第千四百七十一話 宴の席
ジゼルコートの死によって、ジゼルコートの謀反に端を発する内乱は、幕を閉じた。
レオンガンド率いるガンディア解放軍・征討軍は見事に勝利を収め、ガンディアをジゼルコートら反逆者の手から取り戻すことに成功したのだ。
ケルンノールに赴いていた征討軍が王都に帰還を果たすと、物凄まじいまでのひとびとによる出迎えを受けた。ジゼルコートを征伐したという報せが先に届いていたということもある。
五月六日の早朝のことだ。
夜明け前にもかかわらず、王都市民は総出になって征討軍の凱旋に沸き立った。新市街、旧市街、群臣街、王宮区画に至るまで、煌々と明かりが灯され、どこもかしこもレオンガンドの勝利を喜ぶ声で満ち溢れていた。夜の都を紙吹雪が舞い踊り、歓声が響き渡る。
『皆、君の顔を見たがっているだろう』
レオンガンドに背中を押されるようにして、セツナは、《獅子の尾》の部下とともに凱旋の行進の中にいた。馬に跨り、沿道のひとびとに手を振る。だれもかれも満面の笑顔で、セツナたちに声援を贈ってくれていた。
「セツナ様!」
「ガンディアの英雄様だ!」
「セツナ様ー素敵よー!」
「黒き矛だあああ!」
様々な声が耳に届く。心の篭った数多の声援。胸に響き、心に残る。寒空の下、眠い目をこすりながら声援を送る子どもたちの姿に胸を打たれる。黎明。本当ならだれもが眠っているような時間帯だった。にも関わらず、王都のひとびとは、征討軍の凱旋のために飛び起き、歓声を上げているのだ。だれもが、レオンガンドの勝利とガンディアの正常化を喜んでいる。
謀反が起きてから一ヶ月半もの間、ジゼルコートら反逆者に支配されていたのだ。反逆者たちが王都市民に問題を起こすということはなかったものの、戒厳令が敷かれ、自由に出歩くことさえ許されなかったということもあって、不満や不安が蓄積していたのは間違いなさそうだ。その点、レオンガンドの治世が戻れば、そういった不満や不安からは開放されるのだ。だれもが元の生活に戻ることができる。それだけで喜びに包まれている。
歓声は、無論、セツナひとりに向けられるものだけではない。《獅子の尾》全体を賞賛する声もあれば、ファリアやミリュウ、ルウファへの歓声もある。シーラへの声援もあれば、レムまでもが名を上げられ、彼女はきょとんとしていた。
「下僕たるわたしにまで声援を送っていただけるなんて、感謝感激でございます」
「そりゃあ、あなただって活躍してるんだし、当然よね?」
「ああ、当たり前のことさ」
レムが喜ぶ姿が嬉しかったのは、彼女がガンディアの一員であることを素直に受け入れてくれているという事実があるからかもしれない。
凱旋の行進は、昼まで続いた。
行進の最中、レオンガンドによる反乱終息の宣言が行われた。
レオンガンドは、旧市街と新市街の間に聳える城壁の前で行進を一時的に停止させると、用意されていた演説台に登った。王立親衛隊の三隊が演説台を囲み、群衆がその周囲を埋め尽くす。
「ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールは、わたしの叔父であり、予てよりこの国を陰ながら支え続けていた大人物だということは、諸君も知ってのことだろう。彼無くしてはこの国は立ち行かなかったことは事実である。不世出の政治家であり、彼ほどの政治家はそういるものではない。故にわたしは彼を領伯に任じた。しかし、彼はわたしの期待を裏切り、信頼を踏み躙った。謀反を起こしたのだ。彼はあろうことか、アザーク、ラクシャ、ジベル、イシカ、マルディア、ベノアガルドと結託し、ガンディアを混乱に陥れただけでなく、わたしを亡き者にし、ガンディアを手中に収めんとした」
レオンガンドは、ジゼルコートに結託した国の中にルシオンを上げなかった。ルシオンの王妃リノンクレアはレオンガンドの最愛の妹であり、夫を失い、傷心の彼女のことを想い、また、今後のルシオンとの関係を考え、上げなかったのだろう。もちろん、王都のひとびとがルシオンの裏切りを知らないわけはないのだが、国王の発言は重みが違う。
「ジゼルコートが謀反を起こした当初、我々はマルディア救援の最中であったことは諸君も知っているだろう。我々は早急に逆賊を討つべく、軍を返した。その際、ベノアガルドの騎士団による追撃を受けたが、それをたったひとりで持ち堪えたのが、だれあろう我らが英雄セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドである!」
レオンガンドがセツナを名指しすると、ひときわ大きな歓声が巻き起こり、拍手喝采に包まれた。セツナは、努めて無表情を維持していたが、それもいつまで持つかわからないといった感覚があった。
「英雄セツナの活躍により、我々は騎士団に戦力を割く必要に迫られることなく、マルディアを脱し、ガンディア本土に戻ってくることができたのだ。そのまま王都を奪還したことは、諸君の記憶にも新しいだろう」
ガンディオン奪還に至るまでの様々な戦いを省略したのは、それらを説明するとなると話が異様に長くなりかねないからだろう。セツナが皆から聞いた限りでは、マルスール、バルサー要塞、マルダールで戦闘があったという。また、シーラはアバードに残り、レムはザルワーンに残ってそれぞれ戦闘をこなしたという話だった。それらを網羅すれば、とんでもない長さの演説になる。
レオンガンドは、演説など簡潔に済ませるべきだという考えの持ち主であり、演説に時間をかけるのは非合理的だと想っているようなのだ。
「王都を奪還した我々は、ジゼルコートの同調者、支持者らを一掃し、首謀者たるジゼルコートもケルンノールにおいて征伐に成功したことをここに報告申し上げる!」
レオンガンドの演説に群衆が沸き立つ。
「我らが勝利したのだ!」
歓声が上がる。
「王都に住む、いや、ガンディア国内に住むすべての人々には不安を抱かれたたことだと想う。ジゼルコートの謀反が成功し、ガンディアが反逆者らの手によってでたらめにされるのではないかと恐れていたものもいるだろう。しかし、我らは勝った。我々は、今後もどのような敵にも屈することなく立ち向かい、国民の平穏と国家の安寧を守り抜くとここに誓い、約束する!」
レオンガンドの宣誓が響き渡ると、群衆の中から割れんばかりの拍手が鳴り響き、レオンガンド――いや、ガンディアそのものを称える声が満ち溢れた。それこそ、演説の間は沈黙し、レオンガンドの声に意識を集中していた老人から、寝ぼけ眼をこすっていた子供に至るまで、その場に居合わせたすべてのひとがガンディアの将来は明るいものだと確信するとともに、レオンガンドの約束を信じた。
確かに王都は制圧され、ガンディアは半ばまで反逆者の手に落ちたが、レオンガンド率いる解放軍によって瞬く間に奪還されたという事実が王都市民に宣誓を信じさせたのだろう。
「獅子に誇りを!」
観衆の中のひとりが叫ぶと、
『獅子に誇りを!』
皆が一斉に続いた。
ガンディア軍が士気高揚のために唱える一句は、瞬く間に王都中に拡散し、その日はどこもかしこもその一句で溢れかえったという。
セツナたちは、そんな歓声と拍手の中で、自分の戦いは無駄ではなかったのだと想った。それは、ラグナの犠牲が絶対に無意味ではなかった、という確信でもある。あのとき、ラグナがセツナを外に転送してくれたからこそ、セツナはいま、凱旋の空気の中に身を置くことができているのだ。
もし、ラグナとともにフェイルリングらと戦うという選択肢を取っていたとすれば、セツナはこの場にはいられなかっただろう。それだけではない。マクスウェル=アルキエルによってファリアたちが倒され、レオンガンドたちまでもが倒されていた可能性までもあった。マクスウェルの召喚武装はそれほどまでの力を持っており、だからこそセツナがグリフとともに一蹴したことをいまも取り沙汰されるのだ。
『いいところばっかり掻っ攫っていくのは、だれの弟子なんだ?』
戦後、ルクスからの皮肉めいた一言には返す言葉もなかった。
そのルクスだが、無論、傭兵団《蒼き風》の一員として凱旋に参加している。銀髪の“剣鬼”は、その容姿と実力から女性人気が高く、彼の周囲には黄色い声が上がっていたものだ。
ルクスだけではない。《蒼き風》も《紅き羽》も、クルセルク方面軍、ルシオン軍といった征討軍に参加した軍団だけでなく、王都に留まっていた各軍団も参加しており、凱旋の行進はとんでもない規模となっていた。
レオンガンドの演説と宣誓は、その最後を飾ったわけではない。
これから旧市街、群臣街を巡り、王宮区画に至り、王宮に到着してようやく終了というてはずになっている。
(ここからが長いぞ)
演説台を降りる際のレオンガンドの囁きに、セツナは苦笑を漏らした。こういうときにレオンガンドの本音を聞けるのは、王立親衛隊の醍醐味かもしれない。
凱旋の行進は、日が暮れるまで続いた。
そして王宮に辿り着いた一行を待っていたのは、戦勝を祝う宴であり、王宮大広間を中心に繰り広げられた宴は夜中まで続いた。だれもかれも疲れ果てているというのに、飲み、歌い、騒ぐのは別問題だといわんばかりに大騒ぎに騒いだ。
マルディア救援から続いた長い戦いがようやく終わったのだ。数ヶ月に渡る戦い。ここ数年で最大規模の戦いだったのは疑うまでもない。だれもが戦いの終わりを喜び、互いを労り、生き残ったことを称え合っていた。
無論、何万もの人間が王宮に入れるわけもなく、宴は、王宮のみならず、王都全体で開催されたといってもいいような状態だったという。
セツナたちは王宮から出ることはできなかったが、聞いた話によれば、群臣街、旧市街、新市街のどこもかしこもがお祭り騒ぎであり、平民も軍人も文官も関係なしに入り乱れ、大いに騒いでいたのだという。
反乱が終息し、敵対者が潰え去ったいま、ガンディアには明るい未来図しかない。
王都中が湧き立ち、お祭り騒ぎになるのも致し方のないことだったし、むしろ、そうやってガンディオンが盛り上がることを政府側が仕組んでいる節さえあった。反乱から解放までの長い間、王都には沈鬱な空気が流れ、王都市民の間には不安や不満、鬱憤が蓄積していたという。そういった暗い感情を押し留めたままでは、いつか爆発し、ガンディアに牙を剥くかもしれない。そうならないためにも、鬱積した感情を発散させるように仕向けるのは、政治の常套手段だと、エインが囁くようにいってきたものだ。
セツナは、エインからそんな話を聞いたりしながら、宴を満喫した。ファリアがいて、ミリュウがいる。いつものようにセツナの両隣に陣取り、宮廷料理に舌鼓をうっている。レムも当然いるが、彼女は使用人の如く振る舞い、セツナたちの席に料理や酒を運ぶことに執念を燃やしているかのようだった。
シーラもいる。彼女は黒獣隊の部下がいないことを悲しんでいたが、仕方がないことではある。彼女の部下はまだアバードにいるはずだ。
「どうせなら、あいつらも転移に巻き込んでくれりゃあよかったのに」
酒に酔ったのか、顔を赤くしたシーラがもらした言葉は、本音ではあったのだろう。彼女としては、部下たちを労いたいと想っているに違いない。
「同感だ」
とは、エスク。彼も酒をたらふく飲み、赤ら顔になっていたが、酩酊状態には程遠そうだった。酔い潰れたレミルがエスクの肩に頭を乗せていて、その姿が実に絵になっていた。
「俺の部下も転移に巻き込んでくれりゃあねえ」
「そうはいうがなあ」
黒き矛の空間転移は、望んで発動したものではなかった。暴走に近い。無意識に発動し、無差別に転移を起こした。転移先にたまたま偶然シーラやレムがいて、偶発的に巻き込んでしまっただけのことなのだ。セツナがみずからの意志で転移を起こしたわけでも、皆を巻き込んだわけでもないのだ。
「わかってはいますがねえ」
「そうだ。あいつらのために、また宴、開いてやってくんねえか?」
「それくらいならお安い御用さ」
セツナがシーラの提案を了承すると、彼女は満面のえみを浮かべた。
「さっすが俺の領伯様だ」
「だれがあんたのなのよ。あたしの、セツナなんだからね」
ミリュウが、シーラの笑顔を警戒したのか、セツナの腕を引き寄せながら口を尖らせた。すると、隣に座っていたアスラが、にこやかに口を開いた。
「それはつまるところ、わたくしのお姉さまの、セツナ様、なのですね」
「そういうこと……って、なんであたしがあなたのものになってるのよ」
「うふふ。そういう決まりなのです」
「なにがよ!」
にこにこしているだけのアスラに対して、ミリュウは、怒るに怒れないといった対応だった。そんなミリュウを見るのは、なんだか不思議な気がした。
「なんだか、仲がいいな」
「妹みたいに接してたらしいし」
「そういや、そんな風に言ってたな」
「嫉妬した?」
「なんで」
「ミリュウを取られそうだから」
「ねえよ」
「なにが、ないのかしらね」
面白そうに笑うファリアに対し、セツナは憮然とするほかなかった。本当にその通りだ。なにが、ないというのだろう。なにを否定しているのだろう。自分でもよくわからなかった。
ルウファはエミルとグロリアのふたりに迫られ、困り果てていて、アスラはミリュウの側でにこにこしている。グロリアとアスラが味方になっていることについては、とくに疑問もなかった。ガンディアは、降した敵を味方に引き込むことで戦力を増強してきている。ルウファの師匠とミリュウの知人ならば、味方になったとしても不思議ではなかった。
ウルクも、いる。が、魔晶人形たる彼女は食事などしなければ、酒を呑むこともない。ただ、ミドガルドの器に定期的に酒を注いだり、こちらの話に割り込んでくるくらいだ。
マリアもいる。王宮で合流した彼女は、ファリアたちの負傷具合を見て、恐ろしいほどに美しい笑顔を浮かべ、むしろファリアたちを畏れさせた。
『戦勝祝賀ということで、いまはなにもいわないであ・げ・る』
『うわーい、かんようだなー』
『さすがはガンディアいちのめいい……』
マリアの笑顔の奥に潜む怒りにだれもが戦々恐々となり、ほとんど関係のないセツナまでもが恐れ慄いた。
ラグナだけが、いない。
頭の上に、手を触れる。
そこには、以前なら、誰に対しても偉そうにしている化け物がいるはずだった。国王に対しても不遜な態度を改めようともしない万物の霊長は、こういう宴の席にあっても、同じように振る舞っていただろう。しかし、そんな彼女をだれも悪く思わない。彼女といがみ合っていたのは、エスクくらいだ。レオンガンドですら、愛嬌に満ちた彼女の不遜さを気に入っていた。
セツナも、だ。
こういうときにこそ、彼女の存在感が凄まじかったことを思い知るのだ。ラグナとレムやミリュウのやり取りこそが、セツナには癒やしに等しかった。
「また、逢えるわよ」
「うん」
ファリアが、囁くように告げてきた一言に、セツナは、ただ小さくうなずいた。
宴は続く。