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第千四百八十八話 夢の続き(四)


「しかし、まさか死後にこのような世界があるとは考えても見ませんでした」

「……異世界があり、神や魔がいるのだ。地獄があったとしても不思議ではあるまい」

 とはいったものの、ジゼルコート自身、天国や地獄といったものが実在するとは想ってもいなかった。死ねば地獄に落ちるという想いは、ただの覚悟であり、実際に地獄に落ち、裁かれるなどとは考えてもいない。

 だが、実際に落ちてみれば、必ずしも罪人や悪人の魂が裁かれるだけの場所ではなさそうにみえる。そういう光景に出くわしていないだけなのかもしれないし、この辺り一面の骨の山こそ、そういったものたちの成れの果てなのかもしれないのだが。

 ジゼルコートは、ソニアとともに地獄の散策を始めた。

 頭上は暗黒の闇に閉ざされており、光はなかった。それでも視界に不自由しないのは、この闇に目が慣れたということもあれば、完全な暗闇ではないということもあるのだろう。完全な闇であれば、目が闇になれたところでどうしようもないはずだ。

 どうやら山のように積み上げられた骨が照明代わりになっている。

 見渡す限りの骨の山という状況を認識できたのは、それらの人骨や獣骨が淡い光を発しているからなのだ。足元から発せられる光が視界を確保してくれている。でなければ、いくらソニアでもジゼルコートを見出すことなどできなかっただろう。

 骨の山道を進む。

 無風だが、時折聞こえる囁きが風の音のように通り過ぎて、神経を逆撫でた。死者の怨念とも亡者の怨嗟ともつかぬ無数の声。ジゼルコートの耳元で囁かれたかと思えば、背後から投げかけられることもあった。振り向いた先にいるのはソニアだけであり、ほかにだれがいるわけもない。

「どうされました?」

「おまえには聞こえないか」

「……ジゼルコート様にも聞こえますか」

「やはり、聞こえているのだな」

 ソニアの反応により、意味の分からない囁きがそこかしこから聞こえてくる現象がただの思い過ごしではないことが明らかになる。地獄に落ちたという認識が生み出す妄念なのかもしれないとも思ったのだが、どうやら、違うらしい。

 と、そういった声が津波のように押し寄せたかと思うと、波が引くようにして消え失せた。

 ジゼルコートはソニアと顔を見合わせ、前進を再開した。

 骨の道を進んでいると、ジゼルコートたちと同じく体を持ったものを見かけるようになった。人間の男や女。多種多様な人種は、この地獄には死んだ場所や地域など関係ないとでもいうかのようだ。実際にその通りなのだろう。北方人特有の白い肌の持ち主や南方人も見受けられる。

 それら体を持ったものたちは、ジゼルコートたちに一瞥をくれるだけで、声をかけてきたりはしなかった。中には数名で屯しているものもいたが、ジゼルコートたちの存在は黙殺していた。死んでまで他者と関わりを持ちたくないのか、あるいは、関わりを持たないほうがいいということなのか。

 いずれにせよ、ジゼルコートは自分たちだけが特別体を持っているわけではないということがわかって、少しばかり安堵した。

 そんなおり、話し声が聞こえた。

「遅いなあ……ジナーヴィ」

「……随分、待たせる」

 道沿い、骨で組み上げられた柱にもたれかかる女と、大きな骨を椅子代わりに使っている男が話し合っていた。ふたりの周囲には、ほかにだれもいない。ふたりだけで骨の道を見やっている。ジゼルコートたちのことも一瞥したが、すぐに視線をそらした。

「兄さんも、待ちぼうけだね」

「……俺は、いい」

「どして?」

「あのふたりは地獄に落ちるべきじゃない」

「あたしたちは皆地獄に落ちて当然でしょ」

「わかっているよ」

 会話がはっきりと聞こえたのは、この地獄があまりに静かすぎるからだろう。ひとの姿をなしたまま、この世界に溶け込んでいるものたちと、声だけの存在と成り果てたものたちの差がどこにあるのかはわからない。

 わからないまま、彼らは地獄をさまよった。さまよううち、骨で作り上げられた世界にも様々な光景があることがわかった。骨で組み上げられた塔や宮殿のような建物もあれば、骨に縁取られた湖もある。湖を満たすのは紅い液体であり、血を連想させた。しかし、血のにおいはせず、死者たちが手で掬って飲んでいる様を見ると、害はないのかもしれない。

 死者の体に害をもたらすようなものがあるとも思えないが。

 赤い水が流れる川の上を骨の橋が渡っている。橋を渡ると、体を持つ死者の姿が増えてきた。それらはジゼルコートの姿を見るなり、なにかを感じたかのように道を譲り、離れていく。どういうことなのかわからないまま進んでいると、異様な死者の群れに遭遇した。

 骨の鎧で武装した死者の姿は、異様というほかなかった。奇妙な生き物の骨を加工して作られた鎧や兜を着込み、骨の盾を携え、武器も携帯している。骨の槍だ。弓を背負っているものもいる。それら武装集団は、指揮官らしき人物の指示にうなずき、散っていった。

 武装集団の指揮官の目が、こちらを見る。見知った顔だった。忘れもしない。何度となく夢に現れ、彼を苦しめた数少ない人物。彼が強敵と定めたひとり。

「案外、早いお着きで」

「……貴様は」

 ジゼルコートは、相手の秀麗な顔を見据えながら、目を細めた。

「ナーレス……」

 ナーレス=ラグナホルンは、相も変わらぬ微笑を浮かべ、ジゼルコートを見ていた。



「なぜ、貴様が……」

 ジゼルコートは、ナーレス=ラグナホルンとの思いも寄らぬ再会に驚きを禁じ得なかった。ナーレスといえば、ガンディアの軍師であり、レオンガンドに幾度となく勝利をもたらした軍神。ナーレスがいる限りガンディアは安泰と謳われていたほどの人物であり、その評価が必ずしも誇張ではないことをジゼルコートはよく知っていた。

 だからこそ彼を警戒し、行動にでることができなかった。彼がいる限り、謀反は必ず失敗する。それも、考えられる限り最悪の失敗をするに違いなかった。だからこそ、彼の死が明らかになるまで、行動に移れなかった。失敗してはならなかったのだ。

「なぜもなにも」

 彼は、なにがおかしいのか、微笑を浮かべたまま肩を竦めた。

「ここは地獄のようですからね。わたくしのようなものが堕ちる先には、妥当というほかございますまい」

 悪びれもしない。

「わたくしはガンディアの軍師として、数え切れない命を奪ってきた。中には救おうと思えば救えた命もあります。だが、勝利のため、切り捨てた。地獄に落とされるは必然」

 彼の涼やかなまなざしは、生前よりもすっきりとしているように見えた。毒に蝕まれ、やつれ始めていた体も、現世から解き放たれたことで回復しているようですらある。ジゼルコートが体を軽く感じるように、彼もまた、毒のない体を実感し、喜びさえ覚えたのではないか。

「軍師の道とは悪人の道。エインとアレグリアにも厳しく教えたものです」

「悪人の道……な」

 ジゼルコートは、彼の言葉を反芻して、苦笑を浮かべた。

「この世に善人の道などあるものか」

 善人など、いるはずもない。

 ジゼルコートが知っている中でもっとも善人に近いのはグレイシアだが、近いというだけで、善人とは決していえまい。ガンディア王家でもっとも透明な善性を持つ人物であり、故にだれもが彼女を慕うのだが、それだけのことだ。彼女もまたひとりの人間である以上、善人たりうることはない。

 ナーレスは、睫毛を伏せた。

「……それは、将来、だれかが切り開いてくれると期待しましょう。わたくしや陛下の代は、みずから手を汚し、強引にでも前に進まなければならなかった。善人の道があるのかどうか、模索する時間さえ、ありませんでしたから」

「貴様には、時間もなかった……な」

「ですから、急がなければなりませんでした」

 彼は、いう。

「時間さえあれば、ジゼルコート様と手を取る道も模索したのですが」

「……わたしとも、か?」

「無論」

 予期せぬ答え、とはいわない。むしろ、想像通りだった。ナーレスならばそういうだろうと想ったとおりの反応。

「わたしが、わたしの命の時間があれば、あなた様を口説き落とし、陛下とともに小国家群統一のために力を尽くして頂いたでしょう。残念ながらわたしに時間はなく、結果、ジゼルコート様、あなたを倒す手段を講じさせていただきましたが」

「……貴様の手腕、見事だったぞ」

「お褒めに預かり、光栄です」

「本心かね」

「ええ」

 微笑を湛えるナーレスの様子に、ジゼルコートはわずかばかりの満足感を得た。

「……では、こちらへ」

「ん?」

「皆様がお待ちです」

「皆……?」

 ジゼルコートは、ナーレスの含みをもたせた言い方が気になった。皆とはいったいどういうことか。

「……まさか」

 彼は、脳裏をよぎった想像に震えを覚えた。ここが地獄で、自分たちのようなものが堕ちる先なのであれば、彼がかつて関わってきた人物の多くが先に落ちていたとしてもなんら不思議ではない。

 ナーレスの後に続くと、骨で組み上げられた建物群があった。骨の街。住んでいるのは、もちろん死者だ。ひとの形を保った死者たちが普通に生活しているようだった。奇妙な光景。これがあの世というのであれば、死ぬのも決して悪くないのではないか。そう思わせる。

 骨の街の奥まったところに宮殿が見えた。骨の宮殿だ。地獄に相応しい建物であり、荘厳でさえある。骨の鎧で武装した兵士たちが骨の宮殿を守っていた。兵士たちは、ナーレスに従って道を開ける。ナーレスに導かれるまま宮殿に足を踏み入れると、兵士や女官の姿があった。何人かは、知った顔だ。ジゼルコートを見るなり、頭を下げてきたものもいる。

 さらに奥へと案内された。

「この先です」

 と、ナーレスが告げてきたのは、大きな扉の前だった。骨の扉だ。どうやって作ったのかはわからないが、材料だけならばそこら中にある。時間さえあれば難しいことでもないのかもしれない。そして、時間は限りなくある。

 ここは地獄。

 死者の行き着く先。


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