第千四百五十四話 ケルンノールへ
五月四日午後、逆賊ジゼルコートの征討を目的とする軍勢が、王都ガンディオンを発った。
総大将をレオンガンド・レイ=ガンディアとする軍勢は、クルセルク方面軍を主戦力とする総勢一万五千の大軍勢であり、それだけの戦力があればケルンノールを攻め滅ぼすことくらい容易いものとだれもが想っていた。
クルセルク方面軍を主戦力に据えたのは、軍師候補たちの考えというより、レオンガンドの意向だった。左眼将軍デイオン=ホークロウはレオンガンドを裏切ったのではなく、レオンガンドの敵を炙り出すためにジゼルコートについたのだということを全軍に知らしめるためであり、また、デイオンの働きに感謝してのことでもあった。軍師候補たちもレオンガンドの意向に納得し、その上で戦力を整えている。
大将軍アルガザード・バロル=バルガザールはガンディア方面軍とともにガンディア本土の防衛に当たり、アスタル=ラナディース右眼将軍はログナー方面軍とともに従軍、ザルワーン方面軍、ルシオン軍もまた、ジゼルコート征討の軍に参加している。王立親衛隊の三隊も同行しているし、傭兵局および傭兵トラン=カルギリウスも従軍しており、戦力としては申し分ないはずだった。少なくとも、ジゼルコートの残存戦力では対抗しようもあるまい。
主戦力は当然の如く《獅子の尾》であり、《獅子の尾》の隊旗が征討軍の先陣にはためき、全軍を鼓舞するかの如くだった。
《獅子の尾》の雷名を知らぬガンディア国民はいない。
王立親衛隊《獅子の尾》は、ガンディアの英雄、黒き矛のセツナが隊長を務めるガンディア最強の戦闘部隊であり、その威名はガンディア周辺のみならず、小国家群に鳴り響いていることだろう。《獅子の尾》は結成以来、様々な戦場をくぐり抜け、死線を突破し、多大な戦果を上げてきた。ガンディアの発展にもっとも貢献した部隊であり、彼らの活躍がなければ、ガンディアはここまで勝利を積み重ねてこられなかっただろう。
だからこそ、先陣を任せるのだ。
《獅子の尾》の勇姿は、ガンディアの将兵の心を奮い立たせるに違いない。
ケルンノールは、ガンディア本土南東の地域を指す。
高原地帯であり、古くから名馬の産地として知られ、いつ頃からか軍馬を育成する場所として機能するようになっていた。ガンディア方面軍の軍馬のほとんどは、ケルンノール産の軍馬であり、ガンディア方面軍の機動力の高さは、ケルンノール産の軍馬が優れていることを証明している。
故に、ケルンノールそのものを滅ぼすといった考えは、レオンガンドたちの中にはなかった。軍馬の産地ケルンノールは、今後もガンディアに貢献してもらわなければならないのだ。
ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールは、その名の通りケルンノールの領伯ではあるが、最初からケルンノールの領伯であったわけではない。ジゼルコートが領伯になるずっと以前からケルンノールは名馬の産地だったのだ。ケルンノールに良い馬が育つこととジゼルコートの領伯就任に関して言えば、直接的な関係は皆無であり、ジゼルコートを征討することに問題はなかった。
討つべきは、ジゼルコートだけでよかった。
無論、ジゼルコートに与し、征討軍に敵対するものがあれば討伐するしかないが、戦闘が起きたとしても大規模なものに発展することはないだろう。
だれもがそう考えていた。
ジゼルコートに残された戦力は、数少ない。
彼の私設軍隊のほとんどはマルダールに投入されており、マルダール奪還戦において半壊、残り半数ほどは解放軍に投降し、捕虜となっている。王宮に残されていたわずかばかりの戦力は、デイオン率いるクルセルク方面軍に殲滅された。もはや、ジゼルコートの戦力など数えるほどしかないだろうと見るのが普通だ。ケルンノールに予備戦力を残しているとは、考えにくい。
懸念材料は、ないではない。
ジゼルコートが王宮から脱出できたのは、空間転移能力を持つ召喚武装の使い手シャルティア=フォウスが彼についていたからなのだ。召喚武装オープンワールドの能力によってジゼルコートをケルンノールへ運び去ったシャルティア=フォウスだが、ジルヴェールの話によれば、彼はジゼルコートに忠誠を誓っているわけでもなさそうだということだった。ジルヴェールにレオンガンドたちが勝利しているという外の様子を伝え、希望を与えてくれたのがシャルティアなのだという。シャルティアがなにを考えているのかはわからないものの、ジルヴェールの考えでは、彼が敵に回る可能性は低いだろうということだった。
また、ジゼルコートの側には常にルシオン白聖騎士隊の第三部隊長ソニア=レンダールが付き従っていたという話もある。その肩書からわかるとおり、白聖騎士隊指折りの騎士であり、隊を代表する剣士であるソニアがジゼルコートと通じていたという事実には、リノンクレアも衝撃を受けていた。ただし、予期していたことではあるらしい。バルサー要塞奪還後、ソニアは突如として姿を消していたのだ。リノンクレアはそれがソニア個人の問題なのか、別の理由なのか、判断できずにいたという。ハルベルクを慕っていたソニアが彼が戦死したことで戦いの無意味さを知り、なにもいわず戦場を離れたのではないか――リノンクレアたちの間ではそのような理由が取り沙汰されていた。ソニア=レンダールがジゼルコートと繋がっている可能性など、まったく想像できなかったからだ。そして、そうなれば、ほかに理由など考えつくはずもない。
ソニアがジゼルコートと繋がっていることが明らかになれば、彼女がバルサー要塞から消えた理由もわかろうというものだ。バルサー要塞が落ちるということは、ガンディア本土への攻撃が始まるということであり、ジゼルコートの敗色が色濃くなった。ソニアは、いてもたってもいられず、シャルティアとともにバルサー要塞からガンディオンに飛んだのだろう。
そして、リノンクレアは、ソニアがハルベルクとジゼルコートの連絡役をしていたのではないか、という想像を働かせ、怒りとも悲しみともつかない表情を浮かべたものだ。彼女は、白聖騎士隊の騎士たちを心から信頼していた。白聖騎士隊は、ハルベルクの親衛隊であり、リノンクレアが隊長を務めている。隊に属するのは女性のみではあるものの、その実力は折り紙つきであり、並の軍隊にも引けを取らない。それは、リノンクレアが選抜し、厳しい鍛錬によって練り上げたからこそなのだ。その過程で、リノンクレアと騎士たちとの間には揺るぎようのない信頼関係が結ばれ、いまや一心同体といってもいいくらいの間柄となっていたはずだった。だからこそ、白聖騎士隊はルシオン最強の名をほしいままにできていたのだ。
ソニアは、そんなリノンクレアの信頼を裏切り、想いを踏み躙ったのだ。
『ソニアの裏切りに気づかなかったわたしが愚かなだけですが』
深い悲しみに満ちたリノンクレアに対し、信頼しきっていたのであれば仕方のないことだ、という気休めの言葉を投げかけるしか、レオンガンドにはできなかった。
そして、マクスウェル=アルキエル。
これまでの戦いで一切姿を表さなかった武装召喚師は、グロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルの武装召喚術の師というだけで脅威になる可能性を秘めていることがわかった。齢六十を越えた老人だということだが、その肉体は衰えを知らず、並の戦士では太刀打ち出来ないほどの身体能力を誇るという話も聞いている。武装召喚師は、召喚武装に振り回されないよう、肉体を鍛え抜かなければならない。武装召喚術を極めたからと鍛錬を怠れば、その瞬間から武装召喚師としての実力を失っていくのだという。
マクスウェル=アルキエルは、その点、いまも毎日の鍛錬を欠かさず行っており、グロリアやアスラですら驚くほどの肉体美を誇るのだという。とても六十代の老人の体には見えないらしい。
もちろん、それだけならば脅威でもなんでもない。
武装召喚師が脅威となるのは、その技術によって召喚される異世界の武器が、場合によってはとてつもない破壊力を秘めているからだ。
『マクスウェル師の召喚武装は、遠距離攻撃に特化したもの。接近さえすることができれば、なんとかなるはずです』
グロリアの説明により、マクスウェル=アルキエルの召喚武装は明らかになっている。
ただし、それだけがマクスウェルの召喚武装だとは限らないという話でもあった。武装召喚師の多くは、ひとつの召喚武装だけを使い、極めようとするのだが、複数の召喚武装を使い分ける武装召喚師もいないわけではない。遠距離攻撃と近接戦闘を同時に行うことのできる召喚武装ばかりではないのだ。中には、近接攻撃特化の召喚武装もある。そういう場合、遠距離攻撃用の召喚武装も用意しておいたほうが、様々な状況に対応できるというものなのだ。ただし、複数の召喚武装を使いこなせるようになるには、ひとつの召喚武装を使いこなすよりもよほど時間がかかる。だからこそ、多くの武装召喚師は、ひとつの召喚武装を愛用するのだ。
それらの話を総合した上で、レオンガンドは半ば楽観視していた。シャルティア=フォウスの動向は不明だが、戦闘に参加する可能性は低そうであり、ソニア=レンダールはただの騎士だ。危険視するほどではない。
となれば、問題となるのはマクスウェル=アルキエルだが、彼がどのような召喚武装を隠し持っていようとも、《獅子の尾》が全力を上げれば倒せないはずもない。そう思えた。また、《獅子の尾》だけでは難しいというのであれば、“剣鬼”と“剣聖”を投入すればいい。
過剰なまでの戦力の投入で圧倒してしまえばいい。
勝敗は、既に決した。
レオンガンドのみならず、だれもがそう想っていた。
やがて、征討軍はケルンノールの高原地帯に入ったのは、五月五日のことだった。
その日、空は鉛色の雲に覆われ、強い風が吹いていた。いまにも嵐が起こりそうな天候の具合に、不穏なものを感じないではなかったが、ケルンノール領内に入った征討軍に対し、ジゼルコートの軍勢が攻撃してくるようなこともなく、そのまま、あっさりとジゼルコートの居城へと至った。
居城というよりは、屋敷だ。
とても小さな、慎ましやかな屋敷は、ジゼルコートの性格を象徴するかのようだった。彼は、領伯という地位にあっても、その屋敷を絢爛豪華なものにしようとは考えなかったのだ。彼は、家など住むことに不自由なければそれだけでいいと考えており、だからこそ、自分と家族、使用人たちが生活できるくらいの小さな屋敷に住んでいるということだった。レオンガンドが彼の口から聞いた言葉だが、嘘ではあるまい。王族らしくない考え方だったが、自分のことよりも国のことを第一に考える政治家ならば、当然の思考法なのかもしれない。
その屋敷の敷地を包囲する。
周囲四方、小さな塀に囲まれた屋敷を一万以上の大軍で包囲したのだ。
屋敷内からジゼルコート配下の兵士が十数人、突出してきたものの、それだけでどうにかなるはずもなく、彼らは為す術もなく弓で射殺された。
「あれだけか」
「でしょうね」
「……残るは、マクスウェウ=アルキエルか」
楽観的だったレオンガンドの中を漠然とした不安が過ぎったのは、ジゼルコートの屋敷が沈黙を保っているからなのかもしれない。
やがて、《獅子の尾》の武装召喚師たちが屋敷へと突入した。