第千四百六十七話 真の勝利者(二)
ジゼルコートとルシオンの女騎士ソニア=レンダールの亡骸は、燃え盛るジゼルコート邸の残骸とともに炎と消えた。
みずから謀反人として、大罪人として討たれることを望んだジゼルコートは、王家の人間として丁重に葬られることを拒むだろう――レオンガンドのどこか寂しげな一言により、そのまま火葬されることとなった。ジゼルコートに半身とまでいわれた女の亡骸とともに。
「彼が謀反を起こしたのは、この国のためだ」
レオンガンドは、天に向かって燃え上がる炎を見遣りながら、いった。ジゼルコート邸の残骸の中になにがあったのか、廃墟を包み込む炎の勢いはいや増すばかりだった。
「このガンディアが膨張を続ける上で抱え込んでしまった問題を解決するには、ここで一度足を止め、ゆっくりと時間をかけながら調整していくべきだ、というのが、彼の考えだった。ガンディアの政治の中枢を担っていた彼には、わたし以上にこの国が内包する問題が見えていたのだろう。国が拡大するということは、人口が増大するということであり、抱え込む問題が増えるということでもあるのだ。これまで上手く行っていたのは、彼のような優秀な政治家がいたからだが、それでも表面化していないだけで様々な問題を抱えていたのだろう」
レオンガンドの語る言葉のひとつひとつをしっかりと聞きながら、燃え盛る炎を見ている。紅蓮と燃える炎の中にジゼルコートの亡骸があるのだろうが、それもじきに燃えて尽きるに違いない。もちろん、すべてが焼き尽くされるわけではない。骨などは残るだろう。
ジゼルコートの言動には、セツナには理解できないことが多かった。
「彼の考えもわかるのだ。わたしとて、時間さえ許すのであれば、そうしたい。国政に力を注ぎ、ガンディアを強く、雄々しく育て上げたい。しかしな」
熱風が頬を撫でる。
「そういうわけにはいかないのだ」
レオンガンドが強く頭を振った。
「この小国家群が直面した問題を先送りにすることなどできない。残された時間がどれほどあるのかもわからないのだ。内政にかまけている間に三大勢力が動き出せばそれで終わりだ。動き出した瞬間、小国家群は終わる。なにもかもな。だから、急がねばならん。一刻を争うのだ」
再三、いわれてきたことだ。
このワーグラーン大陸には、三つの大勢力がある。ひとつは、大陸北部を席巻するヴァシュタリア共同体、ひとつは、大陸西部を支配する神聖ディール王国、ひとつは、大陸東部を制圧するザイオン帝国。それぞれが大陸小国家群と同程度の領土を持ち、相応の国力、軍事力を誇るという。数百年、沈黙を保ち続けているものの、いつその沈黙が破られるのかはだれにもわからないのだ。
「一日でも早く小国家群を統一しなければ、ガンディアのみならず、数多の小国家が三大勢力に飲み込まれ、歴史の影に沈むことになる」
三大勢力のいずれかが小国家群を支配するために動き出せば、残りの二勢力も黙ってはいられない。当然だろう。出し抜かれ、先に勢力を伸ばされれば、それだけで厄介なことになる。遅れを取ることなどできまい。三大勢力が小国家群を巡る大戦争を起こせば、それで終わる。小国家群の総力を上げればいずれかの国に対抗することくらいはできるかもしれない。だが、三大勢力すべてを抑えることなどできるわけもないのだ。
「彼も、それがわかっていたのだ。だから、わたしにそのことを進言しても無意味だと悟った。わたしが聞く耳など持たないということも知っていたのだ。わたしを諌めたところで意味は無いとな。わたしは小国家群統一こそが小国家群を救う唯一の道だと思っているのだから、当然だ。彼は、よくわかっていた」
「だからって謀反を起こして、どうなるというんですか」
「そうだな。どうなったのだろうな」
レオンガンドが苦笑を交えつつ、空を仰いだ。
「彼が勝利したとして、出来上がった国はどうなっていたのだろう」
遠い目。
レオンガンドにもジゼルコートの考えはわからないのか。
「彼は、小国家群統一を即座に撤回し、ガンディア国内の整備に勤しんだだろうな。国内の雑多な問題を片付け、その上で、ひとつの国として歴史を積み上げることだけを考えていたのかもしれない。彼は政治家だ。外征など考えもしなくなったかもしれないな。そういう意味では、住みやすい国にはなった可能性もある」
無論、と彼は付け足した。
「三大勢力が動き出すまでの間だけだがな」
もっとも、三大勢力がこの先数百年、沈黙と続けている可能性もないとは言い切れない。数百年、眠りこけているのだ。このまま、均衡を崩さないよう、眠り続けることだって考えられる。とはいえ、その可能性は大きくはない。神聖ディール王国は、魔晶人形など魔晶兵器の開発を推し進めているし、ザイオン帝国も武装召喚師の育成期間を備え、戦備を整えつつある。ヴァシュタリアの様子こそわからないが、それら二勢力が整えた戦力でもって小国家群に乗り出してくるようなことがあれば、ヴァシュタリアも黙ってはいないだろう。
ヴァシュタリア共同体の頂点に立つ神子ヴァーラはクオンの同一存在であり、クオンはヴァーラと合一するというようなことを手紙に書いていたが、合一を果たしたクオン(ヴァーラ)が、二勢力の膨張を放置するとは考えにくい。ヴァシュタリアも三大勢力の一角を担っているのだ。均衡を維持するためには最低でも同程度の勢力は必要だし、また、その戦乱に乗じて最大の勢力になろうとするのであれば、本腰を入れなくてはならない。たとえヴァーラがクオンなのだとしても、ヴァシュタリアの意向を決定することができるとは、考えにくかった。
「……しかし、彼は敗れた。わたしの前に、敗れ去った。わたしは勝ったのだ。多くの犠牲を払い、得るものなどなにもなかったが……確かに勝ったのだ」
レオンガンドは、何度も、勝ったとつぶやいた。まるで無理にでも自分を納得させるべく、言い聞かせているような口ぶりだった。
「だが……わたしの勝利さえも彼の思惑通りだったのだとすれば、どうだ」
「え?」
セツナは、予想だにしないレオンガンドの言葉に驚いた。
「彼がいっていただろう。この国がひとつにまとまることができたと」
「でも、負け惜しみって……」
「それはそうだがな……しかし、彼がわたしの敵をひとつに纏め上げたのは事実なのだ。無論、わたしに謀反を起こすのだから、わたしの敵を集めるのは当然のことだが、彼の政治力は、ガンディア中の反レオンガンド主義者をひとつにすることができた。この謀反が半ばまで成功していたのは、その成果もあったのだろうな。やはり彼の政治力は並大抵ではなかったということだ」
ジゼルコートの政治家としての手腕の凄まじさについては、軍師ナーレスさえ舌を巻くほどのものであり、先王シウスクラウドが病に倒れてからレオンガンドが王位につくまでの間、影の王としてガンディアを支え続けたのも、ザルワーン戦争以降のガンディアを支え続けたのも彼だった。彼がいなければガンディアはもう少し違った形になっていただろう、とは、ナーレスの言葉だ。それだけに、彼が敵ではないことを祈るものも多かった。レオンガンド自身がそうであるようにだ。
「そして、そのおかげで、わたしはこの国からわたしの敵を完璧に近く排除することができた。一掃することができたのだ。それもこれも、ジゼルコートのおかげというほかない。デイオン将軍とエリウス――ナーレスのおかげもあるがな」
「ナーレスさん?」
「ああ……その話は、あとでしよう」
レオンガンドが、ゆっくりと頭を振る。そして彼は、燃え盛る廃墟に視線を戻した。なにもかも焼き尽くされ、もはや燃えるものもなくなりつつある。燃えているのは敷地内だけであり、敷地の外に燃え移りそうなものは見当たらない。ジゼルコート邸は、高原に佇む一軒家なのだ。周囲に人家はなく、延焼する危険性は少なかった。高原の草花に燃え移る可能性はあるが、そのときはセツナが黒き矛を用いればいい。
黒き矛は、炎を吸収することができる。
「ともかく、彼は、ジゼルコートは、叔父は……自分が敗北した場合のことも考えていたということだ。彼はそれを負け惜しみといっていたが――負け惜しみなどであるものか」
レオンガンドの目は、炎の中を見据えていた。
「彼もまた、勝利者なのだ。みずからを断罪させることで目的を果たしたのだからな」
炎の中で燃え尽きていったであろうジゼルコートのことを見ていたのかもしれない。