第千四百六十九話 ラグナのこと(二)
「ラグナが……死んだ?」
ファリアが理解できないとでもいうように、きょとんとした顔をしていた。ミリュウも同じだ。
「嘘でしょ?」
「悪い冗談はよせよ、あいつがそんな簡単に死ぬたまかよ」
「そうよ、ラグナが死ぬなんて考えられないわ!」
シーラもミリュウも納得できないという反応だった。彼女たちの反応は理解できないではない。ラグナは、ドラゴンなのだ。圧倒的な生命力を誇る万物の霊長。かつて大陸北部では神の如く崇められていたといわれるほどの生物だ。その上ラグナは転生竜と呼ばれる特別なドラゴンであり、その力はこの場にいるアスラ以外のだれもが知るところだ。
「御主人様……いったい、どういうことなのでございます?」
レムだけが、受け入れている反応だった。
「本当に、死んだんだよ」
セツナは、皆の視線を受け止めながら、うめくようにいった。
「俺を助けるために、死んだんだ」
衝撃のあまり言葉を失った一同に対し、セツナは、静かにありのままを伝えた。
サントレアで殿軍を務めたセツナとラグナ、そしてグリフに待ち受けていた戦いの苛烈さについて。戦いの最中、シド・ザン=ルーファウスが真躯と呼ばれる形態を披露し、セツナを圧倒したこと。そして、真躯形態のシドに敗れ、ベノアに囚われていたことも、伝えた。
レオンガンドを始め、その場にいただれもが、セツナの話に驚いていた。驚くしかないだろう。まさか、セツナが騎士団に敗れ、ベノアに軟禁されていたなどとは思うまい。ベノアでの暮らしについては詳しくは語らなかったものの、黒き矛を取り戻すためには騎士団の言いなりにならざるを得なかったということも伝えた。
「なるほど……黒き矛が確保されていたから、ベノアから抜け出せなかったのね」
「ああ」
黒き矛が自由に召喚できるのであれば、ラグナの魔法を最大限利用してでもベノアを脱出し、ベノアガルドから抜け出すために奔走したのだが、そういうわけにはいかなかった。黒き矛を確保されたままでは、戦うに戦えない。眷属は召喚できたし、その能力も使えたのだが、それだけではどうにもならない。眷属は眷属でしかない。ランスオブデザイアもエッッジオブサーストもたしかに強力だが、完全体となった黒き矛には遠く及ばないのだ。
だからこそ、奪還する必要があった。
そのためにラグナが死ぬことになったのだという事実を告げて、言葉が詰まった。
神卓会議における騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースとの交渉、救世神ミヴューラとの邂逅は省略した。そこに踏み込むとなると、話がややこしくなる。いま話すべきは、ラグナのことについてだ。
ラグナがなぜ死ななければならなかったのか。
セツナは、深い痛みの中で、伝えた。
黒き矛を奪還することに成功したセツナは、ラグナが招集したドラゴンの背に乗って、ベノアから脱出しようとした。しかし、ベノアは十三騎士が作り出したものらしい結界に覆われており、脱出することはかなわなかった。真躯形態となったフェイルリングに追い詰められたとき、ラグナが出した結論、それが彼女の命を賭した転移魔法の発動だということを伝えると、馬車の中は沈黙に包まれた。
緑衣の女皇と呼ばれるほどのドラゴンの力をもってしても、十三騎士の結界を突破するのは困難であり、彼女が命を代償としなければセツナひとり結界を脱出することもできなかった。
言葉にして説明したことで、セツナは改めて、ラグナを失った痛みを覚えた。埋めようのない喪失感と、取り戻すことのできない後悔。いまさら悔いたところでどうにもならないのだが、そういう感情ばかりが浮かび上がり、意識を苛む。
「そんなことがあったのね……」
ファリアが睫毛を伏せて、つぶやいた。ファリアにとっても、それ以外の皆にとっても、ラグナはいまや大切な仲間となっているはずだった。昨年の五月五日から一年近く一緒にいて、軽口を叩きあったり、死線を潜り抜けてきた仲間なのだ。それぞれに思い出があるのは、明白だった。
「ラグナが……セツナを護るために、か」
ミリュウはなにか考え込むような顔をし、シーラが過去に思いを馳せるような表情を見せた。
「……ラグナ。あいつ、セツナのこと大好きだったもんな」
「ええ。それにラグナは御主人様の下僕弐号にございます。下僕たるもの、己の命に変えてでも主の身を護るのは当然のこと」
レムが当たり前のことのようにいってきた言葉が、セツナの耳には突き刺さるように痛かった。
「レム……そうはいうがな。俺は――」
「御主人様。ラグナは従僕として当たり前のことをしただけのことなのです。たとえわたくしが強く言いつけずとも、ラグナならば、必ずや同じことをしたはずです。ラグナは、わたくしの後輩。先輩として教育に努めてきた自負がありますから」
レムがにこやかに告げてくる。確かにラグナはセツナの従者となってからというもの、レムを先輩と仰ぎ、様々なことを教わっていたようではあった。もっとも、それでラグナの普段の言動が変わるようなことはなく、いつだって人間を見下していることに違いはない。それでいて、人間のことを嫌っているわけでもないのがラグナなのだ。
「御主人様。どうか、ラグナがみずからの命を費やして守った命、大切にしてくださいませ。そしてどうか、ラグナの行動を褒め称えてあげてくださいませ」
「褒め称える……」
反芻した言葉の意味こそ理解できたものの、納得はできなかった。
「そうでございます。ラグナは、下僕として最良の判断をした。主の身を護ることこそ、従僕たるものの勤め。なれば、ラグナの死をただ嘆き悲しむなど、侮辱以外のなにものでもございません。ラグナは、御主人様に憐れみを乞うために命を捨てたわけではないのですから」
「侮辱……か」
「はい。それこそ、下僕たるものの本懐で御座いますもの。その死を否定することなどあるべきではございませぬ」
まるで何年も、何十年もの長きに渡ってセツナの下僕であり続けているかのようなレムの発言には、ただ驚かされる。レムは元来、そういう種類の人間ではなかった。ジベルの暗躍機関・死神部隊の死神であり、そのような考え方とは無縁の存在だったはずだ。それがいつのまにか従者として、下僕として一人前の考え方の持ち主になっていた。彼女が使用人のように振る舞うようになったのは、彼女の悪い冗談が最初だった。それが板についてしまった、とでもいうのだろうか。
いずれにせよ、セツナは、レムの意見によって自分の青さを見つめ直さなければならないと想った。ラグナの死を正面から受け止め、受け入れ、認め、その上で前に進まなければならないということもわかっている。
「ラグナが再び生を得て、わたくしどもの前に現れた時、御主人様が嘆いておられたなどということを伝えれば、大笑いに笑うでしょう。いえ、激しく怒るかもしれませんね」
「そうよ。ラグナは転生竜なんでしょ。また、生まれ変わるんでしょ?」
「……ああ。きっと」
確信はないものの、セツナは力強くうなずいた。転生竜。そのようなものがこの世界に存在する事自体不思議であり、神秘というほかないのだが、ラグナが一度死に、即座に転生したのをセツナはこの目で見ている。これまで何度となく転生してきたというラグナの言に嘘はあるまい。彼女のいうことに多少の誇張はあっても、偽りはなかった。いつだって本当のことをいうのがラグナなのだ。だから、あのときいった不安も、本心なのだろう。しかし、セツナはラグナが再び転生することを信じていたし、そのときには必ず見つけ出すつもりでいた。
そう、約束したのだ。
頭を振り、雑念を払う。ラグナを失ったことに対する考え方が、纏まり始めている。それもこれも、しっかりとした考えを持つ仲間がいてくれたおかげだろう。ひとりでは、考えが凝り固まり、抱え込み続けていたかもしれない。
「ラグナはまた、生まれ変わる。あいつのことだから、俺達のことなんて忘れちまってるかもしれないけどさ」
「どうかしらね。ラグナ、セツナのこと、忘れないと思うな」
「俺もそう思うぜ」
ファリアとシーラの笑顔に、セツナは救われる想いがした。レムも微笑んでいる。
「ちゃんと、探し出してあげないとね」
「当たり前だ」
セツナは、ミリュウの言葉に力強くうなずいた。
「約束したからな」
ラグナと最後に交わした約束。
たとえ何年、何十年かかっても、必ず迎えに行く。
そう、約束したのだ。
約束は果たさなければならない。
それがセツナの生き方だ。