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第百五十話 獅子の咆哮

 ログナーの旧都マイラムの市街がガンディア軍の兵士によって埋め尽くされたのは、九月十三日のことだ。

 頭上、晴れ渡った空は、まるでガンディア軍の集結を祝福するようであり、空の青と軍服の赤が極めて対照的に見えもした。

 宮殿三階のテラスに立ったレオンガンドは、宮殿の内と外に満ちた軍勢の様子に心が踊るようだった。ガンディア方面軍総勢四千五百名。前列にはルシオンからの援軍千名に、ミオンの精鋭千五百名。さらに新たな同盟国となり、将来的には血縁関係を結ぶことになるレマニフラの約五百名。《白き盾》と《蒼き風》という傭兵団も顔を揃えている。

 八千人にも届きそうな数の人間が一堂に介しているのだ。しかも、マイラムの市民も家に隠れているわけではない。ガンディア軍の出陣式を一目見ようとするものもあれば、ガンディア国民として軍を応援するもの、ログナー人として罵声を浴びせるもの、さまざまな価値観が、マイラムの都市を飛び交っている。まるで街そのものが震えているようだ。

 その震える町並みを、レオンガンドは静かに見ている。

 演説をしなければならない。

 大義を掲げ、ガンディア軍を鼓舞しなければならない。

 ただの侵略戦争ではないということを、満天下に示さねばならないのだ。無論、そんなものは欺瞞にすぎない。だれがどう見ても侵略戦争であり、侵略行為にほかならないのだ。弁明の余地はなく、その必要もない。しかし、それでは兵士たちの士気に関わりかねない。

 兵士たちは、敵を殺すための大義が欲しいのだ。

「諸君、我らはこれよりザルワーンに侵攻する。侵攻である。領土を侵し、攻め入るのだ」

 反応が薄いのはわかりきっていたことだ。この場に集っただれもが知っている事実を述べたまでのことなのだ。レオンガンドは、聴衆のその反応にこそ、ほっとした。

「だがこれは、義戦である!」

 レオンガンドは、そう断定した。

 正義の軍が悪の国を挫く。

 これほどわかりやすく、力になるものもない。正義と信じれば、どんな敵とだって戦いうる。だが、正義とは簡単なものではない。それを信じさせることこそ、レオンガンドの王としての務めであろう。

 正義と信じることで、己の中の道徳を欺瞞し、戦争を意味あるものだと認識し、殺戮を許可する。ある種の洗脳であり、戦争には必要不可欠なものだ。自分を悪だと認識したとき、兵士たちは戦うことに疑問を持つだろう。疑念は剣を鈍らせ、敗北を招くものだ。

「我らは悪逆と腐敗の国ザルワーンを大義の刃を以って滅ぼし、この世に正義があることを示すのだ。これは、我が父にして先のガンディア国王シウズクラウド・レイ=ガンディアの悲願でもある」

 父の名を持ち出すことに躊躇はなかった。

 ガンディア人にとって、先王シウスクラウドの名ほど胸を打つものはない。夢の途中で病没した英雄王。彼の実績、実力は過大に評価され、誇張されて人々の記憶に刻まれていったのだ。若い世代ほど、シウスクラウドを英雄視しており、それはレオンガンドが十代の兵士と言葉を交わす機会を設けるたびに思い知ったものだ。彼らは一様にシウスクラウドという人物に幻想を抱き、その影をレオンガンドの中に求めていた。

 レオンガンドが“うつけ”の誹りを受けながら軍人の間ではそれなりに人気だったのは、シウスクラウドの血を引いていたからにほかならない。英雄の子は英雄であるはずだという先入観とも希望的観測ともいえぬ感情が、軍人の中に広まっていたのだ。レオンガンドはその感情をも利用しなければならない。英雄の子として振る舞い、兵士たちの心を掴みきるのだ。

 もちろん、命じれば、彼らは疑問も持たず戦いに望むだろう。軍人なのだ。上の命令は絶対であり、抗うことはできない。それが職務をまっとうするということであり、生きていくということだ。だが、それだけでは足りない、勝利への執念が必要だ。義務ではなく、熱狂を以って進軍しなければならない。でなければ、ザルワーンという大国を相手に勝利を導くことは難しい。

 無論、精神論で勝てるような相手でもない。

 これは最後の一押しにほかならない。



『諸君らも知っての通り、シウスクラウドは英傑の誉れ高き賢王であらせられた。比類なき指導者であり、ガンディアに栄光と勝利をもたらすために生を受けたといっても過言ではなかった。だれもが彼に英雄を見、だれもが彼に未来を見た。わたしもそうだった。物心ついた頃に見た父の背は大きく、雄々しかった。英雄とは父のような人物なのだろうと子供ながらに思ったものだ』

 傭兵団《蒼き風》は、レオンガンドの演説をマイラム宮殿前で聞いていた。ガンディア軍の赤い軍服に紛れて、狭苦しい思いをしながらも文句ひとついえないのは、所詮傭兵とはこの程度の立場なのだということも知っていたし、《蒼き風》よりも高待遇が約束されているであろう《白き盾》も赤い海に溶け込んでいたのも大きい。真紅の軍勢の中で、彼らの制服はひときわ目立った。

『シウスクラウドが健在だったならば、ガンディアはもっと早く四方を切り取り、北方への進出を果たしていたに違いない。わたしが彼の片腕となる頃には、大国となっていただろうことは疑いようがない。彼は類まれな英雄であり、ガンディアは英雄の国だったのだ』

「なかなかいい演説だなあ」

 シグルド=フォリアーは、朗々と響くレオンガンドの声に耳を澄ませていた。ルクス=ヴェインはそんな団長の様子が少しおかしく思えてならない。野生の塊のような筋肉男に、演説の良し悪しがわかるものなのだろうか。

「そういや、団長ってガンディア生まれなんでしたっけ」

 ルクスの記憶では、ガンディアのカランという街が生まれ故郷だったはずだ。いろいろあって北へ逃れ、そこで傭兵団を結成したという話は聞いている。ルクスは、少国家群の北の果て、アルマドールで彼らと出逢い、拾われた。

「おうよ」

「だからといって、格安で契約を結んでいるわけではありませんが」

 副長ジン=クレールが眼鏡を光らせて、シグルドを睨む。シグルドは、ジンの視線に目を逸らすと、彼のことなど忘れたように口笛を吹いてみせる。シグルドが故郷特価で契約しようとしたことでもあったのかもしれない。《蒼き風》の金庫番たるジンには許せないことだろう。

 ルクスには、レオンガンドの小難しい話よりも、ふたりとのちょっとした会話のほうが士気高揚に繋がるのだった。



『だが、シウスクラウド王は病に倒れられた。心身を蝕む未知の病は、英傑に采配を振るうことすら許さず、王としての務めを果たすことすら叶わなかった。英雄の力を失ったガンディアは、国土の維持に注力せざるを得なかったのだ』

 傭兵集団《白き盾》団長クオン=カミヤは、意識的に神妙な面持ちをしていた。マイラム宮殿前。ガンディア軍の兵士でごった返す空間に、彼と彼の仲間たちもまた、ひしめき合っていた。

 レオンガンドの演説が、続いている。

 クオンは、こういう場に遭遇するのは初めてだった。半年以上に渡る傭兵生活で、《白き盾》は様々な国と契約し、様々な戦場に立った。小競り合いもあれば、拠点防衛、領土侵攻に参加したこともある。だが、それらすべてにおいて、このような演説はなかった。大きな戦争ではなかったからかもしれない。戦意高揚のための演説が不要だったのだろう。

『父は最期までガンディアの将来を憂い、自分の病を嘆いていた。そして諸君らの将来になんら寄与できないことを恥じていた。父は死ぬまで諸君を想う英雄だったのだ!』

 クオンはふと、隣で固まっているイリスに目を向けた。当初彼女は宿舎に待機させる予定だった。イリスはガンディア王家を殺したいほど憎んでいる。いつまた飛びかかるのかわかったものではない、というのがクオン以下《白き盾》幹部たちの共通認識だった。

 イリスには、それが苦痛だったのだろう。同行を志願してきたのだ。彼女としては、仲間の疑念や警戒を払拭したいという想いがあったに違いない。その気持は、クオンには嬉しかった。自分にとっては《白き盾》は家であり、仲間は家族なのだというイリスの言葉は、クオンの胸にだけ秘められている。彼女には、皆には黙っていてほしいといわれていた。

 イリスの同行を危険視する声もあったが、マナとウォルドが全力で止めるといってくれたこともあって、同行する運びになったのだ。

 イリスは、テラスで演説するレオンガンドを凝視してはいたが、飛びかかる素振りは見せていない。ここから地上三階のテラスまで襲撃できるとも思えないが。

「どうした? クオン」

 イリスが、こちらを見て、不思議そうな顔をした。その表情の硬さは、彼女が自分を抑えこんでいる証拠だろう。

 クオンは胸を撫で下ろすと、イリスに笑いかけた。

 彼女は困惑を深めただけだったが。



『先王シウスクラウドが不治の病に倒れ、長年に渡って苦しみ抜いたのは、敵国ザルワーンの陰謀であることは明らかである!』

 ウルは、レオンガンドが拳を振り上げる様を茫然と見ていた。特別な感情はない。レオンガンドは彼女の主であり、支配者ではあるが、心まで捧げたつもりもなかった。

 階下からは熱狂的な喚声が聞こえてくる。

 マイラム宮殿の三階の窓際の部屋に、彼女たちは潜んでいる。彼女は公の存在ではないのだ。軍人たちに混じって演説を聞く必要はなかった。

『父が倒れられたのは二十年前。父がザルワーン国主との会談をした後のことだ。ザルワーンの国主マーシアスは、卑劣にも交渉に訪れただけの父を毒牙にかけたのだ!』

 ウルは、ガンディアの外法機関も元を辿ればザルワーンが発祥だという話を思い出した。ザルワーンから流れ着いた研究者が、病床のシウスクラウドに取り入り、シウスクラウドの病を治す方法を探すという名目で組織されたのだと。その研究者は、ザルワーンがガンディアという国そのものを内部から破壊するために送り込んだ工作員という可能性もあった。

 その結果、ウルとその姉妹は人生をでたらめに破壊された。ウルだけではない。何十人、何百人という子供たちが外法機関の手にかかり、死んでいった。生き残ったのはわずか六人に過ぎず、そのうちふたりは国のために死んだ。

 馬鹿げた話だ。

 国のためというお題目で人生を狂わされた人間が、国のために命を擲ったのだ。彼女には理解できなかったし、彼の亡骸を発見した直後からしばらく動けなかったのも当然だった。

『そのことは、カラン大火の犯人であるランカイン=ビューネルの証言もあり、間違いはない! 彼の国は、我がガンディアを恫喝するに飽きたらず、英雄の魂までも汚したのである!』

「ほんとに?」

 ウルは、隣に立つカインの目を覗きこもうとした。化け物の面を被った男の表情はわからないし、隙間から覗く目に動揺もない。常に、正気と狂気の狭間をたゆたう男の感情など、理解できるはずもない。

「陛下がそういうのだ。疑う必要があるのか?」

 レオンガンドへ絶対の忠誠を誓っている男の反応は、予想通りといったところだ。彼はレオンガンドの言動に疑問を抱かず、反論もしない。命令には唯々諾々と従う人形であり、死ねと命じられれば喜んで死ぬだろう。だからこそ、レオンガンドは彼を使うことができる。

 ザルワーンの武装召喚師にして、カラン大火の犯人。大量殺人者であり、ガンディア国民の敵。そして、レオンガンドの走狗。

「ないわよ」

 ウルは、意味もなく微笑を浮かべた。

 レオンガンドの演説は佳境を迎え、兵士たちの熱狂も頂点に達しようとしている。そのむせ返るような熱気の中で我を忘れられる兵士たちが、少しだけ羨ましく思えた。



「思い出してもみよ。五百余名もの罪なき民が焼き殺されたカラン大火! 街を焼き、人々を殺戮したランカイン=ビューネルは、その名の通り、ザルワーンの人間であり、ザルワーンの意志の体現者でもあるのだ! 戦う意志のない弱者をただ虐殺したザルワーンの暴虐に対し、我らは牙を以て報いねばならん! でなければ、ガンディアの名は地に落ち、獅子の誇りもつゆと消えるだろう!」

 カランの名を出した途端、一部から大声が上がった。カラン出身のものかも知れないし、親類縁者が被害にあったものかもしれない。無関係のものであっても、同じ国の人間だ。怒りに震え、声を荒らげてもおかしくはなかった。その怒りは、純粋にザルワーンへと向かうだろう。憎悪の炎は、簡単には消えないものだ。

 一方、ランカインは公的には死んでおり、彼の生存を知るのはレオンガンドを含めてごく一部だけだ。その事実が知れ渡れば、レオンガンドの名も地に落ちるかもしれない。それでも彼を使ったのは、強力な武装召喚師であるのと同時に、ザルワーンという国を知り尽くした人間だったからだ。例えば、彼がアザークの人間だったなら、情報を吐き出させた後に殺しただろう。だが、ランカインはザルワーンの高貴な血筋に連なるものであり、対ザルワーンを考えれば生かしておく価値はあったのだ。

「父が倒れられてからの二十年、我らはどんな想いをして今日まで生きてきた! 思い出すのだ! 英雄を失った国の悲惨さを! 多くのものが離れ、多くのものを失った。英雄だけの国と誹られ、嘲られた。英雄さえも罵倒され、誹謗された。それでも我らは怒りに耐え、生きてきたのだ。なんのためか!」

 レオンガンドの問いかけに、聴衆が静まり返る。レオンガンドが掲げるべき答えを聞くために、静寂が訪れる。

「ガンディアがここにあるということを示すためではないのか!」

 レオンガンドが叫ぶと、大きな反応があった。

「いまこそ刀槍を持て、軍靴を鳴らせ! 其は獅子の牙であり爪である! 獅子の足音であり、獅子の息吹である! 我らは戦場を駆ける獅子となり、ザルワーンを打ち倒すのだ! そして、先王シウスクラウドの無念を晴らし、新たな時代を切り開こう!」

 レオンガンドの演説に、宮殿内外に満ちたガンディア兵たちが喚声を上げて反応する。地鳴りのような大反響は、シウスクラウドの勇名が彼らの心を打ち、カラン大火の記憶が戦意を燃え上がらせた証明かもしれない。マイラム全土が激しく揺れているような錯覚を抱かせるほどの大音声が、レオンガンドの意識を進んでいく。

 レオンガンドは、聴衆の反応を見ながら、胸に拳を当てた。ガンディア式の敬礼に似ているが、そこから拳を振り上げ、叫ぶ。

「獅子に誇りを!」

『獅子に、誇りを!』

 異口同音の唱和は、全軍の意思が統一されたことを示していた。

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