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第千五百六話 軍師の頼み事

 リノンクレアがガンディア王家に復帰したということは、ガンディア中を驚かせた。

 特に王都ガンディオンは、しばらくその話題で持ち切りになるほどの衝撃が走ったが、多くの市民は歓迎するような反応を示したという。

 リノンクレアは、かつてガンディアの獅子姫として国民的に人気を集めていた人物だ。当時ルシオンの王子だったハルベルクの元に嫁ぐことが決まったときなど、暴動が起きかねないほどの人気があったといわれている。彼女の人気は、彼女がルシオンの王子妃となった後も変わらず、彼女がガンディアを訪れると、その姿を一目見ようと国中からひとびとが押し寄せたほどだ。それほどの人気がいまでもあるのだ。歓迎もするだろう。

 嫁ぎ先のルシオンからリノンクレアが戻ってきたことについて公表された理由は、ルシオンが新たな国王としてハルディム=ルシオンを推戴したからであり、彼女がルシオン王家を離れなければならなくなったから、という程度のものだった。ルシオン王家から離れたからといって王家との関係、ルシオンとの関係がこじれたわけではなく、ルシオンにとどまり続けるという道もあるにはあったが、ルシオン政府がリノンクレアにガンディアへの帰国を勧めたということまで、ひとびとに知れ渡っている。

 ガンディア国民は、ルシオンがレオンガンドを裏切ったことには思うところがあるものの、リノンクレア本人に対しては同情的だった。当然だろう。リノンクレアもまた、ルシオンの裏切りの被害者に過ぎない。

 そんな彼女がルシオンの代表として、女王として君臨するよりも、ガンディアに戻ってくることのほうが国民にとっては理解しやすいことだったに違いない。国民が彼女のガンディア王家復帰を歓迎するのもわからなくはなかった。

「リノンクレア様の心中を想えば、気安いこともいえませんね」

「……ああ」

 セツナは、新聞を畳んで卓の上に投げ置くと、頭の後ろで手を組んだ。椅子の背もたれに背を預け、天井を仰ぐ。《獅子の尾》隊舎の食堂に彼はいる。

 ちょうど朝食を終えたばかりだった。

 腹を満たすのは、ゲイン=リジュールお手製の料理であり、隊舎に戻ってきてからというもの毎日彼の手料理で満ち足りた朝を迎えている。昼や夜は、そうはいかないことがある。セツナは領伯なのだ。ひとに呼ばれ、会食することが稀にあった。新たに領伯となったばかりのアルガザード・ラーズ=クレブールやデイオン・ラーズ=クルセールに領伯としての心構えを聞かれたり、セツナ派の集会という名の食事会に招かれたり、軍主催の酒宴に呼ばれたりと、わりと忙しい日々を過ごしていた。

 長期休暇中なのだが、だからこそ忙しいということもあった。

 休暇中だからこそできることがあるのだ。

「リノン様がガンディア王家に復帰なされたことは、喜ばしいことといえばそうなのでしょうけれど……少し、心配だわ」

「そういえば、リノンクレア様と仲良かったのよね?」

「そういって頂けているわ」

 ファリアが、ミリュウの問いかけに、小さく頷いた。食堂にはセツナとレムのほか、ミリュウ、ファリア、シーラがいる。

「だからといって気安く声をかけられるような状況でもないけれどね」

「そりゃあそうよね」

「リノンクレア様か……」

「シーラ?」

「陛下と王妃殿下の婚儀のときさ、俺、しばらく王宮にいただろ?」

「ああ」

「そのころ、何度かリノンクレア様と汗を流したんだよな。だから、さ……」

 多少なりとも関わったのだ。なにか思うところがあるのだろう。

 シーラは、アバードの王女であり、獣姫と呼ばれていたことはよく知られている。いまでもそう呼ぶものがいるほど、獣姫の知名度は高い。アバードの獣姫とガンディアの獅子姫と呼ばれた人物だ。リノンクレアを思いやるシーラの表情から、ふたりの相性が良かったのだろうことを伺わせた。

 二十日の朝食は、そんな静けさに包まれたまま、終わった。


 長期休暇中だからといって、なにもせず、ぼーっとしているわけではない。

 セツナは、日課の訓練を行わずにはいられなかったし、それはほかの皆も同じだった。ファリアもミリュウもルウファもシーラも、だれもかれもが思い思いに鍛錬を行っていた。体は、鍛え続けなければ衰えるものだ。せめて体力や筋肉を維持し続けなければ、召喚武装を使いこなすことなどできるわけもない。その上で精神を鍛える必要もある。

 特にセツナの場合はそうだ。

 セツナは、真の力を得、さらに覚醒した黒き矛を使いこなすべく、修練に励む必要に迫られていた。

 黒き矛の力はあまりに膨大だ。現状、全力を解放することなど、セツナには不可能といってよかった。そんなことをすれば、おそらく制御不能に陥るだろう。最悪、逆流現象が起きるかもしれない。そういう恐れが力の解放を制御する。無意識の制御。故にセツナが逆流現象に襲われることなく今日までこれたのかもしれない。

 ミリュウにいわせれば、黒き矛を制御できることのほうがおかしいというのだが。

 ミリュウほどの実力者でも、制御が効かないのが黒き矛なのだ。マリク=マジクは無論のこと、十三騎士テリウス・ザン=ケイルーンが騎士の力を用いても制御しきれず逆流現象に飲まれたという。

 隊舎の裏庭で仰向けに寝転がり、空に向かって手を伸ばしていた。晴れている。風が強いのか、滲んだ青の中を白雲が流れる速度が妙に早かった。吹き抜ける風は、汗をかいた体には心地よい。流れる草のにおいも、なにもかも。

 目を瞑り、呼吸を整える。

 黒き矛を用いた激しい鍛錬は、心身への負担が大きい。だが、負荷をかけることでしか自身を鍛え上げる方法などはないのだ。剣を鍛えるように、何度も、何度も、負荷をかけていく。鍛錬とは、それだ。同じことを繰り返しながら、少しずつ心身にかける負荷を大きくしていくのだ。そうやって鍛え抜かれた肉体は、やがて黒き矛の圧倒的な力を完全に支配し、精神は、黒き矛の能力を使いこなすようになるだろう。どれだけ先のことかはわからないが、急ぐ必要はない。ゆっくりと、しかし確実にものにしていけばいいのだ。

 十三騎士は強敵だ。真躯を顕現した十三騎士とはいまもまともにやりあえるかどうかわかったものではないし、それが複数人となるともはや相手にもなるまい。しかし、十三騎士とすぐさま戦闘になるかというと、そうは想えなかった。

 十三騎士――つまり救世神ミヴューラの使徒たちは、黒き矛の使い手たるセツナが同志になることを拒むなり、滅ぼそうとした。そうしなければならないという判断がくだされ、行動に移した。彼らにとっては黒き矛は味方でない限り厄介な存在だということであり、セツナを殺し、黒き矛を管理下に置かねばならないと考えられているようだ。その考えそのものは、セツナを取り逃したいまも変わらないだろう。

 しかし、すぐさまガンディア領土に侵攻してきていない――少なくともそういった情報は王都に入ってきていない――ところを見ると、騎士団にとって黒き矛の封印は最優先事項ではなさそうだった。直接敵対するようなことがない限り、彼らとの戦闘に備える必要はないだろう。

 セツナは、騎士団の実力、特に十三騎士の恐ろしさについてレオンガンドやエインに詳しく話している。ガンディアがベノアガルドと事を構えるようなことのないよう、進言したつもりだった。ベノアガルドと直接戦争するようなことになれば、ガンディアが全戦力を投入したとしても、勝てるかどうかわからない。十三騎士のひとりやふたりくらいならば倒すこともできるかもしれないが、全員となると、不可能に近いだろう。特に真躯を用いられれば、通常戦力ではどうすることもできず、武装召喚師ですら圧倒される以外の未来は見えない。

 ベノアガルドとは、友好な関係を結ぶか、せめて関わりを持たないようにするべきだというセツナの進言に対し、レオンガンドは深々とうなずいてくれた。

『君がそこまでいうのだ。心に刻もう』

 もし、これから先ガンディアに救援を求めてくる国があったとして、その戦いにベノアガルドが関わっていれば、救援を拒むことも視野に入れたほうがいい、とも、セツナはいっている。マルディア救援の二の舞いになってはならない。

 マルディアの戦いでは、騎士団は本気を見せていなかったのだ。

 騎士団は、ジゼルコートの謀反を起こさせた上でセツナを確保するという目的を果たすための戦いをしていた。その事実は、真躯を顕現した十三騎士の姿を目の当たりにしたことで明らかになった。十三騎士は、本気になればガンディア軍など軽く蹴散らす力を持っていたということなのだ。

 なればこそ、今後はベノアガルドと積極的に関わるべきではなかったし、関わるのであれば友好的な関わりを持つべきだった。

「御主人様、エイン=ラジャール様がお見えになられました」

「エインが?」

 セツナは、素早く立ち上がると、レムのほうを振り返った。

 レムは、メイド服といういつもの格好だったが、その上で三角巾をして、箒を手にしていることから掃除の最中だということがわかった。

「はい。なんでも、御主人様にお願いがあるそうで」

「お願い?」

 セツナは、反芻しながら、エインの待つ応接室へと急いだ。


「軍師様みずからお出ましとは、なんの要件なのですかな?」

 セツナが恭しく訪ねたのは、応接室に入り、エインに対座してからのことだ。ガンディアの軍師となったエイン=ラジャールは、軍師らしく着飾っているのだが、重々しい服装は彼に全く似合っていないといってよかった。年々童顔が増していく美少年である彼がそのような格好をすると、どうにも着せられているようにしか見えない。それは単に見慣れていないからかもしれず、いずれ見慣れることもあるかもしれなかった。

「セツナ様って案外おちゃめですよね」

 エインがいうと、レムが嬉しそうにうなずいた。

「そういうところが可愛いのでございます」

「可愛いセツナ様も悪くない」

「はい」

 またしてもふたりしてうなずき合う。セツナは憮然とした。

「なんの話だよ、おい」

「それはともかくとして、セツナ様への頼み事というのはですね」

「無視か」

 その一言も聞き流される。

「遺跡調査の護衛をして頂きたいのです」

 エインの頼み事は、セツナの想像とはまるで異なるものだった。


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