
ただひとついえることは、ミリュウは、セツナにこういうことを望んでいたかもしれないということであり、彼のそんなまなざしも、夢に見たセツナの姿によく似ていた。ミリュウは、セツナの奥手なところが嫌いではなかったが、もっと積極的でもいいのに、と想わないではなかったのだ。
「なあ、ミリュウ。これはおまえが望んだことだ」
セツナに抱き竦められ、ミリュウは呼吸を止めた。
そう。
ミリュウは、彼にこうされることを望んでいた。
「警戒もいたしますわ」
レムは、突如現れたセツナに対し、ささやかな笑みを浮かべた。
セツナなのだ。
レムのよく知っているセツナそのものが、目の前に立っている。身長、体格、髪色、顔つき、表情、衣服、武装――どれをとってもさっきまで傍にいたセツナそのものであり、そこに疑いの余地はない。セツナだ。セツナ=カミヤ。セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド・セイドロック。領地が増えたことで公的な名前がさらに長たらしくなった、愛しき主がそこにいる。
しかし、彼女は警戒を解かなかった。むしろ、警戒をさらに強め、“死神”に武器を取り出させた。相手が本物のセツナならば、レムは警戒を解き、彼に駆け寄っただろう。そして、だれもいないことをいいことに甘えたかもしれない。そういうことが臆面もなくできるのは、ほかにだれもいないときだけだ。ミリュウほど厚かましくはなれない。
「あなた様は、我が主ではございませんもの」
「なにいってんだか」
レムが断定すると、彼は肩を竦めて見せた。そういった挙措動作は、セツナそのものといっていい。見慣れた反応。聞き慣れた言葉。そこにいるのは、やはりセツナだ。セツナ本人が、そこにいる。
「俺のどこをどう見てそう想ってんだ?」
「そういう反応、実に御主人様らしくはございますが」
レムは、そういいつつ、自分がどこに違和感を覚えているのかがよくわからないことに気づいていた。本能的なものだ。いや、もっと根源的なもの、とでもいうべきかもしれない。
「わたくしの魂までは、誤魔化せません」
「魂……」
「はい」
彼女は、満面の笑みを浮かべた。
偽セツナがどれだけ巧妙にセツナに扮することができたのだとしても、彼女の魂の結びつきまでも騙すことなどできるわけがなかった。そこだけは、相手がどんな存在であっても手の出しようのない領域なのだ。たとえ神が相手であろうと、彼女とセツナの絆に手を出すことなどできるとは想えない。
「わたくしと御主人様は、魂で結ばれているのでございます」
仮初の命を運ぶために一方的に結ばれた絆は、いまや一方的なものではなくなっていた。レムが、彼の闇人形を受け入れたとき、その絆はより強く、深くなっている。セツナが近くにいれば近くにいるほどその絆の深さ、暖かさを実感することができるのであり、いま目の前に立つ人物がセツナであるかどうかはそれで判別できた。
その人物からは、セツナを感じ取ることはできなかった。
「故に、あなた様は御主人様ではない、と断言いたしましょう」
「なるほど」
彼は、納得してみせた。納得するということは、レムの発した言葉の意味を理解しているということだ。それはつまり、彼はただの偽者ではないということでもある。なんらかの方法でただセツナの姿に扮しているだけであれば、レムの発言など理解できるわけもなかった。それは不思議なことではあったが、遺跡に仕掛けられた罠と考えれば納得もできる。空間転移を引き起こしたのだ。セツナの偽者を作り出すことくらい、できたとしても不思議ではない。
「確かに、俺とおまえの間には魂の結びつきはないな」
「でしょう?」
「でも、俺は俺だよ」
「はい?」
レムは、小首を傾げざるを得なかった。相手のいっている言葉の意味が、よくわからない。
「おまえが望んだ俺なんだよ」
セツナの顔をしたその人物は、自分の胸に手を当てて、告げてきた。
「レム」
それは言葉通りの意味だったのだろう。
どこか従順な彼は、確かに、レムが望むセツナそのものだった。




