第千四百五十話 亡霊(六)
「存外、早かったな」
玉座の間に突入したデイオンを出迎えたジゼルコートの第一声が、それだった。年齢の割りには壮健そうな男は、玉座より一段下に立ち、こちらを見下ろしている。玉座には手も触れない。それが男の流儀だからだ。
王位の簒奪が目的ではない。
みずからが国王になるためにこの謀叛を起こしたわけではないのだ。それなのに玉座に腰を下ろし、ふんぞり返ってはなんのための正義なのかわからなくなる。
ジゼルコートのそういう律儀なところは、謀叛を起こしたあとも一切変わっていなかった。
だから、彼に付き従うものがいる。
彼に魅了され、彼のために命を投げ出せるものもいる。
それこそ、この玉座の間で彼とともに戦いの終わりを待っていたものたちだ。ルシオンの女騎士ソニア=レンダールにルシオンの武装召喚師シャルティア=フォウス、それにガンディアの政治家たち。政治家たちは顔面を蒼白にしているものの、女騎士と武装召喚師は顔色ひとつ変えず、こちらを見ていた。
「ジゼルコート伯……いや」
デイオンは、血の付いた長剣を掲げ、切っ先をジゼルコートに向けた。ジゼルコートが冷ややかなまなざしを向けてくる。
「逆賊ジゼルコート。陛下の信頼を裏切り、ガンディアの秩序を乱した罪、その命をもって贖うがいい」
「……強い言葉だ。らしくないな、デイオン」
「正義を執行する立場となれば、そうもなりましょう」
「正義。正義か。将軍。貴公の正義はどこにある」
デイオンは剣を掲げたまま、ジゼルコートの目を見据えた。ジゼルコートのまなざしは強く、老いを感じさせない気迫があった。
「わたしの謀反に賛同しながら、敗色が濃厚になった途端にレオンガンドに寝返った貴公に、正義があるのか?」
「……ジゼルコート。あなたもわかっているはずだ。わたしがこうしてここに立っている理由。わたしがあなたに刃を向けている意味。理解しているはずだ」
デイオンは、告げる。
「いっただろう。ガンディアのため、と」
何度となくいった言葉。
ガンディアのため。
ジゼルコートのためなどではなく、ガンディアのためにジゼルコートに賛同し、ガンディアのためにレオンガンドを裏切ったのだ。ガンディアのため。この国のため。この国の民のため。この国の王のため。それがすべて。デイオン=ホークロウの命といっても過言ではない。
「わたしがあなたに付き従い、あなたの謀反を援護したのは、今日のこの日のためだ。あなたと、あなたに煽動され、本性を表した邪悪を打ち払い、ガンディアを浄化するため。そのために、わたしはあなたに隷属した」
「浄化……か。笑わせるものだ」
ジゼルコートが一笑に付すのを、彼は、つとめて冷静に見ていた。なんの感情も湧いてこない。なぜならば、絶対の信念が彼の中にあるからだ。そしてそれは、ジゼルコートも同じだろう。彼も、デイオンの敵対になんの感情も抱いてはいまい。裏切られたことで感情に乱れが生じるようであれば、政治家の頂点に立つことなどできるわけがないのだ。
「意見の多様性を認めない国に将来などあるものか」
「陛下の考えを否定し、陛下に付き従うものたちをも否定するあなたがいえたことか」
「……いっただろう。わたしは、この国がこのまま見境なく膨張を続ければ、いずれ破綻すると。一度足を止め、国民の声に耳を傾けるべきなのだと。そうしなければ小国家群統一など夢のまた夢」
ジゼルコートが頭を振る。嘆息は、彼の本音なのかもしれない。
「いや、そもそも、小国家群統一などという大それた夢を、野望を掲げるべきではないのだ。ガンディアという国の身の丈に合わぬ野心など、国を滅ぼすだけだということがなぜわからない」
「確かにあなたの言には一理ある。だが、だからといって陛下が間違っているとも思わない」
拡大路線に傾倒することで問題が生じるのも事実だろう。国土が拡大するということは、それだけ問題も増えるということなのだ。これまでは、ジゼルコートを始めとする政治家たちがそういった問題を処理し、国内を安定させてこられたが、これからもそう上手くいくとは限らない。ジゼルコートはそこに危うさを感じていたのだ。彼が謀反を起こした理由のひとつだった。
「大陸の覇権をかけて三大勢力が動き出せば、小国家群は抵抗することもできずに滅び去るしかないのだ。どのような国も、三大勢力の物量には敵いはしない。なればこそ、小国家群をひとつの勢力にまとめ上げ、大陸に新たな均衡を構築するという陛下のお考えは、正しい」
「そのために国外にばかり目を向け、国内を疎かにすれば、小国家群統一よりも先にガンディアが滅び去ることになるといっている」
「そうならないようにするのが、あなたがた政治家の役割でしょう」
「そうだな。それは道理だよ。わたしも、そうしてきた」
ジゼルコートが目を細める。
「だが、我々政治家が必死の想いで国を安定させるたびに戦争を行い、国情を混乱させるようなことばかりされれば、そうもいってられんさ。一度、外征を取りやめ、国内政治に注力するべきなのだ。国土は広がり、勢力も拡大したいま、それくらいの時間を確保しても許されるだろう」
彼は、ゆっくりと息を吐いた。玉座の間に朗々と響く声は、彼が生粋の政治家であり、卓越した政治手腕の持ち主であることを思い出させた。聞き入ってしまうのだ。デイオンだけではない。ジゼルコートの側にいる女騎士や武装召喚師、果ては政治家たちまで聞き惚れているような様子だった。どうやらデイオンの部下たちまでも、謀反人の弁舌に耳を澄ませている。
「だが、レオンガンドは、認めまい。彼は焦っている。一刻も早く小国家群を統一しなければならないという強迫観念に支配されているからな。それもわからなくはないのだ。三大勢力は、いつ動き出すかわからない。ザイオンの皇子や、ディールの研究者が小国家群にちょっかいを出してきたという例もある。国内政治に時間を取られている余裕はないのだろう。だからこそ、わたしが立たねばならなかった。わたしがレオンガンドを打倒し、この国の現状を変えなければならなかったのだ」
ジゼルコートのこの饒舌ぶりは、なんなのだろう。デイオンは、ひとり、冷静に状況を分析していた。ジゼルコートは元々能弁家だ。とにかくよく喋る。が、いまほど熱を帯びた言葉を発することは、中々なかった。
「だが、どうやら、わたしの負けのようだ。完敗といっていいだろう。わたしの目論見は尽く外れた。まったく、これだからわたしはただの政治家なのだ。戦略もなっていない」
「ジゼルコート伯……」
「デイオン将軍。貴公の勝ちだ」
ジゼルコートの敗北宣言に対し、デイオンは、彼の目を見据えたまま、告げた。
「勝ったのはわたしではありませんよ」
「レオンガンドといいたいのか」
「陛下もですが、ナーレス殿の勝利でもあります」
「ナーレスだと」
そこで初めて、彼は目の色を変えた。
「つまり、貴公は、ナーレスの策に従い、わたしの同志となったというのか?」
「そういうことです」
「……まさか、生きているというわけではあるまいな」
「ナーレス殿は、アバード動乱後にこの世を旅立たれた。我々にガンディアの将来を託して」
ナーレスの死は、秘匿された。デイオンもナーレスの死を知ったのは、ごくごく最近のことだった。デイオンほどの立場の人間にさえ明かされないほどに、ナーレスの死は重大な出来事だった。ナーレスはその存在が大きくなりすぎていた。ガンディアの軍神といってもいいだろう。軍師としてだけでなく、政治家、戦略家としても有能な彼の存在が大きくならないわけもなく、彼の不在がどれほどの影響を与えるのかわからない以上、その死を秘すのは当然の判断だった。
「託された以上、わたしはこの身命を賭して、ガンディアに力を尽くそうと誓ったまでのこと」
「……ふ」
ジゼルコートが、突如として笑いだした。
「ふはは。そうか。やはり死んでいたか。とっくに、死んでいたのだな。恐れるまでもなかった。警戒するまでもなかったわけだ。わたしはよほど臆病者だな。ナーレスの存在を恐れすぎていたというわけだ」
ナーレスの死が明らかになっていれば、彼はもっと早く動いていたのだろうか。となれば、デイオンたちの準備も整わず、状況は大きく変わっていたかもしれない。たとえジゼルコートの謀反が失敗に終わるとしても、レオンガンド側も相当の痛手を負うことになっていた可能性もある。
「だが……貴公の言う通りだ。ナーレスの亡霊に敗れたことは事実として潔く認めよう。」
「では、投降していただけますね?」
「投降? わたしがか?」
ジゼルコートは、鼻で笑った。傲岸不遜な反応は、王家の人間らしい振る舞いといえた。彼もまた根っからの王族なのだということを思い知らされる。
「このわたしが、レオンガンドに降るだと。馬鹿げた話だ」
「ジゼルコート……!」
デイオンは、床を蹴って飛び出していた。デイオンの言葉は、捕まるつもりのないもののそれだ。この場から逃げようとしている。デイオンの部下が埋め尽くす大扉以外に出入り口はない。が、デイオンの背後には武装召喚師が立っている。シャルティア=フォウス。召喚武装オープンワールドは空間転移能力を持つ。
デイオンの接近に対し、ジゼルコートは冷笑を浮かべただけだった。
「レオンガンドに伝えてくれたまえ。ケルンノールで待っている、と」
デイオンがジゼルコートの元へと到達し、剣を振り下ろした瞬間、デイオンの網膜を純白の光が塗り潰した。振り抜くが、剣がなにかを斬ったという手応えはなかった。咄嗟に閉じていた瞼を開くと、目の前にいたはずの人物が影も形も消えていた。
もっとも、消失したのはジゼルコート、ソニア=レンダール、シャルティア=フォウスの三名だけであり、ジゼルコートが側近の如く遇していたであろう数名の政治家たちは玉座の間に取り残され、呆然としていた。デイオンが一瞥すると、腰を抜かしてその場に崩れ落ちるものもいた。デイオンは部下に目配せすると、それら政治家の対処を任せた。
抵抗するならば斬り、投降するのであれば捕縛する、という対処だ。
彼らは、ジゼルコートに見捨てられたとはいえ、ジゼルコートの謀反に賛同した反逆者だ。情けをかける必要はない。
(ケルンノールで待っている……か)
ジゼルコートの去り際の一言を思い出して、デイオンは胸中で嘆息した。
ジゼルコートに戦力が残っているとは考えにくい。ジゼルコートの持ち前の戦力は、ほとんどすべてマルダールに投入しており、マルダールが奪還された際、壊滅したはずだ。残された戦力は、女騎士に武装召喚師、そしてケルンノールに籠もるマクスウェル=アルキエルくらいだ。
ふと、部下たちがざわついていることに気づき、デイオンが玉座の間の大扉に目を向けると、ひとりの貴公子がクルセルク方面軍兵士に連れられて、室内に入ってくるところだった。返り血を浴びた青年は、玉座の間を見回すなり、デイオンに向かって口を開いてきた。
「どうやら逃げられたようですね」
「ええ。エリウス殿……」
「そう、呼んでくれますか、デイオン将軍」
エリウスがにこりと笑った。
デイオンは、そんなエリウスに微笑を返す。
「あなたも、そうなのでしょう?」
「やはり、あなたも、でしたか」
「ええ」
ナーレス=ラグナホルン最期の策を授かった同志、ということだ。ナーレスは、デイオンに策を授けた際、もうひとり協力者がいることを暗に仄めかしていた。正体を明かさなかったのは、知れば、互いに意識してしまうからだろう。たとえ注意していたとしても、態度に現れてしまいかもしれない。ジゼルコートのことだ。そういう些細な変化を見逃したりはすまい。
ジゼルコートが敵ではなく、別のだれかが謀反を仕掛けてきたとしても、同じことだ。
互いに正体を知らなければ、意識することはないのだ。
「すべてはガンディアのため」
「ですね」
エリウスは、再びにこりと笑った。
王宮はクルセルク方面軍によって制圧され、反逆者のほとんどはエリウスとその手のものによって断罪された。
王都の奪還は、なされた。