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第千四百七十四話 真なる黒

 夢の中にいる。

 なんの変哲もない夢を見ている。

 夢を見ているという意識があるということ自体、奇妙なことなのだが、そのことを不思議とは思わなかった。当然のように夢を夢として意識し、現実ではないのだと区別している。

 なぜならば電車に乗っていたからだ。二人がけの椅子に腰掛け、右手の窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めている。見知った風景のように想う。海沿い。抜けるような青空と雲の群れ。降り注ぐ陽光は穏やかで、海面はあざやかに輝いている。春と夏の合間。現実の季節に近い。

 隣の席の女性が肩に寄りかかってきたことで、彼はようやく、自分以外のひとが電車に乗っていることを意識した。隣の女性は、青みがかった髪が特徴的な美人だった。眼鏡を掛けている。瞼が閉じているところを見ると、寝ているようだった。どこか、知っている女性に似ている気がする。名前は思い出せないが、きっとそうだ。

 ふと、対面の席を見ると、そこにも知人によく似た女性が座っていた。それもふたりもだ。ひとりは赤毛の女で、ひとりは黒髪の少女だ。ふたりとも美人で、うつらうつらと頭を揺らしている。皆、眠っているようだった。

 別の席を見ると、そこにも知人によく似た女性の姿があった。白髪の女や金髪の大柄な女、栗色の髪の少女もいれば、灰色の髪の女もいる。知人によく似た女性ばかりが同乗した電車の中、翡翠色の髪の女の姿がなかったことに落胆を隠せなかった。

 せめて、夢の中でも、彼女と再会したかったのに――。

 そう想った矢先だった。

 電車が激しく揺れ、急停止した。轟音が響き、振動が体を貫く。気がついたときには吹き飛ばされていた。どういうわけか電車の外へと放り出された彼は、極彩色の世界が一瞬にして灰色に染まるのを目の当たりにした。海が消え、灰色の大地に覆われる。電車などあろうはずもない。知人によく似たひとたちも消え失せ、残された彼は、灰色一色の世界に着地する。

 夢と現の狭間。

 召喚武装の意志と触れ合うことのできる空間。

「……せっかくいい夢を見ていたのに、ね?」

 色気たっぷりの女の声が間近で聞こえた。気づくと、細くしなやかな指が彼の頬や首筋を這い、服の中に入り込み、下半身に及ぼうとしていた。

「なんだよ!?」

 振り解き、視線を巡らせると、女が驚いた顔をしていた。妖艶な魅力に満ちた女だった。端的にいえば美女だ。地面につくほどに長い黒髪と灰色の世界でも赤く輝く瞳が特徴的な女。その肉感たっぷりな肢体には、黒い布が巻きつけてあるだけのように見える。

「あら? もっといい夢を魅せてあげようと想ったのに」

 蠱惑的な目には、魔力がある。少なくとも見つめ合っていると骨抜きにされそうな危険性を感じて、彼は即座に目をそらした。なぜかはわからないが、そうするのが正解だと想ったのだ。そらした先には、男が座っていた。

「やめておけよ。困ってるだろ」

 灰色の大地に胡座をかいて座る男は、隆々たる体躯を誇っていた。鍛え上げられた肉体を黒い鎧で覆っている。黒髪に赤い目は、女と同じだ。

 それは、夢現の間によく現れる黒き矛の化身とでもいうべき男との共通点でもあった。

「困ることなんてないじゃない。どうせ夢よ? 目覚めれば忘れるような淡い出来事。なにをしたって、構わないでしょう?」

「だったらこのまま寝てても構わないよね……」

 さらに別の声に驚いてそちらを向くと、大きな枕を抱えた少年が地面に寝そべっていた。同じ黒髪だが、目を閉じているため、瞳の色はわからない。

「起きろよ、ばーか」

「ばかでいいから寝させて……」

 そういって、少年は抱きしめた枕に顔を埋めた。

「……なんなんだ?」

 彼は、小さな混乱の中にいることを認めた。ここが夢現の狭間であることはわかる。それは、よくあることだ。黒き矛の意志との接触であり、黒き矛と対話する数少ない機会だった。だが、黒き矛の化身は黒き竜か黒い男であって、美女や大男、少年などではなかったはずだ。

 彼らも、黒き矛の化身だとでもいうのか。

「なんだとはなんなのだ。我々がせっかく招集に応じたというに。近頃の人間は礼節も弁えぬと見る」

「近頃もなにも、人間なんてそんなものじゃない?」

「そうやもしれぬがな」

 低く嗄れた声の主は、黒髪の老人だった。骨と皮だけの体に黒衣を纏ったような姿の男の目は、ほかと同様、赤く輝いている。

「堅苦しいのは嫌われるわよ?」

「嫌われようとも構わぬ。元より好かれてなどいまい」

「あらあら、拗ねちゃって。かわいい」

 美女が、虚空を泳ぐようにして老人の元へと向かっていく。その際、彼女の背中から蝶の羽のようなものが生じていた。鱗粉が灰色の世界に舞う。幻想的な光景に見えなくはない。老人が眉をひそめた。

「……だれかあやつの口を縫い合わせろ」

「そんなの自分でやりなよー。怒られるの嫌だからねー」

 という少女の声に目を向ければ、またしても新しい人物が出現している。声の通りの少女だった。黒髪に赤い目は変わらない。どこか活発な印象を受ける少女で、膨張気味な頭髪がどことなく獣っぽく思えた。

「そうだな、自分のことは自分でやるべきだ」

 さらに別の人物だ。それは青年の姿をしていた。黒髪に赤い目の青年。たまに現れていた黒い男よりいくらか年上に思える。手足の長さが際立っている。

「……く」

「さあ、どうする? わたしの口を縫い合わせてみる? それとも、唇で、塞ぐ?」

「……付き合ってられんな」

 老人は、顔を間近まで近づけてきた女からどうやってかあっさりと遠ざかると、冷ややかに告げた。

「そんな冷たい態度、いやん」

 いやいやする女を遠目に見遣りながら、彼は茫然とせざるを得ない。状況についていけないのだ。

「……なんなんだよ、いったい」

「まだ、わかりませんか?」

 長身痩躯の黒い青年に、黒い大男が続けざまに聞いてくる。

「ここがどこなのか、それくらいはわかっているはずだな?」

「夢と現の間だろ」

「ご名答」

 青年がいうと、別のだれかが続けるようにいった。

「ここは夢と現の狭間」

「光と闇の境界」

「現実と幻想の交差点」

「わたしとあなたの世界」

 女の声は、真後ろから聞こえた。いつの間にか背後に移動していたらしく、艶めいた息吹に驚かされる。

「それは違うだろ」

「えー」

「えー、じゃねえ。話の腰をおるなっての」

「だってえ、寂しいしい」

 大男に叱られた女は、しょんぼりしながらも彼に手を出してくることは止めなかった。女の腕が絡みついてくるのを止められない。ミリュウよりもよほどなまめいて感じるのは、その女に遠慮というものがないからかもしれない。

「わかるかね。こんな賑やかな連中をひとつに纏める苦労というのが」

 嘆息にも似た声こそ、聞き慣れた黒い男のそれだった。声のした方向を見やると、黒い男が立ち尽くして、こちらを見ていた。黒髪に赤い目の男。黒き矛の化身として、幾度となく夢現の狭間に現れた男。

「……つまり、こいつらがあんたの眷属なんだな」

 彼は、男を見遣りながら、ため息をついた。

「こいつらって失礼ねえ。わたしとあなたの関係じゃない」

「いつ関係もったんだよ! っていうか、どんな関係だ!」

 叫びながら、やっとの思いで女の腕を振り払うことに成功する。しかし、女はへこたれもせず、むしろ愉快そうに笑いながら近づいてくる。

「それはこれからよ、こ・れ・か・ら。きっと楽しいわよ」

「……本当、大変だな」

 頭を抱えたくなったのは、その女がいままで触れ合ったどの女性よりも扱いづらいことが判明したからだ。掴みどころがない。ミリュウでさえ、この女よりも数段大人しく感じる。

「これらを統御するのに時間がかかったのだ。だれもかれも俺のいうことを聞こうともしない」

「そんなだから離反されたんじゃねえの?」

「そうかもしれない」

「認めるのかよ」

「これらも、俺そのものだからな」

「は?」

「俺の眷属。そういっただろう。眷属であり、俺の半身たち。それが彼らだ」

 そういって、黒い男は彼に周囲を見るようにと促した。彼は、促されるまま視線を巡らせると、まず、黒い女が視界に飛び込んできた。間近に立っていたからに他ならない。彼女は、艶然と微笑み、こういってきた。

「わたしはメイルオブドーター」

 彼女は、みずからの胸に手を当てた。すると、黒い衣が漆黒の鎧へと変化した。禍々しい悪魔のような黒鎧。黒き矛の眷属に相応しい形だった。

「俺はアックスオブアンビション」

 続いては、大男。手に凝縮した闇が大斧を形成する。破壊的で歪な斧刃が黒き矛を連装させた。黒き矛の眷属は、どれもどこか似たような印象を感じる。眷属だから当然といえば、当然だろう。

「我はマスクオブディスペア」

 黒い老人が、顔面に翳した手のうちに仮面が出現し、顔を覆い隠した。彼がよく知る黒い仮面そのものだった。何度か使用したことからも記憶に強く残っている。

「おいらはロッドオブエンヴィー……」

 寝ぼけ眼をこする少年の枕が漆黒の長杖へと変化していた。先端に異形の髑髏があしらった杖は、見るからに凶悪というほかない。

「ぼくはエッジオブサースト!」

 黒い少女の両手に一対の短刀が握られていた。黒一色の短刀がふた振り。ニーウェの召喚に応え、彼に苦戦を強いた召喚武装。その形状もよく覚えている。

「わたしがランスオブデザイア」

 そう告げてきたのは、黒い青年だ。長い腕の先に漆黒の大槍が出現している。穂先が螺旋を描く巨大な槍は、印象に残りやすく、覚えやすい。ついこの間召喚したばかりでもある。

 そして、彼の視線は一巡し、黒い男に戻る。

 黒い男の赤く光る目が、こちらを見据えていた。

「それで、あんたがカオスブリンガー」

「そうだよ。そう、おまえが名付けた。彼らもそうだ。それぞれにそう名付けられ、そう定義づけられた。名は、命。名は、力。名こそがすべて」

 黒い男が高らかに言い放つ言葉が音の波のように押し寄せてくる。圧力。震えるほどの感覚。手に汗が浮かぶ。

「本当のところは、どうなんだ?」

 彼は、問うた。

「あんたの正体――」

「知りたければ、堕ちてこい。わたしの元へ。墓穴の底へ。陰府よみへ――」

 黒い男が目を細めると、世界が震撼した。大地が震え、大気が揺れた。世界そのものが激しく震動し、立っていられなくなる。

「陰府……?」

 彼が男の言葉を反芻したときだった。轟音が鳴り響いたかと思うと、灰色の大地が割れ、土砂が吹き上がり、空が落ち、なにもかもが破壊の嵐に飲み込まれていった。灰色の世界に極彩色が入り乱れ、現実が雪崩込んでくる。夢と現実の狭間から、現実に引き戻されようとしているのだ。そして、それに抗う術などないということも知っている。夢現の狭間というのは、いつだって一方的だ。いつだって一方的に呼び寄せ、いつだって一方的に突き放す。もう慣れたことではあるが、納得の行かないことでもある。

 納得がいかないことは、目が覚めれば忘れてしまうことだってあるからだ。

 夢とは、そういうものだろう。

 そして、目が覚める。

 日が、窓から差し込んできていて、瞼を閉じていられなかった。開くと、視界に差し込む陽光の明るさに目を細めざるを得なかった。室内が明るい。窓の帳が開け放たれているからだ。そこから、陽の光が差し込んできている。東向きの窓。つまり、朝日だ。真夜中に眠ったはずなのに、朝日に間に合う時間に起きることができたのは、喜ぶべきなのかどうか。

 たっぷりと睡眠時間を取ることもできたし、許されたはずだった。もっとじっくり寝て、体力の回復を測るべきだったのではないか。そんなことを思うのだが、一度目が覚めてしまった以上、二度寝もできそうになかった。もったいないと感じてしまう自分がいる。

 妙に体が重い。疲労の蓄積のせいもあるだろう。昨日は凱旋ということもあって無理をしたが、今日一日くらいは無理をせず、ぼーっとしていてもいいかもしれない。

 ふと、他人の寝息が聞こえてきて、彼は、どきりとした。そして、ようやく思い出す。

「そういうことか……」

 体が妙に重いのは、体の上にだれかがのし掛かっているからだったのだ。ミリュウが胸に耳を当てるような格好で眠っていて、レムが彼の左腕を枕にしている。昨夜、酔い潰れて眠った記憶がある。そのあと、ミリュウが忍び込んできたのは想像に難くない。レムは。

「レム?」

「……おはようございます、御主人様」

 腕枕をした状態のまま、こちらに向いた彼女は、口元に手をあて、あくびをする素振りなどをしながら、平然といってきた。もちろん、彼女はミリュウと同じように布団の中に潜り込んできたわけではあるまい。なぜならば彼女は、寝間着などではなく、使用人としての服装に着替えていたからだ。おそらく、彼を起こすために部屋に入ってきたところ、彼とミリュウが心地よさそうに眠っているのを見て、ちょっかいを出したくなったのだろう。

 彼は、半眼になった。

「挨拶はいい。おまえ、なにしてんだ?」

「見て、わかりませんか?」

「ああ。わかんねえよ」

 彼が怒ったようにいうも、彼女にはまったく効果がなかった。いつもの笑顔のまま、当然のようにいってくる。

「御主人様との触れ合いにございます」

「触れ合い……?」

「はい。ラグナが不在のいま、御主人様のお心も寂しいのではないかと想いまして」

 レムは、上体を起こすと、そのようにいってきた。ラグナの役割をも果たそうとでもいうのだろうか。確かにラグナはいつも彼の側にいて、片時も離れなかった。話し相手になってくれることもあれば、彼が遊び相手になってやることで、彼自身の心が癒されることもしばしばだった。そのラグナは、命を落とした。いつか転生することは疑ってはいないものの、だからといって寂しさをすぐさま埋め合わせることはできない。それをレムが補おうというのだろう。

「……ああ、そう」

「お気に召しませんでした?」

「気遣い、感謝する」

 セツナが心から告げると、レムがこちらを見たまま両目を大きく見開いた。紅い瞳がいつになく綺麗だった。

「あ」

「なんだよ」

「いまの、ちょっと良かったですよ、御主人様」

「なにがだよ!」

 レムが褒めてきたことがまったく理解できず、セツナは叫ばざるを得なかった。すると、声が大きすぎたのか、ミリュウがもぞもぞと動いた。

「あれ……もう朝……?」

 寝ぼけ眼をこすりながら、彼の胸の上で顔を動かす彼女に対し、レムが真っ先に反応を示す。

「おはようございます、ミリュウ様」

「あ……おはよ……レム……」

 目覚めたばかりのミリュウの反応は、きわめて薄い。普段の彼女からは考えられないほどの弱々しさには、毎度のことながら驚かざるをえない。低血圧なのかもしれない。そんなことを想いながら、挨拶する。

「おはよう、ミリュウ」

「あー、セツナだー! おはよー!」

 レムに対するものとは打って変わった元気のよさに、セツナは、目を丸くした。低血圧ではなかったのか。

「なんなんだ」

「御主人様が不在の期間が長うございましたから」

「そういう問題か?」

「そーゆー問題よー」

 嬉しそうに頬ずりしてくる年上の女性に対し、彼は、なんともいえない表情になった。彼女からの愛情表現には慣れたとはいえ、嬉しいものではあることに違いはない。

「……まあ、いいや」

 凱旋翌日の朝は、そんな風にして迎えた。夢現の狭間での出来事など忘れてしまうほどの穏やかさが、なんともいいようのない充実感を与えてくれていた。

 王都で迎えるいつもの朝が戻ってきたのだ。

 なにもかも元通りというわけにはいかない。

 失ったものは大きく、得るものは少なかった。

 しかし、こうして王都で平和な朝を迎えるというのは、あまりにも幸福で、セツナは、こんな幸せがいつまでも続くものだと信じて疑わなかった。


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