第千四百七十九話 黒き眷属(二)
セツナは、さらに別の召喚武装を呼び出すべく、呪文を唱えた。
「武装召喚」
四度目に召喚したのは、一対の黒き双刀――エッジオブサーストだ。両手に収束した光が黒塗りの短刀へと変化するかのようにして、それは現れる。ランスオブデザイアがウェインを、マスクオブディスペアがクレイグ・ゼム=ミドナスを選んだように、ニーウェ・ラアム=アルスールを召喚者として選んだ黒き矛の眷属。
切っ先から柄頭に至るまで黒一色に染め上げられた一対の短刀は、形状も重さもなにからなにまで一緒であり、差異は見当たらない。左右の短刀によって能力が変わるということもない。
セツナは両手のそれを掲げて、皆に見せた。
「これはエッジオブサースト。ニーウェが召喚していたやつだ」
「それが、ね」
ファリアがしげしげと、深黒の双刃を眺めながら、うなずいた。ファリアたちはエッジオブサーストの実物を見るのは、これが初めてだったはずだ。ニーウェと戦ったことがあるのはセツナだけであり、ニーウェがエッジオブサーストを披露したのもセツナの前だけだった。そもそも、ニーウェ自身と遭ったことがあるのも、この中ではセツナだけだ。
シーラもじっとエッジオブサーストを見ている。
「話には聞いたが、そんな形だったんだな」
「それがセツナを痛めつけたのね」
ミリュウの場合は睨みつけているようだったが。
レムが小首をかしげた。
「結局、御主人様が苦戦したというエッジオブサーストの能力とは、なんだったのでございましょう?」
「見せようか?」
「是非とも、見せてくださいまし」
「じゃあ、しっかり見てろよ」
セツナは、レムの期待に応えるべく、両手の短刀の刀身を胸の前で重ね合わせた。能力を発動する。それはさながら世界を支配するかのような万能感を抱かざるをえないものであり、それだけに負担も消費も大きく、多用のできないものだ。少なくとも武装召喚師としての実力ではセツナを軽く凌駕するであろうニーウェですら、数度しか使えなかったのだ。セツナならばさらに発動回数に制限がかかるだろう。
能力が発動した瞬間、時間が静止する。
時間停止――それがエッジオブサースト最大の能力であり、時間が静止している間、能力発動者だけは自由自在に動くことができた。
セツナは、完全に動かなくなったレムやファリアたちを一瞥して、さらに周囲を見回した。風に吹かれたまま凍りついたように動かない草木や、空中で固定された鳥たち、雲も太陽さえも動かなくなってしまっている。術者の周囲だけにさようするのではなく、世界中、宇宙全体の時間を止めてしまっているということだ。
それがわかれば、消耗と負担の重さにも納得できるというものだろう。
全宇宙の時間を意のままに支配するなど、通常、考えられないことだ。様々な物語、漫画、創作物に登場する能力の中でも強力な部類に入る能力であるとともに、ありふれた能力ではあるのだが、かといってそんなものが現実に存在するとなると、ただただ恐ろしいというほかない。セツナがニーウェとの戦いの最中も、能力の秘密を見破ることができなかったのは、当然というべきだろう。
そしてそれが、黒き矛の眷属の能力というのがなんともいえない末恐ろしさを感じさせる。
エッジオブサーストが独立した強力な召喚武装というのであれば納得も行くのだが、本来であれば黒き矛に内包されているものだというのが、信じがたかった。つまり、これさえも黒き矛の能力なのかもしれないということなのだ。もっとも、現状、黒き矛では時間静止能力を使うことはできないし、“死神”を呼び出すこともできない上、仮に時間静止能力が使えたとしても、時間静止中にできることといえばたかがしれているため、あまり有用ではない。
時間が静止している間、術者にできることといえば、移動することくらいだった。時間静止中は、自分以外の対象に干渉することができないのだ。それがこの時間静止能力が必ずしも強いとは言い切れない点だろう。時間静止中に敵を攻撃することもできなければ、閉じている扉を開いたりすることもできない。強力故に不便な能力なのだ。ただ、ニーウェが行ったような方法を使えば、間接的に攻撃を行うこともできなくはない。
ニーウェは、時間静止中、セツナの進路上にエッジオブサーストを配置し、時間静止を解除した瞬間、突き刺さるように仕向けたことがある。エッジオブサーストは、手にしている間は時間静止中でも自由に動かせるため、そういうこともできるのだ。全速力で突き進んでくる相手には、効果的な攻撃方法となる。もちろん、エッジオブサースト召喚中の場合だ。召喚中の黒き矛からエッジオブサーストに切り替えてまで行うような攻撃では、ない。
セツナは、そんなことを考えながらレムたちの視界から外れる場所まで移動して、能力を解除した。時間静止能力は、ほかの持続型の能力同様、発動している間だけ精神力を消耗するのだ。長時間使い続けるということは、できない。つまり、移動するにしても限られた距離しか動くことができないということでもある。ニーウェはかなりの長距離を時間静止中に移動しているが、それはニーウェの実力あってこそなのだ。
武装召喚師としての力量そのものは、ニーウェのほうがセツナよりもずっと上なのは紛れもない事実だった。
「あれ?」
「セツナ?」
「御主人様? どこでございます?」
「空間転移か?」
「旦那はあそこだよ」
「あー、ほんとだー!」
ミリュウがこちらを指差しながら大声を上げる。
セツナは、そんな彼女の子供っぽい反応に笑うしかなかった。そのまま、両手の短刀を弄びながら、元の位置に戻る。
「御主人様の考察どおり、場所を移動する能力だったのでございますか?」
「いや、そうじゃない」
セツナは当初、エッジオブサーストの能力の正体を空間転移能力の一種ではないかと考えていた。空間転移は、黒き矛の能力のひとつだ。眷属たるエッジオブサーストに備わっていても不思議ではないと思えた。だが、実際はまったく違っていた。そして、ニーウェの能力発動の瞬間を思い出せば、空間転移能力との相違点は明確にあった。
空間転移能力は、その名の通り、別の空間に転移する能力であり、そのためにまず空間に穴を開けるとでもいうような現象を起こす。虚空なら虚空になんらかの力を働かせるのであり、その作用は、強力な余波となって周囲に巻き起こる。衝撃波が吹き荒れるのだ。しかし、ニーウェのそれにはそういったことが一切起きなかった。それもそうだろう。空間を転移していたのではなく、時間を止めていたのだから。
「時間を止める能力なんだよ」
セツナは、エッジオブサーストを見下ろしながら、告げた。時間を支配する深黒の双刃。戦った中で最終最後の眷属に相応しい能力といえるだろう。
「時間を止める……?」
「うっそだー」
「そんなことができるのか?」
「だからいまやってみせただろ。まあ、わかんないと思うけどさ」
セツナは、皆の反応に多少の満足感を覚えながら、続けた。
「時間静止中になんでもできるってわけでもないから、強力無比ってわけでもないし、負担も大きいからな。多用もできない。使いこなせば強力なのは分かってるが」
エッジオブサーストにはほかにもいくつか能力がある。その中でも特に使えそうなのは、双刀の位置を入れ替える能力であり、ニーウェはその能力を上手く使い、セツナとの戦闘を有利に運んでいた。ニーウェがほかの眷属の使い手たちを圧倒してきたのも納得の強さだ。
それら別の能力は披露しないまま、セツナはエッジオブサーストを送還した。
「それで、セツナが戦ったのは全部よね?」
「ああ。でも、これだけじゃない」
セツナは、ファリアの目を見つめながら、いった。四度に渡る召喚はともかく、時間静止能力の行使による精神力の消耗が激しく、疲れが出ている。グリフとの戦闘による疲労が回復しきっていないのが完全に裏目に出ているのだが、彼は無視するようにして、続けた。こればかりはいま確認しておかなければならないことだ。
「黒き矛の眷属は、全部で六体あったんだ」
「六体の眷属……」
「そんな召喚武装、聞いたこともないわよ」
ミリュウがあきれたようにいうと、ファリアが深々と息を吐いた。
「というより、召喚武装に眷属なるものがあるという時点で、常識はずれよね」
「そうだったわ……確かにそうよ!」
ミリュウがなぜか憤然として、長椅子から立ち上がった。
「なんなのよ、黒き矛って!」
「知らねえよ、俺に聞くなよ」
「セツナの召喚武装でしょ! 知っていなさいよ!」
「無茶いうなっての」
「無茶でもなんでもないでしょ!」
「なにがだよ……ったく」
セツナはミリュウの剣幕に気圧される自分に苦笑しながら、五度目の呪文を口にした。
「武装召喚」
つぎに召喚したのは、黒き長杖だった。これまでと同様、セツナの全身から吹き出した光が右手の中に収斂し、長杖へと変化する。黒き矛の眷属らしく黒く禍々しい杖。先端に異形の生物の頭蓋骨がついており、いかにもおどろおどろしいという感じがあった。これまでの召喚武装よりも見た目的にわかりやすい恐怖がある。
「ロッドオブエンヴィー。これをはじめ、残りの眷属は、ニーウェがエッジオブサーストに吸収させていたんだ」
「なるほど」
ファリアがなにかを納得した様子だった。
「だから、ニーウェに苦戦したのね」
「……たとえエッジオブサーストが眷属を吸収していなかったとしても、それなりに苦戦したと思うぜ」
セツナは、ファリアの考えを訂正するように言い返した。
エッジオブサーストの時間静止能力は、ただそれだけで凶悪だ。