第千四百六十八話 ラグナのこと
「それにしても、よく戻って来てくれたな、セツナ」
レオンガンドが改めてセツナに向かい合ったのは、廃墟と化したジゼルコート邸を包み込んでいた炎を消し去ってからのことだった。燃え盛る炎がなにもかもを焼き尽くし、ジゼルコートとソニア=レンダールの亡骸も灼かれ尽くした。残ったのは燃え尽きた廃墟であり、熱気と焦げ付いたにおいが辺り一帯に充満していた。
ジゼルコートとソニア=レンダールの骨は、軍によって回収され、埋葬されることになっており、ソニア=レンダールの召喚武装ウェイブレイドに関しては、軍の所有物となる。廃墟はそのまま放置されることになっているらしい。ケルンノールの高原の一角。人里からは遠く離れており、立て直す必要性も薄いからだ。無論、ケルンノールの持ち主がこの屋敷を立て直したとしても何ら問題はないとのことだが。
抜けるような青空の下、なにもかもが燃え尽きた世界で、セツナたちは戦いが終わったことを実感していた。セツナに至っては、数日に渡って続いた戦闘がようやく終わり、いまになって消耗と疲れを感じている。
レオンガンドの目を見つめ返しながらもなにもいえなかったのは、疲労困憊だったからというのも、ある。
「君のおかげだ。なにもかも」
「そんなこと……ありませんよ」
「謙遜するな。君がマクスウェル=アルキエルを倒してくれたのは事実だ」
レオンガンドが庭の一点を見やった。ジゼルコート邸の前庭と思しき空間は、ファリアたちの戦闘やセツナとグリフの衝突によってでたらめに破壊されてしまっている。原型などどこにも残っていないに違いなかった。地面が半球形に大きくえぐれ、無数の亀裂が走り、岩石が隆起したりしている。その中に黒い鎧の破片とでもいうようなものがいくつか転がっていた。セツナがグリフとともに倒した化け物の残骸だろう。レオンガンドは、どうやらそれを見ている。
「マクスウェル=アルキエル……?」
「君が巨人を倒す前に倒した相手だよ」
「ああ……あれですか」
あまり印象に残っていないのは、グリフとの戦いに全神経を集中していたからにほかならない。黒い怪物のようなものがいたのは覚えているのだが、それがいったいなんなのか、結局わからずじまいだった。グリフとの戦闘の邪魔になるから倒しただけのことだ。そして、それはグリフにとっても同じことだったらしく、グリフとセツナの攻撃がマクスウェルなる人物を打ちのめした。
「ベルたちでさえ苦戦してたんだ。君が来なかったら、どうなっていたか」
「そうだったんですか……」
セツナには、なんだかよくわからない話だった。気がついたらこの場所に転移していて、マクスウェル=アルキエルとやらを倒していたのだ。マクスウェルがそれほどまでに強いとは想像もつかなかったし、ファリアたちが苦戦していたなど想いも寄らなかった。しかし、よくよく思い返してみると、ファリアたちは皆、戦闘の最中だったようであり、負傷したり、激しく消耗している様子だったのは確かだ。
見回すと、皆、傷だらけだった。ファリアも、ミリュウも、シーラも、エスクも、ルクスも、トランも、ウルクさえもだ。皆、負傷している。それほどまでに激しく厳しい戦闘を繰り広げていたということなのだろう。
と、背後から伸びてきた腕が首に絡みつき。ミリュウの肉感的な肢体の圧を背中に感じ取る。鎧の感触ではない。おそらく、マクスウェルとの戦闘で破壊されでもしたのだろう。それほどの強敵だったということだ。
「そうなのよお、あたしの魔法も全然効かなかったの」
「魔法?」
「あたしとセツナの愛の結晶よお」
「はあ?」
セツナは、彼女の顔を横目に見ながら、生返事を浮かべた。彼女がわけのわからないことを言い出すのはいつものことだ。無論、魔法がなんなのか、すぐに見当がついた。ヘイル砦を破壊したラヴァーソウルの能力のことだろう。詳細については知らないが、あとで教えてもらえばいい。そこまで考えて、愕然とする。砦を完膚なきまでに破壊するほどの力が、マクスウェル=アルキエルなる人物には通用しなかったとは、いったいどういうことなのか。
「なにが愛の結晶なんだよ」
「そうでございます。愛の結晶とは、わたくしのことでございます」
「なんでそうなるんだよ」
シーラとレムのやり取りに、セツナはなんだかほっとする。戦いが終わったからこそ、気の抜けたような会話ができるのだ。レムは、無傷だ。不思議なことにメイド服も傷ひとつ見当たらなかった。ファリアたちと一緒に戦ったわけではないのだろうか。
「セツナ、無事ですか?」
と、声をかけてきたのはウルクだ。
「ああ、見ての通り。へとへとだがな」
「では、いますぐ休息に入られることをお薦め致します」
「そりゃあそうなんだけどな」
背後にいたミリュウが首筋に絡めていた腕を、ゆっくりと左腕に巻きつけるのを認識しながら、ウルクを見つめる。灰色の髪の美女は、相も変わらぬ無表情でこちらを見据えていた。
ウルクはウルクで、躯体の各所を損傷しているようだった。魔晶人形の躯体を覆う精霊合金製の装甲は、ちょっとやそっとのことでは傷つかないというのがミドガルド=ウェハラムの自慢だったが、十三騎士の攻撃やマクスウェル=アルキエルの攻撃には耐えきれないらしかった。それでも完全に破壊されているわけではない上、行動そのものに支障はなさそうだった。
「……そうだな。セツナも君たちもゆっくりと休むべきだな。戦いは終わったんだ。時間はたっぷりとある」
レオンガンドの提案に、左腕が強く引っ張られた。ミリュウだ。
「さっすが陛下。話がわかるー」
「あなたねえ、陛下に失礼だと思わないの?」
「失礼のないようにしていますけどー?」
「どこがよ!」
ファリアが口を尖らせてミリュウに怒鳴ると、ミリュウがセツナの背後に隠れた。すると、ファリアは、なんともいいようのない表情になって、頭を振った。あっさりと諦めたらしい。彼女も疲れている。疲労が、言動にあらわれていた。ファリアだけではない。だれもが消耗し尽くし、疲労している。
「まったく……君の周りはいつも賑やかだな」
「ははは……」
セツナは、なんともいいようのない疲れの中で、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
ケルンノ―ルを後にする。
一万を超す大軍勢のうち、千五百ほどと国王側近ケリウス=マグナートがケルンノールに残り、事後処理を行うことになった。残りの全軍は、一路、王都に帰還することとなり、高原を降りていった。
無論、セツナたちもケルンノールを去り、王都へと向かう道中にあった。
道中、セツナたちは一台の馬車の荷台に詰め込まれた。セツナ、ファリア、ミリュウ、レム、シーラに加え、ウルク、アスラまでもが一台の馬車の荷台を埋め尽くすかのように同乗していた。それはセツナが望んでそうなったわけではなく、セツナ以外の皆がつぎつぎと乗り込んできたからそうなったのだ。セツナとしては移動中くらいゆっくりしたかったのだが、仕方のないことだった。皆と逢うのは、一月半ぶりといっても過言ではないのだ。彼女たちのわがままに付き合うのも、悪くはない。
ルクスは《蒼き風》のシグルドたちの元へ戻り、エスクはレミルやドーリンと別の馬車に乗り込んでいる。ルウファはグロリアと一緒に別の馬車だ。ルウファにとっては辛い帰路になるだろう、とはミリュウの言葉だが、どういうことなのかよくわからない。
道中、マクスウェル=アルキエルとの戦いがいかに苛烈だったのか、ファリアとミリュウ、アスラに力説され、セツナは、レオンガンドによる賞賛の意味を理解した。マクスウェル=アルキエルの召喚武装は、黒き矛でも倒せないのではないかと思わせるほど凶悪だったという。二十年の長きに渡って継ぎ足された呪文と術式の多重構築が召喚した化け物。それがマクスウェル=アルキエルの“時の悪魔”だという。グロリア=オウレリア、アスラ=ビューネルを加えた《獅子の尾》でも倒しきれず、“剣鬼”、“剣聖”、魔晶人形、カイン=ヴィーヴルを投入しても、苦戦する一方だったらしい。
だれもが絶望しかけたとき、セツナとグリフが現れ、一蹴してしまった。
そのことにファリアたちはただただ唖然としたものだという。
その話の中で、シーラとレム、エスクたちがマクスウェル=アルキエルとの戦いに参加していなかったことを知った。どうやら、シーラたちはセツナとグリフの空間転移に巻き込まれて、ここまで連れてこられたらしい。シーラはアバードのヴァルターにいて、レムとエスクたちはザルワーン方面でジベル軍を警戒していたとき、突如としてセツナとグリフが出現し、気が付くと転移に巻き込まれていたという。そのまま連続的な転移に巻き込まれ続け、ここまで連れてこられたのだということだった。
セツナにとっては寝耳に水の話といってもよかった。
そもそも、グリフとの戦闘中の空間転移は、予期せぬ出来事だった。少なくともセツナが望んで起こした現象ではない。グリフとの戦闘当初、黒き矛は眠ったままだったのだ。能力に頼る戦い方はできないと覚悟し、応戦した。黒き矛が突如として目覚め、能力を発動したのは、グリフのとの戦闘が激化する中でのことであり、意図したものではなかった。無意識に発動し、グリフとともに大陸各地を転々としたのだ。
無意識とはいえシーラやレムを巻き込んでしまったことを謝ると、ふたりはむしろ終戦を一緒に迎えられることができたことが嬉しかったといった。セツナの転移に巻き込まれなければ、彼女たちが終戦を知ることができるのはしばらく先のことになったのは間違いない。
だからといって、無意識に無関係なものを巻き込んでしまったことは反省しなければならない。怒りに駆られ、我を忘れてはいけないのだ。どんなときも、常に冷静に対処しなければならない。たとえラグナを失い、そのことに打ちひしがれていたのだとしても。
「あれ……?」
ミリュウが疑問符を浮かべたのは、そういった話が終わってからのことだった。
静かに揺れる荷台の中で、セツナは、人目もはばからず寝転がっていたが、ミリュウの不思議そうな視線に気づき、体を起こした。数日あまり戦い続けていたこともあって、セツナは自分が憔悴しきっていることを知っていた。疲労と消耗で大変な状態なのだが、眠気はなく、眠ろうとしてもまったく眠れない状態だった。疲れすぎて、脳が興奮していたりでもするのかもしれない。
「ん? どうかしたのか?」
「ずっと気になってんだけど」
ミリュウは、セツナとその周りをじろじろと見回しながら、尋ねてきた。
「ラグナはどこにいるの?」
ミリュウの疑問に、荷台に乗り合わせた一同が同じような反応をする。
「そういやそうだな」
「どこかに隠れてるんでしょ」
「ラグナらしいといえばらしいけど」
「ラグナのことですから」
シーラがうなずき、ファリアが苦笑を浮かべると、ミリュウは納得出来ないといった顔をする。レムはファリアの意見に理解を示したが。
「ラグナは……あいつは……」
セツナは、手が震えるのを自覚して、言葉を飲み込んだ。なんといえばいいのか。なにをいえばいいのか。どう説明すればいいのか。いろいろな考えが脳裏を過る。ベノアで見た彼女の姿。死を恐れることなど知らなかった転生竜が最後に覗かせた恐怖心。想い。閃光のように浮かんで、消える。言葉。感情。光――。
散々悩んだ末、彼は口を開いた。
「――死んだよ」
言葉にすれば、それを認めることになる。だが、避けては通れぬことだ。認めなければならない。事実なのだ。
ラグナシア=エルム・ドラースは、死んだ。
セツナを護るために。