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第百四十九話 集うものたち

 ファリアは、眉間に皺が寄るのを認めたが、それを抑えるには少しだけ努力が必要だった。

 いつもならその程度の努力など問題にもならないのだが、いまはそうではなかった。なぜだろう。心が疲れているというわけではあるまい。肉体的な疲労も大したものではない。特にナグラシアを制圧して以来、大きな任務があったわけでもなかった。

 ナグラシアの街を監視するのは兵士たちの役目だったし、巡回もそうだ。ましてや、城壁に登って町の外を監視するなど、《獅子の尾》隊長補佐の務めではない。

 暇が多かった。

 日課の訓練だけでは、時間を持て余した。

 隙を見つけてはドルカ=フォームが誘いに来るのだが、そんなものに乗るつもりはない。大抵の場合はセツナが助け舟を出してくれた。彼なりに気を使ってくれていると思うと、少しだけ嬉しくなったし、それならばドルカのちょっかいも悪くはないものだ。もっとも、ドルカ自身が嫌いなのではない。もう少し品があれば、話に乗ってあげるくらいならしてもいいのだが、いまの状態ではとてもとても。

 嘆息する。

 なにが原因なのか、ファリアにはわかっていた。だからこそ、苦しいのだ。本当に馬鹿げたことだ。

「なんだ、こんなところにいたんですか」

 背後から呼びかけてきたのはルウファだった。振り返る。

「悪い?」

「いいえ……って顔怖っ」

 大袈裟に仰け反るという反応を示した彼に対して、ファリアは冷ややかな視線を浴びせた。彼は隊の空気を和ませるのが自分の役目だと思っているようなところがあり、彼の気遣いで助けられたことも多々あるのだが、いまの反応は、ない。

「ひどすぎない?」

「いや、でも、その顔はないでしょ」

「そんなに?」

「なんか怒ってません?」

 ルウファがおずおずと尋ねてきたのは、隊での行動に支障が出るかもしれないと憂慮したからかもしれない。たった三人の隊だ。ひとりの機嫌次第でばらばらになる可能性もある。そして、そんなことはあってはならない。

「全然」

 ファリアが告げると、彼はファリアの後方を見やったようだった。そして、納得したようにいってくる。

「あー、そういうことでしたか」

「なに」

「隊長、取られちゃいましたもんね」

「……だから」

 ルウファの一言に、ファリアは憮然とした。ルウファの視線を追いかけるわけではないが、後方に向き直る。そこは、ナグラシア南門前の広場だ。もはや雷雲は遠い過去のものとなったかのような青空の下、後続部隊の受け入れ準備をしている兵士たちが、忙しなく動いている。予定では、もう少しでログナー方面軍第二軍団が到着する手筈になっており、ファリアたちもそれを待っていた。

 右眼うげん将軍アスタル=ラナディースが到来するのだ。王立親衛隊《獅子の尾》も総出で出迎えるのが礼儀というものだろう。それに、右眼将軍は西進軍の指揮官となるという話もあり、印象を良くしておくのは悪いことではない。もっとも、いまのままでは最悪の印象を与えかねないのもわかっている。

 原因は、広場の中心にあった。

 ファリアの隊長セツナ・ゼノン=カミヤが、ログナー方面軍第三軍団長エイン=ラジャールに引っ張り回されていたのだ。初対面のときセツナに抱き着、感極まって泣いていたエインは、生粋のセツナ信奉者であるらしく、昨日からずっとセツナに張り付いていたのだ。寝る時こそ開放されてはいたようだが、それ以外の時間のほとんどを少年軍団長に付きまとわれており、セツナも困っているようだった。とはいえ。

「でも隊長、楽しそうだと思いますよ」

 ルウファの台詞を否定出来ないのも事実だった。セツナは、ひとつしか歳の違わない少年軍団長の存在が嬉しいようだ。いままで周りには年上の大人たちしかおらず。部下のファリアとルウファも歳が離れていた。いくら気心が知れた仲間であり、部下であっても、年齢の壁というものは案外大きいものだ。それに、あれほど好意を包み隠さずにしてくれる相手が現れれば、だれだって嬉しいに違いない。

 セツナがあんな風にしてファリアを追いかけまわしてきたら、と想像するだけで笑みが溢れてしまいそうになるが、そんなことはありえないという現実を認識して息を吐く。

「そうなのよね……」

「まるで本当の兄弟みたいですよね」

 ルウファが少し懐しそうにいったのは、兄と弟のことを思い出したからかもしれない。彼の兄ラクサスはガンディアの騎士であり、王立親衛隊《獅子の爪》の隊長に任命されていた。今回の戦争でも当然出陣することになるだろうし、いまごろマイラムに向かっているか、到着している頃だろう。彼の弟のロナンは、セツナがバルガザール家に居候しているころにはよく話しかけられたものだ。ロナンはラクサスよりもルウファに似た雰囲気の少年であり、セツナとも仲が良かった。

 そういわれれば、セツナの周りで飛び跳ねるエインの姿は、大好きな兄に懐く弟のように見えなくもなかった。

「兄弟、ね……」

 そう考えれば、眉間の皺も消えるというものだ。兄弟ならば微笑ましく思える。

 だからといってなにが解決したわけでもない。問題はエインとセツナの関係ではなく、自分の中にあるのだ。ファリアは、自分の感情がどういった類のものなのか薄々気付き始めてはいたが、わざと直視しないようにしていた。それを認識すれば、いまの関係を壊してしまうかもしれない。

 それが少しだけ恐ろしい。

 やがて、ナグラシアに入りきらない数の馬車がやってきて、大騒ぎになった。右眼将軍アスタル率いるログナー方面第二軍団が到着したのだ。軍団長レノ=ギルバースは、かつてのログナーの将軍ジオ=ギルバースの弟だという話だったが、ファリアには関係のないことでもあった。

 馬車と騎馬のみによる高速輸送によって、第二軍団の到着は予定よりは早かったようだ。

 九月十二日。

 ファリアたちがナグラシアを制圧して四日が経過している。ザルワーン軍の動きはまだ不透明であり、ナグラシアが攻撃される兆候もなかった。動きが鈍い。国境の町が奪われたのだ。普通ならば奪還に動き出すはずなのだが、そういう気配さえなかった。もっとも、混合軍があずかり知らぬところで奪還の準備をしているのかも知れない。そしてそのほうが納得できる。

 出迎えには、無論、グラード=クライド、ドルカ=フォームもきていた。彼らの昔からの上司であり、現在も同じような立場の人物なのだ。出迎えるのも当然といえる。

 街の人達は、相次ぐガンディア軍の到着に驚き、ガンディアの本気を知ったようだった。領土を掠め取るだけではない陣容が、ナグラシアという国境付近の街に築かれつつある。

 そうこうするうちに、右眼将軍アスタル=ラナディースと第二軍団長レノ=ギルバースが馬車から降りてきて、グラードたちと挨拶を交わした。セツナも、《獅子の尾》隊長の名に恥じぬ態度で将軍らと言葉を交わしていた。

 隊長という立場が段々と板についてきているのが見て取れて、ファリアは安堵した。セツナの成長は、ファリアにとっても嬉しいことなのだ。彼がこちらに来て間もないころからずっと見守ってきたが、少しずつ、着実に成長している。それはガンディアにとっても、彼自身にとっても喜ばしいことだろう。

(わたしも成長しないとね)

 ファリアはさっきまでの自分を過去のものとするため、広場の中心に向かって歩き出した。隊長補佐として、将軍に挨拶をしておかねばならない。



「あなたが、ルクス=ヴェインさん?」

 ルクスがそう尋ねられたのは、公園の隅の長椅子に腰掛けて休憩しているときだった。出発までの数日、彼自身には特にやることがないのだ。突撃隊長などというのは名前だけのものといっていい。傭兵なのだ、官職でもなければ、立場など一般人と同じか、それ以下といっていい。それでも食っていけるし、生きていけるのだ。文句はない。

 かつてログナーの王都として栄えた都は、いまではガンディアの一地方都市と成り果てている。とはいっても、ログナー地方の主要都市であることに代わりはなく、むしろログナー王政時代よりもひとが増えたという評判もあるらしい。

 いまは、ガンディア軍の兵士たちがマイラムという都をガンディア色に染め上げていた。軍服の真紅は、この間の全軍再編によって取り決められた色らしい。血というよりは炎の赤で、ガンディアにはそぐわない気がしないでもない。もっとも、それはガンディア方面軍の色だといい、ログナー方面軍は群青なのだとか。

 赤と青の軍勢が並ぶと、さぞ目に痛いのだろう、などと妄想していたのだが。

「そうだけど」

 声のした方向を向くと、見たことのある服装の一団がルクスを圧倒するように立っていた。いや、彼らとしては威圧するつもりもないのだろうが、一団の中のひとりが凶悪なまでの筋肉を備えていて、どうにも圧力を感じずにはいられなかったのだ。

 黒い服に灰色の外套。傭兵集団《白き盾》の隊服であり、ある意味では象徴ともいえた。服の背には、翼の模様が入っているはずだが、外套の上からはわからない。熱気に満ちた昼間だというのに、律儀なものだと感心するのだが、案外、通気性に優れた素材なのかもしれないとも思う。

 ルクスに声をかけてきたのは、一団の真ん中に立つ人物だと一瞬でわかった。彼以外に発言権がないからだ。

 黒髪に青い瞳の美少年。十代半ばから後半に差し掛かったばかりといった風情がある。左右の女を侍らせ、両手に花といった感じもあるが、それが様になっているので怒りを覚えるようなこともない。《白き盾》の団長であり、ルクスにとっては商売敵ともいえるが、現在は互いにガンディアと契約している身の上であり、いわば仲間だった。

「クオン=カミヤさんが俺になんの用事かな?」

 ルクスは、ことさら関り合いになろうとは思わなかった。ガンディアの作戦次第では、《蒼き風》と《白き盾》が共同戦線を張ることもあるだろうが、団長との交流などはシグルドたちに任せておけばいいのだ。突撃隊長の自分が出張ることではないし、ルクスのせいで関係をこじらせるようなことはしたくない。なにより、人間関係を考えるのは面倒だった。

 その点、セツナとの関係は単純で良かった。ただ、戦い方を教えてあげればいいだけの関係だ。会話もするが、他愛のないものだったし、セツナ自身、交流というものが苦手そうだった。セツナのそういうところに自分を見出してしまうのだが、だからといって訓練で手加減することは殆どなかった。たまに手を抜けば、彼に怒られた。セツナは、本気で強くなりたがっているのだ。だから、ルクスは彼への認識を改めたし、また日常の訓練へと戻れる日を楽しみにしていた。

 そんなセツナと、彼は知り合いであるらしいのだが。

「特に用事はないのですが、セツナがお世話になっているというので、挨拶でも、と」

「君はセツナの保護者か?」

 ルクスは苦笑した。彼の保護者といえば、眼鏡の美女のほうだろう。

 クオンは、ルクスの反応が気に食わなかったようだが、努めて冷静にいってきた。

「ただの友人ですよ。昔からの、大切なね」

「……そうかい。覚えておくよ」

 とはいったものの、明日には忘れているだろう。ルクスは、他人のことなど興味がなかった。興味があるとすれば、シグルドであり、ジンであり、セツナのことくらいのものだ。セツナの旧友には興味も持てない。

 伸びをして立ち上がり、椅子に立てかけていた長剣を掴む。

 クオンたちは唖然としていたが、構わなかった。

「じゃあ、俺はこれで」

 ルクスは、相手の反応を待たずに公園を抜けだした。

 どうでもいい連中とつるむのは好きではない。



 マイラムは、ガンディア各地から集ったガンディア方面軍でごった返していた。ログナー方面軍が集まった時よりも人数が多く、喧騒も凄まじい物がある。

 ログナー方面軍はザルワーンに先手を打つために出発したということもある。さらには準備が整い次第、後詰の部隊がつぎつぎとマイラムを発った。九月十二日現在、ナグラシアでの合流を果たしたことだろうが、それも一時的なものだった。

 ナグラシアはログナー方面軍第二軍団が維持し、他の三軍団と《獅子の尾》は西進軍として再編される手筈になっている。明日、明後日にもバハンダールへの進軍を開始するだろう。

 ガンディア方面軍は、明日、ナグラシアへの進軍を開始することになっている。ナグラシアでは部隊を再編し、本隊と北進軍に別れる予定だった。

 ガンディア全軍を三つの部隊に分けてザルワーンを蹂躙する。これは、ナーレスのザルワーン侵攻作戦を素案にし、レオンガンドと右眼将軍アスタル=ラナディースが顔を突き合わせて考えぬいたものだ。本来ならそこに左眼将軍と大将軍のふたりも加わるべきだったのだが、彼らのマイラム到着を待っていては遅きに失するのだ。

 全軍が集うのに要したのは八日。これでも最速最短といえるだろう。それくらい無茶なことをやり遂げたという実感はある。だが、好機は失われたといっても過言ではない。ザルワーンはもはや軍師拘束後の混乱期を脱していると見るべきで、ナーレスによる勢力分散の恩恵を期待してはいけないだろう。

 とはいえ、ザルワーンはナグラシアの奪還にすら手間取っており、その点では不明瞭な部分も多い。レオンガンドがザルワーンの王ならば、各地の軍に命じてナグラシアの敵軍を排除しようとするのだが。

(いや……)

 レオンガンドは、頭を振った。

 レオンガンドは、似たような経験があった。半年以上前のことだが、ガンディアの北の守りの要たるバルサー要塞が、ログナー軍によって奪取されたことがあった。難攻不落の要塞が落とされたのは、クオン=カミヤの功績によるところが大きいという話だが、それはいい。ともかく、すぐにでも奪還しなければならなかったし、レオンガンドもそう考えていた。しかし、シウスクラウドが死んで間もなくということもあり、また、即座に動かせる兵力では、バルサー要塞を取り戻すなど不可能だというアルガザード将軍の進言もあり、先延ばしにせざるを得なかったのだ。

 いま思えば、その選択は間違いではなかった。もし、あのとき、強引にでもバルサー要塞を奪還していたら、セツナとの出会いはなかったかもしれない。

 それは考えたくもない可能性だった。彼がいなければ、対ザルワーンの戦略は大きく変わっていたかもしれないし、そもそも、アザークやベレルを制圧してから対決しようと思ったかもしれない。そして、そちらのほうが時間はかかるとしても、正しい道筋だろう。

 近隣の国々を切り取り、国力を高め、兵力を増強し、策謀の限りを尽くし、勝利が完全なものになってから戦争を仕掛ける。それが最善であり、それ以外の理由で戦争を起こしてはならないのだ。

 レオンガンドは、自分が愚行を犯していることに気づいてはいたが、ナーレスが捕まり、ザルワーン内部での工作活動ができなくなった以上、賭けに出るしかないと思っていた。だが、分の悪い賭けではない。最悪、ザルワーンの領土を三分の一でも削り取れればいいのだ。ザルワーンという大国の脅威をなくしてしまうことこそ、目的といってもよかった。

 そしてなにより、ガンディアには心強い味方がいる。

 同盟国ルシオンから、ハルベルク王子率いる千名の援軍が到着したのだ。じきにミオンからの援軍も到着するだろう。レマニフラの約五百名も十分な戦力になったし、《蒼き風》は百五十名ほどだが、その三倍程度の活躍は見込んでもいい。

 総勢一万は有に超える軍勢となる。

 さらにいえば、ザルワーンは、国内に凶悪な敵を抱えており、全軍をガンディアに当てることができないのだ。それこそ、付け入る隙だ。それを逃す手はなかったし、グレイ=バルゼルグの気が変わる前に打って出たのは正解だったのだ。もっとも、グレイ=バルゼルグの離反がガンディア軍を誘き寄せるための策謀だったなら完敗だが、自国の領土に敵軍を引き入れるような真似をするとは到底考えられなかった。

「ザルワーン……か」

 レオンガンドが思いを馳せたのは、物心ついたころに見た龍府の美しい町並みだった。

 あの日、彼は父シウスクラウドとともに龍府を訪れ、当時のザルワーン国主マーシアス=ヴリディアとの会食に臨んだのだ。マーシアスは一見ただの好々爺で、まさか彼が外法に堕ちていたなど、なにも知らぬ六歳の子供にわかるはずもなかった。

 二十年前。

 シウスクラウドが病を得、倒れたのは帰国後のことだった。

 レオンガンドは、いつの間にか、拳を強く握りしめていたことに気づいた。手を開くと、爪の跡が手のひらに残っていた。

「二十年……長かったぞ」

 ザルワーンこそが宿敵だということは、何年も前からわかっていたことだ。ガンディアに住むだれもがそれを認識している。北の大国。龍の国。獅子の国たるガンディアにとって、ザルワーンとの戦いは避けて通れぬ道だったのだ。

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