第千四百五十一話 最期の策
デイオン率いるクルセルク方面軍が王都に入ったという報せが本陣に届いたのは、太陽が西に大きく傾いた頃合いだった。
開戦当初からずっと、解放軍本隊は王都に向かって進軍している。敵軍が王都に向かって後退し、しかも、どうやらジゼルコートらを討とうとしているらしいということがわかったのだ。追走し、王都に向かうしかなかった。
やがてレオンガンドが王都に到着したのは、夕闇が迫る時間帯だった。
新市街、旧市街、群臣街を進むうち、各所でクルセルク方面軍兵士たちの出迎えを受けた。彼らは、レオンガンドに敵対する様子さえ見せなかった。ルウファの報告通り、デイオンが解放軍に味方したということなのだろう。それでもデイオン本人から話を聞くまでは、よくわからないということもあって、レオンガンドは深く考えないようにしていた。デイオンがどういう理由でジゼルコートを裏切り、レオンガンドについたのか、説明してもらわなければ判断のしようがない。
もしジゼルコート軍の敗色が濃厚だからという理由でレオンガンドについたのであれば、レオンガンドも素直には喜べないかもしれない。もちろん、嬉しいことだ。クルセルク方面軍を無傷で取り戻すことができるのだし、無為に血を流す必要もなくなる。デイオンという優秀な人材を失わずに住むのだ。これほど喜ばしいことはない。
しかし、感情は別だ。
一度裏切ったという事実がある以上、納得できる理由が欲しかった。
デイオンは、左眼将軍という立場にある。それほどの重職にある人間の裏切りと寝返りを軽く見ることなどできるわけもないのだ。
そんなことを考えているうちにレオンガンドの元には、つぎつぎと情報が飛び込んできていた。
デイオンたちが王宮を制圧したという報せとともに、ジゼルコートの謀反に同調し、レオンガンドに反逆したもののほとんどがエリウスらによって殺されたということも聞いている。ジゼルコートに逃げられたという報せも入ったが、なにより驚いたのは、エリウスもまた、ジゼルコートを裏切ったということだ。
「どういうことなのだろうな」
「……お会いになられれば、わかりますよ、きっと」
アレグリア=シーンの含みのある言い方が気に入らなかったが、その通りだと想い、彼はなにもいわなかった。
王宮に辿り着いたころには、空には星が瞬き始めていた。
王宮警護やクルセルク方面軍兵士、ガンディア方面軍兵士らに出迎えられるようにして、レオンガンドは獅子王宮に入った。実におよそ二ヶ月半ぶりの我が家だ。感慨もひとしおだったが、感傷に耽っている暇などあろうはずもなく、彼はデイオンたちが待つ玉座の間へと急いだ。
玉座の間に辿り着いたレオンガンドを待ち受けていたのは、《獅子の尾》の武装召喚師たちとエイン=ラジャールが、デイオン=ホークロウ、エリウス=ログナー、イスラ・レーウェ=ベレルの三名と向かい合っている場面だった。一方、レオンガンドは、カイン=ヴィーヴルとウル、それに王立親衛隊の二隊を引き連れている。
「陛下、どうやら王宮の奪還は完了したみたいです」
エインがレオンガンドを発見するなり、駆け寄ってきた。
「ふむ」
「デイオン将軍とエリウス様が王宮からジゼルコート軍を排除されたとのこと」
「……そうか」
「ジゼルコートは取り逃してしまったようですが」
「わかった」
レオンガンドは、言葉少なにうなずくと、デイオンとエリウスに目を向けた。デイオンは武装したままだが、兜は脱いでいる。わずかに浴びた返り血が鎧を赤く染めている。その彼の思慮深気なまなざしは、左眼将軍の肩書に相応しい。エリウスは、武装こそしていないものの、全身至る所が赤黒く染まっていた。大量の返り血を浴びたのだろう。戦場に出たわけでもない彼がなぜそこまでの血を浴びているのか。エインの報告を思い返せば、簡単に想像できる。王宮を制圧するためにみずから剣を取ったのだろう。
「なーんか拍子抜けよねー。こちとら負傷をおして出張ってきたってのにさー」
「いいじゃないですか、お姉さま。その分、体を休めることができるのですから」
「それはそうだけど」
「そうよ。クルセルク方面軍と戦わなくて済んだのは喜ぶべきよ」
「わかってるってば」
「本当かしら」
《獅子の尾》の武装召喚師たちは、戦闘が起きなかったことに安堵しているような、不満があるような、そんな様子だった。五人とも、召喚武装は送還している。負傷し、消耗していることもあり、維持し続けるのは困難なのだろう。
レオンガンドは、玉座へと近づくと、おもむろに腰を下ろした。玉座から見下ろす光景は、以前となんら変わらない。
レオンガンドは、デイオンとエリウスに視線を向け、ふたりが跪くのを待ってから、口を開いた。
「デイオン、エイン、いったいどういうことなのか、説明してくれるな?」
「もちろんです、陛下」
「陛下にはすべてを知って頂かなければなりません。それがあの方の想いに報いる唯一の方法なのですからな」
「ふむ……?」
レオンガンドは、ふたりの予想外の反応に目を細めた。
「……そうか。そういうことだったのか」
デイオンとエリウスによる説明が終わると、玉座の間は、重い静寂に包まれた。だれもがふたりの口から紡がれる話の内容に驚き、信じられないというような表情をしたものだった。
「ナーレスがな」
レオンガンドは、言葉にしたその名に敬服せざるを得なかった。
すべては、ナーレス=ラグナホルンの策だったのだ。
デイオンによれば、ナーレスは、ジゼルコートに疑念を抱く前から動いていたという。ガンディアは、レオンガンドが王として君臨しているものの、その政治形態は独裁というには程遠いものがある。外征に注力することが多く、内政に関しては政治家たちに丸投げしていることが多々ある。自然、政治家の発言力は高く、そういった政治家の中には、必ずしもレオンガンドに従順ではないものも少なくはない。古くは反レオンガンド派、太后派という派閥に属していた貴族がそうだ。ラインス=アンスリウスの死とそれに起因する派閥の凋落によって、反レオンガンド派貴族の数は目に見えて減少し、自然消滅するかに思われたが、そうではなかった。
完全に滅び去ることなく存在し続けるそれらに対し、ナーレスは、自分の死後、それら反レオンガンド主義者が活発化することを危惧した。そこで、反レオンガンド派を一網打尽にする策を独自に考え、独自に実行していたのだ。
クルセルク方面をデイオンに一任するようナーレスが意見したのもそのための布石であり、昨年四月以降、ジゼルコートを疑いながらも泳がせていたのも、策の一環だった。
ベノアガルドの諜者を引き入れたジゼルコートは疑わしいが、その政治力はそれだけの理由で手放すには惜しい。ならば、その政治力を最大限に利用した上で、敵として正体を表したときに討つべきだ――というのは、レオンガンドたちとも共通の考え方だった。しかし、ナーレスはレオンガンドたちとの間で考えた方策とは別に、デイオンとエリウスに策を託していたのだ。
敵は、必ずしもジゼルコートとは限らない。ジゼルコートは本当に味方かもしれないし、別のだれかがレオンガンドに謀反を起こすかもしれない。そういう最悪の事態への備えが、エリウス=ログナーであり、デイオン=ホークロウだったのだ。
エリウス=ログナーとデイオン=ホークロウが謀反人の同志となり、その謀反を半ば成功させることこそ、ナーレスの思い描いた絵図だ。レオンガンドたちの策も似たようなものだが、レオンガンドたちのそれよりももっと深くまで切り込んでいるのがナーレスなのだ。左眼将軍とレオンガンドの側近が謀反に同調することで、謀反人に賛同者が現れやすくしたのだ。事実、ジゼルコートにエリウス=ログナーとデイオン=ホークロウが賛同したことが知れると、反レオンガンド派のものだけでなく、中立派やセツナ派、レオンガンド派の中からも賛同者が現れ、ジゼルコートの同調者は膨大な数に及んだという。
これほどまでにレオンガンドの敵が潜んでいたのか、と、エリウスもデイオンもその数に驚いたほどだ。もちろん、全員が全員、根っからの敵ではなかっただろう。日和見主義の人間もいたかもしれない。だが、一度謀反に賛同し、レオンガンドの敵に回った以上、その生命が絶たれたとしても仕方のないことだった。
エリウスは、それら賛同者を大会議室に集め、皆殺しにしている。
デイオンは、クルセルク方面軍を用いて軍事力で外部から反逆者を制し、エリウスは、内部から反逆者を圧する。それが、ふたりの役割だったのだが、ジゼルコートが私設軍隊をマルダールに投入したこともあって、クルセルク方面軍がまともに戦闘を行うことはほとんどなかったという。
「ジゼルコートの謀反を見越して先に手を打っていたなんて、やっぱりナーレスさんってすごい方だったのね」
ファリアが感嘆の声をあげると、エインが当然のようにうなずいた。
「ナーレス局長が凄いのは当然ですよ。ガンディアをここまで盛り立ててきた立役者のおひとりなんですから」
「それはわかってるけど」
「でも、少し悔しいですよね。俺とアレグリアさんだって、ジゼルコート伯の謀反を見越してはいましたし、そのために策を用意していたのに」
「その策としてクルセルク方面軍をガンディアの防衛戦力にあてがうことすら、局長の描いた絵図だったとは……」
軍師候補のふたりは、デイオンとエリウスの話を聞いてからというもの、難しい顔をしていた。ナーレスは、彼らにもデイオンとエリウスを用いた策のことを話していなかったのだ。ガンディアの将来をふたりに託すと遺言したこともあるし、ふたり以外のだれかに話したことで露見する可能性が増大することを恐れたのだろう。デイオンとエリウスも協力者がいることは知っていたものの、それがだれなのかまでは知らされていなかったというのだ。それだけ、ナーレスは警戒していたということだ。おそらく、ナーレスの死後、ナーレスを演じ続けているオーギュストも知らなかっただろう。
ナーレスは、なにより、策が漏洩することを恐れた。レオンガンドに相談さえしなかったことからも、彼がどれだけこの策に気を使っていたかがわかるというものだ。ジゼルコートを出し抜くには、レオンガンドにさえ秘密にしなければならなかったのだ。
そして、ジゼルコートのような謀反人に対する策を張り巡らせていたからこそ、ナーレスは、瀕死の体であってもアバードに向かうことも止めなかったのだろう。どこで死んでも、ガンディア国内の敵を一掃する算段はついていたのだ。
実際、彼の策は、成功裏に終わった。
(いや……)
レオンガンドは、玉座から立ち上がると、玉座の間にいるものたちを見回した。
「全軍の収容が済み次第、急ぎケルンノール征討の準備を始めよ」
アザーク軍、ラクシャ軍との戦いは既に終わっているだろうし、それらに当たっていた解放軍別働隊は王都に向かいつつあるはずだ。両軍には、本隊が王都に向かったということを伝達しており、それぞれ戦闘が終了し次第、続くように指示している。
「逆賊ジゼルコートを討ち、ガンディアに平穏を取り戻す」
レオンガンドが告げると、デイオンたちは厳かに首肯した。