第千四百八十四話 領地の話(三)
「ということで、俺からのお薦めはセイドロックです」
エイン=ラジャールがたったひとりで隊舎に現れたのは、広間での相談が煮詰まり出したときのことだった。彼はなんの前触れもなく広間に現れると、机の上に広げられた地図の一点を指差し、そう告げてきたのだ。
「どういうことだよ」
「ですから、俺からのお薦めですよ」
「……どっから湧いて出たんだよ」
セツナは、エインの美少年に磨きのかかった顔立ちを見つめながら、渋い顔をした。エインは、初めてあったときよりも年を取っているはずなのに、むしろ幼さが増しているような雰囲気さえあるのだ。ガンディアの女性軍人や婦女子の間でエインの人気がうなぎ登りなのも納得の行く容姿だ。その上、軍師として着実に実績を積み上げていっているのだ。人気が出ないはずがなかった。
そんな彼は、いつものようににこやかな表情で告げてくるのだ。
「やだなあ、そんな風な言い方しなくてもいいじゃないですか。疲れ果てて寝入っているであろうセツナ様の寝込みを襲おうとか考えていたわけでもないですし」
「考えてなかったらそんな発言でねえだろ」
「やですね、実行に移すには要素が足りなかったんですから」
「考えていたんじゃねえか」
「まあ、隊舎の見取り図くらい用意するのは簡単ですし」
「どういう説明の仕方なんだよ」
「それで、セイドロックをお薦めしたい理由なんですが」
「勝手に話を進めるなっての」
セツナは、一方的に話を進めるエインの様子に肩を落とした。こうなるともはや諦めるしかないのが、エイン=ラジャールという人物だった。
エインがセイドロックを推す最大の理由は、ある国の国境に程近いからということだった。ナーレスが龍府を勧めてきたのとよく似ている。ナーレスはアバードの動乱を見越してセツナに龍府を勧めた。無論、セツナには詳しくは話さず、だ。しかしエインは、ナーレスとは違ってなぜその国に近いセイドロックを勧めるのか、説明してくれた。
クルセルク方面の都市セイドロックは、ジベル国境に近い。つまり、エイン――いやガンディア政府は、ジベルを警戒しているということだ。ガンディアの同盟国であったジベルは、ジゼルコートの謀反に同調し、あろうことかザルワーン方面に侵攻、ナグラシアとスルークを制圧し、さらに龍府への侵攻さえ企んでいた。龍府への侵攻は防がれ、スルーク、ナグラシアの奪還には成功している。
「ジベルを警戒……ね」
「ジベルが最強部隊とする真死神部隊は、レム殿とシドニア戦技隊の皆様が撃破し、さらにナグラシアまで奪還していただけたということですが、だからといってジベルの裏切りを許すことはできないということは、わかりますよね?」
「もちろんだ」
「もちろんです!」
レムが鼻息荒く同意するのは、なにも奇妙なことではなかった。ジベル出身の彼女ではあるが、ジベルへの愛など持ち合わせてはいない、という。死神部隊そのものには思い入れがあり、カナギたち死神部隊の同胞たちへの愛情こそあるものの、ジベルという国そのものにはなんの愛着も未練もないらしい。彼女の不幸な生い立ちを思えば、当然の感情なのかもしれない。さらにジベルは、彼女にとって愛ある想い出さえも踏みにじり、彼女を激怒させている。
真死神部隊という名のジベル最強部隊こそが、彼女を激怒させた。死神部隊とは、レムにとって特別な存在だ。家族のようなものだったのだ。部隊を組織したクレイグ・ゼム=ミドナスの思惑とは別のところで深く結ばれた絆があったのだ。そのクレイグの思惑によって壊滅した死神部隊は、一度、再結成されたものの、レムの判断によって解隊されている。レムは、そうすることでハーマイン=セクトルに忠告しているのだ。
にも関わらず、ハーマインは真死神部隊を結成、ガンディア侵攻の要とした。
レムが激怒するのは、必然だったのだ。
真死神部隊は殲滅され、ナグラシアのジベル軍も撃退したものの、彼女のジベルへの怒りはまだ収まっていないようだった。
「といっても、ジベルの出方次第ではあるんですが」
それはそうだろう。
「ジベルには、陛下を裏切り、ジゼルコート側についたことへの説明責任があります。もちろん、今後ガンディアと国交を続けていくのであれば謝罪していただかなければなりませんし、損害賠償にも応じて頂かなければなりません」
それは、ジベルに限った話ではない。ガンディアに従属するという約定を交わしたアザーク、ラクシャの二国に、同盟国イシカにも、同様のことがいえた。ただ、アザーク、ラクシャはガンディア本土での戦いで戦力を大量に失っていることもあり、たとえガンディアに敵対的であったとしても、とくに問題にはならないだろう、という話だ。イシカには、セツナの領地である龍府が近い。牽制もできるということだ。
「ナグラシア、スルークを制圧した罪、重いですよ」
「ですよね!」
「レム、あなた……なんだか嬉しそうね」
「そんなわけあるはずないでじゃないでございますですよ」
「言葉が変よ」
「へ?」
「まあ、いいさ。で、ジベルは応じそうじゃないって話なんだな?」
「そういうわけです。ま、ジゼルの全権を握っているのがハーマイン=セクトル将軍ですからね。セルジュ王は傀儡で、なんの権限もないって話ですし」
ジベルは元々、将軍であるハーマイン=セクトルが軍事のみならず、国政も取り仕切っていた国だ。先の国王アルジュ・レイ=ジベルが自身の無能を理解し、有能なハーマインにすべてを任せ、それで上手く回っていたからだ。そのアルジュが死に、アルジュの子であり王位継承者であったセルジュが国王となったのだが、年若いセルジュ王には実権を握ることはできなかったのだ。ハーマインは、アルジュ時代よりも権力を強め、いまやジベルはハーマインの国のようになっているという。ハーマインを忌み嫌うレムが怒りに拳を震わせるのも無理のないことだ。
「おそらく、今回のジゼルコートへの賛同も、ハーマイン将軍の独断でしょう」
「そこまでできるもんなのか?」
「ハーマイン将軍がジベルの支配者ですからね」
「処断してしましょう!」
「物騒よ」
「でも、そうするのが一番の解決法では、あるんですよね。セルジュ陛下は、ガンディアに敵対的ではなかったはずですし……」
ハーマイン=セクトルさえ排除できれば、ジベルはガンディアとの同盟国として復帰させることも吝かではない、ということだ。
攻め滅ぼす、という選択肢の順位は、極めて低い。
確かにジベルは同盟国の王を裏切り、謀反人につくという大罪を犯した。許されざる悪行というほかない。ジゼルコートともども攻め滅ぼしたところで非難されることもあるまい。敵対してきたのは、ジベルのほうなのだ。こちらが反撃するのは当然のことだし、その結果滅び去ったとしても仕方のないことだ。
しかし、マルディアから続く大きな戦いが終わったばかりだ。ここから続けざまに戦争を起こせるかどうかといえば、起こせないわけではないが、出来る限り控えたいというのがガンディア政府の本音ということをエインはいった。戦争には費用がかかる。費用はどこから捻出するかというと、国庫だ。マルディア救援に関しては、マルディアがある程度受け持ってくれるという話だったが、謀反を鎮める戦いの費用となると、自国の負担となる。当然のことだ。内乱であり、内乱を起こした当事者たちはほとんど死んでしまっている。生きていたとしても、彼らに賄えるような額でもない。一部は、アザークやジベルといった国々に請求するとしても、費用の大半は国庫から支払うしかない。
立て続けに戦争を起こせば、国庫などすぐ空になる。だから、戦争は出来る限り避けるべきであり、政治で解決することこそが最上なのだ。ジベルが話し合いに応じてくれれば、戦う必要もなくなり、国への負担も軽くなる。
「そのためにも、セツナ様にはゼイドロックを領地にしていただきたく」
「つまり、俺がセイドロックの領伯になることで、ジベルを牽制するってことだな」
ガンディアの英雄と誉めそやされ、強力な私設軍隊を持つ領伯の領地となれば、それなりの威圧感を持つことになるだろう。ジベルはそこにガンディアの意図を感じるはずであり、ガンディアとの交渉も慎重になるはずだ。選択を間違えれば、セイドロックのセツナ軍が攻め込んでくるかもしれないのだから。
そんなことを頭のなかで考えていると、エインがおもむろに驚いてみせた。
「おお」
「なんだよ」
「めずらしく、冴えてますね!」
予想だにしない反応にセツナは声を荒げた。
「めずらしくってなんだよ!」
無論、わかりきったことだ。セツナは自分が頭のいい人間だとは思ってもいない。
「まあまあ、御主人様らしくなくて、素敵でございますよ」
「てめえレム、あとで覚えてろよ」
「はい、忘れませぬ」
「はあ?」
「是非とも、厳しめの罰をお与えくださいませ」
「……はあ」
なぜか頬を染める下僕には、ため息をつくしかない。
「この子は相変わらずなんだから」
「まったくだよ」
ファリアとシーラも呆れ顔だ。
「あちらの方はいつもとは違いますね?」
「ミリュウ? ああ、いいの、気にしないで。感激で心ここにあらずって状態らしいから」
「感激で……?」
エインがファリアとミリュウを見比べるようにしながら、怪訝な顔をした。ミリュウは床に座り込んだまま、惚けた顔をしていたのだ。アスラはそんなミリュウに寄り添い、にこにこしている。
セツナは咳払いをして、話を戻した。
「……とにかく、セイドロックだな」
「ええ。もちろん、マルウェールでもナグラシアでも構いませんよ。いずれも、ジベルに近い都市ではありますからね」
いわれてみれば、そうである。ナグラシア、マルウェール、それにバッハリアでさえも、ジベル国境に近い都市だった。
「じゃあなんでセイドロックなんだ?」
「セイドロックが距離的には一番、近いですからね。ル・ベールには」
ル・ベールとは、ジベルの首都のことだ。ジベルの地図は用意されていないためよくわからないものの、エインのいうことだ。間違いはないのだろう。
セツナは、エインの助言に従うことにした。