第千四百九十話 大刷新
大陸歴五百三年五月十二日。
ジゼルコートの謀反によって引き起こされた内乱の終結が宣言されて六日が経過した。
凱旋以来連日のお祭り騒ぎに包まれていた王都は、ようやく落ち着きを取り戻し、新市街や旧市街は従来の風景に戻りかけていた。
王都奪還後、政府が調べたところ、王都は、ジゼルコートの支配下にあっても戒厳令が敷かれたくらいで特に大きな問題が発生した様子はなかったという。無論、王都市民の中には反発したものも少なくはなかったが、クルセルク方面軍を主力とするジゼルコート軍の武威の前ではだれもがおとなしくならざるを得なかったのだ。市民の中には過激な手段に訴えようとするものもいたようだが、クルセルク方面軍の機転により、事なきを得ている。
クルセルク方面軍は、デイオン=ホークロウ左眼将軍によって支配されていたこともあり、王都市民に武力で訴えることのないよう徹底されていた。ジゼルコート軍についていながら、レオンガンド派の市民を守らなければならないのはなぜなのか、という部下からの疑問に対し、デイオンは、ガンディアがジゼルコートによって完全に掌握されたあとのことを考えれば当然の配慮だと返答したという。そういう風にして、デイオンは配下の将兵たちをも騙していたのだ。
そうやってジゼルコート軍に支配されていた王都だが、王都全体がジゼルコート色に染まることもなければ、レオンガンド政府が建造した建物や像が壊されるといったこともなかった。王都は王都のまま、なにひとつ変わらぬ景観を保ち続けている。
『ジゼルコートのことだ。そういうことは無意味だと考えていたに違いない』
レオンガンドの言葉が耳に残っている。
彼は、ジゼルコートを謀反人として唾棄するのではなく、いまでも敬愛しているかのような素振りを見せていた。実の叔父であり、尊敬するべき政治家だという事実に代わりはなく、ガンディアのことを想っての謀反だったということもあるのだろう。
最後も、潔かった。
清々しいまでの死に様だった。
レオンガンドを叱咤したほどだ。
生き延びようという意志は微塵もなく、ただ殺されるためにセツナたちの前に姿を現したのだ。
だから、だろう。
セツナも、ジゼルコートに悪い印象を持っていなかった。
もちろん、ジゼルコートが謀反を起こし、レオンガンドに敵対したという事実までも良いものとして認識しているわけではない。彼が行ったことは正真正銘まごうことなき反逆行為であり、許されざるものだ。それがたとえこの国に巣食う邪悪を一掃するためになったのだとしても、認めることはできない。認める必要もない。悪は悪であり、悪として討ち滅ぼされるべきなのだ。
その点は、レオンガンドも変わらない。ジゼルコートを悪と断じ、ジゼルコートの謀反に賛同し、協力したものたちへの処断は徹底的に行うと明言していた。
既に数多くの反逆者が断罪されたことが公に発表されており、王都はその話題で持ちきりだった。その数、数え切れないほどであり、ガンディアの政治そのものが停滞しかねないほどとはいわないまでも刷新が必要になるのは間違いなかった。
それだけ数多くの政治家や文官、武官がジゼルコートの思惑に踊らされ、本性を表したということでもあった。反レオンガンド派と呼ばれていたものはすべて、その中に含まれているらしい。
当然だろう。
反レオンガンド派は、暗愚を装わざるを得なかったレオンガンドの演技に翻弄され、レオンガンドが愚物であることを信じていた者たちなのだ。その熱烈なまでの思い込みは、信仰に近い。レオンガンドを国王の座から引きずり下ろせるというのであれば、喜び勇んで参加するだろうことは想像に難くない。ジゼルコートは、かつての反レオンガンド派の首魁ラインス=アンスリウスをも陰から操っていたのだ。もはや纏まりさえ失っていた反レオンガンド派を掌握することくらい、なんの問題にもならなかったに違いなかった。
それだけではない。
レオンガンド派、セツナ派、中立派に潜んでいた反レオンガンド思考の貴族、政治家、軍人たちまでも、ジゼルコートの謀反に誘引されていた。余すところなく、だ。
それこそ、ジゼルコートの政治力が凄まじいというところかもしれない。
彼は、謀反に賛同するものとそうでないものを見分けることができたのだ。だから、彼の謀反が外に漏れることはなく、彼の計画は秘密裏に進行した。
ナーレス=ラグナホルンがそういった策略の可能性を見越した上で、エリウス=ログナー、デイオン=ホークロウに策を授けていたことは見抜けなかったようだが、そればかりはジゼルコートの落ち度ではあるまい。エリウスとデイオンは、互いに味方であるということすら知らなかったようなのだ。ナーレスは、策が漏洩しないよう、そこまで徹底していたのだ。神ならざるジゼルコートに見抜けるはずもない。
デイオンとエリウスがナーレスから与えられた役割は、ジゼルコートのような謀反人に近づくことで、反乱を積極的に起こさせることだった。反乱を起こさせることで、レオンガンドの敵と味方を色分けすることこそが、ナーレス最後の策だったのだ。そして、浮き彫りになった敵を一掃することで、現状のガンディアをレオンガンドの味方一色に染め上げる。そうして国をひとつに纏めることこそが軍師の策であり、エインとアレグリアがレオンガンドに上奏した策も、ナーレスの教えを元にしたものだったという。
ナーレスは、ただ謀反を起こさせるだけでは内部の敵を排除しきれないと踏んだのだ。そこで、影響力の強いふたりの人物――デイオン=ホークロウとエリウス=ログナーに白羽の矢を立てた。左眼将軍と国王側近が謀反に加担するとなれば、反レオンガンドに多少傾いている程度のものもこぞって参加するだろうという軍師の思惑は、見事に的中した。
反レオンガンド思想の持ち主は尽く処断され、いまやガンディアは、レオンガンド派一色となっていた。
『これでガンディアはますます強くなる。それもこれもナーレスを始めとする軍師たち、そして君を始めとする忠臣のおかげだ』
セツナには、レオンガンドのそんな一言がただひたすらに嬉しかった。
なんのために戦っているのかというと、そういう言葉を聞くためかもしれない。
王都市民による賞賛よりも、レオンガンドの一言のほうが心に響く、というのは言い過ぎかもしれないが、そういうものだろうとも想う。
セツナにとってレオンガンドは、たったひとりの主君であり、後にも先にもレオンガンドだけがセツナの主なのだ。だから、レオンガンドから褒められれば、手放しで喜ぶほかなかった。
王都が落ち着きを取り戻したちょうどそのころ、王宮では、人事の刷新が行われることが発表された。それに伴い、マルディア救援とガンディア奪還における論功行賞も行われ、王都ガンディオンはその話題で持ち切りとなったのはいうまでもない。
大きな戦いが終わるたびに論功行賞が大々的に発表されるのは、ガンディアの恒例行事となっているのだが、アバード動乱における論功行賞は、政治的配慮などから公表されてはいなかった。得るものはなく、失うものしかなかった戦いだ。大々的に発表し、盛り上がるようなものでもないという判断がくだされたのだ。もちろん、アバード動乱における活躍や戦功がまったく考慮されていないわけではない。動乱後、アバードでの功績を称えられたものは数多くいるし、褒賞されたものも少なくはない。ただ表立って騒がれなかっただけのことだ。
今回のマルディア救援、ガンディア奪還の戦いも得るものはなにひとつなかった。失うものばかりが多すぎた戦いであり、勝利したからといって手放しで喜べるようなものではない。
しかしながら、ジゼルコートほどの大物の謀反とそれに賛同したものが貴族や軍人の中から多く出たという事実と、そこからくるガンディア政府への印象の悪さを払拭するためには、なにかしら明るい話題が必要だと判断したレオンガンドたちは、論功行賞を大々的に発表することとしたということらしい。論功行賞は、基本的に武功を褒め称えるものであるため、暗い話題にはならないからだ。そして、そういう話が好きだという国民性もある。
ガンディア国民は、そういった話を好むことが多いようだ。
ガンディア人だけではなく、ログナー人、ザルワーン人もそういった話題が嫌いではないらしいというところを見ると、小国家群――いや、この大陸に住む人々にとって共通する興味なのかもしれない。
ともかくも、論功行賞に際し、反乱終結後、王都に残っていたものの多くが王宮大広間に招集された。
セツナたち《獅子の尾》の隊士は無論のこと、セツナ軍のシーラ、エスクたちも呼び集められている。黒獣隊のほかの隊士やシドニア戦技隊の隊士たちがいないのは残念だが、仕方のないことだ。黒獣隊はアバードに残っているはずであり、戦技隊はいまもナグラシアでエスクたちを待っているだろう。
セツナの関係者以外では、大将軍、左右将軍を始めとする軍上層部、王都滞在中の各方面軍軍団長、副団長が顔を揃え、傭兵局所属の両傭兵団幹部が出席している。もちろん、セツナの師匠ルクス=ヴェインも《蒼き風》の突撃隊長として、シグルドらとともにいる。“剣聖”トラン=カルギリウスもいれば、弓聖サラン=キルクレイドと星弓兵団長イルダ=オリオンもいた。
大広間の上座にはレオンガンドがおり、側近たちが顔を揃えていた。バレット=ワイズムーン、ケリウス=マグナート、スレイン=ストール、ゼフィル=マグナート、エリウス=ログナー、ジルヴェール=ガンディア。エリウスは、ジゼルコートに同調していたということもあり、解放軍の中で非難されることも多かったという話だが、その同調が実はナーレスの策であり、レオンガンドの敵を討つためのものだと判明するや否や、手のひらを返すものが続出したという。ドルカたちは安堵したとのことだが。
大広間のざわめきの中でそんなことを考えていると、
「一位はだれかしらねー」
ファリアがいうと、ミリュウが面白がって続いた。
「どきどきするわねー」
「心臓がばくばくしておりますです」
レムが心にもないことをいって、シーラが笑う。
「まったくだ」
「本当ですよ」
とは、ルウファ。だれもかれも正装している。無論、セツナもだ。
「……だったらなんでそんなに棒読みなんだよ」
『それは……だって、ねえ?』
一堂は、異口同音にそんなことをいって、それぞれに顔を見合わせた。彼女たちがなにをいいたいのか、理解できないセツナではない。
ゼフィルにより功の第一位が、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドと発表されると、大広間は当然のような空気に包まれたのち、思い出したかのように喝采の拍手が鳴り響き、彼を賞賛する声が後付けのように聞こえだした。
セツナが論功行賞で一位に選ばれるのは、毎回のようなものだからだ。
皆、慣れてしまっていた。