第千四百九十四話 大刷新(五)
大刷新と題された人事の刷新が発表されたのは、論功行賞が行われた後だ。
まず最初に、アルガザード・バロル=バルガザールが戦前の宣言通り、大将軍位を国王に返上したことが公表された。大将軍としての最後の仕事が論功行賞での表彰だったのだ。
惜しまれつつも大将軍の座を降りたアルガザードは、これによりただの軍人となり、家督も長男ラクサス・ザナフ=バルガザールに譲ると宣言、バルガザール家はラクサス・ザナフ=バルガザールを当主とすることになった。
アルガザードは、これからは、先の大将軍と呼ばれることになるが、レオンガンドは、それだけでは忍びないと想ったらしい。
レオンガンドは、アルガザードの長年の労苦と、大将軍としての数々の功績に報いるべく、領地を与え、領伯に任じることとした。
アルガザードに与えられた領地は、クレブール一帯。
クレブールは、もともと王家の直轄地であり、後にジゼルコート第二の領地となっていたのだが、謀反の終結後、ガンディア政府は即座に大罪人ジゼルコートから領伯の任を解き、クレブールを王家の直轄地に戻していたのだ。そのクレブールを大将軍を辞任したアルガザードに与えたことは、クレブール市民にも歓喜でもって受け入れられたらしい。大将軍アルガザードの人望は、軍人の間のみにとどまらず、国民の間にも広がっていたということだろう。
アルガザード自身、領伯になることなど想定してもいなかったらしく、望外の喜びと感激し、レオンガンドにより一層の忠勤に励むと告げ、レオンガンドを喜ばせた。しかし、レオンガンドは、アルガザードには領伯として領地の運営に専念してくれてもいいと想っているという。
アルガザードは、数十年もの長きに渡り王家に尽くしてきたのだ。残りの人生、自分のために使ってもいいのではないか。
レオンガンドのそんな思いやりにアルガザードはただ涙を流したという。
そういう美談が王宮から漏れ聞こえれば、王都市民の心を打ったのはいうまでもない。
今後、アルガザード・ラーズ=クレブールが彼の呼び名となる。
それとともにバルガザール家とクレブール領伯家は別の家として扱われる運びとなり、ガンディアの武門を司るバルガザール家はラクサス・ザナフ=バルガザールが当主を務め、クレブール領伯家の当主はアルガザードが、その後継者としてはルウファかロナンのいずれかが当たることになっているという。
武装召喚師として大成したルウファと、現在、武装召喚師を目指し、王立召喚師学園に通い始めたばかりのロナンのふたりは、バルガザール家を継ぐには相応しくなかったものの、クレブール領伯家ならば問題ないだろうという話もあった。
それは、バルガザール家がガンディアにおいて特別な地位にある家柄だからであり、バルガザール家の当主たるもの、ガンディアでも有数の武人であるべきだという家訓がバルガザール家の家訓として言い伝えられており、長男たるラクサスはその家訓にいわれるまま、武人として恥じぬ人間に自らを作り上げたという。ルウファは、そんな兄のようになれないからと武装召喚師を目指したのだが、それはそれとして立派なことであり、ラクサスもアルガザードもそのことを認め、賞賛さえしている。
近年、バルガザール家でもっとも武功を挙げているのは、《獅子の尾》の副長として前線を飛び回るルウファなのだ。本隊を指揮することの多い大将軍や、国王の親衛隊である《獅子の牙》隊長のラクサスが武功を稼げないのは当然としても、ルウファのそれは、ほかと比べても格段に多い。いまやガンディア国内だけでなく、国外でも知られた存在であるはずだ。
セツナからしてみれば、ルウファがバルガザール家に相応しくないとは想えなかったし、将来的に彼がクレブール領伯家を継ぐことになるのであったとしても、実績的にも問題はないと考えていた。
人格面、実務面で問題の多いセツナですら、領伯になれるのだ。
ルウファならばなんの心配もいらないだろう。
もちろん、領伯の後継者はアルガザードが決めることであり、ルウファではなくロナンが選ばれたとしてもなんら不思議ではないし、そうなった場合でも、ルウファはなんとも思わないだろう。
ルウファは、現状の幸福を噛み締めることができるだけで十分だといっていたし、それが嘘偽りのない本心だということは彼の表情や言動からよくわかった。
彼は、エミル=リジルとの結婚を控え、幸せの絶頂の中にいたのだ。
そんな彼の幸せこそがセツナにとってもこの上なく嬉しいことであり、彼とエミルが笑いあっている様子を見るだけでなんだか涙が出そうになった。
そしてそういった場面では、さすがのグロリア=オウレリアもちょっかいを出そうとはしなかった。グロリアはグロリアなりに弟子のルウファが幸せなれることを願っているのだろう。その上でルウファの側にいたいと想っているからこそ、彼に甘えてしまうようだ。
クレブールと同じく、ジゼルコートの領地だったケルンノールは、ジゼルコートが領伯の任から説かれた後、ガンディア王家直轄地に戻された。
ジゼルコートの第一子であるジルヴェールが、ケルンノール領伯の後を継ぐということはなかったのだ。
当たり前の話で、ジゼルコートが領伯としてまっとうに務めを果たしていれば、家督を受け継いだものが領伯の任も継ぐべきだが、ジゼルコートが謀反を起こし、領伯の任から解かれた以上、その子であるジルヴェールもまた、領伯になれるはずもなかった。一族郎党とともに処断されたとしてもおかしくはないほどの大罪だった。
しかし、レオンガンドは、ジゼルコートとその手のものを処断した以上、親類縁者まで罰することはないとした。甘い処分だとジルヴェールが意見したそうだが、レオンガンドは、これ以上の血を流す必要がどこにあるのか、と王宮大会議場の有様を見せたという。
王宮大会議場は、ジゼルコートの同調者――つまり、レオンガンドの敵対者たちの処刑場としてエリウス=ログナーらによって使用されており、それ以来だれも立ち入ることの許されない場所となっていた。話によれば、歴戦の猛者ですら立ち竦むほどの惨状となっており、その光景を目の当たりにすれば、だれもが戦いの狂気から目を覚ますだろうといわれるほどだという。
実際、その光景を目にしたジルヴェールは、レオンガンドの考えを受け入れている。
そしてジルヴェールは、ケルンノールを名乗れない代わりに、ガンディア姓を名乗ることになった。元々、ジゼルコートはガンディア王家の人間なのだ。その息子であるジルヴェールがガンディア王家に復帰することには、なんら問題なかった。
ジルヴェールがジゼルコートに同調していたのであれば話は別だが、彼は、最後までジゼルコートには従わなかった。従わなかったがために王宮の一室に閉じ込められ、外界の様子を知ることもできないまま日々を過ごすことになったというのだ。そのことは、いまや王都中のだれもが知ることであり、ジルヴェールの人気は上がる一方だった。
ジルヴェール=ガンディアと名乗ることになった彼は、今後もガンディア王家のため、人事を尽くすと宣誓したという。
アルガザードが返上したことで空位となった大将軍の座には、だれがつくかと取り沙汰された。ガンディア軍に関係するものの間ではもっとも大きな話題だっただろう。大将軍は、ガンディア軍の最高位であり、全軍、全将兵を掌握する立場にある。大将軍次第で軍の色は大きく変わるかもしれないのだ。
大将軍の候補は、四名いた。
左右将軍と並び称される右眼将軍アスタル=ラナディースと左眼将軍デイオン=ホークロウが最有力候補だが、そのほかに大将軍の補佐を務めていた副将のふたり、ジル=バラムとガナン=デックスもまた、大将軍の候補として名が上がっていた。副将は、場合によっては左右将軍に匹敵する権限を持ちうるからだ。
生粋のガンディア人やクルセルク方面軍の将兵からはデイオン将軍こそが大将軍に相応しいという声が大きく、ログナー方面軍は当然のようにアスタル将軍を支持した。副将ふたりを支持するものもいないではなかったが、少数派といってよかった。
そんなガンディア軍を二分する騒ぎの中、大将軍に任命されたのはアスタル=ラナディースだった。
ガンディア軍の最高位にログナー人がつくということで大騒ぎになるかと思われたものの、概ね、好意的に受け入れられたということだった。
ログナーがガンディアに併呑されて既に二年近くが経過しているということもあるだろうし、エリウス=ログナーを始めとするログナー人の献身的なまでの働きぶりを知っていれば、受け入れざるを得まい。もちろん、長らくガンディア軍を支え続けたデイオン=ホークロウ左眼将軍こそが大将軍に相応しいという声も聞かれたが、アスタル=ラナディースの大将軍拝命を否定するものではなかった。
アスタルの活躍を知らないものもいないのだ。
ちなみに、アスタルが大将軍に任命されたことで取り沙汰されたのは、彼女がログナー人だからということだけであり、女性が大将軍になることについては平然と受け入れられていた。
ガンディアのみならず、小国家群では、女性が軍人になることそのものは不思議ではないのだ。
アスタル・バロル=ラナディースは、ガンディア軍をこれまで以上に強力な軍組織に作り上げていくことを誓ったという。
アスタル=ラナディースが大将軍となったことで空位となった右眼将軍には、大将軍付きの副将のひとりだったジル=バラムが拝命した。
大将軍付きの副将はふたりいて、ジル=バラムとガナン=デックスのどちらを右眼将軍に任命するかで大きな議論になったようだが、アスタルの後任には彼女こそが相応しいだろうということで決着を見たということだった。
ジル=バラムは、自分が右眼将軍に任命されるとは想ってもいなかったというが、拝命した以上は、アスタル=ラナディースの後任に恥じぬ働きを見せるとレオンガンドに約束した。
また、大将軍付きの副将の席がひとつ空いたことに対しては、大将軍本人の意向も踏まえた上でログナー方面軍大軍団長グラード=クライドが抜擢された。
グラードは、軍団長、大軍団長を歴任しており、数々の戦いにおいて活躍してもいる。人格、実力、実績、すべてにおいて問題はなしと判断され、副将に任命されたとのことだった。いくら大将軍の意向とはいえ、実力も実績もないものが副将になれるはずもないということだ。
副将に任じられたグラードは、感激のあまり涙したという。そして、ログナー以来、再びアスタルの元で戦えることに喜んでもいた。
そんなグラードを羨ましげに見ていたというドルカ=フォームだったが、ログナー方面軍第四軍団長から大軍団長へと昇格することが伝えられると、グラード=クライドの副将抜擢さまさまだといってのけ、グラードに呆れられたりしたらしい。
ログナー方面軍は、ほかにも第四軍団長の後任と第二軍団長の後任が発表されている。それによれば、ドルカは大軍団長専任となるようだった。
ドルカだけではない。
先の人事では大軍団長と軍団長の兼任が多かったが、今回の刷新では、ほとんどの方面軍が専任の大軍団長を設けることとなっていた。それは、大軍団長と軍団長の兼任は激務に過ぎ、負担があまりにも大きすぎるからだった。左右将軍が兼任で大軍団長を務めたこともあったが、デイオンもアスタルも激務のあまり倒れかけたという。そういったことから見直しが図られたのが、今回の刷新なのだ。
大軍団長専任となったことで各方面軍の該当軍団に新たな軍団長が任命されている。
また、人事刷新に先立ち、軍師ナーレス=ラグナホルンが死去していたことが公表された。
それによると、ナーレスは、昨年の六月二十七日――つまりアバード動乱の最終局面、龍府への移動中に逝去したということだった。
それはセツナたちにとっても衝撃的な事実であり、セツナは、その事実を知らされたとき、衝撃のあまり言葉も出なかった。信じられなかった。
つまりそれは、ナーレスの死が一年近くもの間秘匿されていたということでもあった。
ナーレス=ラグナホルンといえば、ガンディアになくてはならない人物だった。おそらく当代随一の軍師である彼は、ザルワーン戦争以降、ガンディアに多大な貢献を果たしている。ガンディアがここまで強大化したのは、一にも二にもナーレスのおかげだということは、だれもが認めるところだ。
ナーレスがいなければ、ガンディアはここまで強くなれなかっただろう。
そのナーレスがとっくに死んでいて、いまのいままで隠し通されてきたことには言葉を失うほかなかった。
隠し通さなければ、ならなかったのだ。
ナーレスは、ガンディアに必要不可欠な存在だ。彼がいたからこその発展と拡大、軍事力の強化がある。彼がいるだけで、近隣諸国への牽制となるほどの知名度がある。だれもが軍師ナーレスの神算鬼謀を畏れ、手を出せないのだ。それは外敵だけではない。国内に潜んでいた敵も、ナーレスがいるからこそ、動くに動けない状態が続いていたのだ。ナーレスの軍神が如きまなざしに見抜かれれば最後、地の果てまで追い詰められ、滅ぼされるという話まで聞こえたほどだ。ラインス=アンスリウスの一件以来、ナーレスを恐れるものが増えたという。
そんな人物が死んでしまったことが明らかになれば、どうなるか。
こちらの準備が整う前に反乱が起き、ガンディアは崩壊したかもしれない。
レオンガンドとしても心苦しかったに違いない。
レオンガンドは、ナーレスを師のように尊敬していたし、尊重してもいた。彼が命を落としたのであれば、盛大に弔い、その魂の安らぎを祈りたかっただろう。国のためにナーレスの死を公表できず、表立って弔うこともできない日々が一年近くも続いたのだ。
そんな日々からようやく解放されたのだ。
レオンガンドは、死んだのちもガンディアのために働き続けた軍師ナーレスこそ、真の愛国者であり、彼の魂は未来永劫この国を守り続けてくれるだろう、と、いった。
そして驚くべきこととにナーレスの亡骸は、エンジュールに葬られていたということが判明する。彼の功績を称える墓碑を作りたいというガンディア政府の意向がセツナに知らされたことで明らかになったのだ。
当初、なぜセツナに意向を伺ってきたのかまったくわからなかったのだが、ナーレスの亡骸がエンジュールの小さな墓に葬られているということが明かされれば納得もいった。しかし、軍師の墓碑ならば王都に作るべきではないか、というセツナの疑問に対し、レオンガンドは頭を振った。
「ナーレスの意向なのだよ」
といって、レオンガンドは一通の手紙を見せてくれた。そこには美しい筆文字で、こう記されていた。
『わたしの骨を埋めるのであればエンジュールが良いでしょう。ガンディアの矛が治める地ならば、わたしの魂も安らいでいられると思いますから』
ナーレスの小さな願いともいえる一文は、彼の心を打った。戦いの中に身を置き続ける軍師には、安らぎが必要だったのだ。死んだのちも王都のようなどこか騒がしい場所に留まり続けたくはないと想ったのかもしれない。エンジュールは温泉地であり、観光地ではあるが、その分、諍いは少ない。治安もよい。眠り続ける場所には、ちょうどいいのかもしれない。
もちろん、エンジュールにナーレスの墓碑を作ることには大賛成だった。