第千四百八十二話 領地の話
スレイン=ストールは、国王側近のひとりだ。
六名いる国王側近の中で、四友に数えられる人物であり、四友の中では若いもののガンディア国内における権力、発言力は高いほうだといっていい。四友とは、国王の四人の友人のことであり、ほかにバレット=ワイズムーン、ゼフィル=マルディーン、ケリウス=マグナートがいる。
国王側近が《獅子の尾》隊舎を訪れることは、そうあることではない。ましてや、セツナを探し求めてここまで足を運んでくること自体、ありふれたことではなかった。国王の側近なのだ。セツナに用事があるのであれば、王宮に呼びつければいい。それが許される立場なのだ。しかし、スレインを始めとする国王側近は、そういった偉ぶった言動を取ることが少なかった。むしろ、歩いていける範囲には率先して自分の足で向かうことが多く、そういうところが、四友が、特別な立ち位置にある権力者でありながら多くの人々に慕われているところなのかもしれない。
「それで、俺を探していたのはどういった理由なんでしょう?」
セツナは、対面の椅子に腰掛けた国王側近に尋ねた。場所を、裏庭から隊舎内応接室に移している。ファリア、ミリュウ、シーラ、マリアは同席しておらず、レムだけが応接のための細々とした雑務をこなしている。
対するはスレインと彼の部下を三名。厳しい面構えの男ばかりだ。スレインは、護衛もつけていたのだが、中は安全だろうということで室外に待機させていた。
「もちろん、大事なお話ですよ」
彼は、いわでものことをいってきた。それは、いわれなくてもわかっていることだ。国王の側近がみずから足を運んでくるということは、余程のことがなければありえないことだった。特にこの隊舎に国王側近が訪れることなど、よくあることではない。国にとって重要なことかもしれないということで、セツナは緊張感の中にいた。
レムが用意した人数分のお茶が湯気を立ち上らせている。菓子にはだれも手を付けていなかった。このような状況で呑気に菓子を食べていられるわけもない。
「戦いが終わったということはつぎになにがあるか、ご存知ですよね?」
「つぎに……?」
「論功行賞でございますね?」
「さすがはレムさん、ご名答です」
「うふふ」
「……なるほど」
本当に嬉しそうに微笑む従僕を横目で一瞥してから、お茶を口に含む。口の中で溶けるような甘味が疲れた体に優しい。
「論功行賞でなにか問題でもあったんですか?」
「いやいや。問題なんてあるわけないじゃないですか。前回と同じですよ。わたしがきたということは、ですね」
「また、領地を決めろ、とかいうんですか?」
「はい」
「ええ……」
「なんでそんな反応なんですかね。ここはもっと喜ぶべきところじゃないんですか」
「領地ですよ、領地。セツナ伯は、この度の活躍により、三つ目の領地を与えられることになったんですよ?」
「嬉しいのはやまやまですけど……俺は別に領地が欲しくて戦っているわけでもありませんし。それに、今回の戦いでガンディアの国土が増えたわけでもないでしょう?」
「それはそうですが、別に国土が増える増えないと領地を割譲することは関係のあることではありませんよ。陛下が臣下に領地をお与えになられるのは、その臣下が真に国のために働き、力を尽くしたと判断なされたからです。たとえこの度ガンディアが領土を失うようなことがあったとしても、セツナ伯には新たな領地が与えられることになったでしょう」
「そんな……」
「陛下も我々も、こうして王都で我が物顔でいられるのは、セツナ伯のおかげだということはわかりきっているのですからね」
「それは……言い過ぎですよ」
「そうは想いませんが」
スレインは、ずっとにこにこしていた。四友の中でもセツナに年齢の近い彼は、どこかセツナに親近感を抱いているようなところがあった。
「……わかりました」
「わかって、いただけましたか」
スレインはやはりにっこりとして、いった。
セツナは、このまま話し続けていても平行線を辿り続けることになるかもしれないと考え、話を進めたのだ。
「前回と同じく、今回もセツナ伯に決めて頂くようにと陛下からのお達しがありましてね」
スレインが部下に目線で指図を送ると、部下が鞄の中から資料らしきものを取り出し、卓の上に置いた。スレインはそれを手に取り、開くと、セツナが文字を読めるようにと上下を逆さにしてみせる。
前回とは、クルセルク戦争後のことだ。そのときもスレインがセツナの元を訪れ、領地の選択を迫ってきたものだ。
「候補は四つあります。どこもいい土地なんで、セツナ伯の好みに合った場所を選んでいただければ、と」
「どこでもいい……んですか?」
「もちろん」
ずっとにこにこしているスレインの顔を見て、資料に視線を戻す。背後からレムが資料を覗き込むのを気配で認識するが、そのことに関してはなにもいわなかった。言及するほどのことでもない。
前回、候補地の中からセツナが領地として選んだのは、龍府だったが、それはナーレス=ラグナホルンに戦略的価値を説かれたからにほかならない。そして、それこそナーレスの軍師としての能力が最大限に発揮された選択であり、セツナが龍府を領地にしたことが様々な状況を生み出し、転回させたことは記憶に新しい。
今回は、そのときのような助言者はいない。自分で決める必要があるということだ。
「では、十日までに希望の土地をお教えいただければ」
「は、はあ」
「よろしくおねがいしますね」
一方的に告げてくると、スレインたちはそそくさと応接室を出ていった。
「嵐のようなお方ですね」
「まったくだ……」
セツナは、スレインの部下によって閉じられた扉を見つめたまま、茫然とつぶやいた。卓の上に残された茶器から昇る湯気は、まだお茶が冷めていないことを示していた。
「それにしても、また、領地か」
資料に視線を戻してから、セツナは嘆息した。
「よろしいじゃございませんか。御主人様三つ目の領地ですよ?」
レムが妙にはしゃいでいるのは、どういう了見なのか、セツナには皆目見当もつかない。
「スレイン様の仰られたように喜ばれるべきです。陛下からの賜り物でございますし」
「それもわかってるんだけどな」
レオンガンドがセツナの働きに報いてくれようとしていることはわかるし、それはこの上なく嬉しいことだ。そして、レオンガンドにとっては領地を与えることが、最大限の評価であり、賛辞だということも理解している。だから、心の底に喜びが湧いているし、感激してもいる。とてつもなく苦しい戦いだったのも事実だ。大切な仲間を失うことにもなった。
とはいえ、スレインにいったことが本音だ。
領地が欲しいわけでもなければ、だれかに褒め称えられるために戦っているわけでもない。なにかを欲しているわけでもない。むしろ、いまのままでも十二分に満たされているとさえいえる。居場所があり、領地があり、仲間がいて、大切なひとたちがいる。これ以上望むべくもなく、この幸せな日々を護るためならば、たとえ褒賞などなくとも戦えるだろう。
それこそがセツナの原動力なのだ。
とはいえ、レオンガンドの立場や考えもわからないではない。国王たるもの、臣下の功績を称え、適切に賞与しなければならないのもまた、事実なのだ。でなければ、臣下からあらぬ批判を受けることになりかねない。もちろん、正面切って批判するものはそういるものではないだろうが、評判が落ちることも考えられる。臣下のだれもがセツナのような考えを持っているわけではない。むしろ、セツナのような考え方で戦っている人間のほうがおかしいというのは、セツナ自身よく理解していることではある。だれもが働きに応じた代価を求めている。
セツナくらいかもしれない。
もはや十分な代価を貰ったのだから、これ以上なにもいらない――などと考えるているのは。




