第千四百七十三話 これから
「ようやく……終わったな」
レオンガンドが、ゆっくりと息を吐いたのは、凱旋の行進が終わったあと、王宮で開かれた戦勝祝賀の宴と、それに端を発するお祭り騒ぎが終了してからのことだった。王都全体を想像を絶するような騒ぎで包み込んだ宴は、王都市民――いや、王都に住んでいたすべてのひとびとの心に溜まっていた鬱憤を晴らすかのようであり、まさにお祭りといっていいほどのものとなった。ログナー戦争、ザルワーン戦争、クルセルク戦争後の祝賀でも、ここまでの騒ぎにはならなかった。
それはつまり、王都のひとびとがジゼルコートの謀反に対し、それだけ不安を抱き、レオンガンドたちによる解放を待ち侘びていたということの現れなのだ。レオンガンドは、凱旋の最中、王都市民に謝罪したが、それだけでは足りないと思ってもいた。逆賊を討ち、反乱は終息した。しかし、王都市民、いや、ガンディア国民に多大な不安を与え、不信感さえ芽生えさせたのは事実だ。謀反を起こさせるために遠征を行ったとはいえ、そのために国民を危険に晒したことを否定することはできない。国民感情を考えれば、謝罪してもしたりないのだ。
そして、謝罪だけで済む問題でもない。
今後、このようなことが二度と起きないようにしなければならず、そのためにもガンディア政府の意思統一を今度こそしっかりとしていかなければならない。
そんなことを考えながら、彼は、王宮の回廊を歩いていた。真夜中も真夜中だ。だれもが酔い潰れるなりして寝静まり、静寂が王宮を包み込んでいる。夜の闇が支配的ながらも、壁に設置された魔晶灯の冷ややかな光のおかげで足元に不安を感じることもない。
五月六日。
ケルンノール征討の翌日。
ジゼルコートをみずからの手で処断したときの感触がいまも手に残り、疼くようだった。熱を帯びている。忘れられるわけもない。忘れていいはずがない。叔父を討ったのだ。肉親を、この手で殺したのだ。ほかに方法はなかったとはいえ、許されることではない。
大罪。
いまさらだと嘲笑う声がした気がして、頭を振った。
回廊。ひとりで歩いているわけではない。側近がひとり、彼の後をついてきていた。ジルヴェール=ケルンノール。ジゼルコートの実の息子。ジゼルコートを征討するに当たって、レオンガンドは、彼を王都に残すことを真っ先に決めた。彼はジゼルコートを逆賊と罵倒し、討伐するべきだと息巻いていたが、彼の目の前で実の父親の命を奪うほど、レオンガンドも鬼ではなかった。彼には、そういう気遣いは無用に願うといわれたが、それだけは聞き入れられなかった。
肉親を討つのは、身を切るように辛いものだ。
レオンガンドは、王だ。ガンディアの最高権力者であり、最高責任者なのだ。すべての責は、自分にある。なればこそ、肉親を討つとなれば、みすからの手を使うことも辞さない。むしろ、すべての責任を負うためには、そうするべきだ。だれかに任せてはいけない。
だから、この手で終わらせたのだ。
ジゼルコートもそれを望んでいた。
「なにもかも、ようやくだ。長かった……」
静かに、深く、息を吐く。
マルディアを救援すると決め、それを利用して国内の敵対者を炙り出すという計画が発動して、随分時間がかかった。内患誘発策とでもいうべき策謀の発案者はエイン=ラジャールとアレグリア=シーンのふたりだ。ふたりの軍師候補は、ジゼルコートが真に敵なのか味方なのかを見極めるとともに、ほかにもいるであろうレオンガンドの政敵を炙り出し、一網打尽にしてしまおうと考えたのだ。そのためには、主戦力が長期間遠征に出ていることが必須だった。そこへ降ってわいたようなマルディアからの救援の要望があり、飛びついたのだ。そのために大会議を行ったのは、演出であり、また、敵の姿を浮き彫りにするためでもあった。レオンガンドら主流派が救援に賛成する場合、敵対勢力が行うのは反対以外にはない。実際、反対者のほとんどがジゼルコートの謀反に同調したものであり、大会議の当時からジゼルコートの息がかかっていたのはほぼ間違いなかった。
「マルディアから今日まで、長い戦いでした」
「ああ。しかしまさか、マルディアまでもが彼の協力者だとは思いも寄らなかったがな」
マルディアだけではない。ジベル、イシカ、アザーク、ラクシャまでもがジゼルコートに通じ、一斉に敵に回ったのだ。マルディアはレオンガンドたちの帰還を阻もうとし、イシカはサランを用いてレオンガンドを暗殺しようとした。ジベルはザルワーンを侵攻し、アザークとラクシャはジゼルコート軍の一員となった。
「そのマルディアですが、今朝、ユリウス殿下より書簡が届いておりました」
「ユリウス殿下からか」
「なんでも、マルディアは、我が方に正式に謝罪した上で、国交を結ぶことを熱望されておられるようです」
謝罪は、ジゼルコートに通じていたことに関して、だろう。結果的にマルディアはガンディアを欺き、罠にかけたも同じなのだ。レオンガンドたちはユノ王女らの協力もあって、たやすく窮地を脱することができたものの、マルディア政府の背信行為を看過することはできない。無論、ユリウス王子が政権を奪取したというのであれば、謝罪を受け入れ、交渉に応じるのは吝かではない。
「国交を結ぶ……か」
「悪くはないことかと」
「そうだな。ユグス王が退位されるのであれば、それも可能だろう」
ユグス・レイ=マルディアは、稀代の名君としてマルディアで国民の人気も高い人物だった。人格も政治力もあらゆる面が高水準に整った人物だったのだが、彼は、ガンディアの躍進に恐怖を抱いていたらしい。そこをジゼルコートに付け込まれた、とエインたちは見ている。ジゼルコートとともにレオンガンドを滅ぼすことができれば、ガンディアが北に膨張してくることはなく、マルディアが侵攻の脅威に曝されることはない。無意識に膨張した恐怖を消し去るためにユグスはジゼルコートと手を結んだのだ。
それは、いい。
そのことそれ自体は、レオンガンドは、別段、問題とは思わなかった。マルディアにはマルディアの、ユグスにはユグスの正義がある。その正義に従って行動することをとやかくいうつもりはなかったし、そのためにガンディアに救援要請するのもわからなくはない。策に嵌めるためだ。それくらいは理解しよう。
しかし、そのために自国が誇る精鋭部隊に反乱を起こさせ、国を二分にするなど、愚かにも程があると彼は想うのだ。
レオンガンドたちは、国内に巣食う敵を炙り出すために反乱を誘発させたが、ユグスは、国外からの侵攻の危機を未然に防ぐために国内で反乱を起こさせ、内乱に発展させていた。しかも、反乱を起こしたのは、マルディア最高の軍隊・聖石旅団であり、いかにガンディアが脅威とはいえ、そのために最高戦力をみずから手放すなど、考えられないことだった。内乱によって多数の死傷者が出ているという事実も、レオンガンドのユグス批判に拍車をかける。
似て非なるものだ、という自負が、レオンガンドの中にある。
もちろん、レオンガンドのやり方も手放しで褒められたものではない。そんなことは、わかっている。わかりきっている。内部の敵を一掃するために謀反を起こさせるなど、尋常ではない。しかし、今後のことを考えると、ここで一度血を流し、膿を出しておく必要があるのだと、判断した。
そしてそれは、レオンガンドひとりの考えではなかった。
ナーレス=ラグナホルンも、そう考えていたのだ。
「ユグス王は未だ退位を決断なされていないようですが……ユリウス殿下が実権を握っておられる限り、どうすることもできないでしょう」
「マルディアとは、上手くやっていきたいものだ」
「はい」
「ルシオンとも、ベレルともな」
難しいのは、ルシオンの扱いだ。ルシオンは同盟国でありながら、国王ハルベルク・レイ=ルシオンみずからが先頭に立ってジゼルコートに同調し、レオンガンドと敵対した。その事実が、ルシオンに親近感を抱いていたガンディア国民にとって衝撃的だったのは、いうまでもない。ハルベルク率いるルシオン軍は、マルダール、バルサー要塞、マルスール、マイラムまでも制圧し、ジゼルコートら反乱軍の勢力拡大に大いに貢献しており、レオンガンドがハルベルクの裏切りが仕方のないものであったと明言しても、ルシオンに対する疑念や不信感を拭い去ることはできないだろう。
だが、レオンガンドは、ルシオンとの関係を修復したいと考えていたし、その点については両軍師候補からも賛成意見を貰っている。ルシオンは長年、ガンディアと同盟を結び、支えてくれていた国だ。ハルベルクの裏切りは正直信じられなかったし、信じたくなかったことであり、いまもそのことが苦しみとなってレオンガンドの心に残っているのだが、それはそれとして、ルシオンを許さず、攻め滅ぼす、などということはできそうになかった。
そもそも、内乱が終息したばかりなのだ。人的被害は少なく抑えられたものの、疲弊しているのは事実だった。即座に戦闘行動に出られるはずもない。ジゼルコートの謀反に賛同した国々に対し、強く出ること自体、難しい話だった。
そしてなにより、ルシオンの現在の代表は、レオンガンドの実の妹リノンクレアなのだ。国王亡き今、王妃が国の頂点に立つのは当然のことだ。彼女の心労を思えば、ガンディアの態度を軟化させざるをえないのは、兄として当たり前の反応だった。それが家族の情というものだろう。
もちろん、情だけでルシオンに甘くするわけではない。ルシオンは、マルディア救援においても戦力となり、ガンディア本土の奪還においても活躍している。ハルベルクはレオンガンドを裏切ったが、ハルベルク亡き後のルシオンはレオンガンドの力となったのだ。ルシオンの協力がなければ、マルダール奪還戦は苦戦することになっていた可能性が高い。そういう点を鑑みれば、ルシオンへの処罰を軽くするのも問題ではないはずだった。今後のこともある。
リノンクレアを頂点とするルシオンがガンディアを裏切るようなことはあるまい。
ベレルは、処断を下すまでもなかった。ベレルは、王女イスラを人質に取られたことで、ジゼルコートの命令に従わざるを得なくなり、レオンガンドの支配下から離れた。しかし、それだけだった。それ以上のことは、なにもしなかったのだ。攻撃してくることもなければ、ジゼルコート軍の一員となることもなかった。それは、エリウスの働きによるところが大きい。
ジゼルコートの謀反が失敗に終わったあとのことを考えていたエリウスは、戦後、ベレルの立場が悪くならないよう、イスラを人質に取りながらも、ベレルになんの行動も起こさせなかったのだ。ただ、従わせただけだった。もし、王女を人質に取られたからといって、ベレルの軍勢がレオンガンド軍に攻撃を仕掛けてきたとすれば、ただでは済まなかっただろう。
エリウスは、戦後のガンディアとベレルの関係が悪化しないように注意深く行動したのだ。その行動をジゼルコートに咎められなかったのは、エリウスが彼の信頼を勝ち取っていたからにほかならない。命がけの行動ではあっただろうが。
そういうエリウスの命がけの行いを無碍にするつもりもなく、レオンガンドは、ベレルとは変わらぬ付き合いをしていくつもりだった。
「はい。しかし」
「わかっている」
ジベル、イシカの両同盟国、アザーク、ラクシャの両従属国に対する処遇は、考えなければならない。イシカはレオンガンド暗殺を目論み、ジベルはザルワーン方面に侵攻し、ナグラシアとスルークを制圧した。アザークとラクシャは、従属そのものがレオンガンドを欺くための策であり、最初から従うつもりもなかったのだ。これら四国は、戦中レオンガンドに服したルシオンとはわけが違う。
「明日から大変だぞ」
レオンガンドが告げると、ジルヴェールは苦笑を浮かべた。それら四国の処遇だけでなく、ガンディア国内の様々な物事についても頭を悩ませることになるのが目に見えているからだ。
人事を刷新する必要に迫られている。
反乱に参加したものの多くは、死んだ。中にはガンディアの国政に携わる政治家も多数いて、それらを失った穴埋めをしなければならなかった。また、マルディア救援からガンディア奪還までの長い戦いにおける論功行賞も必要だ。国土を広げる戦いではなかったが、戦功に応じて褒賞しなければ、兵士たちはなんのために戦ったのかわからないだろう。
国を奪還するという大目的のためとはいえ、無償では、せっかくの忠誠心を無碍にされたも同じだ。そんなことをすれば、軍に不満が蔓延することだろう。やっとの思いでレオンガンドの敵を国内から一掃したというのに、軍人に敵を作ってどうするというのか。
馬鹿げたことだ。
そんなことのために再び内乱が起こるようでは、レオンガンドが国王失格といっているようなものだ。