第千四百七十八話 黒き眷属
「これが、カオスブリンガー」
セツナは、黒き矛の柄の感触を確かめるように握りしめながら、掲げた。切っ先から柄頭に至るまで真っ黒な矛は、ただひたすらに禍々しい形状をしている。召喚武装の多くは異形だ。通常の武器とは比べるまでもなく、召喚武装とわかるほどに特徴的な形状をしていることが多い。黒き矛もそれに当たる。破壊的なまでに歪な穂先は、儀式用に作られたもののようですらあった。それくらい特徴的で異形なのだ。
柄頭には紅い宝玉が埋め込まれており、この宝玉が炎を吸収する力を持っている。
黒き矛は、様々な能力を持つという点でも、特異というべきかもしれない。多様な能力を持つ召喚武装というのは、めずらしいのだそうだ。オーロラストームのように雷撃を放つというひとつの能力を使い分ける召喚武装は多々あるものの、黒き矛のように関連性のない能力を使い分けることができる召喚武装は、複雑な術式が必要であるため、あまり好まれないのだ。
召喚武装に複雑な能力をもたせようとすると、呪文が膨大化する上、望んだ通りのものが召喚できる保証はない。
武装召喚術によって呼び出される召喚武装は、必ずしも術式通り、呪文通りのものではないことが多い。武装召喚術は、異世界に存在する武器を召喚するという技術であり、呪文によって設定した武器を作り出すような技術ではないのだ。存在しないものは召喚できない。術式に含まれる呪文が導く武器に近似するものを召喚するだけなのだ。そうやって召喚されたものが気に食わなければ、また別の呪文を紡ぎ、試すしかない。
武装召喚師たちは、そういう試行錯誤の末、自分にあった召喚武装を手に入れるのだという。ファリアのオーロラストームしかり、ルウファのシルフィードフェザー、ミリュウのラヴァーソウルしかり。
その点、セツナは、武装召喚という、術式の末尾を唱えるだけで武装召喚術を発動することができる。術式が不要ということは、呪文も不要なのだ。呪文によって呼び出す召喚武装を設定するのが武装召喚術なのだが、呪文が必要ない場合、どうやって設定するのかというと、セツナの場合、頭の中に思い描くことで召喚するものを変えることができた。その事実は、ファリアを始めとする武装召喚師たちにとっては信じがたいことであり、ファリアをして卑怯といわしめたのは記憶に残っている。それくらいありえないのことなのだ。
武装召喚術は本来、厳しい修練の果てに身につけることができるものだ。
それなのに、セツナは、なんの苦労もなく武装召喚術を行使できている。クオンもだ。ふたりに共通していることは、アズマリアの召喚武装ゲートオブヴァ―ミリオンによって召喚され、この世界に転移してきたということであり、そのことがなにか関係しているのは間違いない。アズマリア自身、力を求めてクオンとセツナを召喚したと明言している。なにか確信があってセツナたちを召喚したのは疑いようがなかった。
つぎに遭うことがあれば、今度こそ問いただすべきだ。
「知ってるー。ガンディアの英雄様の召喚武装でしょー。超有名よねー」
ミリュウが棒読み口調でいってくると、ファリアが同じような様子で相槌を打つ。
「最強最悪の召喚武装よね。知ってるわ」
「ああ、知ってるよ。うちの旦那を毎回毎回死地に追い込む最凶の武器なんだろ」
「旦那って、先生……」
「なんだい? なんか文句でも?」
絶句するシーラにマリアが笑いかけると、ミリュウが憤慨した。
「あるに決まってんでしょ!」
「まあまあ皆様、御主人様が困っておられますし……」
レムが皆を宥めようとする中、セツナはマリアを見て苦笑した。
「……皮肉がきついな」
「でも、当たってるだろ?」
「否定はしませんよ」
黒き矛が強力に過ぎた結果、セツナが死地に赴くことが増えたのは事実なのだ。黒き矛とセツナならばなんとかするに違いないという発想が、ガンディア首脳陣の中にある。そして、そういった想いに応えたいというのが、セツナの原動力だ。
「けど、こいつがなけりゃ、俺はここにこういう風には立っていなかったはずだ」
それも、事実だ。
「なにもかもこいつの、カオスブリンガーのおかげだ。俺が《獅子の尾》の隊長をやっていられるのも、皆と出逢えたのも、なにもかも、な」
黒き矛がなければ、セツナはどこかで野垂れ死んでいたとしてもおかしくはない。アズマリアに召喚された直後、セツナが呼び出したものが黒き矛ほどの召喚武装でなければ、アズマリアにも見捨てられていただろう。彼女が興味を持ったのは、黒き矛だったからだ。
「なるほどね」
ミリュウが納得したように微笑むと、ファリアが怪訝な顔をした。
「なにが?」
「黒き矛は、あたしとセツナを結びつけてくれるために存在したってことよ!」
「なんて幸せな頭なのかしら」
「わたくしもそう想います」
「え?」
「わたくしと御主人様を結びつけてくれたのは、黒き矛ですから」
「……ああ、そうだったわね」
ファリアは、もはや頭を抱えたそうな表情をしていた。
「感謝しなきゃな」
「あなたまで……」
「ファリアは違うのか?」
「え、えーと……」
頬を赤らめてしどろもどろになるファリアの反応が、なんとなく、嬉しい。
「あたしゃ、感謝なんてしないよ。黒き矛なんざなくったって、そこそこやれてたさ。旦那ならね」
マリアはことさらに旦那という言葉を強調するのだが、ミリュウが反応するくらいで、ほかの皆は諦めているようだった。
「そこそこじゃ、駄目だ」
セツナは、黒き矛を見据えながら、断言した。
「そこそこなんてものじゃ、駄目なんだよ」
たしかに、マリアのいうように、黒き矛でなくともそこそこはやれたかもしれない。しかし、そこそこではどうしようもなかったはずだ。まず、真っ先に思い浮かぶのはランカインに殺されていたかもしれないということだ。ランカイン=ビューネルは、カランの街を焼き尽くすほどの炎の使い手だった。黒き矛だから勝てたのだ。別の召喚武装なら勝てなかったかもしれない。いや、そもそも、黒き矛で勝ったといっても相打ちに近い。しかも、こちらは炎に灼かれて死にかけていたのだ。実質的には敗北というべきではないのか。生きているのはファリアのおかげにほかならない。
もしカインに勝てたとしても、そのあとは、どうか。
黒き矛と同じかそれに近い戦果を出せなければ、レオンガンドに引き立てられることなどなかっただろう。少なくとも、《獅子の尾》の隊長になど任命されるはずもない。ルウファの部下になっていた可能性もある。それはそれで楽しい人生だったかもしれないが、まったく別の道を歩んだことになるだろう。
頭を振る。
いくら想像したところで、妄想の域を出ない。馬鹿げた空想。くだらない架空の物語。そんなことを考えるのは時間の無駄だ。
「こいつじゃなきゃあな」
セツナは、黒き矛を見つめ直して、告げた。黒き矛が強力無比だからこそ、得られたものは多いのだ。
そして、黒き矛は、さらに強くになった。
眷属の力を吸収し、本来のあるべき力を取り戻したのだ。もっとも、それから長い間眠りこけていて、真価を発揮するまで時間がかかったが。
戦鬼グリフとの戦いで目を覚ました黒き矛は、いままでとは比べ物にならないほどの力をセツナに与えた。
柄を握る手を通して流れ込んでくる力の膨大さには、驚くほどだ。これまでとは比較しようのないほどの熱量を感じる。そのすべてを受け入れれば、制御しきれるものではない。畏れを感じるほどの総量。それこそ、黒き矛が真に力を取り戻したという証明だろう。
黒き矛が真の力を取り戻したいま、召喚時および召喚中の負担が以前よりも増えるかと思いきや、それはなかった。ただ、溢れる力を制御するためには神経を使わなければならず、以前のように思い切り振り回したければ引き出す力を抑えるしかないだろう。
セツナは、念じ、黒き矛を本来あるべき世界へと送還した。黒き矛が無数の光の粒子に分解され、イルス・ヴァレから消えて失せる。召喚には多少の精神力を要し、維持にも相応の負担が必要だが、送還のために力を消費するようなことはなかった。それは、黒き矛が真の意味で完全体となったいまでも変わらない。
そのことに安堵して、視線に気づく。ファリアたちは皆、セツナの召喚儀式をぽかんとした様子で眺めていた。召喚後、すぐさま送還したことが不思議だったのだ。セツナは、説明するのも面倒だったので、即座につぎの呪文を唱えた。
「武装召喚」
またしてもセツナの全身が光に包まれたかと思うと、再び、右手の中に光が収斂し、光の中から巨大な槍が現れる。穂先が非常に巨大で特徴的な形状をしたその槍は、ファリアが術式を組み上げ、ルウファによって召喚され、ランスオブデザイアと名付けられた代物だ。螺旋を描く穂先が高速回転することで眷属の中でも最大の破壊力を発揮することができ、貫通力においては黒き矛を凌駕する可能性を秘めている。
「それ、ランスオブデザイアよね。なんでまた?」
「いつか話したと思うけど、ランスオブデザイアは黒き矛の眷属と呼ぶべき代物なんだ。ファリアが偶然にその召喚術式を構築して、ルウファが召喚に成功し、どういうわけかログナーの青騎士ウェインの手に渡ったことは、覚えているよな?」
「もちろんよ」
「あたしもあたしもー!」
「まあ、そうだったな」
ミリュウは、セツナの記憶を覗き見たことがあるのだ。いや、覗き見たという次元の話ではないらしい。ミリュウと戦ったときまでのセツナのあらゆる記憶が彼女の頭の中にあるという状況らしい。そこまで大量の記憶が逆流したというのに自我を取り戻すことができたのは、彼女にいわせれば愛の力であるらしい。
「ランスオブデザイアは、ウェインの力を望む声に応え、彼にファリアが組み上げた召喚術式を伝えた。欲の薄いルウファよりも、ある意味欲深なウェインのほうが使い手に相応しいと見込んだんだろう」
「……でも、どうやって?」
「そうよ。どうやって異世界の存在が接触するのよ?」
「俺は、今日まで何度となく黒き矛に呼びかけられたよ」
夢と現の狭間は、この世と異世界の境界でもあるのかもしれない。
「そして昨夜、夢にまた現れやがったんだ」
「黒き矛が?」
「うん。黒き矛と眷属たちがな」
シーラの問をうなずくことで肯定してから、ランスオブデザイアを送還する。光の粒子となって元の世界へと帰るそれを見届けることもなく、続けて呪文を紡ぐ。
「武装召喚」
三度目に召喚したのは、マスクオブディスペアだ。爆発的な光の発生とともに右手の中に出現した黒の仮面には表情はなく、禍々しいというより凍りつくような恐ろしさがある。死神の仮面なのだ。恐ろしくもあろう。
「ああっ」
レムが妙に色っぽい声を発しながら身悶えしたのには、セツナも驚かざるを得なかった。
「どうした?」
「どしたのよ?」
「レム?」
ミリュウたちも皆、レムの奇異な反応を心配した。立ったまま自分の体を抱きしめ、悶える様子は奇妙としか言いようがない。
「い、いえ、なんだか変な感じが致しまして」
「変な感じって……なに?」
「なんだか御主人様の腕の中にいるような、そんな感じにございます」
「……なに?」
「ですから、御主人様と抱き合っているような感覚でございます」
あまつさえ頬を赤らめながら、とんでもないことをいい出したレムに対し、セツナは唖然とした。
「セツナと抱き合……ってどういうことよ!?」
「なんで俺が怒られるんだよ!」
「だって……だって!」
ミリュウが目に涙さえ浮かべながら、訴えかけてくる。
「前にもあったことだろ。マスクオブディスペアは、レムの命を繋いでいるんだ。なにがあっても不思議じゃあない」
闇黒の仮面の力によって紡がれた仮初の命。それがレムをこの世に留まらせているのだ。マスクオブディスペアを召喚することにより、彼女になんらかの反応があったとしても、おかしなことではないのかもしれない。そもそも、仮初にも命を与えられることそのものが神秘であり、奇跡といえるのだから、なにが起きても不思議ではなかった。
「でも、悪い気分じゃないですよ」
「は!?」
「ぞくぞくしますし……」
レムは、恍惚とした表情でこちらを見てきていた。蕩けているような目があまりにも艶っぽくて、セツナは目を逸らさざるを得なかった。とても見た目十三歳の少女が見せるような表情ではない。
「さっさと送還しなさいよ!」
「……なんなんだよ」
ミリュウの剣幕に辟易しながらも、レムの体調を考えると従わざるを得ないのも事実だった。アバードで召喚している間のレムの状態は、決してよいとはいえないものだったと聞いてもいる。彼女自身は顔を紅潮させ、うっとりとした様子でこちらを見ているものの、そういうレムの姿こそが異常だとセツナには想えてならないのだ。
即座にマスクオブディスペアを送還すると、今度はレムが悔しそうな顔をした。
「もう少し、堪能したかったのですが」
「なにがだよ」
セツナは、彼女たちを見学させていることが間違いな気がした。
本題は、ここからだ。