第千五百話 騎士団の在り様(後)
「それにしても、綺麗になったものね」
ルヴェリスが上層区画の町並みを見やりながら、いった。
十三騎士結界のおかげでベノアの市街地そのものは損傷ひとつしていなかったが、何百体もの飛竜の死体が市街地を埋め尽くしていたことに変わりはなかったのだ。死体から流れ落ちる血が街を紅く染め、死のにおいが蔓延していたこともある。死体の撤去作業そのものは、十三騎士が真躯を用いることでそれほど時間がかからず終わったものの、死臭を取り除くのは簡単なことではなかった。
「竜の皮も鱗も骨も、全部、武器防具の製造に回したってのは本当なのか?」
「ああ。これで騎士団はさらに強くなるだろう」
なにせ数百体にも及ぶ飛竜が襲来し、その尽くを斃したのだ。それら数多の死体をただ処分するのはもったいないということで、角、牙、骨、皮、鱗といった武器や防具の材料に使えそうなものはすべて死体から剥ぎ取られた。
ドラゴンは、万物の霊長と謳われる。
強靭な生命力を誇る生き物であり、鋼鉄よりも遥かに硬い外皮や鱗に覆われていることはよく知られている。牙や角、骨も強固であり、遥か昔より竜の骨を鍛えて作り上げられた武器や防具は、人間が作り出せる武器の中でもっとも強力であるといわれてきていた。もっとも、そのために人間の手で竜が狩られるといったことは一切起きなかったし、今後も起きることはないだろう。
ドラゴンは、あまりに凶悪だ。
とても非力な人間が殺せるような相手ではない。
十三騎士も、真躯を用いなければ一方的な戦いを演じることなどできなかったのだ。あれだけの数だ。幻装だけでは、多少なりとも苦戦を強いられただろう。それほどの生物。召喚武装も持たざる時代の人間には、畏怖の対象でしかない。
鍛え上げられた竜の骨というのは、竜同士の戦いの果て、死んだほうの竜の亡骸から取り出されたものであったりすることがほとんどで、人間が素材を求めて竜を狩ったという事例は、歴史上存在しない。
竜殺しの二つ名を持つアズマリア=アルテマックスでさえ、積極的に竜を斃したという記録は残っていなかった。
それだけに竜の骨や外皮の加工法も伝わっておらず、騎士団の武具製造を担う鍛冶集団・銀の篭手は、大量の素材を前に頭を抱えているという話だった。
しかし、それらの素材を上手く武具に使うことができれば、騎士団の戦力が向上することは疑いようがなかった。騎士団の戦力が向上するということは、救済の力になるということでもある。十三騎士にとっては望むべくもないことであり、そのために十三騎士は夜を徹して竜の亡骸を解体したものだった。
「竜骨の武具を纏えば、幻装も強くはなるかね」
「かもな」
「そうなったら、幻装だけでももう少しましな戦い方ができるかもしれねえな」
「ああ」
「これ以上強くなってどうするのかしらね」
ルヴェリスが、どこか皮肉げにベインを見やった。ベインは、当然のような顔で言い返す。
「無論、世界を救うのさ」
「……そうね。そうよね。この世を破局から救う。それがすべてよね」
ルヴェリスが確認するようにいうまでもなく、それこそが騎士団のすべてであり、シドやベインたちの行動理念であることに間違いはなかった。
騎士団を取り巻く状況というのは、あまり大きな変化はない。
騎士団は、ジゼルコートの謀反を利用し、セツナと話し合う機会を設けた。ジゼルコートの謀反を支援するという瞑目でマルディアの反乱軍に力を貸し、マルディアの救援に訪れた合衆軍と対峙、度重なる戦闘を行った。合衆軍を纏め上げた国はガンディアであり、ガンディアと敵対したようなものだが、ジゼルコートに与するということは、レオンガンドのガンディアと敵対することでもある。そのことは、問題ではない。
そも、騎士団の目的は、救済なのだ。
救済のためならばどのようなことでもするのが、騎士団だった。
多少の犠牲は厭わない。
その犠牲が、結果、救済に繋がるのであれば、喜んで払うのだ。
犠牲を嫌うのであれば、戦争に関与することなどできないし、救世の道を歩むことすらできない。前に進むということは、少なからず必要なだけの犠牲を払うということなのだ。なんの代償もなしにすべてを救えると考えるほど、騎士団は愚かではない。
救世神ミヴューラは、犠牲を払わず、すべてのものを救いたいと考えているようなのだが、そういうわけにもいかない実情もまた、理解している。そして、犠牲が生まれるたびに、ミヴューラは、悲しみに暮れるのだ。それがたとえどのような犠牲であれ、だ。
ミヴューラは慈悲に満ちた神であり、故にこそ、彼はミヴューラの使徒として生きる道を了承した。もし仮にミヴューラが情け容赦のない存在であれば、彼はミヴューラと関わろうともしなかっただろう。
ジゼルコートの謀反も、そのためのマルディアの反乱も、世界を破局から救うための犠牲と考えれば、飲み込めないことではない。そのために数多くの命が失われるかもしれないが、世界が破滅に飲まれるよりは遥かに増しだ。
だから、騎士団はジゼルコートに同調した。
ジゼルコートの策を利用することで、セツナと交渉する機会を得られると思えたからだ。
セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド。
あるいは単に、セツナ=カミヤ。
ガンディアの英雄であり、黒き矛のセツナと呼ばれる人物は、いまやガンディア一の有名人といっても過言ではなく、ガンディアの周辺諸国で彼の名を知らぬものはいないだろう。彼と軍師ナーレス=ラグナホルンがガンディア躍進の立役者であるということは、戦を知らない子供ですら知っていることだ。
無論、このベノアガルドでも彼の知名度は高く、黒き矛のセツナと十三騎士が戦った場合、どちらが勝つのか、という話題が市民の間のみならず騎士団騎士の間でもよく上がったものだった。もちろん、ベノアガルドの国民が十三騎士を贔屓ししないわけもなく、多くの場合、十三騎士が黒き矛を下すという結論となったようだが。
実際のところは、どうか。
黒き矛のセツナは、幻装を使用した十三騎士を相手に上回るが、真躯を用いた十三騎士には敵わないといった力量のようだった。
実力的には十分過ぎるといっていい。
十三騎士が用いる幻装とは、救世神ミヴューラの力の顕現であり、武装召喚師が用いる召喚武装に匹敵するか上回る力を持っている。幻装を用いる複数名の十三騎士を相手に戦い抜くことができるという時点で、セツナの力量は規格外といってよかった。通常、幻装を用いるだけで決着がつくものだし、幻装を用いるまでもなく騎士団の圧倒的勝利となる場合も少なくなかった。幻装を用い、さらに複数の騎士をぶつけなければ互角以上に持ち込めないという点で、黒き矛と彼の力は凶悪というほかないのだ。
そんな彼が真躯に敵わないのは、仕方のないことだ。
真躯は、救世神ミヴューラの力の顕現の中でも最大のものであり、神の力を身に纏うに等しい。黒き矛がいかに強力無比な召喚武装であるといえど、神の力に比肩するはずもない。
真躯を用いた十三騎士に勝てないことは、なんら不名誉なことではない。
むしろ、真躯を用いなければならないと判断させたことを名誉というほうが正しいだろう。
実際の戦場で真躯を用いた例などほかにはなかった。
それだけの実力者なのだ。
故に、フェイルリングはシド・ザン=ルーファウスの提案を受け入れ、彼を同志に迎え入れようと考えたのだ。彼ほどの力量と実績、知名度を誇るものが騎士団と行動をともにすることを宣言すれば、それだけで騎士団の求心力は飛躍的に高まるだろうし、騎士団に救いを求める声は大きくなるだろう。そしてそれこそ、この世を破滅から救う数少ない道なのだ。
救いの声が、ミヴューラの力となる。
「惜しいことをした」
フェイルリング・ザン=クリュースは、ひとり、神卓の間にいた。神聖な空気に満ちた領域は、心を落ち着かせて物事を考えるにはちょうど良かったし、なにより、神と対話するには、ここをおいてほかにはなかった。
「彼は、救世の柱になりうる人材だったのだろう?」
《……だが、彼の目は我を視なかった》
ミヴューラの聲が、フェイルリングの頭の中にに響く。なにもかもを包み込むような、慈悲に満ちた聲。その聲を聞くだけで、自分の選択が間違いではなかったと確信しうる。ミヴューラは、この世界に生きとし生けるものを真に愛し、真に救おうとしているのだ。
《彼は、目の前の現実に囚われていたのだ》
フェイルリングは、神卓の奇妙な形状を見つめながら、神の聲に耳を傾け続けた。神は、姿を現さない。神卓に封印された神は、姿を示現するだけでも大変な力が必要なのだ。対話のため、力を浪費させるなどという馬鹿げた真似はできなかった。
セツナとの交渉のときとはわけが違うのだ。
《それが悪いとはいわない。ひとは、現実の中で生きるもの。幻想の中に埋もれるべきではない》
ミヴューラの言葉は、人間への慈愛に満ちている。人間という生き物をこよなく愛しているのだ。それは、ミヴューラがそういう存在として生まれた神だからであろう。召喚者であるミエンディアに反発したのもそのためであり、そのために神卓に封印された。
《しかし、ひとは夢を追う。夢と幻想の果てに真実があると信じているかのように》
「そういった夢を終わらせないために、我々がいるのだろう」
《そうだ。フェイルリング。我が半身よ》
ミヴューラは、そういった。半身。神卓の聲に耳を傾け、最初の使徒となったフェイルリングのことをミヴューラはそう位置づけているのだ。
《ひとに夢を。この世に続きを。生きとし生けるものに祝福を》
ミヴューラはお決まりの文句を告げて、神卓の中に気配を消した。
ひとは、夢を追う生き物だ。夢を追わずにはいられない生き物なのだ。夢破れたものは、夢の亡者となって現実という地獄をさまよい続けるしかない。それくらいには、人間と夢の関係は深く、大きい。
夢。
ジゼルコートの夢は、失敗するだろう。
セツナがただのひとりで殿軍と務め、レオンガンドの軍勢をマルディアで引き止めることができなかった時点で、失敗する公算は高くなった。元より、成功する可能性の低かった謀反だ。失敗することすら考え抜かれた上での謀反という可能性すら、あった。
ジゼルコートは、そういう男だ。
彼がベノアガルドに協力を要請したのは、謀反を成功させるために違いないのだが、フェイルリングには、彼が謀反を成功させることに拘っているようには想えなかった。それに関する交渉がどこか、淡白だったのだ。まるでベノアガルドが交渉に応じてくれなくとも構わないとでもいうような態度であり、ベノアガルドがジゼルコートの謀反をレオンガンドに告げることも視野に入れているような、そんな様子だった。
無論、ジゼルコート本人と交渉したわけではない。
レオンガンド政権の監視下にあった彼がベノアガルドに訪れることなどできるはずもない。
彼の使者を通して、ジゼルコート本人の意思を垣間見たに過ぎない。それはフェイルリングの思い過ごしかもしれないし、勘違いかもしれない。
ジゼルコートは本気で謀反を成功させるつもりだったのかもしれないし、そのために絶対に必要なものとして騎士団の存在があったのは間違いないのだろう。だからこそ、騎士団が交渉に応じてくれなければ、失敗しても仕方がないという考えがあったのかもしれない。
だとしても、ジゼルコートの使者から透けて見えた彼の姿は、謀反後のガンディアの支配を夢に見ているようには、とても想えなかった。
夢の亡者の姿がそこにあったからだ。
「ひとに夢を。この世に続きを。生きとし生けるものに祝福を」
フェイルリングは、ミヴューラの言葉を反芻するようにして、告げた。
人間が夢を追うというのは、美しいことだ。
そのことをだれよりも理解しているのがミヴューラであり、だからこそミヴューラは、ひとの世の存続を望み、救おうとしているのだ。
未来、この世が破局すれば、夢もまた、終わる。
夢を終わらせないためにも、騎士団は戦い続けなければならない。
戦い、力を見せつけ、救いの声を集めなければならないのだ。
そのためにセツナを同志として引き入れようとしたのだが、彼は、拒絶した。
残念だが、仕方のないことでもある。彼は、ミヴューラがいったように己の現実を優先したのだ。
それもまた、悪ではない。
悪ではないが、黒き矛をミヴューラの管理下より解放するのは看過できないことでもあった。
黒き矛は、ただ強力な召喚武装などではないのだ。
ミヴューラいわく、それは魔王の杖なのだ。
(魔王の杖……か)
その言葉がなにを意味するのかは、わからない。ミヴューラですら、完全に把握しているわけではないらしい。
ただ、少なくとも、ミヴューラが自身と同列の協力者としてセツナを迎え入れるに足ると認識していたのは、セツナがただひとり黒き矛の使い手であり、黒き矛の持つ膨大な力に支配されない存在だからなのだ。
セツナ以外のなにものにも使いこなすことはできないだろうというミヴューラの憶測は、真躯ミラージュプリズムを駆使したテリウス・ザン=ケイルーンでさえ黒き矛を操ることができず、逆流現象に苛まれたことからも間違いないのだろう。おそらく、フェイルリングがワールドガーディアンを用いたとしても、黒き矛を支配することはできないはずだ。ミヴューラの力によって封印するのがやっとであり、もしセツナが同志となることを受け入れなければ、封印状態のまま、神の管理下に置いておくつもりだった。
それほどまでにおそろしい力を秘めているということだ。
(神さえも忌避する力)
そんな力さえもこの世界を救うという大目的のためであれば利用しようというのが、ミヴューラの健気さというものかもしれない。
フェイルリングは、神卓に触れながら、神の御心に想いを馳せた。
そして、黒き矛が今後、この世界に厄災をもたらさないことを祈った。
黒き矛がこの世にとっての害悪となれば、ミヴューラの全力をもって戦い、滅ぼすしかなくなる。そうなれば、ただごとでは済むまい。黒き矛の使い手がセツナで、セツナがガンディアに在り続ける限り、ベノアガルドとガンディアの間で大戦争が勃発することになる。
無論、そのとき、ガンディア政府がセツナを騎士団に差し出すというのなら話は別だが。
(そうはなるまい)
フェイルリングは、神卓会議におけるセツナのまなざしを思い浮かべながら、胸中でつぶやいた。
それは、願望に近い。
あの少年ほど健気で純粋に国を想い、愛するものの気持ちを裏切り、踏みにじるような真似をガンディアにはしてほしくはなかった。もちろん、それとこれとは話は別だということはわかっている。いるが、それはそれとして、ひとの心を信じたいという気持ちがフェイルリングには、強い。
緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラースが全生命を賭して守った命だ。竜の王が守るに値すると判断したのだ。
ならば彼には、ガンディアの英雄として生き抜いて欲しい、と、フェイルリングは想っていた。