第千五百九話 遺跡調査(三)
「うわ……本当だわ」
ミリュウが愕然とした声を上げたのは、セツナが報告した地点から十数分ほど進んだ先で三叉路に出くわしたからだ。
魔晶灯の明かりによって暗闇の中に浮かび上がった分かれ道は、三叉路というよりは、ここまでに至る道と合わせて、十字路といったほうがいいだろう。前後左右、真っ直ぐに通路は続いている。当然だが、どの方向の通路も様子に違いはない。無機質で金属的な壁、天井、床に覆われている。
「どこまで耳が良くなってんだよ」
「不気味でございますね」
「ひどい言い様だな」
セツナは憮然としたものの、決して悪い気分ではなかった。むしろ、黒き矛の真の力の凄まじさに高揚しているといってもいい。もちろん、そのまま際限なく高揚し続ければ力に飲まれ、自分を見失うことだってありうることくらい理解しているし、そうならないように注意しなければならないことも留意している。
「どの方向から攻めましょう?」
「そうですね……」
ウィル=ウィードは、顎に手を当て、深く考え込むような顔をした。
これまで通ってきた通路の壁には、連動式の魔晶灯が等間隔で配置され、帰り道に困ることはなさそうだ。一本道でもあった。この先どの方向に進んだとしても、この十字路まで戻ってくればなんの問題もなく地上に帰ることができるだろう。
ちなみに、今回の調査は、長期間に渡って行うものではない。少しずつ遺跡内部を調査し、調査範囲を広げていくための中継点を構築するためのものでしかない。
「分かれて調査するのは?」
「それはなしだろ。いざというときに対処できなくなるぞ」
「そっか」
「そうでございます。もしも御主人様がミリュウ様に襲われでもしたら」
「なんでそうなるのよ!」
「確かに……な」
「なんでよ!」
「セツナはわたしが守ります」
「だから!」
ミリュウはレムたちの評価に憤慨していたが、セツナはさもありなんと思わずにはいられなかった。それから、ウィル=ウィードたちに視線を戻す。調査団が頭を突き合わせて、今後の方針を考え始めている。
「ひとついっておきますと、このまま真っ直ぐ進むと、なにかと出くわしますよ」
「なにか……といいますと?」
ジャン=ジャックウォーが表情を強張らせた。彼の肉体は、戦士顔負けの隆々たるものだが、この遺跡に皇魔が潜んでいるかもしれないと考えると、恐怖を覚えるのだろう。皇魔は、人類の天敵なのだ。血に刻まれた恐怖は、そう簡単に拭い去れるものではない。
「なにかが動いている音が聞こえるんです。足音でしょう」
「皇魔か?」
「さあな。別のなにかかもしれん」
皇魔だとしても、こんななにもない場所で何百年も過ごせるものなのか、どうか。
皇魔は巣を作り、繁殖するという。この遺跡内部の何処かに巣を作っている可能性は少なくないが、だとしても、命を維持するためには餌が必要だ。皇魔も生き物なのだ。なにかを食べなくては生きてはいけない。異世界の生物とはいえ、無尽蔵に生命力が湧いてくるような、そんな常識はずれの存在ではないのだ。もし皇魔だとすればどこかで餌を確保しなければならず、餌となる生き物がいなければならない。
あるいは、別の出入り口があって、そこから遺跡に出入りしているのかもしれない。遺跡内部に巣を作り、外部を猟場としているという可能性も皆無ではなかった。
「では、真っすぐ進みましょう」
「本当ですか?」
「ああ。まずはそのなにかの正体を突き止め、皇魔であればセツナ様方に排除して頂く。そうすることで今後の調査の安全を確保することが先決だ」
「なるほど」
「ミリュウも準備をしておけよ」
「わかったわ」
ミリュウは、片目を瞑ってくると、静かに呪文を唱え始めた。彼女の美しい声が紡ぐ術式は、さながら古代言語の歌のようであり、広く長大な遺跡の迷宮に幾重にも反響していく。
シーラはハートオブビーストを背に帯びているし、レムの武器はいつでも取り出せる。ウルクに武器は不要だ。
十三騎士、マクスウェル=アルキエルとの戦闘で躯体を損傷したウルクが今回の調査に同行することになったのは、もちろん、エインがミドガルド=ウェハラムに提案したからだ。ミドガルドは、ウルクの躯体の損傷箇所を完璧に修復することができないためもあって、彼女を調査団に同行させることを渋ったが、彼女自身が望んだため、仕方なく許可したとのことだった。ウルクは、いまも、セツナの身の安全を守ることを第一に考えているのだ。
ウルクは黒獣隊の隊服を身につけており、それによって損傷箇所を隠しているらしい。ミドガルドがガンディアに持ち運んできた機材だけでは、彼女の躯体を完璧に修復するには物足りないというのだ。そのこともあって、ミドガルドは神聖ディール王国に一度戻ろうと考えているという。
『そういうこともあって、ウルクのわがままを聞いてあげることにしたのですよ』
とは、ミドガルドの談。
ミドガルドがウルクの躯体を修理するために国に帰るということは、ウルク自身も帰国しなければならないということだ。ディールは遠い。ガンディアからディール領まで数ヶ月かかり、そこから彼の研究所まではさらに数ヶ月を要するという。それから修理にどれだけの時間がかかるのかは不明であり、もしガンディアに戻ってくることができたとしても、一年以上は先のことになるだろうというのだ。
一年は会えない。
ミドガルドの親心が、彼女のわがままとでもいうべき調査団への同行を認めさせた。
ウルクは、そんなミドガルドの心情を理解しているのかどうか。
ウィル=ウィードの望み通り、十字路を真っ直ぐ進んでいると、やがてセツナの聴覚は前方に広い空間があることを認識した。通路の先の空間。行き止まりではないらしいということが、音の反響からわかる。そして、その広い空間にこそなにかがいるということも突き止め、ミリュウたちに警戒を促す。
「そのなにかが皇魔以外のなにかだったらどうするの?」
「そりゃあ相手の出方次第だろ」
セツナは、当たり前のことをいった。
「こちらに襲いかかってきたなら、倒すしかない」
「逆をいえば、交渉の余地があれば話し合うってことだな」
「そういうこと。で、いいんですよね?」
「え、ええ。そうですね」
「まあ、交渉の余地があるような生き物がいるとも思えないんですがね」
ここは数百年――いや、それよりもずっと前から地下に埋もれていた遺跡なのだ。そのような場所に潜んでいるような生き物が、人間と交渉を持つことのできるものである可能性は、限りなく低い。無論、皆無とはいえない。イルス・ヴァレは、神秘と幻想の世界だ。召喚魔法が実在し、神がいて、魔が存在する。巨人の末裔がいて、人語を解するドラゴンがいる世界なのだ。地下遺跡を住居とし、人語を理解する種族が存在していたとしても、おかしいとは想えなかった。
なにがあっても不思議ではないのがこの世界だ。
もっとも、通路を進んだ先でセツナの視覚が捉えたのは、なんということはない、ただの皇魔だった。四足獣を思わせる体にのっぺりとした顔には四つの眼孔があり、眼孔からは紅い光が漏れている。四つの手足の先には鉈のような爪が生えていて、背中には突起物がある。
ブリーク。
小型皇魔の代表的な存在だ。
使者の森に召喚されたセツナが一番最初に戦った化け物だった。
「ブリークだ」
「なんだ、ただの皇魔じゃん」
「良かったじゃねえか。わけのわからねえ生き物じゃなくてよ」
「そのとおりでございます」
シーラの言葉に、レムが力強く頷いたことが少しばかり以外だった。
「接触まであと少し」
「わたくしにも見えてございます」
「相手もこっちに気づいたわね」
「当然だな」
ブリークたちが一斉に警戒し始めたのを視て、うなずく。
皇魔は、種によって大小の差こそあれ、人間以上に優れた視覚や嗅覚、聴覚を持っている。種によっては召喚武装によって強化された人間と同等といっても過言ではない能力を持つ皇魔もいるのだろう。いまやこの世界に根付いているとはいえ、異世界から紛れ込んだ生き物なのだ。異世界の武器防具たる召喚武装に匹敵する能力を持っていたとしても、なんら不思議ではない。
「くれぐれもお気をつけください」
「あら、あたしたちを見くびってもらっては困るわよ」
心配気味に声をかけてきたウィルを振り返ったミリュウが強気に笑うと、シーラがそれに続いた。
「そうだぜ、これでも魔王軍を撃退した猛者なんだからよ」
「そういうことではなくてですね」
ウィル=ウィードはというと、ミリュウたちの反応に冷や汗をかいていた。
「遺跡は重要なものですので、できるだけ傷つけることのないようお願いしたいのです」
「なるほど……」
「そりゃあ……難しい注文だな」
「ま、能力は使うなってことだな。ウルクも波光砲は使うなよ」
「了解しました」
ウルクの反応は、小気味がいい。
「よし、行くぞ」
セツナは、床を蹴って、飛んだ。
一足飛びに広間へと到達し、ブリークの群れの真ん中へと飛び込むと、怪物たちが一斉に襲い掛かってくるのを見越して、黒き矛を旋回させた。斬撃の旋風が巻き起こり、無数の断末魔が上がる。何十もの皇魔が一瞬にしてただの肉塊へと成り果て、血と体液が散乱した。
セツナは、噎せ返るような血煙の中で、ミリュウがラヴァーソウルで数匹のブリークをなぎ払い、シーラのハートオブビーストが皇魔の頭蓋を貫き、レムの“死神”が雷撃を発しようとしたブリークを間一髪のところで仕留め、ウルクがブリークを蹴り飛ばし、叩き潰す様を見た。
広間に巣食っていたブリークは、ただそれだけのことで全滅した。
セツナたちは、死臭の中に佇み、互いに顔を見やった。
「なんだか物足りねえな」
「まったくだ」
シーラの一言に同意を示し、ウィルたち調査団員の到着を待った。
もっとも、セツナの聴覚は、別の音を捉えており、完全に安全が確保できたというわけではなかった。
遺跡は、まだまだ深そうだった。




