第千四百八十六話 夢の続き(二)
「エリウスから聞いたよ」
エリウス=ログナー。
ナーレス=ラグナホルンの策により、レオンガンドの敵に繋がり、内通者を演じていた彼は、ジゼルコートから全幅の信頼をよせられていたようだった。それもそうだろう。彼は、ジゼルコートの信頼を得るため、レオンガンドたちしか知らないような情報さえ提供していたのだ。次期大将軍候補の話から、ガンディアの今後の方針に至るまで、まだ明確に形となっていないことすら、ジゼルコートには筒抜けだった。それもこれもエリウスがナーレスの最後の策謀として機能していたからだった。
敵対者の信頼を得ること。それがエリウスとデイオン=ホークロウに与えられた策における最重要任務といえた。信頼を得られなければ、謀反を内外から台無しにするということができないからだ。ふたりは見事ジゼルコートの信頼を勝ち取り、ナーレスの策を実行に移した。それによって内部の敵を一掃できたのは疑いようのない事実であり、彼らの働きは素晴らしいものといえた。
エリウスは、ジゼルコートの考えを知らされており、昨夜、そのことをつぶさに聞いた。
「彼は、元より野心家ではない。そのことはだれもがよく知るところだろう。彼の謀反に私心がないことくらい、だれだって理解しているはずだ」
滅私奉公――それこそ、ジゼルコートの代名詞とでもいうべきものだった。国のため、民のために命と時間を費やすことこそが自分の使命であり、そのことになんら疑問も抱いていないとでもいいたげな働きぶりだった。彼が政治家でなく、軍人としての才能に満ちあふれていれば、ガンディア最高の将として名を馳せたに違いない。
私設軍隊も、自分のためではなく、ケルンノールの防衛のためであり、引いてはガンディアのためだった。
「彼は王になどなるつもりはなかった」
「……ええ」
ジルヴェールが静かにうなずく。知っている、ということだろう。エリウスから話を聞いたのだ。
「謀反が成功し、わたしを倒すことができた暁には、彼は、君を国王の座に据えるつもりだったようだな」
「……馬鹿げた話です」
「だが、理想的な謀反だ」
「理想的……ですか?」
「上手く行けば、だがな」
レオンガンドは、小さく、いった。
ジゼルコートは、謀反が成功した暁には、自分に賛同したもののうち、愚にもつかない連中を処分し、その横暴の末、ジルヴェールに討たれるつもりだったのだ、という。そうなれば、どうなるか。ガンディア王家の血筋を引く中で、もっとも王位継承に近いのはジルヴェールとなる。
ジゼルコートは、レオンガンドを殺した後、グレイシアやナージュ、レオナを放っては置かないはずだ。レオンガンド軍の生き残りがナージュたちを落ち延びさせることができたとしても、草の根をかき分けてでも探し出し、殺したに違いない。
すべては、ジルヴェールに王位を継がせるために。
「謀反の汚名を被る己を殺させることで、君に王としての正当性を持たせるつもりだったのだろうな。ガンディア王家の血を引き、なおかつ逆賊を討った君こそつぎの国王に相応しいとだれもが推戴しただろう」
そして、謀反人ジゼルコートを討ったジルヴェールは、英雄の如く讃えられ、祭り上げられるに違いない。ジゼルコートのことだ。もしなにもかもが上手くいった場合、そういう流れができあがるように仕組んでいただろう。
「わたしは……たとえそうなったとしても、王位にはつきませんよ」
「つくさ」
ジルヴェールが驚いたような顔でこちらをみる。
「いや、つかねばならなくなる」
レオンガンドは、ジルヴェールのまなざしを見つめ返しながら、告げた。そして語る。この世の理について、だ。
「流れとは、そういうものだ」
「流れ……」
「そう、流れだ」
レオンガンドの脳裏には、今日までの彼の人生や他人の人生に関する様々な記憶が渦を巻き、螺旋を描いていた。複雑怪奇な線もあれば、わかりやすく、単純な軌跡もある。素直な流れだからといってどうにかなるというものでもなく、わかりやすいからこそ避けられないものもあるということを彼は知っている。
「世の中には、抗いようのない流れというものが存在する。世間がそれを成す。そして一旦世間がそれを作ると、個人の力ではもはやどうしようもなくなるのだ。それはたとえ一国の王であったとしても同じだ。シーラが良い例だ」
そこでシーラの名を上げたのは、一番わかり易い例だと想ったからだ。いまやセツナの配下という立場に収まり、それなりに満足そうにしているものの、彼女は本来アバードの王女であり、アバードの臣民から熱烈なまでの師事を受けていたことはだれもが知っての通りだ。彼女自身、そういった声に押され、アバードの獣姫とはかくあるべし、という理想を体現しようと必死だった。それもまた、世間が作り出した流れだ。臣民の期待に応えなければならないという想いは、責任感の強すぎるきらいのあるシーラならば当然持っていただろう。その想いが強くなれば強くなるほど、世間が生み出した流れに強く引き込まれ、気がついたときにはどうしようもなくなるのだ。
いや、気づいていたとしても、流れに逆らうことなどできはしないのだ。
「彼女は、内乱など起こすつもりも、動乱を起こすつもりもなかった。流れが、内乱を起こさせ、動乱へと至らせた。彼女にはどうすることもできなかったのだ。流れの前で、個人は非力だ」
シーラは、一旦、流れを変えようとした。龍府のセツナを頼ったのがそれだ。死を偽装し、アバードを離れることで、彼女が原因となるアバードの混乱を終わらせようとした。実際、それで一時的にでも収まりかけていたのだが、やはり、世間が生み出した流れは、彼女を捉えて離さなかった。
彼女はアバードに戻らざるを得なくなり、結果、アバードは動乱に飲まれ、ガンディアに従属せざるを得ないまでになった。
もっとも、それが悪いということではない。むしろ、アバードにとって最良の選択に近い、とレオンガンドは考えている。ガンディアと対立するよりも、ガンディアの庇護下に入ったほうがアバードの将来的には良かったといえるはずなのだ。同盟という選択肢ももちろんあるにはあるが、同盟よりも従属のほうがガンディアの庇護は受けやすく、内乱によって戦力を消耗させていたアバードがこの先生き残るには、そのほうがなにかと都合がいいことはだれの目にも明らかだ。ガンディアとしても、同盟国よりも従属国のほうが安心できるということもある。
もっとも、その従属国に裏切られたのが今回の謀反ではあるのだが、それもまた、流れといわざるをえないのかもしれない。
「陛下も……ですか?」
「当然だ。わたしも流れの前では非力な一個人に過ぎない」
前方に視線を戻す。
玉座から見下ろす世界は、何の変哲もない。流れなど、目に見えるわけもない、しかし、彼は自分が運命という大きな流れの中に身を置いているという実感を覚えずにはいられなかった。いや、そう考えることでしか、受け入れられないことがあるのだ。認められないことがあるのだ。
「義弟を殺すしかなかった」
ハルベルク・レイ=ルシオン。
子供の頃からよく遊び、いつしかともに夢を語り合うほどの間柄になっていた相手は、その夢を叶えるためにレオンガンドの敵となった。レオンガンドとしては、彼を許すという道もないではなかった。実際、最後まで諦められなかったし、諦めなかった。ハルベルクはいい男だ。一度や二度の裏切りで失うには惜しい。なにより実妹リノンクレアの夫でもある。リノンクレアの幸福を思えば、彼を殺すことなど論外だった。
だが、レオンガンドは、彼を手にかけるしかなかった。
ハルベルクは、最後までレオンガンドと戦おうとした。レオンガンドに戦いを挑み続けてきたのだ。敗色濃厚。勝てるわけがないとわかっていても、戦いを挑んできていた。彼には。そうせざるを得なかったのだ。あそこで手を止めるわけにはいかなかった。
だから、レオンガンドも刃を振るうしかなかった。
流れ。
「叔父を殺すしかなかった」
ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブール。
父の弟であり、幼き日よりレオンガンドを影に日向に支えてくれた人物は、レオンガンドのやり方に納得できなかったからか、あるいはもっと別の理由からか、敵になった。謀反の首謀者として立ちはだかった彼もまた、殺すには惜しい人材だった。無論、謀反は許されないことだ。討たねばならない。断罪しなければ、ガンディアの歴史に汚点を残すことになりかねない。しかしそれでも、レオンガンドは、彼を討つのをためらった。
ジゼルコートは、そんなレオンガンドを嘲笑い、罵倒し、挑発した。
討たれなければならなかったからだ。
もはや戦力も失い尽くし、勝ち目も完全に潰えた状況で見苦しく抗うようなことを彼はしようとも想っていなかったのだろう。謀反が失敗に終わった以上、あとは、レオンガンドによる謀反の鎮圧こそ成功させなければならない。ジゼルコートは、きっと、そこまで考えていたのだ。そこまで考えて、謀反の同調者を王宮に集めていたのだ。
敗北に終わったとき、国内に巣食うレオンガンドの敵を一掃できるように。
ジゼルコートは以前、エインにいったという。
『ガンディアのために』と。
エインは、そこで国王たるレオンガンドのためとはいわなかったことに引っかかりを覚え、ジゼルコートを敵と断定するようになったという。
ジゼルコートは、実際、レオンガンドのためではなく、ガンディアのために謀反を起こし、成功したとしても、失敗したとしても、ガンディアの将来が上手くいくように計算していたに違いなかった。だからこそ、レオンガンドは、いまもなおジゼルコートを敬愛することができている。ジゼルコートが同調者たちを王宮に呼び集めておいてくれたからこそ、エリウスらによる逆賊の殲滅が上手くいったといえるのだ。
そんなジゼルコートなればこそ、殺したくなどなかった。
(父を……)
最後に思うのは、やはり、実の父のことだ。
シウスクラウド・レイ=ガンディア。
ザルワーンで盛られた毒によって身動きの取れない体になった父は、当初こそ英傑の風貌を失うことなく、病床にありながらも国の指導者として振る舞い続けていた。しかし、病が長引くと、そうもいっていられなくなる。焦りがあったに違いない。病状は改善が見えるどころか、悪化の一途を辿っていた。シウスクラウドは、夢を持っていた。ガンディアを小国家群最大の国へと成長させ、小国家群に覇を唱えるという夢。病床に伏したまま、夢を諦めなければならないのか。そう考えた果て、父は、人の道から外れた。外法に手を伸ばしたのだ。
悪魔との取引にみずからの命ではなく、臣民の命を差し出した。
レオンガンドたちがその事実を知ったときの失望は、それは凄まじいものだった。即座に外法機関を潰し、被験者の生き残りを保護したものの、既に大量の人命が実験によって奪われたあとのことだった。生き残ったのはわずかに六名ばかり。アーリア、イリス、ウルの三姉妹にキースとヒースの兄弟、そしてエレン――。
そんなことまで思い出して、彼は頭を振った。
手に残る感触と、目に焼き付いた光景に吐き気がする。
外法の副作用か、人外の怪物と成り果てた父の姿は、この世のものではなかった。
討つしかなかったのだ。
すべては、流れだ。
大いなる流れが、運命を支配する。
だれもがそういった数多の激流の中に身を置いている。
抗うことなど許されない。
レオンガンドもまた、運命の激流に身を任せるひとりに過ぎないのだ。
無論、流れに身を任せるといって、なにも考えないわけではない。
なにも考えず、なにも行動を起こさなくていいという話ではないのだ。
なにもしなければ、流れさえ起きず、立ち枯れてしまうまでの話だ。
なればこそ、動かなければならない。
隻眼の獅子王は、理想的な覇者へと成長しつつあった。
銀獅子の鎧を身に纏い、剣を握る姿は雄々しく、英傑の風がある。かつて兄に見た英傑の風貌とは異なるものだが、彼のそれもまた、悪くはなかった。
悪くはない。
が、悪くはないというだけであって、受け入れられるかというと、そうではない。
彼の中の英雄は、この世界にただひとりだった。
その英雄が死に、英雄の子が後を継ぐことになるのが決まったとき、彼の夢は潰えた。
後継そのものが問題なのではない。
もっと単純な理由だ。
彼にとっての英雄が兄ただひとりであり、王もまた、兄ただひとりであったからだ。
兄以外のだれかに従うつもりなど、さらさらなかった。
それが彼のすべてだった。
だからこその最後だ。
彼は、望むまま、思うままに振る舞い、隻眼の獅子王に討たれた。
そこで意識は途絶した――はずだった。
「なんだ?」
ジゼルコートは、首を刎ねられ、絶命したはずの自分の意識がまだあるという予期せぬ出来事に、思わず呻いていた。
視界は、暗い。だが、確かに意識があり、五感が限りなく正常に働いていた。発した声が広々とした空間に反響するのも聞こえたし、手足の感覚もある。重力がある。不安定な足場に立っているという感覚。
「生きている……のか?」
そんなわけがあるはずもない。
自分は確かにレオンガンドに討たれたはずだ。
討たれるべくして討たれたはずだ。
ガンディアの歴史上最大の悪人として、罪人として、討たれたはずだ。
彼の死によって、ガンディア国内からはレオンガンドの敵という敵がいなくなり、問題のひとつは解決しただろう。政治家を大量に失ったことは痛手となるだろうが、ガンディアは大国。人材は豊富だ。失われた人材を補うくらい、造作も無いだろう。むしろ、足を引っ張る敵が一掃されたのだ。今後は、政治でも軍事でも、レオンガンドたちの思うまま、望むまま動かすことができるようになる。ガンディアはますます強くなるはずだ。混乱や問題をはらんだままではあるものの、ジルヴェールやエリウスがいる。ジゼルコートは、彼らに託したのだ。レオンガンドの治世において、彼らの果たさなければならない役割は大きい。ジゼルコートが解決できなかった種々の問題を小国家群統一の傍らで解決していかなければならないのだ。だが、必ずや成し遂げてくれると、彼は信じた。だからこそ、ジゼルコートは安心して死ねたのだ。
でなければ、死んでも死にきれない。
とは、想ったが。
(このようなことは望んでもいないことだ)
彼は、闇の中で目を細めた。