第千四百九十八話 大刷新(九)
大刷新による人事は、セツナたち《獅子の尾》にも多少の影響を与えている。
グロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルのふたりが、《獅子の尾》に配属されることが正式に決定したのだ。
元々ジゼルコート配下の武装召喚師だったふたりは、マルダールでのガンディア解放軍との戦闘で、グロリアはルウファに、アスラはミリュウに敗れ、それぞれ投降している。
ファリアもマルダールで対峙したオウラ=マグニスを単独で下したものの、オウラは投降を拒み、ファリアは彼を斃した。オウラほどの実力と才能を持った武装召喚師はそういるものではいない、と、グロリアもアスラも評しており、彼が味方にならなかったのは損失というほかないとのことだった。しかし、一方で彼ほどの頑固ものが説得に応じるわけがないともいっており、ファリアを責めたわけではない。ファリアとしてはオウラを説得できなかったことを強く後悔しているようだが。
グロリアとアスラは、投降後、即座にガンディア解放軍に組み込まれており。ガンディオン奪還およびケルンノール征討に従軍、マクスウェル=アルキエルとの戦闘に投入された。それにより彼女たちがジゼルコートの敵となったことが明確化し、彼女たちがガンディアに帰属することも受け入れられていた。
マクスウェル=アルキエルとの壮絶な戦いは、遠巻きに見守っていた兵士たちも絶望を感じるほどのものであったこともあり、その戦闘に投入されたふたりへの評価は、戦前と戦後で大きく変わったという。戦前は、ジゼルコートの配下として謀反に同調した敵であり、疑いの目を向けるものも少なくなかったが、マクスウェル戦を経たあとは、疑うことなどありえないという論調が増えたようだ。
命を賭けた戦いを目の前で見せつけられたのだ。評価が覆ったとしてもなんら不思議ではない。
ふたりの扱いについては、そのころから《獅子の尾》の隊士のようなものであり、そのときからレオンガンドの頭の中では、《獅子の尾》に配属させるよう構想していたようだ。そして、その構想が正式決定されたのが大刷新による人事だ。レオンガンドの構想にエインもアレグリアも側近たち、将軍らも意見こそ述べたものの、反論はなかったという。
これにより《獅子の尾》の武装召喚師は五名に増え、ガンディア最強の戦闘部隊という印象はますます強くなった。
『戦力の一極集中は避けるべきなんでしょうが、《獅子の尾》がガンディアの象徴としてあまりにも広まりすぎましたからね』
とは、エインの言葉だ。
ガンディア最強の名をほしいままにする《獅子の尾》の存在が、他国への牽制となり、抑止ともなりうるかもしれない、と、彼は期待しているらしい。ただでさえ凶悪だった《獅子の尾》にさらに二名の優秀な武装召喚師が加わったのだ。中でもグロリア=オウレリアはルウファの師匠であり、その実力は彼を大きく上回るという。それほどの実力者が部下に加わったことで、セツナは隊長として相応しくあるためにはどうすればいいか、少しばかり考えたりもした。
グロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルの扱いについても、考えなくてはならなくなった。
ファリア、ルウファ、ミリュウの武装召喚術、召喚武装についてはある程度理解しており、運用方法も考えつく。しかし、グロリアとアスラに関しては、まだなにも知らないといってよく、彼女たちを効率的に運用するにはどういう方法で扱えばいいのか、これから研究していかなければならなかった。
もっとも、ふたりが主に使用する召喚武装についての情報は、彼女たち本人が作成し、提出された書類に記されており、それら情報を頭にぶち込めば、ある程度の運用は可能なはずだ。問題は、そこではない。
グロリアはルウファに並々ならぬ執着を持ち、アスラはアスラでミリュウに拘っている。ふたりとも、それがあるから解放軍に投降したというのもあるのだろうが、そんなふたりを上手く扱うには、それぞれに執着する人物とともに行動させるべきかいなか、そんなことを考えるのだ。
とはいえ、《獅子の尾》の運用法を考えるのはセツナの仕事というよりは、エイン、アレグリアの両軍師を始めとするガンディア軍首脳陣の仕事であり、セツナが頭を悩ませるのは隊内の人間関係のほうだった。
ルウファはグロリアを嫌っているわけではなく、むしろ師匠としてこの上なく慕っているのだが、グロリアはルウファのことを弟子としてというより、ひとりの男、異性として意識しているのか、彼につきまとっている姿を多く見かけた。ルウファと戦い、敗れたことが彼女の心に突き刺さったというのだ。ルウファはグロリアにそのような意識を持たれるとは想定外のことであり、心底困惑しているようだ。エミルとの結婚を控えてもいる。エミルの心中も穏やかではなさそうだった。だからといって、グロリアにルウファとの接触を控えるように、などといえるわけもない。ふたりのことはふたりに任せるしかないのだ。
アスラのほうは、特に目立った問題があるわけではない。ただ、ミリュウにべったりな彼女に対して、ミリュウ本人が音を上げ始めているというのがある。アスラはかつてミリュウのことを姉のように慕っていたといい、マルダールの戦いでミリュウに負けたあと、その想いが復活したのだそうだ。ミリュウもアスラのこと妹のように想ってはいるものの、アスラにくっつかれてはセツナにくっつくことができないと嘆いていた。そんなミリュウは極めて珍しいこともあってセツナが笑うと、彼女は、なんとも言えない顔をしてみせた。決して怒ったりしてこないところに、彼女のアスラへの愛情が伺えた。
そういったことはあったものの、《獅子の尾》に隊士が増えたことで隊長であるセツナの仕事が増える、といったことはなかった。事務や雑務を隊長補佐と副長に丸投げするという体制に変化はなく、セツナは、健康管理と日々の訓練に汗を流し、技を磨くことに時間を費やしてよかった。
とはいえ、まともに動けるようになったのはここ数日のことであり、汗を流すほどの激しい運動をしてもいいというマリアの診断結果が下されたのも二日前だった。
セツナには、それほどの疲労が蓄積していた。
長時間に及ぶグリフとの戦闘がセツナの肉体と精神に強いた負担は極めて大きい。
ファリアたちよりも回復が遅く、鍛錬を行えるようになったのも一番遅かった。そのころにはファリアの左腕も完治していたし、アスラも全身の傷が塞がり、自由に動き回れるようになっていた。それもこれもグロリアの召喚武装エンジェルリングのおかげだ。エンジェルリングは、体力、精神力と引き換えに自己治癒力を増大するという能力を持っている。いわば、オーロラストームの能力“運命の矢”の弱体化版といってもいいのかもしれない。“運命の矢”は全身を焼き尽くされ、いまにも死にそうな状態だったセツナを瞬く間に回復させたほどの力を持っている。ただし、“運命の矢”が代償として持っていくのは体力や精神力ではなく、寿命だ。命を差し出すのだ。それで回復力がエンジェルリングと同等なら笑い話にもならない。
とはいえ、エンジェルリングのほうが代償は軽いため、使い勝手がいいことは間違いない。ファリアはオウラとの戦闘で左腕を負傷したのだが、普通、完治しないであろうほどの重傷を負ったという。腕の骨がばらばらに砕かれていて、“運命の矢”でも用いない限り、元には戻らないだろうと諦めかけていたそうだ。しかし、オーロラストームの“運命の矢”はファリア本人にしか使えない上、自分で自分に矢を射ることなどできるわけもなく、彼女は左腕が使えなくなることを覚悟した。グロリアが味方になり、エンジェルリングを使ってくれなければ、そのまま諦めるしかなかったのだ。
そういうこともあって、セツナはグロリアに感謝したものだ。
グロリアがいなければ、ファリアは、左腕を使えないまま一生を過ごしたかもしれない。それは、あまりにも可哀想だ。ファリアも左腕が完治したことを心の底から喜び、グロリアに感謝した。グロリアは感謝されるまでもないことだといったが、感謝してくれるというのであればルウファとの仲を取り持って欲しいともいった。セツナに対してもだ。
『最近、弟子に避けられている気がするのだ』
グロリアの悩みを解決する方法は、セツナには思いつかなかった。
大刷新によって大きく変動した人事といえば、サラン=キルクレイドと星弓兵団だ。
弓聖サラン=キルクレイドと星弓兵団は、元々イシカの軍人だ。クルセルク戦争において大活躍したことは記憶に新しく、彼らがマルディア救援軍に参加したことは、救援軍の士気を大きく高揚させた。サランの実力は、武装召喚師に匹敵するほどのものであるとファリアたちも唸るほどであり、さすがは弓聖というべきものなのだ。そんな彼らが戦力に加われば、士気が上がるのも当然といえる。
シーラも、サランと再びともに戦えることを喜んでいたものだ。シーラは、サランのことが気に入っているようだったし、サランも彼女のことを孫娘でも見るようなまなざしで見ているようだった。ふたりの関係は、祖父と孫のようであり、そんなふたりを遠目から見ているだけで心が暖かくなったりした。
そんなサランと星弓兵団は、マルディアの戦いでセツナたちとともに活躍したのだが、しかし、その真意は別のところにあった。
サランは、イシカ王ラインゴルド・レイ=イシカの密命を帯びていた。その密命とは、マルディア救援の最中、救援軍に訪れるであろう急変の混乱中、レオンガンドを暗殺せよ、というものであり、彼は王命通り、レオンガンド暗殺に動いた。王からの勅命なのだ。従う以外の道はない。彼はレオンガンドを暗殺しようとしたが、シーラとエスク、ドーリンによって防がれ、捕らえられた。
拘束されたサランは、イシカの弓聖として死ぬか、イシカを裏切り投降するか、さんざん悩み抜いた末、投降を決意している。老い先短い自分のことよりも、星弓兵団員たちの命と未来を守るための決断だったという。星弓兵団の団員たちは、サランによるレオンガンド暗殺計画についてはなにも知らされていなかったのだ。
サランと星弓兵団は、その後、シーラとともにアバードに残り、アバードの解放と防衛に尽力した。その際、シーラは、サランとともに戦えることを喜び、彼が戦後、ガンディア軍に残り続けてくれることを望んだという。
そのサランの処遇については、当然、議論となった。
レオンガンド暗殺未遂の件も議題に上がったというが、そのことは、イシカに問いただすべきことであり、王命に従わざるを得なかったサランに罪を問うのは意味のないことだとレオンガンドは判断した。サランは実行犯でしかない。実行犯を裁いたところで問題はなにひとつ解決しないのだ。
その上でレオンガンドたちは、サランと星弓兵団をどう扱うかで検討した結果、ガンディア軍に組み込むべきではないのではないか、という考えに至ったという。弓聖サランと彼の弟子集団である星弓兵団は、戦力としてはこの上なく強力な軍団だ。しかし、元々イシカの所属であり、ガンディアへの忠誠などあろうはずもない軍団をガンディア軍に組み込むのは得策ではないのではないか。
それならばいっそのこと、ガンディア軍ではなく、セツナの配下に組み込んでみるのはどうか。
議論の末、サランと星弓兵団はセツナの預かりとなった。
つまり、セツナ軍に配属されるということだ。
ちょうどセツナは領地が増え、配下の戦力を欲していたところでもあった。
エンジュールには黒勇隊、龍府には竜宮衛士、直属の戦力には黒獣隊、シドニア戦技隊がいるが、新たな領地となるセイドロックには該当する戦力がなかった。星弓兵団がセツナ軍に加わるというのであれば、セイドロックに配置するというのも大いに考えられる話であり、セツナは、そんな構想をエインに話し、了承を得ている。
無論、アバードに滞在中のサランたちに了解を取ったわけではないが、彼らに選択肢などあろうはずもない。
サランたちは、イシカを裏切ったのだ。もはや国に戻る道はなく、ガンディアで生き続けるほかなかった。もしガンディアの方針が気に食わないのであれば、ガンディアを抜ける以外にはなく、そうなればガンディアとイシカ、双方から追われる立場となるだろう。そんなものたちを庇う国が現れるわけもない。イシカだけならばまだしも、ガンディアまで敵に回そうという国がいるとは思えない。
ジゼルコートの謀反が成功する可能性に魅入られ、レオンガンドの敵に回った国ならば、複数存在するが。
それら国々に対する処遇も、ガンディア政府は慎重に考えている。
それはそれとして、サランたちがセツナ軍に加わったことをもっとも喜んでいるのは、シーラだった。
『爺さんが同僚だなんて、嬉しすぎるぜ』
シーラは、サランと再びともに戦える日が来ることを待ち望んでいるようだった。