第千四百五十七話 時の悪魔(一)
「なにが賢者よ。ただの武装召喚師じゃない!」
まず、ミリュウが攻撃を仕掛けた。斬撃の届かない距離でラヴァーソウルを横薙ぎに振り抜いたかと思うと、無数の刃片が矢のように飛び、マクスウェルに殺到した。磁力刃の反発力を利用した刃片による攻撃は、しかし、漆黒の翼に妨げられ、マクスウェルを撃ち抜くことはなかった。瘴気を帯びた翼が刃片を受け止めたのだ。刃片は翼を軽く傷つけただけで、地面に落下した。すぐさまミリュウは刃片を引き寄せる。
「ただの?」
マクスウェルがミリュウを一瞥した瞬間を見計らって、ファリアはオーロラストームを掲げ、牽制攻撃としての雷撃を放った。威力の低い雷撃を連射し、マクスウェルの注意を引く。だが、マクスウェルは右腕をこちらに掲げただけで避けようともしなかった。微弱な雷撃は、彼の右手の先に吸い込まれるようにして消える。
「これがただの召喚武装に見えるか」
マクスウェルが左腕を翳す。手の先にはミリュウ。ミリュウは右前方に飛び、磁力刃を利用して、空中でもう一度跳躍した。左手から放たれた黒の奔流は虚空を貫くと、蔵に大穴を開けた。空中に飛んだミリュウがラヴァーソウルを振り下ろし、鞭のようにしなる磁力刃でマクスウェルを攻撃するが、石を持っているかのように動く尾のひとつが磁力刃を受け止めると、刃がマクスウェルに到達することはなかった。
「ありふれた召喚武装に見えるか」
光の羽と白い羽が弾丸となってマクスウェルに殺到する。グロリアとルウファの連携攻撃。そこへファリアも威力を高めた雷撃を叩き込んだが、マクスウェルはそれら連続攻撃をものともしなかった。羽の乱舞を黒い霧のようなもので吹き飛ばし、雷撃には右手を掲げて対処する。
「弱そうに見えるか」
そして彼は一対の翼を最大限に広げた。蝙蝠の翼のような飛膜に赤黒い紋様が浮かび上がり、重圧がファリアを襲った。
「倒せそうに見えるか」
衝撃波が、飛び退こうとしたファリアの体を突き抜けた。吹き飛ばされる。左腕に激痛が走り、ファリアは歯噛みして耐えた。そのまま受け身を取ろうとしたが、背中から抱き抱えられたことでその必要はなくなった。グロリアだ。同じく吹き飛ばされたミリュウには、ルウファが対応してくれている。
「それはお門違いというものだ」
そう言い放ったマクスウェル=アルキエルの姿が一回り大きくなっているような錯覚に、ファリアは目を瞬かせた。黒い怪物は、爆心地となった前庭にいる。半球形に抉れた地面は、ついいましがたマクスウェルが発した衝撃波の威力を示している。至近距離で喰らえばただでは済まなかっただろう。
「……錯覚じゃないな」
「え?」
グロリアのつぶやきにファリアは驚きをもって彼女の顔に視線を向けた。銀の兜の下、グロリアは険しい表情を浮かべている。
「師は、どうやら巨大化しているようだ」
「巨大化?」
「あの召喚武装の能力だろう。だがどうやらそれだけではなさそうだ」
「……あれがあなたたちの師匠」
「君の祖母の弟子でもある」
「お祖母様の……弟子」
グロリアに告げられて、はっとなる。そのことは、既に聞いていたことではある。マクスウェル=アルキエルはリョハンの出身であり、ファリア=バルディッシュの若い頃に師事していたというのだ。ファリアには覚えがなかったが、どうやらファリアが幼い自分にリョハンを離れており、記憶になかったとしても不思議ではないのだという。祖母から聞いたこともなかったことを考えると、それほど優れた弟子ではなかったのではないかとも思わなくもないのだが、そうとも言い切れない。祖母は、自分の弟子について詳しく語るようなひとではなかったし、なにより、ファリアが聞いてもいないことを教えてくるようなひとでもなかった。
「そうだ。ファリア・ベルファリア=アスラリア」
マクスウェルの顔がこちらを見上げる。肥大し、異形化した獅子の兜は、醜悪な化け物へと変貌しつつある。巨大化しているだけではない。鎧の形状そのものが変化を始めていた。蛇の頭部を模した肩当ては竜のそれへ、尾の数が増大し、翼も増え、膨張した。
「君の祖母であり、リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュこそがわたしに武装召喚術を叩き込んでくれたひとだ。尊敬するべき、偉大なる師匠だった。わたしは師匠以上の武装召喚師を見たことがない。おそらく、歴史上最高峰の武装召喚師といっていい」
マクスウェルは、ファリア=バルディッシュへの賞賛を惜しまなかった。その言葉に嘘は見当たらない。ファリアを油断させるための発言などではないようだった。
「ある一点を除いてはな」
「一点?」
「師も、わたしの考えに理解を示してくださらなかった。その点ではリョハンの愚者共と同じだった。が、よくよく考えれば当然のことだ。リョハンという狭い世界の現実に目を向けることしかできないものに、武装召喚術の可能性などわかるはずもない」
「可能性ですって?」
「そうだよ、ファリア・ベルファリア=アスラリア。これは可能性だ。大いなる、な」
マクスウェルがそういい放った直後、彼の頭上から磁力刃と風弾、羽弾が雨霰の如く降り注いだ。ルウファとミリュウの連携攻撃だ。が、マクスウェルの鎧から伸びた無数の尾が磁力刃を羽弾を弾き飛ばし、風弾は直撃を受けながらも損傷した様子も見せなかった。アスラが追撃にと飛びかかるが、鞭のようにしなりながら虚空を薙いだ尾によって接近を阻まれ、攻撃を叩き込むことさえできなかった。
「二十年」
グロリアが翼を展開し、凝縮した力を解き放つ。それは光の竜巻となってマクスウェルに襲いかかるが、彼は右腕を軽く翳しただけで竜巻を消し去り、続くファリアの雷撃さえも容易く消滅させた。
(通用しない……)
雷撃も羽弾も斬撃も竜巻も――生半可な攻撃は、マクスウェルに到達することもできず、到達し、直撃したとしても鎧に損傷を与えることさえできない。召喚武装の鎧なのだ。通常の防具よりも防御力が高いのは想定の範囲内ではあるのだが、雷撃や竜巻が届かないのは予想外だ。
「二十年だ。二十年の長きに渡って、わたしは術式を紡ぎ続けた」
「二十年? 術式……」
「そんなこと、ありうるの?」
「ありえないでしょ」
ミリュウの疑問に即答したファリアは、着地したグロリアの腕から降ろされるのを待った。ファリアを抱えたままでは、グロリアも自由に戦えず、ファリアも思うままに戦えないのだ。これでは、マクスウェルのような強敵に対し、手を抜いているようなものだ。
「それが愚かだというのだよ。始祖の定めた術式以外のあらゆる方法論を否定し、武装召喚術の可能性に目を向けないから、わたしを否定するしかなかった。わたしは彼らが武装召喚術の未来を握っている事実に失望し、山を降りた。山を降りるということは、リョハンという狭い世界から外界に放り出されるも同じ。人間らしい生活を手にするまで困難を極めたが、あのときの選択はなにひとつ間違っていなかったといえる」
マクスウェル=アルキエルの鎧は、さらに一回り巨大化した。さらなる異形化は、鎧そのものがもはや皇魔の如き化け物そのものに成り果てており、黒く禍々しい姿には恐れを感じずにはいられなかった。無数の尾が意志を持っているかの如く揺れ動き、巨大な三対の翼が展開し、巨躯をさらに大きく感じさせる。肩当てからは首が伸び、ふたつの竜の頭が自律して動いていた。竜の双眸が開き、目に光が灯っている。獅子の頭部を模した兜も同じだ。異形の獅子には四つの目が生じ、それぞれが赤々と輝いていた。巨大化した両腕、両足からは鋭利な爪が伸びており、近接戦闘も問題なくこなせることを宣言しているかのようだ。もっとも、接近するには無数の尾による攻撃を掻い潜らなければならず、簡単なことではないが。
「これがその成果だ」
マクスウェルが両腕を掲げた。翼が最大限に広がり、飛膜に紋様が浮かび上がる。ファリアは咄嗟に後退しつつ、オーロラストームを連射した。幾重もの雷撃は、マクスウェルの鎧に触れる寸前、なにかに飲み込まれるようにして消滅した。
「二十年に及ぶ呪文の継ぎ足し、術式の多重構築、その力なのだ!」
マクスウェルが掲げた両手の先に生じた光が、ファリアの視界を白く塗り潰し、音なき爆発が世界を震撼させた。