第百四十八話 曲者ぞろい
「セツナ様セツナ様セツナ様セツナ様セツナ様……」
「あー……と」
セツナは、ぴったりくっついたまま離れない少年軍団長をどうすればいいのかわからず、助けを求めて視線を巡らせた。グラードは頭を抱えていたし、ニナは相変わらずの鉄面皮、ドルカに至ってはにやにやしている。ルウファは呆然としており、ファリアも信じられない光景でも見ているかのような表情だった。
実際、信じられない光景ではある。
セツナは、ナグラシア南門前広場でログナー方面軍第三軍団長エイン=ラジャールと対面して早々、電撃的な速度で抱き着かれたのだ。それこそ神速といっていいほどの反応速度であり、セツナの反射神経では彼の動きを捉えることは出来なかったし、かわすことなど夢のまた夢だった。
それはまだいいとして、セツナには彼の行動が理解できなかったし、対処にも困った。エインはセツナより一歳年下らしいのだが、身の丈はセツナよりも低く、体格も華奢に見えた。とても軍団長を務められるような人物には見えないのだが、それはセツナも同じだろう。ひとを見た目で判断してはいけないのは、セツナも重々承知していることだ。だから、彼が軍団長であることについては疑問を挟まない。
しかし、そんな軍団長がなぜ、嬌声ともいえるような声を上げながら抱きついてきたのかはまったくわからなかった。
馬車の荷台から物資の搬入作業を行っていた兵士たちも、なにごとかとこちらを見ていた。しかし、兵士たちの表情は、驚きというよりも納得している風であり、彼らはエインの反応に理解を示しているのがわかる。が、それではセツナにはなにも理解できない。彼らの間でだけわかる何かがあるのだろうが、それを知りたいのだ。
「どういうこと?」
セツナがだれとはなしに問うと、ドルカが満を持してといったような素振りで答えてくれた。
「エイン軍団長はですな、カミヤ殿の記事の切り抜きを集めるくらいの熱心な信奉者だそうで」
「はあ!?」
セツナは驚いては見たものの、エインの様子から薄々感づいていたことではあった。同じガンディアに属し、王宮召喚師と軍団長という立場の違いがあり、彼がセツナのことを様付けで呼ぶことにそれほどの違和感はない。しかし、彼のはしゃぎようや声の弾み方、感極まったような表情のどれを取ってみても、憧れの人物に逢った熱狂的なファンのそれだったのだ。
セツナにだってそれくらいはわかった。だが、理解も、納得もできない。彼はログナー人で固められたログナー方面軍の第三軍団長であり、恐らくは旧ログナーの軍人なのだ。ログナー人ならば、黒き矛のセツナに対してなにかしら複雑な感情を抱いているのが普通だ。黒き矛のセツナは、ログナーにしてみれば悪魔のような存在だと、聞いたこともある。
グラードやドルカは精神的に成熟していて、そういった感情を隠しているのだろうが、彼のような少年ならば憎悪をむき出しにしてもおかしくはないはずだった。しかし、エインはむしろあふれんばかりの好意をぶつけてきたのだ。だからこそセツナは戸惑い、反応に困った。
「よかったじゃない」
「ほんとですよ」
他人事だからか、どうでもよさそうな部下たちの言動にセツナは半眼になったが、かといってふたりに対していうべき言葉も見当たらなかった。とにかく、この状況を打開しなければならない。
セツナは、エインの両肩に手を置いた。少年軍団長が、はっと顔を上げてくる。彼は感極まって涙ぐんでいたが、セツナはこの際気にしないことにした。
「とりあえず、落ち着こう」
「は、はい! セツナ様!」
とても軍団長らしくない少年とセツナの邂逅は、このようなものだった。
「こうして本物のセツナ様に逢えるだなんて光栄の極みです! これでいつ死んでも後悔ありません!」
「おいおい、作戦前に縁起でもないこというもんじゃないよ、エインくん」
エイン=ラジャールの大声を叱責したのは、ドルカ=フォームだ。余人の目につかない場所に移ったとはいえ、エインのはしゃぎっぷりは場にそぐわないと判断したのだろう。
第三龍鱗軍が本営としていた建物の会議室だ。部屋の中心に置かれた長いテーブルを囲んでいるのは、指揮官グラード=クライドに指揮官補佐のドルカ、ドルカの副官ニナに、合流したばかりの第三軍団長エイン、そして《獅子の尾》の三人である。テーブルの上にはいくつかの資料があるものの、お茶と菓子の類が置かれており、会議というよりは休憩時間といった風情があった。
「でもでも、聞いてくださいよ、ドルカさん! 俺、セツナ様に殺されかけたことがあるんですよ!」
「嬉しそうに言うことじゃないよねー」
ドルカも彼のことは持て余している様子だった。目をキラキラさせながら殺されかけたことを告げる少年の上手な扱い方など、セツナにもわかるはずもなかっただ。
「どう思う、ニナちゃん」
「わたしに振られても」
「では、ファリアちゃんは?」
「なぜわたしに」
「……女の子ってどうして冷たいのかねえ」
「女の子っていう歳でもないんですが」
「女の子はいつまでたっても女の子さ」
「はあ」
ファリアはニナを顔を見合わせて、同時に嘆息したようだった。ファリアはドルカに気に入られていることを嫌がっているし、ニナはニナで思うところがあるのだろう。常に鉄面皮のニナだったが、ドルカの言動に対し、表情を緩める時がある。それは彼への親愛の情の現れにも見え、セツナには微笑ましく思えてならなかった。
グラードの右隣にドルカが座っているのは、指揮官補佐という立場上に違いない。彼は一応、そういうことを気にする人間ではあるようだった。普段の言動からは想像もつかないが、目上のグラードから叱責されると律儀に対応したし、素直に謝っていた。軍人だということだろう。ニナはやはり、ドルカの隣に座っている。エインは、なぜかセツナの隣の席を真っ先に占拠したため、ルウファはファリアの横に座っている。いつもならセツナの両隣がふたりの定位置だったのだが。
ルウファがセツナの隣を遠慮したのは、立場上というよりは別の気遣いからかも知れない。
「あのときのセツナ様、かっこよかったなあ」
うっとりとさっきの話を続けるエインに、セツナは唖然としたものの、いつのことなのかは気になった。聞くところによると、ドルカとも戦いそうになったことがあるらしいのだが、それはバルサー平原での話だった。セツナの初陣であり、黒き矛が本領を発揮した戦闘でもあった。あれから既に二ヶ月が経過しているらしい。
「将軍が降伏を決断しなかったら、俺、死んでたんですよねえ」
「将軍ってアスタル将軍?」
「はい! セツナ様がログナー軍の本陣に突撃してきたあのとき、俺、あの場にいたんですよ!」
目を輝かせるエインの言葉で、セツナは、彼がいつのことを指しているのかがわかった。ログナー攻略戦のときの話だろう。あの戦いの終盤、セツナは戦争を早期に終結させるため、敵軍総大将へと迫った。そのとき、アスタル=ラナディースの近辺を守っていた兵士の中に彼がいたということに違いない。確かに、アスタルが降参しなければ、彼もセツナによって殺されていたかもしれない。
しかし、仲間が次々と殺されていくのを見届けながら、かっこいいなどと思うのはどうなのだろう。
「そうだったのか」
「はい。危うく黒き矛の錆になるところでした!」
「まるでなりたかったような口ぶりですね」
にこにこと告げる軍団長の様子に、ファリアもどうしたらいいのかわからないようだった。適当に受け流せばいいのか、黙殺しておけばいいのか。まじめに取り合う必要はないとも思うのだが、一応は軍団長なのだ。作戦行動中は彼との意思疎通を図らねばならなくなることもあるだろう。そういうことを考えると、セツナも頭が痛くなってきた。
「なってもよかったんですけどね! あ、でも、あのとき死んでたらセツナ様に逢えなかったのか! それは困るな!」
なにやらひとりではしゃいでいるエインを横目に見て、セツナは静かに肩を竦めた。どうやらログナーの軍人というのは、一癖も二癖もあるような人材が多いらしい。
しばらくして、グラードが閉ざしていた口を開いた。
「さて、話を戻しましょうか」
「エイン軍団長の情報によれば、我々は西進軍として編成されるということだったね」
ドルカが手元の報告書に目を通したので、セツナもそれに習ったが、文字は読めなかった。横からファリアが説明してくれる」
「明日、第二軍団が到着次第、ログナー方面軍第一、第三、第四軍団及び王立親衛隊《獅子の尾》はザルワーン西進軍として再編。右眼将軍アスタル=ラナディース指揮の下、バハンダールへ進軍……ですか」
「アスタル将軍も第二軍団とともに来るといっていましたよ」
エインがセツナの顔を覗きこんできたのは、ファリアへの対抗意識のようにも思えたが、セツナは深く考えるのはやめた。ファンだというのは嬉しくもあり、気恥ずかしくもあるのだが、素直に受け取れない感情でもある。それは彼がログナー人で、セツナが大量のログナー軍人を殺してきたことにも関係があるのだろう。たとえばエインがガンディアの人間ならば、素直に喜んだのかもしれない。
「第二軍団は別行動なんですね」
セツナが気になったのはそれだ。ログナー方面軍で固めて行動すると思ったのだが、そうでもないらしい。といっても、そんなことをすれば、ガンディアの総戦力の半分近くを西進軍が持って行くことになるのだが。
「ガンディア方面軍を受け入れる前にナグラシアを空にするわけにはいかんでしょう?」
「ああ、そういうことか」
せっかく制圧した街を放置するのはあまりにも馬鹿げた話ではあった。とはいえ、第二軍団の千名だけで守りきれるのかは不安なところだが、後続がすぐに来るということを考えれば、妥当な判断なのかもしれない。
「っていうことは、明日、将軍と合流後すぐにでも出発するんですか?」
「どうかねえ?」
「将軍が来ればわかることだ。無論、準備をしておくに越したことはないが」
「準備なら既に始めていますよ。第一、第三、第四の各部隊に命じてね」
エインは、どことなく得意げだった。歳相応ともいえるのかもしれない。十六歳。セツナよりひとつだけ年下の軍団長は、しかしながら、セツナよりもよほど考えて行動しているようだった。軍団長を任されるだけのことはあるのだが、そう考えると、セツナは自分を卑下せざるを得ない。《獅子の尾》隊長に任命されるだけのものが、自分にはあるのだろうか。
「さすがはエインくん、将軍の薫陶を受けてきただけのことはある」
「ドルカさんに褒められても……」
エインは愛想笑いこそ浮かべたものの、心底どうでも良さそうにいった。彼がなにを求めているのかはセツナには理解できる。人間というのは現金なもので、ただ目上の人間よりも好きな人に褒められるほうが何倍も、ときには何十倍も嬉しいものだ。セツナもそうだ。ほかのひとに褒められるよりも、ファリアやレオンガンドの賞賛のほうが何倍も嬉しい。
セツナは、ドルカの視線を感じながら、エインに目を向けた。彼は、期待に満ちたまなざしでこちらを見ている。恋に恋する少女のようなまなざしは、少年がするものではないのだが。
「さすがだ……」
「いえ! 当然のことをしたまでのことです! ですが! セツナ様に褒められるなんて! 最高です! これでもう思い残すことはないです!」
叫びながら抱きついてきた少年にされるがままになりながら、セツナはドルカを一瞥した。彼は、セツナの対応に満足したのか、腕を伸ばして、ぐっと親指を立てていた。
隣から、げっそりとした声が聞こえてくる。
「……なんなのこの感じ」
「相手は男ですよ、隊長補佐」
「嫉妬なんてしてないわよ」
「おー、こわーい……」
「そもそもわたしは隊長補佐であって、セツナとはなんの関係も……」
「じゃあ、ファリアちゃん、今晩食事でもどう?」
ドルカの声が間近に聞こえたので驚くと、彼はいつの間にかファリアの背後に立っていた。まるで瞬間移動したような速度だったが、そんなはずはないだろう。セツナがふたりの会話に気を取られている隙に移動したに決まっている。
「遠慮します。ニナさんに恨まれたくありませんし」
「ニナちゃんならわかってくれるさ。大人の付き合いってやつ?」
「ドルカ軍団長、公私混同はやめてください。全軍の品位に関わります」
「ひでえ」
ドルカの背後に控えていたニナの一言に、ドルカは撃沈したようだった。そこにグラードが追い打ちをかける。
「酷いのはだれかな?」
声音が多少厳しく聞こえたのは、会議の場を壊されたからかもしれない。もっとも、最初から会議とも呼べぬ代物ではあったのだが。
「すみません、つい調子に乗ってしまいました。猛省します」
「わかったのならよろしい」
グラードは、空気を変えるためか、軽く咳払いをした。
「今後の予定はこれでわかったと思いますが、我々はこのまま西進軍として行動を共にすることになります。よろしくお願いしますぞ、セツナ殿」
「はい、よろしくお願いします」
セツナは、エインの体を強引に引き剥がして、グラードに応えた。