第千四百五十九話 時の悪魔(三)
「こんなものか? ファリア・ベルファリア=アスラリア」
マクスウェル=アルキエルの鎧の膨張は、止まっていた。
だが、膨張が止まったからといって苛烈な攻撃が止むことはなかった。黒い嵐が巻き起こり、黒き怪物を中心とした周囲が徹底的に蹂躙され、近づくこともままならなければ、遠距離攻撃も通用しなかった。ファリアの雷撃もルウファたちの風弾、羽弾、竜巻も一切効果が及ばない。マクスウェル本人に到達する前にかき消されてしまうのだ。そして、反撃が来る。避けることに意識を割かなければならない以上、攻撃にすべての意識を集中させるということはできなかった。そんなことをすればマクスウェル=アルキエルの反撃によって致命傷を受けることになる。ただでさえ負傷をおして戦場に出てきているというのに、これ以上の深手を負うわけにはいかなかった。
「こんなものが戦女神の孫娘の力か!」
怒号とともに、マクスウェル=アルキエルの背から伸びる無数の尾が一塊になって襲い掛かってくる。ファリアは、クリスタルビットを展開して尾の進路を阻害し、右に飛んだ。クリスタルビットが粉砕されたものの、回避には成功する。物凄まじい速度と破壊力。ただ飛ぶだけでは回避しきれなかっただろう。
「ただの孫娘ですもの。戦女神とは違うわ」
「言い訳だな」
マクスウェル=アルキエルが右腕を掲げてくるが、その瞬間、ラヴァーソウルの刃片が彼の右腕に絡みついた。ミリュウはそのまま右腕を切り落とさんとしたようだが、マクスウェル=アルキエルは、ラヴァーソウルの力など物ともせずに腕を振り回し、逆にミリュウを吹き飛ばした。さらに追撃として衝撃波を放つ。ミリュウを空中で受け止めたのはグロリアで、ミリュウへの追撃を遮断したのは、アスラだ。刀から鏡に変形した召喚武装は、黒い衝撃波を受け止めると、そのまま相手に跳ね返してみせる。圧倒的な破壊力を秘めた衝撃波は、しかし、マクスウェル=アルキエルに吸収され、消滅した。
「リョハンのだれもが君に期待していたはずだ。ファリアと名付けられたのだから。戦女神と同じ名を与えられたのだから。君は、その期待に応えなければならなかった。それがあの狭い世界において絶対の正義だったはずだ」
(そうね)
胸中で、認める。
「それなのに、君はなぜ、リョハンではなく、このような場所にいる? 君は、戦女神の後継者だったはずではないのか? 我が師の役割を受け継ぐべきではないのか?」
「ひとの世が来たのよ」
「ひとの世だと」
「そう、ひとの世。戦女神に頼る時代は終わったのよ。お祖母様が、ファリア様がそう定められたわ。リョハンはひとの手によって運営されるべき、と」
「ひとの世……ひとの世か。ふはは、ははははは」
マクスウェル=アルキエルは、肩を震わせて笑った。爆発的な力の奔流が彼の周囲に逆巻き、こちらの攻撃も接近も阻む。しかしそれは攻撃準備の好機でもあった。ファリアは、肩で息をしながら、クリスタルビットをオーロラストームの左右に展開し、大弓を形成した。結晶体を発電させ、電力を嘴に集中させる。
「笑わせる。わたしの研究も理解できない愚か者どもに戦女神なき天地を支えられるものか。柱なき世界を維持できるものか。いまにみろ。愚か者どもの愚かな考えによって自滅するぞ」
ファリアは、マクスウェル=アルキエルの言葉など、聞いてもいなかった。彼の持論など、どうでもいいことだ。そもそも、彼と話し合うつもりもない。確かに彼は優れた武装召喚師だろう。彼の研究を理解できなかったリョハンのひとびとを愚者と断じたくなるのもわからないではない。それほどまでに強力な召喚武装がいま現実に顕現しているのだ。彼が増長するのも当然だろう。だが、そんなことはどうでもいいことだった。
ファリアにとってマクスウェル=アルキエルは、倒すべき敵でしかない。
前方に味方がいないことを確認したファリアは、オーロラストーム最大出力の雷撃を解き放った。紫電が視界を一色に塗り潰し、一瞬にして標的へと殺到する。広範囲無差別破壊攻撃。凄まじい破壊の連鎖が前方扇状の広範囲に渡って巻き起こる。連続的な爆砕の嵐。ファリアがオーロラストームを用いて行うことのできる最大威力の攻撃だった。
「凄いわ……」
「あなたほどじゃないわよ」
ファリアは、ミリュウの賞賛に嘆息を返すと、あまりの消耗の激しさに立ちくらみを覚えた。大弓形態から放つ最大火力の雷撃には、多大な精神力の消耗を伴うのだ。それこそ、閃刀・昴の召喚と維持よりも大量の精神力を消費しなければならない。その分、威力も格段に上であり、攻撃範囲も申し分ない。味方のいる戦場では使い所が難しく、出番も限られているが。
「嘘でしょ……」
ファリアが愕然としたのは、濛々と立ち込める爆煙の中にマクスウェル=アルキエルの気配があったからだ。あれだけの破壊力を持つ攻撃を食らったはずなのに、彼は微動だにしていないようだった。食らってもいないのかもしれない。
「なんなのよ、あいつ……!」
ミリュウが地団駄を踏むと、空中からグロリアが呆れ果てたようにいってきた。
「まったく効いていないようだな」
「どうします? これじゃあ消耗戦ですよ」
「どうするもこうするも、いまの攻撃で駄目なら……」
ファリアは、閃刀・昴の召喚を視野に入れたが、術式を構築している暇があるかどうかが問題だった。呪文を唱え始めれば、マクスウェル=アルキエルはファリアに攻撃を集中させ、呪文を中断させようとするだろう。詠唱を中断すれば、術式は不安定になり、召喚が失敗する可能性が高くなる。マクスウェル=アルキエルがいっていたように呪文を継ぎ足し、術式を多重に構築するなど、普通、できることではない。そのような方法論は確立されていないのだ。おそらくマクスウェル=アルキエル独自の研究成果であるそれは、リョハンの武装召喚師たちの間で再度検証されたり、研究されることはなかったのだ。彼だけが研究を続け、形を成すことに成功したということだろう。
その成果が、いま、目の前に佇む化け物なのだ。
(二十年……)
二十年に及ぶ呪文の継ぎ足しと術式の多重構築。
それがどれほどのものなのかは、いまマクスウェル=アルキエルが装着している召喚武装の力を見れば一目瞭然だ。ただ単純に呼び出した召喚武装よりも遥かに強力で、絶大な力を秘めている。召喚武装はただでさえ強力な武器だ。通常兵器や通常戦力が不要になるといっても過言ではないほどの力を持っている。それら召喚武装を圧倒的に上回る力が、マクスウェル=アルキエルの召喚武装にはある。
二十年もかけて呪文を継ぎ足してきたのだ。それくらい強力でなくては、報われなさすぎるといってもいいのだが、だからといって、そんなものを相手にどう戦えばいいのか。
閃刀・昴を召喚することができたとしても、通用するかどうかは別問題だ。オーロラストーム最大威力の攻撃さえ無力化された以上、閃刀・昴の斬撃も届かないかもしれない。
「こうなりゃあたしがやるわ」
ミリュウが憤然と言い放った。
「あたしは攻撃に参加できなくなるから、皆で時間を稼いでよ」
見ると、彼女は覚悟を決めた顔をしていた。手にしたラヴァーソウルの柄に力を込めているのがわかる。疑似魔法を使うつもりなのだ。ラヴァーソウルの刃片によって呪紋を構築し、失われた魔法を再現する――それがラヴァーソウル最大の能力であり、おそらく、この場にいる味方の中で最大威力の攻撃となるだろう。
「わかったわ」
ファリアは即座に納得すると、オーロラストームを構え直した。クリスタルビットの展開を止め、元に戻す。クリスタルビットはただ展開し、その状態を維持するだけで精神力を浪費する。攻防に使えるとはいえ、マクスウェル=アルキエルとの戦いではそれほど役には立たない。
「了解した」
「では、行きますか」
「はい」
グロリア、ルウファ、アスラがそれぞれに動き出そうとしたときだった。
「俺も混ぜてもらおう」
頭上から降ってきた声の主が、ファリアの目の前に着地したかと思うと、銀翼を広げた。黒の衝撃波が銀翼に直撃し、銀の翼が破壊される。が、翼はすぐさま再生し、彼はなにごともなかったかのような様子でこちらをみた。翼型召喚武装は、羽を弾丸のように飛ばすからなのか、再生能力を有することが多い。彼の翼もそうなのだろう。
全身に召喚武装を纏った、竜の如き男。カイン=ヴィーヴル。
「どうしてあなたが?」
彼の接近そのものには気づいていたものの、参戦そのものには疑問があった。ジゼルコート邸の制圧は《獅子の尾》に任されていたからだ。
「君らがあまりに不甲斐ないのでな」
カインは、マクスウェル=アルキエルに向き直った。ミリュウが憤懣やるかたないといった様子で声を上げる。
「不甲斐ないですって!?」
「言い訳のしようもない事実だがな」
「ううー……そうだけど!」
ミリュウが憤っているのは、単純に彼女がカインのことを嫌っているからにほかならない。どういう理由なのかはファリアは知らなかった。ウマが合わないのかもしれないし、カインがセツナのことを妙に気に入っているのが、気に入らないのかもしれない。
「“剣聖”、“剣鬼”、人形も随時投入される手はずになっている」
「それで、どうにかなるかしらね」
「どうだろうな」
彼は、マクスウェル=アルキエルを睨んだまま、告げてくる。
「それで、五分と見ているが」
「五分ならいいほうね」
ファリアは、カインの冷徹なまでの判断に肩を竦めるしかなかった。
「だろうな」
「あたしが決めてやるわよ!」
「頼もしい限りだ。ヘイル砦の如くあれを破壊し尽くしてくれることを願おう」
「あんたにいわれなくたってやってやるっての!」
「では、時間稼ぎは任せてもらうとしよう」
カインが、翼を広げた。跳躍し、一足飛びにマクスウェル=アルキエルに殺到する。さすがに三つの召喚武装を同時召喚しているだけあって、凄まじい速度だった。マクスウェルの反応がわずかに遅れるほどであり、カインはその隙を見逃さず、マクスウェルに左手の鉤爪で斬りかかった。しかし、マクスウェルがおもむろに振り上げた右腕がカインの鉤爪を受け止め、背部から伸びた無数の尾がカインに襲いかかる。カインは即座に飛び離れると、追従する尾を竜の尾で叩き落とし、距離を取った。
「時間稼ぎか」
マクスウェル=アルキエルが、左腕を掲げる。衝撃波を放つつもりだろう。その射線上にはミリュウが立っている。召喚武装は、あらゆる感覚機能を向上させる副作用がある。当然、マクスウェルの聴覚も飛躍的に高まっており、ファリアたちが小声で話したことさえ筒抜けだった。だからファリアたちは声の大きさなど気にせず、普通に作戦会議を行ったのだ。
「なにをするつもりか知らんが、企みは潰させて貰おう」
「潰させはしない」
無造作に放たれた黒い衝撃波は、カインがミリュウの前に身を投じたことで妨げられた。そのため、カインが前面に展開した二枚の銀翼が粉々に破壊されたが、ミリュウが後退する時間は稼げた。カインの翼は根幹がやられており、再生不可能の状態になっていた。
「そうよ」
ファリアが透かさず雷撃を放つと、輝く風が雷光の帯に絡みつき、そのままマクスウェルへと飛翔していく。グロリアが連携してくれたのだ。威力が底上げされた雷撃は、しかし、マクスウェルには到達しえなかった。漆黒の翼が防壁となって立ちはだかったからだ。
「師よ、あなたの相手は我々だ」
「お師匠様、わたくしたちと踊っていただきましょう」
アスラがまたしても召喚武装を変形させていた。三つの宝珠のようなそれは、光熱を帯びているかのように発光しながら彼女の手元を離れ、さまざまな軌道を描きながらマクスウェルへと殺到する。そこへ、ルウファの羽弾が雨の如く降り注ぐ。
「そうですそうです。ミリュウさんの邪魔はさせませんよ」
ふたりの連携攻撃は、やはりマクスウェルに当たらなかった。鞭のようにしなる尾が宝珠を叩き落とし、頭上から降り注ぐ羽弾には翼の盾が対応したのだ。
攻防一体の召喚武装でなおかつ凶悪な性能を秘めたそれは、黒き矛を手にしたセツナですら攻略できないのではないかと思えた。
「ふん……うるさい羽虫共が」
マクスウェル=アルキエルが唾棄するように告げた。
「よかろう。貴様ら全員叩き潰し、それからくだらぬ企みも、愚かな弱者どもも滅ぼしてくれよう」
黒き怪物は、さらに一段と膨張し、爆発的な力の奔流が渦を巻いた。