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第千四百四十九話 亡霊(五)


 血のにおいが大会議場に満ちている。

 数え切れないほどの死体から溢れた血が、由緒ある大会議場を地獄の色彩に塗り替えてしまっている。

 皆、死んだ。

 この場に集められたジゼルコートの支持者たちは、二十人の情報局員によって皆殺しにされた。だれひとり生き残ることはなかった。多くは逃げようとしたが、閉ざされた室内、逃げ場などあろうはずもなかった。大会議室の出入り口はひとつしかなく、大扉は情報局員とエリウスによって封鎖されていた。逃げるには、大扉に殺到するしかないのだが、大扉に向かうということは情報局員の弓銃の餌食になるということだ。何人かは大扉に向かう最中、矢に貫かれて死んだ。

 弓銃の矢は、室内の机や椅子を遮蔽物にすることで対処でき、そうやってやり過ごそうとしたものもいた。が、そういったものたちは、暗殺者たちに胸や頭を貫かれて死んだ。暗殺者たちは、その暗殺技能を遺憾なく発揮し、情け容赦なく殺していった。

 エリウスに縋り付き、命乞いをするものもいた。

 そういうものには、例外なく、エリウスの刃が振り下ろされた。

 エリウスは、傍観者などではなかった。エリウスは、レオンガンドの代行者なのだ。ならば、みずからの手を汚すべきだった。この手を汚し、痛みを知るべきだった。それが代行者の役割だ。レオンガンドにはできないことをする。そのためにみずからも手を汚そう。

 怨嗟の言葉も、呪詛も受け止めよう。

 それがエリウスの役割なのだ。

 そうして、殺戮劇は終わった。阿鼻叫喚の地獄絵図。とてもイスラに見せられるものではなかった。通路にも悲鳴や怒号、断末魔は聞こえていただろうか。大会議室は、音が外に漏れにくい作りになっているというが、断末魔の叫びまでは抑えきれないかもしれない。

 エリウスは、そんなことを考えながら、亡骸を死体袋に入れている情報局員たちの仕事熱心な様子を眺めていた。

「諸君、ご苦労だった」

「いえ。これもガンディアのためなれば」

「ああ。ありがとう。君らの心意気こそ、この国に必要なものだ」

 情報局員の反応は、エリウスにとって理想的なものであり、彼は自然と笑顔がこぼれるのを止められなかった。

「しかし……しばらくはここは使えないな」

 血は、床や机、椅子だけでなく壁にも残っている。凄惨な殺戮劇の後なのだ。噎せ返るような血のにおいも、すぐには取れないかもしれない。大会議室の洗浄には、とんでもない時間がかかりそうだった。改修工事さえ必要かもしれない。それほどまでの惨状だった。

 そのとき、不意に大会議室の外から声が聞こえたかと思うと、扉が開いた。そして雪崩込んできたのは、武装した兵士たちだった。旧式の鎧が多い。ガンディア方面軍ではない。クルセルク方面軍だろう。つまり、デイオンが王宮に入ったということだ。

「動くな!」

 軍団長と思しき人物が、室内に飛び込んでくるなり叫んだ。

「おや、早いおつきで」

 エリウスは、情報局員たちに目配せして死体の収容を制止させると、軍団長に視線を戻した。その軍団長は、室内の様子に愕然としていた。

「これは……いったい……?」

 血と死のにおいで満ち、数多の死体が散乱する大会議室の光景を一目見れば、そうもなるだろう。

 エリウスは説明せず、逆に質問した。

「デイオン将軍は、玉座の間に向かわれたのですか?」

「そうだが……これはどういうことだ?」

「ジゼルコート伯の謀反に賛同したものたちの成れの果てですよ」

 エリウスがにべもなく告げると、軍団長は唖然とした。

「あなたは……」

「おそらく、デイオン将軍の同志です」

「おそらく?」

 彼は、要領を得ないという表情を浮かべたままだったが、エリウスは気にしなかった。

 デイオンが玉座の間に向かったということは、ジゼルコートの謀反は完全に失敗に終わったということを示している。シャルティア=フォウスがいる以上、ジゼルコートが玉座の間を離脱することは簡単だが、玉座の間を離脱するということは、王宮を手放すということだ。それは敗北宣言にほかならないだろう。

 ジゼルコートに与した有力者のほとんどは、いまここで死んだ。

 ジゼルコート御自慢の戦力も失われた。

 もはや立て直すことは不可能だ。

 ケルンノールに逃げたところで、挽回することはできまい。

 たとえラクシャやアザークがジゼルコートを後押しすることがあったとしても、どうにもならない。

 ジゼルコートは、敗れたのだ。


 王都に入ってから王宮区画に至るまで、デイオンたちは、なんの抵抗も受けることはなかった。むしろ、状況を理解したらしい王都市民による応援さえあり、デイオンはただ嬉しかった。

 デイオンがレオンガンドを裏切り、ジゼルコートの支持に回ったということは、王都市民にとって衝撃的だったのだ。当然だろう。デイオン=ホークロウといえば、ガンディアの先王シウスクラウドの時代から武将として知られていたのだ。レオンガンド政権においてもその立場は変わらず、左眼将軍として名を馳せてもいた。それほどの人物が、謀反人に手を貸すなど信じがたいことだったに違いない。非難の声も、罵声も浴びた。それだけデイオンの裏切り行為が信じられなかったということであり、許せなかったということでもあるだろう。

 そのことについて、デイオンは、なんとも思わなかった。

 なぜならば、ジゼルコートを出し抜くためにはレオンガンドを裏切ることこそが絶対の正義だと信じ込み、みずからを欺かなければならなかったからだ。みずからをも欺き、騙しきらなければ、あの政治家の懐に入り込み、信頼を勝ち取ることなどできない。

 信頼を勝ち取り、ジゼルコートの勢力を拡大すること。それこそが、デイオンに与えられた役割だった。

 それは、ガンディア国内に潜伏しているであろうレオンガンドの敵を炙り出すための策だった。

 なにもジゼルコートに限った話ではない。

 ジゼルコートは、レオンガンドの味方かもしれなかった。むしろ、味方であって欲しいとナーレスでさえ想っていた。ジゼルコートほどの実力を持った政治家は、残念ながらガンディアにはいない。ジゼルコートに疑わしい点があったとしても重用し続けたのは、彼の政治家としての力量がほかに類を見ないほどに優れているからであり、彼がいなければガンディアの国政が立ち行かないといってもよかったからだ。それだけ彼に頼り切っていたということもある。

 しかし、一度抱いた疑念は、そう簡単に払拭できるものではない。

 ジゼルコートがベノアガルドの諜者を招き入れたあのときから、ナーレスは、彼に一定の疑いを持ち続けていた。ナーレスだけではない。レオンガンドも、そしてデイオン自身も、ジゼルコートを疑いのまなざしで見ていた。

 だが、ジゼルコートは、それからというもの、むしろガンディアのためになることしかしなかった。疑いを晴らすため、というよりは、それこそが自分の本分なのだといわんばかりの働きぶりだった。やがて、実子ジルヴェールに後を任せて、ケルンノールに篭もるようになったものの、それからも特に怪しい動きはなかった。

 もちろん、だからといってナーレスがジゼルコートへの警戒を緩めることはなかったが。

 それでもジゼルコートがレオンガンドの味方であって欲しいという願いを込めて、彼は、デイオンに策を託した。それこそが、デイオンがジゼルコートの同志となった策だ。

 それは、ジゼルコートのような謀反人が現れればそれに味方するというだけのものだ。それだけのことなのだが、左眼将軍が味方するということは、クルセルク方面軍そのものが味方になるということであり、同調者を炙り出すためにはこれ以上にないくらいの効力を発揮するだろう、とナーレスは見ていた。反旗を翻すには、戦力がいる。クルセルク方面軍の兵力は膨大だ。それがそのまま味方になるということほど、反乱成功の説得力を上げるものはなく、レオンガンドの敵を募る原動力になりえた。反レオンガンド派だけではない。中立派やレオンガンド派、セツナ派の中に潜伏しているであろうレオンガンドの敵を炙り出すには、それくらいのことが必要なのだ。

 ナーレスがデイオンにクルセルク方面を一任したのは、そこまで見据えてのことだったのだ、という。クルセルク方面の将兵を完全に掌握し、デイオンの命令に従う組織へと作り上げることこそ、国内に潜伏するレオンガンドの敵を一掃するというナーレスの策の根幹だった。

 すべてはガンディアのため。

 その一言に嘘も偽りもなかった。

 ガンディアをより良くするためには、レオンガンドの敵を一掃することだ。

 ガンディアは一枚岩になるべきなのだ。

 レオンガンドの元に統一されるべきだった。

 王宮区画へ入ると、王宮警護が待ち受けていた。

 王宮の守護者たちは、身命を賭してでもデイオンたちの王宮への侵入を止めようとしたが、デイオンが誠心誠意説得すると、彼らは理解し、納得し、道を開けた。王宮区画を護ることこそが王宮警護の役目だ。故にデイオンたちを通すまいとする彼らの反応そのものは正しい。が、現在、王宮区画を支配しているつもりになっているもののことを考えれば、大いなる間違いだというほかないのだ。謀反人に従う道理はない。

 レオンガンドが敗れ去り、ジゼルコートの謀反が成功し、ガンディアがジゼルコートのものになったのであれば、王宮警護がデイオンたちの道を塞ぐことを正義と呼ぶこともできよう。勝者こそが正義というのは、この戦国乱世の倣いだ。ガンディアもその掟に従わなければならない。例外はない。

 だが、レオンガンドが未だ健在で、むしろジゼルコートが敗れようとしているいま、ジゼルコートに正義はない。

 正義は、レオンガンドにこそあるのだ。

 王宮警護の衛兵たちは、そういうデイオンの説得に対し、むしろ安堵の表情を浮かべていた。それら反応がなにを意味するのか。簡単なことだ。だれもが望んでジゼルコートの指示に従っていたわけではないということなのだ。

 王宮区画を通過し、獅子王宮へと至れば、ジゼルコートの手勢が待ち受けていた。ジゼルコートの私設軍隊に所属する戦士たちだ。デイオンの説得には応じなかった。それどころか問答無用で襲い掛かってきたため、デイオンたちは仕方なしに応戦した。数の上で圧倒していることもあり、苦戦することもなく撃破し、王宮内部への進入を果たす。

 王宮内部に入ったデイオンは、部隊を複数に分け、王宮全体を掌握するべく散開させた。

 デイオン自身は、手勢を引き連れて玉座の間へ急いだ。

 玉座の間は、ジゼルコートが王宮を掌握したのち、彼自身によってなにものも立ち入ることを禁じられていたが、レオンガンドとの最終決戦に際し、彼が玉座の間にいるだろうことは想像がついた。ガンディア王家の人間にして、謀反の首謀者たる彼が、王権の象徴たる玉座の間にいないはずがない。

 道中、何度かジゼルコートの兵と交戦したが、デイオンは無傷のまま玉座の間に到達した。

 両開きの大扉を開き突入すると、デイオンの思った通りに彼はいた。

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