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第千四百七十五話 《獅子の尾》について

 柔らかな日差しが降り注いでいた。

 空は晴れ渡り、雲ひとつ見当たらず、風も穏やかそのものであり、疲れ果てた身も心も癒されるようだった。

 マルディア救援から続いた長い戦いがようやく終わったこともあってなのか、王都の市街地はお祭り騒ぎを続けているものの、群臣街そのものは落ち着いたものだった。群臣街に住むのは王宮勤務の文官や軍人たちであり、市街に住む一般市民のようにいつまでも浮かれてはいられないからだ。とはいえ、群臣街に住むすべてのひとびとが浮かれていないかというとそうではなく、戦勝以来、街を走り回る子供たちの声が止むことはなかった。皆、反乱軍による戒厳令が解かれたことを心の底から喜ぶかのようにはしゃいでいる。

 そんな中、セツナは、《獅子の尾》隊舎の裏庭にいた。

 昨夜、王宮大広間で開かれた宴の後、セツナたちは、ほろ酔い気分で隊舎に戻ってきていた。王宮にはセツナたちのための部屋が用意されていて、そのまま寝泊まりすることもできたのだが、セツナは王宮よりも隊舎のほうがいいと考え、眠気を訴える体を引き摺るようにして隊舎まで帰ってきたのだ。無論、徒歩でではない。馬車を使っている。

 昨夜は、隊舎に辿り着くなり、ゲイン=リジュールを始めとする隊舎の住人に挨拶することもなく、部屋に入って眠った。

 久々に我が家に帰ってきたという感覚は、今朝、ゲインの手料理を食べているときに感じたものだ。ゲインの手料理は、この世のどんな料理よりも美味であるとセツナは想うのだ。ゲインの味付けがセツナの好みに非常に合うというだけのことかもしれないが、それだけで十分だろう。そして、朝食を取りながら、ゲインや使用人たちと言葉を交わし、謀反後、隊舎が危険な目に遭うようなことはなかったという話を聞いて、心底ほっとしたものだった。

 反レオンガンド主義者にとって、セツナほど厄介な存在はいないという評価は、当の本人であるセツナもよく知っていることだ。レオンガンドを忌み嫌うものにとって、レオンガンドに勝利をもたらす英雄ほど不愉快なものはいないのだ。故に謀反後、セツナが王都における住居とする隊舎に嫌がらせのようなことをしてはいないか、気になって仕方がなかった。なにもされなかったということは、謀反人の中には、その程度の小さな器の人間はいなかったということかもしれないし、ジゼルコートの統御が強力だったということなのかもしれない。

 セツナが気に入らないからと住居に嫌がらせをするのは、ジゼルコートの美学には合わないだろう。ジゼルコートのことをよく知っているわけではないが、なんとなく、そう想う。

 ゲインと使用人数名といったが、隊舎にはしばらく前からゲイン以外にも雑用係として使用人が数名、住んでいるのだ。

 それら使用人は、ゲインの調理を手伝うこともあれば、セツナたちが隊舎を離れている間、隊舎の保全に務める役割を持つ。いつセツナたちが帰ってきてもいいように、清潔さを維持するのがその主な役割だ。彼らは、セツナたちが帰ってきたことを知ると、満面の笑みで挨拶してくれたものだった。だれもが、マルディアと内乱におけるセツナたちの活躍を耳にし、興奮していた。

 彼らは、王立親衛隊の隊舎で働いていることに誇りを持っているらしく、そのおかげもあって隊舎の保存状態は完璧に近かった。どこもかしこも清潔であり、レムなどは、掃除のしようがないといって嘆いていた。

『戦いが終わったばかりなのに掃除したいの?』

 ミリュウの呆れ果てたような反応に、レムは笑っていったものだ。

『はい。わたくしに疲れはございませんので』

 レムは、実際、疲れなど知らないらしく、昨夜、王宮から隊舎に向かう道中も彼女だけが頼りだった。レムは、酒を飲まない。酒を飲んでも酔えないから、らしい。元々の体質なのか、死神となった影響なのかはわからない。通常人が酔わないはずはなく、おそらくは後者だろうが。

『酔っ払うことができたのだといたしましても、御主人様の手前、飲めませぬ』

 下僕であり、使用人らしく振る舞うことを心がけているレムらしい考え方を聞かされて、セツナは多少不憫に想ったものだ。皆が酔っている中、ひとりだけ素面というのはつまらなくはないのか。そんなだれかの質問に、彼女は微笑んだ記憶がある。

『はい。皆様が酔い潰れていくのを見届けるのもまた、わたくしの特権でございます故』

 レムの微笑に対し、質問者は乾いた笑いを浮かべていた。

 だれだったか定かではないのは、そのときすでにセツナは酔っ払っていたからだろう。

 ちなみに、隊舎で一夜を過ごしたのは、セツナ以下、《獅子の尾》の隊士たちと、シーラ、エスク、ドーリン、レミルに加え、グロリア=オウレリア、アスラ=ビューネルのふたりも隊舎に寝泊まりしている。どうやらグロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルは、このまま正式に《獅子の尾》配属となるようだった。ガンディア最高戦力である《獅子の尾》の増員は、《獅子の尾》そのものの増強に繋がるだけでなく、ガンディアの戦力の拡充にも繋がるため、問題はないだろう。

 もっとも、グロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルほどの実力者を《獅子の尾》に留め置くよりも、別部隊として運用したほうが効率がいいのは間違いなく、そのことをエインらに質問すると、彼は笑った。

『それはいつものことじゃないですか』

『戦力が必要なら、そのとき《獅子の尾》から借り出しますので、ご遠慮無く』

 エインとアレグリアの返答には、セツナも納得せざるを得なかった。

 そういえば、そうだ。《獅子の尾》は以前から、必ずしも隊としてひとまとまりで作戦行動しているわけではなかった。必要とあればばらばらになって戦場に赴き、それぞれの役割を果たしてきたのだ。今後もそういう運用法をするのであれば、《獅子の尾》に戦力が集中してもなんの心配もいらなかった。

 グロリア=オウレリア、アスラ=ビューネルについては、昨夜の宴の合間にそれぞれ紹介してもらい、ひととなりを多少なりとも知ることが出来ていた。

 グロリア=オウレリアはルウファの師匠であり、ルウファでも遠く及ばないほどの武装召喚師としての実力を持つ人物だ。毅然とした振る舞いは、さすがはルウファの師匠と思わせたものだ。しかしながら、彼女は弟子であるルウファに対する好意を一切隠しておらず、ルウファの婚約者エミルとの間で火花を散らせていた。

 ルウファは、婚約者と師匠に挟まれ、宴の間中、気苦労が絶えない様子だった。

『自業自得よね』

 ミリュウの評価にセツナは笑うに笑えない自分を認めたものだ。それをいうなら、自分のほうこそだ。いや、ルウファ以上に危うい状態にあるということを認識しているのだ。ルウファは、いい。結婚を約束した女性がいて、彼女のことだけを考えればいいのだから。自分はどうか。好意を寄せてくれる女性が多数いる。そしてその好意が並々ならぬものであることくらい、セツナにだってわかりすぎるくらいにわかっている。

 ファリア、ミリュウ、レム、シーラ。魔晶人形のウルクも、好意のようなもの感じさせる。マリアも、加えてもいいのだろう。

 彼女たちの限りない好意にはできるかぎり応えたいのだが、どうやって応えればいいのかがわからず、頭を悩ませる毎日だった。そして、その解決の糸口はまだ見つかっていない。永遠に見つからないかもしれない。皆を幸せにする方法。そればかりをセツナは考えている。考え無くてはならない。

 だれひとりとして不幸にしたくなかった。

 独り善がりな考え方なのは百も承知だ。

 それでも、自分に幸せを与えてくれるひとたちを幸せにしたいと想い、その実現のために考えることが悪いとは想えなかった。

 

 アスラ=ビューネルは、ミリュウの親類となる。

 ビューネルの家名からわかる通り、ザルワーンの支配階級だった五竜氏族の末席に連なるビューネル家の令嬢であった女性であり、ミリュウとともに魔龍窟に投げ入れられたという過去を持つ。ミリュウによって殺されたはずの彼女だったが、実は生きていて、ミリュウと戦い、今度こそ殺されることを夢見ていたらしい。

 しかし、ミリュウは彼女を殺さなかった。

 殺せなかったのだと、セツナは考えている。

 ミリュウは、激情家だ。感情が昂ぶればなにをしでかすかわからない危うさがあるものの、感情の激発が殺人にまでは至らないだろうという安心感もある。

 不安定な安心感とでもいうべきものがあるのだ。

 彼女は、実の父を殺さなければならないという考えのもと、動いていた。オリアン=リバイエンと名乗ったその男を殺すことが復讐であり、魔龍窟の呪縛を断ち切る唯一の方法だと信じていたのだ。しかし、ミリュウはオリアンを殺せなかった。

 父への愛が彼女の殺意を空転させた。

 それで、良かったのだ。

 そのとき、もし、彼女がオリアンを殺していれば、どうなっていたか。

 ミリュウは自分を許せなくなって、壊れたかもしれない。

 彼女は、根底が優しいのだ。その優しさが父殺しの罪を許せず、自壊したのではないか。

 ミリュウを見ていると、そう想う。

 絶対に許せないといい、心底憎んでいるはずの兄弟すら、結局のところ許してしまっているのが彼女なのだ。口では、許してなどいないとはいっていても、本当のところはどうか。聞けば、絶対にそんなことはないというだろうが。

 そういうミリュウだからこそ、アスラを殺せなかったのだ。

 そして、そんなミリュウだからこそ、アスラは姉のように慕い、降ることを決意したのだろう。

 アスラは、ミリュウとともにいられることを心底喜んでいた。

 そんなアスラを、ミリュウはまんざらでもなさそうにしていたものだ。

 ミリュウの心が少しでも安らぐのであれば、これほど嬉しいことはない。

 ミリュウもまた、セツナが幸せを願うひとりなのだから。

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