第千五百十話 遺跡調査(四)
ブリークの群れと戦闘した広間を抜けると、長い通路が続いていた。
調査団員たちは、先の広間を調査のための中継地点とするべきかしばらく考え込んでいたが、ブリークの死体や血の跡、死臭もあって中継地点には相応しくないという判断が下されている。死体の処理や血の跡を消し去らない限り、いくらなんでも中継地点にはできないだろう。
それに、遺跡に入って一時間も経過していないのだ。
中継地点を作るのであれば、もう少し進んだところであるべきだ。中継地点が必要かどうかさえまだわからない。もしかすると、そこまでする必要もないくらい規模の小さい遺跡かもしれないのだ。埋葬された文明の遺跡というのは大陸各地で発掘されているというのだが、その規模は様々であり、都市のような広大さを誇る遺跡もあれば、ただの一室のようなものもあるという。
調査団員たちは、この遺跡の出入り口である門の巨大さから中継地点が必要な規模であると想定しており、おそらくはその通りであるだろうとウィルたちも見ている。
黒き矛によって強化されたセツナの聴覚も、この一本道がかなり奥深くまで伸びており、先の広間のような空間があることを認識していた。そして、その広間に先程のブリークとは比較にならないほどの数の音が発生していることも、彼の耳は捉えている。
セツナは、ミリュウたちに警戒を促すとともに、自身も警戒を強めた。
やがて広間へと至るころには、そこに無数のブリークがまさに巣食っていたことが判明した。巣があったのだ。
「“巣”は、皇魔の種によってその形が異なるというわ。おそらくあれがブリークの“巣”」
それは、ミリュウの指摘によって判明したことだった。ミリュウからの指摘がなければ、セツナはそれをブリークの“巣”として認識できなかっただろう。遺跡で発見した奇妙な物体と認識したかもしれない。それほど、“巣”という言葉からは想像のつかない代物だった。床や壁を這う網目状のなにか。それは奇妙に紅い光を明滅させており、よく見ると、脈動しているように見えた。そして、至る所に球状の塊があり、ブリークの群れに守られたそれは、さながら卵のようであった。ブリークは、卵生らしいという話は聞いたことがあった。
「使者の森のブリークは、ここから出てきてたってことか」
「そういうことでございますね」
レムがうなずく。
とはいえ、セツナたちが入ってきた出入り口は土中に埋まっていたのだ。もし使者の森に現れたブリークがこの巣出身であったならば、別に出入り口があり、そこから地上に出ていたということに違いない。
「なら、この“巣”を破壊すりゃあいいってことだな」
「くれぐれも、遺跡には――」
「わーってるよ」
ウィルたちの心配を他所に、セツナたちは、“巣”を破壊するべく広間へと飛び込み、ブリークの群れに襲いかかった。
広間は、先程よりもさらに広かった。正方形の広間で、中心に柱があった。柱も壁や床と同じ材質でできているらしく、ブリークはその柱を中心として“巣”を形成しているようだった。網目状の奇妙ななにかが柱から天井、床や壁へと這い回っている。無数のブリークが一斉に威嚇してきたが、背部の発電器官を用いる様子は見せない。“巣”であり、おそらく卵があるのだ。
卵を巻き込みかねない攻撃は、できない。
一方、セツナたちは気にすることはなかった。むしろ、積極的に卵を巻き込むように攻撃を繰り出し、皇魔たちを殺戮した。“巣”の中には、ほかと比べて一際巨大なブリークが潜んでおり、それが無数のブリークに守られるようにしていたが、セツナはそれを難なく殺した。ブリーク如きに遅れを取る黒き矛ではない。巨体のブリークが死ぬと、“巣”の明滅が止まった。
「おそらく、この“巣”の主だったのでしょう」
ブリーク殲滅後、広間に入ってきたウィルは、巨大なブリークの亡骸を調べながら、いった。血と死のにおいが立ち込める中、調査団員たちは顔を見合わせて頭を振る。ここもまた、中継地点には使えない。使うには“巣”を撤去し、死体も処理しなければならない。
「“巣”の主……?」
「ブリークにせよ、他の皇魔にせよ、“巣”を作るのは強大な能力を持った特別な一個体だといわれています。そういった一個体のことを主や王、女王などと呼称するのですよ」
「なるほど。その個体が“巣”で子を成す……のか」
「無論、種によって大きく異なることではあるのですが」
ウィルはブリークの主から手を離すと、立ち上がり、こちらを見た。情報部の人間特有の鋭い眼光は、セツナには心地が良い。
「我々は彼ら異世界から現れた魔物を皇魔と総称していますが、彼らは全部が全部同じ世界の同じ種族というわけではありませんからね。ただ、ほぼすべての皇魔が“巣”作りを行うということは知られています」
「へえ……」
「リュウディースやリュウフブスといった人間に極めて近い姿をし、生態をしていると思しき皇魔ですら“巣”を作り、子を成すといいます」
ウィルによる皇魔に関する講釈を聞きながら、セツナたちは遺跡探索を再開した。
皇魔と総称される生き物についての謎は、むしろ深まるばかりだった。人外異形の、多種多様な生き物たち。そうであるにも関わらず、どれもが“巣”を作り、子を成すというのはどういうことなのか。皇魔と一括りにされるだけあって、成り立ちがよく似ているからなのか、それともまったく別の理由があるのか、そういうことはいまだに解明されていないのだという。
皇魔が出現して五百年余り。
人類は皇魔を天敵としながらも、研究に研究を重ねている。
皇魔には、様々な種類が存在する。
ブリークのような小型の獣のような種もいれば、昆虫型の皇魔もいるというし、獣と人間の間に位置するような皇魔もいるという。合成獣のような皇魔もいるし、レスベルを代表する鬼と形容される種、リュウディース、リュウフブスのような人間に極めて近い種も存在する。それらが別々の種であることは、長年の研究の末明らかになっており、それぞれに敵対的な関係を持っている種があるということもわかっているらしい。
それら皇魔が、五百年ほどの昔、聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンが神々の召喚を行った際、神々に引きずられるようにして現れたと言い伝えられており、どういうわけか神々が姿を消したあと、人類を襲うようになったという話は、セツナもよく知っていることだった。
「音はもう聞こえないのか?」
「……ああ」
セツナは、シーラの問いにうなずき、もう一度耳を澄ませた。耳朶に反響して聞こえるのは、通路の床を踏む調査団の靴音であり、衣服が擦れる音、呼吸音だ。ほかにはない。
「少なくとも、俺の聴覚が届く範囲には皇魔やそれ以外の生物はいないようだ」
ほかにも皇魔の巣がどこかにあるという可能性については、ウィルらによって否定された。“巣”がひとつあったということは、その周辺にはもう存在しないのだという。皇魔の“巣”とは支配圏の中心であり、その支配圏に別の“巣”が構築されると、たとえ同じ種であっても争いになるらしい。もっとも、殺し合いまでには至らず、どちらかがどちらかを追い散らす程度だというのだが。
「その点、人間よりも理性的なのかもしれません」
ウィルの皮肉めいた一言には、同意を浮かべるほかない。皇魔が“巣”によって支配圏を主張した場合と人間が領土や国土を主張した場合の違いを考えれば、一目瞭然だ。
「人間は領土の奪い合いで殺し合うからな」
その殺し合いのために駆り出されるのがセツナたちだ。この手はそのための血に汚れ、黒き矛は、そのための血を吸いすぎるくらいに吸っている。人間が皇魔のように理性的、知性的ならば、なにもかも話し合いで解決できるのかどうか。
「まったく怖い生き物よねえ」
「まったくだ」
ミリュウとシーラがウィルの皮肉を否定しなかったことに対してか、彼が肩を竦めた。
「いやはや」
「なんです?」
「いえ、セツナ様方がそう仰られても、まったく実感がわかないといいますか……」
「はっ」
セツナは、苦笑を返すほかない。
「俺たちだってただの人間なんですよ」
おそらく、ウィルたちにはそう見えないかもしれないということを自覚しながら、告げる。ウィルたちは、いまのいままでセツナたちの戦闘を目の当たりにしている。
「腹を刺されりゃ死ぬだけのね」
脇腹を刺され、生死の境を彷徨った記憶が脳裏を過る。ミリュウがその脇腹を指でつついてきた。
「そのわりにはぴんぴんしてるじゃない」
「そういえば御主人様、お腹を刺されたのは二度ほどございますよね?」
「やっぱセツナって化物なんじゃねえの」
「セツナが化物?」
シーラの呆れ果てたような一言にウルクが反応を示す。彼女がなにを考えたのかは、表情や声音からはまったく想像がつかない。
「なんだよ、俺の扱い、悪すぎねえか?」
セツナがぼやくと、ミリュウがこちらを仰ぎ見ながら、微笑んでくる。
「たとえセツナが化物でも構わないわよ?」
「そうです。わたくしにとって御主人様は御主人様でございます」
「セツナはセツナです」
「まあ、そうだな」
「……ったく、なんなんだよ」
セツナは、彼女たちの反応になんともいえない顔になりながら、足を止めた。
「どうした?」
同じく足を止めたシーラの疑問にも答えず、耳を済ませる。強化された聴覚が靴音や声の反響を捉えているのだが、その音の返り方が通路の先に広い空間があることを示していた。しかも、どうやら行き止まりであるということがわかる。セツナは、ウィルを振り返った。
「この先、行き止まりです」
「行き止まり、ですか」
「音の反響でわかるんです。引き返しますか?」
「……いえ、行き止まりでも、一応は確認しておきたい」
ウィルは、セツナの目を見据えたまま、いってきた。
「音の反響ということでしたら、扉か門が閉じているだけの可能性もあるでしょう?」
確かに彼のいう通りだった。
そして実際、ウィル=ウィードの考えこそが正解だった。
通路の先の広い空間は、ただの行き止まりではなく、巨大な門によって閉ざされていたのだ。




