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第千四百四十八話 亡霊(四)

 リノンクレアは、馬上、ラクシャ軍の陣形が乱れに乱れているのを見て、目を細めた。ラクシャ軍の足並みは悪く、戦意も高くはなかった。それもそうだろう。ラクシャ軍は、先の戦いで痛手を負っている。あの戦いからたった数日では、戦いの傷も癒えるわけもない。ましてや失った兵力を補充することさえできていない以上、士気が高まるわけもなかった。

 なにより、こちらには圧倒的な制圧力を誇る怪物がいた。

 魔晶人形ウルクは、たった一体でラクシャ軍の前線部隊に壊滅的被害をもたらしただけでなく、その後も暴れまわり、ラクシャ軍に損害を与え続けている。

「こちらの勝利は間違いなさそうですね」

「ああ。だが、気を抜くなよ」

「はい」

 リノンクレアは、ラクシャ軍が状況を打開するべく、ウルクに戦力を集中させるのを遠目に認めながら、いった。無論、リノンクレアもまた、指揮に手を抜くつもりはなかった。確かにウルクは強い。凶悪とさえいっていいだろう。彼女ひとりに任せても勝利をもぎ取ることは不可能ではなかった。それほどまでの戦力なのだ。だが、だからといってルシオンが黙っているわけにはいかないのだ。ルシオンは、ガンディアを裏切ってしまった。その事実は払拭することなどできない。レオンガンドは便宜を図ってくれるだろうが、それに甘えてばかりもいられないのだ。

 なんとしても、ルシオン軍ここにあり、という戦果を上げ無くてはならない。

 そのためにリノンクレアは、ルシオンの部隊をふた手に分けたのだ。ちょうどそのときだった。別働隊がラクシャ軍の横腹を突き、そのまま深く入り込んで陣形を突き崩した。

「いまだ! 突撃!」

 リノンクレアは吼え、みずからも突撃を開始した。

 かくして、ルシオン軍・ザルワーン方面軍混成部隊とラクシャ軍の戦闘は、激化の一途を辿った。


 戦竜呼法。

 竜の呼吸法のことをそういう。ドラゴン特有の呼吸法であり、ドラゴンはこの呼吸法により生命に宿る本来の力を引き出すことができるのだという。本来、人間には真似のできない呼吸法であり、体得した人間はトラン=カルギリウスが初めてであり、そのことを知ったドラゴンたちは大いに驚き、彼を激賞したらしい。トランがその呼吸法を体得できたのは、ドラゴンたちと長年生活をともにしていたからであり、ほかの人間が体得することなどありえず、ルクスが見様見真似で体得した事実は驚嘆に値することであるらしい。

 というような話を、ルクスはマルダール滞在中、トラン自身から聞いた。戦竜呼法のさらなる奥義などがあれば知りたかったのだが、どうやら、それ以上のことは人間の肉体では不可能であるらしかった。ドラゴンのような強靭なく肉体がなければ、戦竜呼法の奥義は発動できないのだという。

 その奥義こそが竜語魔法なのだ、という。

 つまり、戦竜呼法は竜語魔法の前段階だということだ。 

 もちろん、竜語魔法を使うには、竜語を知っていなければならず、たとえ強靭な肉体を持っていたとしても、無学なルクスには無縁のもののようだった。

(まあ、これでも十分だけどさ)

 ルクスは、グレイブストーンを振り回しながら、その長剣の軽さに新鮮な驚きを感じていた。それは戦竜呼法によって全身に常ならざる力が漲っていることの証明だ。あらゆる感覚が冴え渡り、身体機能が向上し、運動能力までもが高まっている。たかが呼吸法を変えただけでこの変化なのだ。驚く他なかったし、トランには感謝するしかなかった。

 この呼吸法のおかげで、ルクスはさらなる高みを目指すことができる。

 もっと多くの敵を討つことができ、《蒼き風》の名をさらに轟かせることができる。

 ルクスは、《蒼き風》の突撃隊長として、戦場にある。

 敵陣に突貫し、《蒼き風》の名を告げ、剣を振るう。悪鬼の如く剣風の嵐を巻き起こし、手当たり次第、物言わぬ肉塊へと変えていく。殺到する矢はかわすか、切り落として対処し、つぎの瞬間、弓兵に狙いを定めて飛びかかる。息をつく暇などはない。いや、そもそも、戦竜呼法を維持している限り、呼吸が乱れることなどありえない。戦竜呼法は、通常の呼吸法よりもずっと安定した状態を維持することができるのだ。ただし、常に戦竜呼法を保ちつづけることは、難しい。通常、人間が行っている呼吸法とは大きく異なるものであり、人間には真似のしにくい呼吸法なのも事実だった。常に意識していなければならず、ほかに気を取られれば、呼吸が乱れ、通常のそれへと戻るだろう。

 が、この雑兵しかいない戦場ならば、決して呼吸法が乱れるようなことはあるまい。

 雑兵。

 アザーク軍の兵士は、雑魚としかいいようがなかった。

 ただでさえグレイブストーンで底上げされ、さらに戦竜呼法で強化されたルクスの敵ではないのだ。しかも、戦竜呼法で暴れ回っているのは、ルクスだけではない。

“剣聖”トラン=カルギリウスも、その二つ名に遜色のない活躍を見せていた。単身、敵陣深くに切り込むと、無手のまま、雑兵を尽く打ちのめしてみせた。敵兵の武器を奪っては切りつけ、投げつけては奪い、さらに傷口を広げていく。

 アザーク軍の陣形が乱れた。

 そこへ《蒼き風》、《紅き羽》、ログナー方面軍が猛攻をかけると、アザーク軍の戦線は壊滅状態となった。

 アザークの武装召喚師は、マルダールの戦いでルクスが倒しており、ここよりアザーク軍が逆転することは不可能に近かった。少なくとも、ルクスとトランを止めることができなければどうしようもないだろう。そして、それは雑兵如きにできることではない。

「さすがは“剣鬼”、といったところかね」

「さすがは“剣聖”、といったところですな」

 敵陣深くでトランと邂逅したとき、ふたりはそんな言葉を交わし、笑いあった。

 そこからさらに数え切れないほどの敵を討った。

 アザーク軍が後退を始めるまで、ふたりの共闘は続いた。


「大会議室の警護、ご苦労だった」

 大会議室前に辿り着いたエリウスは、警護を務める王宮警護のふたりに対し、開口一番、そういった。そして、こう続けた。

「あとは我々に任せてくれたまえ」

 エリウスの言葉に、ふたりの王宮警護は怪訝な顔をした。

「は?」

「し、しかし……」

「なにか問題でもあるのか? これだけの人数がいるのだ。たとえ敵が押し寄せてきたとしても、君らふたりよりは持ちこたえることができると思うが」

 エリウスは、後ろを示した。人数。玉座の間から大会議室に至る途中で合流した二十人は、いずれも情報局の局員だ。情報局の局員とはいうものの、その身体能力は折り紙つきであり、王宮警護と遜色のない戦力といってもいい。情報局は、ガンディアの情報収集の要だ。国内で情報を集めるために走り回ることもあれば、他国に密偵として入り込むこともある。優れた身体能力がなければ務まらないのだ。現在は、参謀局と協力していることも多く、いまや参謀局の一部となりつつあるものの、独立した組織だということに変わりはない。

 そんな情報局をエリウスの一存で扱うことができるのは、エリウスがナーレス=ラグナホルンの遺志によって動いているからにほかならない。

「それは……そうですが」

 王宮警護のひとりが、渋々、認める。

 大会議室には、ガンディアの要人が集合している。たったふたりよりも二十人で護衛に当たったほうがいい、というのはだれの目にも明らかだ。

「ここよりも王宮の防衛に向かったほうがいいのではないか?」

「それは、どういうことですか?」

 王宮警護がきょとんとしたのは、情報の伝達が遅れているせいだ。そしてそれは、意図的なものにほかならない。デイオン=ホークロウがジゼルコートを裏切り、王都に迫っているという報せは混乱をもたらすに決まっている。いま現在、ジゼルコートに与しているものが敗北を認識し、ジゼルコートの敵に回る可能性も低くはなかった。だからジゼルコートは情報統制を行っている。当然のことだ。

 そして、それはエリウスの望み通りでもあった。

「デイオン将軍が裏切った」

「なんですと」

「そ、そんな……」

「王宮警護は全力を上げて王宮の防衛に当たるべきだ。違うか?」

「確かにエリウス様の仰る通りだ。行くぞ」

「あ、ああ。では、ここはエリウス様にお任せします」

「ああ。くれぐれも、己の命を大事にしたまえ。君らは伯の部下ではない。王宮の守護者なのだ」

「はっ」

「お気遣い頂き、感謝の言葉もありません!」

「いや、いい」

 ふたりの王宮警護が大会議室前を離れ、通路を走り去る様を見届けると、彼は大きく息をついた。一先ず、安心できる。いくら目的のためとはいえ、彼らを巻き込みたくはなかった。王宮警護は、ジゼルコートを支持しているわけでもなんでもない。王宮警護の職務として、王宮区画の警護を行っているだけにすぎない。

(……彼らが戦いに巻き込まれることはないだろうが)

 デイオンとて、王宮警護を巻き込むつもりはないだろう。

 デイオンの裏切りがエリウスの想像通りのものならば、だが。

「なにをなさるおつもりなのですか?」

 恐る恐る尋ねてきたのは、無論、イスラだ。彼女と彼女の侍女たちもついてきている。

「いったでしょう。わたしにはわたしの役割がある、と」

「その役割がなんなのか、聞いているのです」

 いくらか強い口調になったのは、不安や不審があったからだろう。

「この国は、いま、どのような状況にあるかご存知でしょう」

「ガンディアの状況ですか?」

「ええ。ジゼルコート伯の謀反によって、国がふたつに割れた。レオンガンド陛下に付き従うものたちと、ジゼルコート伯の支持者のふたつに、ね」

 ジゼルコートの支持者は、反レオンガンド派だけではない。中立派だったものもいれば、レオンガンド派だったものもいる。ジゼルコートは、その政治手腕によって、ガンディア内で暗然と勢力を拡大し続けていたのだ。それらは、反乱の萌芽であり、災禍の種子というべき存在だった。

「それもこれも、陛下がお優しすぎるからこそ生じた事態なのだろう。陛下がもう少し厳しければ、陛下がもう少し、強く出ることができていれば、こうはならなかった。少なくとも、反レオンガンド派の貴族は生きてはいられなかっただろう」

 ラインス=アンスリウス率いる太后派・反レオンガンド派は、ラインスの死後、急速にその力を失った。反レオンガンド派の頭目であったラインスと派閥の上層部が謎の死を遂げたからであり、反レオンガンド派を続けることがみずからの首を絞めることだと気づいたものたちは、反レオンガンド派から中立派に鞍替えした。中にはそこからレオンガンド派に鞍替えしたものまでいて、セツナ派が結成されると、セツナ派に移ったものもいる。

 ジゼルコートの謀反によって、そういった反レオンガンド派の生き残りが息を吹き返した。レオンガンド派、セツナ派に潜伏していたものたちもつぎつぎとジゼルコートの支持者となり、レオンガンドに敵対的な言動を行うようになった。我が物顔で王宮区画を彷徨くようになり、レオンガンドなにするものぞと息巻いている。その見苦しく、醜悪な姿は、人間の形をした怪物というほかなく、エリウスはそういった連中を見るたびにレオンガンドが成し遂げられなかったことを考えたものだ。

「陛下は、お優しい。たとえ自分に敵意を持つものであっても、利用価値があればそれでいいと考えておられる。ガンディアのために力を尽くしてくれるのであれば、自分の敵だったとしても構わないとね。反レオンガンド派が今日まで生き延びてこられたのは、陛下の根底にそういう考えがあるからだ」

 これはガンディア王家が情愛に満ちた血筋だから、というのもあるのだろう。愛故に、安易に処断することができない。敵だということがわかっていても、可能性を信じてしまう。そういった優しさや甘さが、この国を危機に陥れることがわかっていても、そればかりはどうしようもないのだろう。

 レオンガンドも、人間だ。

 人間は、そう簡単に変わることなどできない。

 たとえ覚悟を決めたとしても、それを実行できるかというと別の話だ。

 そしてそれでいいと、エリウスは想っている。

 レオンガンドは、ガンディアの王だ。ガンディアはこれからさらに発展していかなければならない。小国家群を統一するというのだ。支配地を増やし、属国を増やしていかなければならない。そのとき、レオンガンドは、愛と慈しみに満ちた王として君臨してくれていたほうが、結果的に良い影響を与えてくれるだろう。

 ガンディアに下れば悪いようにされることはない。少なくとも、レオンガンドの統治下ならば安心できる。そういった評判は、小国家群統一に大いに力を発揮するに違いなかった。

 だからこそ、エリウスがやらなければならない。

 彼は、大会議室の扉の前に立つと、イスラを振り返った。

「イスラ姫は、ここでお待ちになられるよう。決して、中を覗かないことです」

「ですから、いったい、なにをなさるのですか……」

 彼女の声が震えていたのは、エリウスがこれからなにをなそうとしているのか、ある程度想像がついたからだろう。イスラは、ベレルの王女だ。世間のことをなにも知らない女性ではないのだ。

「この国から災いの種を取り除く。ただそれだけのことですよ」

 エリウスはにこりと笑って、情報局員たちに目配せをした。情報局は、情報収集以外に暗殺任務を請け負うこともあったという。レオンガンドが国王となってからというもの、暗殺任務が言い渡されることはなくなったというが、二代前の国王時代はよくあったらしい。当時猛威を奮った暗殺技能は、いまも受け継がれてはいるようだ。

「災いの種……」

「ええ。それは陛下の治世には不要なものです」

 そして、レオンガンドには除去しきれないものだろう。

 エリウスは大会議室の扉を開くと、二十人の局員とともに入室した。

 ジゼルコートの支持者たる政治家、貴族たちは、現実逃避としての議論を続けており、エリウスたちの入室に気づいたのはほんの一握りの人間だけだった。情報局員の最後のひとりが、会議室の扉を閉じる。

「なにごとですかな? エリウス殿」

 議論に熱中していたのか、手拭いで汗を拭いながら、その老人はいった。確か、ガンディアでも有数の名家出身の貴族だったはずだ。そういった貴族は、この場に多くいる。古い家柄ほど、レオンガンドに反発を抱くのは、ある意味では当然だろう。レオンガンドは、人材に出自を問わなかった。家柄や血筋よりも実力、才能を優先し、登用した。どこの馬の骨ともわからないセツナが領伯にまで上り詰めたことは、家柄と血筋だけが誇りだった貴族たちには衝撃的すぎたのは間違いない。

「皆様に於かれましては、ここで命を差し出していただきたく」

 エリウスがにこりとして告げると、老人は呆気にとられたような顔をしたが、すぐになにかに気がついたように笑った。

「なにを仰るのかと思えば、笑えぬ冗談ですな」

「エリウス殿ほどのお方が、そのようなことをいわれるとは」

「まったくですな」

 ほかの貴族たちがつぎつぎに笑う。皆、内心ではエリウスのことを小馬鹿にしているに違いなかった。エリウスはログナー人であり、ログナー最後の王だ。それほどの男がいまやジゼルコートの小間使いと成り果てていることが、彼らには痛快でたまらないに違いない。ガンディア人にとってログナー人は目の上のたん瘤だった。

「冗談?」

 エリウスは、目を細めると、右腕を掲げた。情報局員の半数が剣を抜き、半数が弓銃を構えた。

「わたしは至って真面目ですよ。真面目に、この国のために生きている」

 腕を振り下ろす。

「ガンディアのために」

 弓銃から矢が放たれるとともに暗殺者と化した局員たちが、混乱する貴族たちに襲いかかった。

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