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第千四百七十二話 宴の席(二)

「結局、美味しいところは弟子に持って行かれた不甲斐ない師匠に一言」

 ルクス=ヴェインが自棄になってぼやいたのは、酒が回り始めていたからなのかもしれない。

 凱旋後、王宮大広間で開かれた戦勝祝賀の宴には、傭兵局の主要人員も招待されており、レオンガンド王みずからが開宴の挨拶を行うということもあって、ルクスはシグルドたちとともに大広間に入っていた。しかし、レオンガンドの挨拶が終わると、シグルドはそそくさと大広間を後にしたので、ルクスもそれに習った。シグルドたちが向かった先には、《蒼き風》と《紅き羽》の団員、そして“剣聖”トラン=カルギリウスが待っていた。

 シグルドは、大広間で正規軍人や文官、貴族たちのご機嫌取りにも似たようなことをして回るより、荒くれ者揃いの傭兵たちと酒を酌み交わし、盛り上がりたいと考えていたのだ。戦勝祝賀の宴は、今宵、王都ガンディオンの至る所で繰り広げられていた。王都市民が謀反による長期間に及ぶ戒厳令の鬱憤を発散するべく、王都中で大騒ぎに騒いでおり、宴もそんな中で開かれている。

 だれもが勝利の宴に酔い痴れていたし、ルクスも酒をあおりにあおり、めずらしく酔い始めている自分に気づいていた。たまになら、こういう夜があってもいいのではないかと想う。

「ま、やれるだけのことはやったんだ。別に問題はないだろ?」

「そうですね。君は君にできるだけのことはやったと想いますよ」

 シグルドは鳥の丸焼きをかっ喰らいながら、ジンはマルディアから持ち帰ってきたという果実酒に目を細めながら、それぞれにいってきた。

「……はは、ふたりの優しさに涙が出るよ」

 ルクスがそんなふたりの反応に適当に相槌を打っていると、どこからともなく圧を感じた。

「泣きたいなら泣いてもいいのよ? あたしの胸で」

 ルクスの肩にしなだれかかり、酒のにおいを漂わせてきたのは、だれあろうベネディクト=フィットラインだ。《紅き羽》の女団長は、いつもの重武装から解き放たれ、女性らしい衣服を身に纏っており、いつにない色香を漂わせている。

「おい、この酔っぱらいどうにかしてくれ」

「だれが酔っ払いなのよお」

 ルクスの反応が気に入らなかったのか、ベネディクトが真っ赤な顔を極端に近づけて、睨んでくる。完全に酔っ払っているのだが、本人に自覚はないらしい。

「どこをどう見ても絡み酒の真っ只中じゃないか」

「どこが絡み酒なのかしっかりと教えてほしいものだわ~」

 ベネディクトは、ルクスの隣に椅子を引き寄せると、おもむろに腰を下ろした。そして、ルクスの胸に顔を埋めるようにした。酔っていることをいいことに好き放題やっているという印象だ。ベネディクトは文句のない美人なのだが、酒を飲むと所構わずルクスに絡んでくるところが厄介だった。しかも、ベネディクトは歴戦の猛者であり、傭兵団長ということもあって、だれひとりとして酔った彼女を諌めようとしないのだ。酔っ払っても迷惑を被るのはルクスくらいしかいないという考えがあるのかもしれない。

 ガンディアに協力する二大傭兵団が酒宴を開いているのは、王宮区画の中ではなく、旧市街にある歓楽街の一角であり、数百人の傭兵たちが入り乱れていた。《蒼き風》と《紅き羽》の関係は決して悪くはない。《紅き羽》の団長が《蒼き風》の突撃隊長にぞっこんということもあるのだが、何度となく同じ戦場を経験してきたことが大きい。互いに尊重し合う間柄なのだ。両傭兵団の団員たちが肩を組んで歌を歌ったり、酒の飲み比べをしている光景は、なんとも微笑ましい。とはいえ。

「だれも助けてくれようともしねえ……どうなってんだか」

 ルクスが途方に暮れていると、鳥の丸焼きを食べ終えたシグルドがにやにやと笑いかけてきた。

「皆、おまえらを応援してるんだろ」

「なんで!?」

「まあ、所帯を持つのは悪いことではありませんし」

 とは、ジン。彼は素知らぬ顔だ。すると、ベネディクトがむくりと顔をあげて、ルクスを抱きすくめてきた。

「そうよそうよ、あなたの大好きな団長たちだってそういってるんだからあ、そろそろ覚悟を決めて、あたしと結婚しちゃいなよお。幸せにするからあ」

「……あのねえ」

「もう、ルクスったら、本当、焦らしたがりなんだから……」

 彼女は、よくわからないことをいってくると、ルクスの頬を指で突いてきた。そして、力なく胸に顔を埋め、流れ落ちるように膝の上に移動した。ルクスは、そんな彼女の様子を茫然と見ていたが、苦笑とともに受け入れる他ないとも想った。

「……寝ちゃった」

「酔いが回り過ぎたか。残念だ」

「なにを残念がってるんですかねえ」

「おまえがベネディクトと結婚したら、色々おもしろいと想うんだがな」

「なにが面白いんだか」

 ルクスがそういいながら酒を口にすると、シグルドは、ただこちらを見ていた。野生の猛獣を思わせる容貌は、いつ見ても惚れ惚れする。いつだって獲物を探しているような瞳が彼の本質を表しているように思えてならない。シグルドは根っからの戦士なのだ。戦士であることが彼のすべてであり、その事実がルクスをここにいさせるのかもしれない。

「きっと、いい家族になれると想うがな」

「団長こそ、結婚相手探さないと」

 ルクスが話題を振ると、彼は手を振って否定した。

「俺ァ、いいよ」

「よくないっす。部下に結婚勧めておいて、自分は独身を貫くなんて虫の良い話、あるわけないっす」

「《蒼き風》が俺の家族みたいなもんだからな」

 シグルドの一言に、ルクスは息を止めた。家族。その一言が心に刺さる。

「家庭を持つ必要なんざ、ねえのさ」

「……そういわれると」

「なにもいえないでしょう?」

 月明かりの中で、ジンが微笑んでいる。めずらしく眼鏡を外した副団長は、シグルドに比べて酔いが回っているように見えた。

「だから、シグに結婚を勧めようにも、ねえ」

「シグ……か。懐かしい呼び名じゃねえか」

「こういう夜なら、構わないだろう?」

 ジンのシグルドに対するいつもと異なる振る舞いは、ふたりの関係の深さを見せるようだった。ジンとシグルドは、ルクスよりもよほど古い付き合いだ。シグルドが《蒼き風》の団長になる前からの知り合いであり、そのことはジンはシグルドのことをシグと呼んでいた、という話は以前に聞いて知っている。ルクスがふたりと出会う少し前のことらしい。

「ああ……酔っ払ってるからな」

 シグルドが少しばかり嬉しそうな表情を浮かべた。ジンは普段、副団長として振る舞うことを心がけている。どのような場であっても、副団長として一歩引いた発言を行うのだ。シグルドにとっては、それは少し寂しいことだったのかもしれない。

 だからこそ、なのか。

「家族……か」

「家族を持てば、傭兵稼業なんざとっととやめて、どこぞの国にでも仕官しようとするものだろうさ。だれだってな。俺だって、そうするかもしれない。だから、結婚なんざしねえ。《蒼き風》っていう家族を見捨てるこたあできねえからよお」

「さすが団長。団のことを第一に考えてる」

「そりゃあな。俺の一存でガンディアに与し続けてきたんだ。最後まで面倒を見なきゃ、嘘だろ」

「同感」

 ジンが窓の外を眺めながら、いった。月光に照らされた彼の横顔は、いつになく柔らかな微笑を称えている。

(そういうあなたたちだから、俺は)

 ルクスは、シグルドとジンというふたりの大恩人と酒を酌み交わしていられるという幸福の中で、目を伏せた。ルクスの膝を枕に寝入っている女傭兵の顔が視界に入る。彼女のことも、嫌いではない。結婚するのも悪くはないと想う。ただ、幸せにすることができないから、応えてあげられない。

 そのことは、今回の戦いでよくわかった。

 マクスウェル=アルキエルとの戦いで、だ。

 絶大な力を誇った悪魔の如き召喚武装は、《獅子の尾》だけではどうにもならず、ウルク、カイン=ヴィーヴル、“剣聖”トラン=カルギリウス、そしてルクスが参戦することとなった。それでもなお、マクスウェルの悪魔は暴威を振るい続け、ルクスたちは劣勢に立たされたのだ。あれほどまでの強敵と直接相対したことは、ルクスが生まれてこの方、一度もなかった。いままで対峙したどの敵よりも圧倒的に強い、十三騎士よりも遥かにだ。竜の呼吸法と召喚武装を用いても倒し切ることができない相手など、そういるものではなかった。

 彼は、覚悟を決めなければならなかった。

 でなければ、シグルドやジンを失うことになりかねない。

 彼にとって、シグルドとジンほど大切なひとはいなかった。ふたりを失うくらいなら、自分の命を投げ捨てたほうが遥かにましだ。そう思えるほどに、ふたりのことを大切に思っていたし、そのために彼は決意したのだ。

「決意が無駄になってしまった……」

「ん?」

 シグルドに聞き咎められて、ルクスははっとした。まさか、声に出ているとは想っていなかったからだ。相当酔っているらしい。

「こっちの話」

「なんだよ」

「弟子にいいところ持って行かれたって話」

「またかよ」

 シグルドが呆れたように笑う。

 そんな笑顔を護るためならば、と、ルクスは想う。

 決意と覚悟。

 シグルドとジンのふたりを失うわけには、いかない。

 ふたりは、特別だ。ルクスにとって数少ない特別。ベネディクトも特別に親しい間柄ではあるが、ふたりにはかなうはずもない。ルクスにとってシグルドとジンは、人生そのものだ。だから、ふたりのためならば命を燃やすことくらい容易いことだ。

 しかし、その場面を見誤ってはならない。

 命はひとつしかない。

 そのたったひとつの命をどのように使うか。

 使い方を間違えれば、無駄に消耗するだけだ。無意味に死ぬだけだ。そして、肝心なときにふたりを守れなくなる。

(命の使い所……か)

 それが、マクスウェル=アルキエルとの戦いだと想っていた。

 絶望的な状況の中、ルクスは最終手段を用いようとした。それさえ発動すれば、状況はいくらでも好転しうるはずだった。グレイブストーンの能力。ただ一度、その発現を見たことがある。それは絶望を覆し、希望を与えるものだった。

 だからこそ、ルクスは、マクスウェル=アルキエルに対して、それを使おうとした。

 だが、その必要はなかった。

 セツナが巨人とともに現れ、マクスウェル=アルキエルを一蹴してしまったからだ。呆気ないほどの幕切れに、ルクスたちは言葉を失ったものだ。

 そして、察した。グレイブストーンの出番は、まだだったのだ、と。

 もし、あのとき、グレイブストーンの能力を発動していれば、ルクスは命を無駄にしていただろう。セツナが倒してくれたのだから、ルクスが命を費やしたことは無意味になる。彼の到着がもう少し後だったならば、きっと、ルクスは命を燃やし、無駄死にしていたに違いない。

 そういう意味では、セツナには感謝していた。

 グレイブストーンを使わずに済んだということは、つぎにまた絶望的な状況が訪れたとき、ルクスの出番があるということだ。

 もっとも、そのような状況が訪れない可能性も皆無ではないし、ガンディアが躍進を続ける限りは、そちらのほうが可能性としては高いだろう。

 マクスウェル=アルキエルのような化け物は、そういるものではあるまい。


 トランはひとり、酒を飲んでいる。

 マルディアで敗れて以来、彼は傭兵として、ガンディアと契約を結んでいた。元々、マルディアの反乱軍と契約したのも傭兵としてであり、反乱軍がマルディアから脱出してしまった以上、反乱軍との契約を守る必要はなくなっていた。反乱軍は勝手にマルディアを脱してしまったのだ。トランたちに詫びのひとつもなかった。傭兵など捨て駒にすればいいという考えがあったのだとしても不思議ではない。反乱軍のトランたちへの評価は、著しく低かったことを覚えている。

 もっとも、トランがガンディア軍との契約に応じたのは、アニャン=リヨン、クユン=ベセリアスのことが大きかった。ふたりは骨折していて、療養に専念しなければならなかったのだ。ふたりを置いて、自分だけ反乱軍の後を追うことなどできるわけもない。トランにとってふたりは大切な弟子だ。

 ガンディア軍がふたりの療養に力を貸してくれるという話は、とても魅力的だった。

 そして、ガンディア軍と契約を結べば、ベノアガルドの騎士団と戦えるかもしれないということもあった。

 それもまた、彼にとっては魅力というほかない。

 戦いこそがすべてだった。

 騎士団の中でも十三騎士と呼ばれる騎士の実力は、マルディアの戦いで見て、知っている。黒き矛のセツナに匹敵する実力者たち。彼らと剣を交えることなど、反乱軍に属している限りは不可能なことだ。無論、ガンディア軍に属するということは、逆に黒き矛とは戦えなくなるということではあったが、弟子ふたりのことを考えると、どちらがいいかは言うまでもない。

 もっとも、騎士団騎士と戦うという彼の希望は、かなうことがはなかったが。

 ガンディアで謀反が起き、ガンディア軍は、謀反人を討つべく軍を返した。

 トランもそれに同道し、今日まで走り続けてきたのだ。

 長い戦いだったが、得るものはあった。

 ルクス=ヴェインという逸材を見出すことができたのだ。そのことは、なによりも大きい。そして、それによって、彼がガンディア軍に降ったことが間違いではないということに確信が持てたのだ。

 彼ほどの才能と実力を有した人材は、そういるものではない。

 類稀な才能とそれを存分に発揮しうる肉体。

 稀有といってよかった。

 彼は、竜の呼吸を見様見真似で体得してしまったのだ。トラン自身、ドラゴンと戯れるうちに自然と身についたものではあったが、一朝一夕に体得したわけではない。その極めて独特で、人間の体では再現し難い呼吸方法は、長い年月を費やして体に馴染ませる必要があった。それなのに、ルクスは少し見ただけで真似をしてみせたのだ。その事実を理解したときほどの衝撃と驚きは、トランの人生始まって以来のものだった。

 幼き日、ドラゴンと遭遇したとき以上の衝撃といっていい。

 それほどの才能の持ち主とともに戦場を駆けることができるのは、彼にとって望外の喜びであり、弟子たちがいない寂しさも紛れた。

 彼がどこまで上り詰めるのだろう。どこまで駆け上がり続け、ついには人間の限界をも超越するのではないか。そう考えるだけで気分は高揚し、酒が旨く感じられた。

 酒が苦手な自分には極めて珍しいことだと、トランは想った。


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