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第千四百四十六話 亡霊(二)

 ガンディア解放軍は、マルダール奪還戦と同じ配置だった。

 クルセルク方面軍の正面に本隊であるガンディア方面軍が布陣し、アザーク軍にはログナー方面軍と傭兵部隊、ラクシャ軍にはルシオン軍とザルワーン方面軍が当たった。兵数は、当然、先の戦いよりも減っている。どの戦闘も大勝に終わったものの、大勝したからといって負傷者がでないわけではないのだ。戦いに死傷者はつきものだ。無傷の勝利など、基本的にあり得るものではない。

 この戦いでも多くの血が流れるだろう。

 特に今回は、《獅子の尾》の制圧力に期待することはできないのだ。

(とはいえ……)

 レオンガンドの遠眼鏡は、本隊最前線にはためく《獅子の尾》の隊旗を捉えていた。銀獅子の横顔に黒い尾という隊旗は、見紛うはずもなくガンディア王立親衛隊《獅子の尾》のそれであり、《獅子の尾》の武装召喚師たちが戦場に出ていることは疑いようがなかった。

(期待するしかないのが実情か)

 ガンディア軍の主力である《獅子の尾》は、解放軍においても主戦力であり、負傷しているとはいえ、彼らの活躍には期待せざるを得ないのだ。無論、武装召喚師はほかにもいる。だが、彼らほど強力な武装召喚師はそういるものではなかった。

(無理はさせたくはないのだがな)

 ファリアは片腕が完全には回復しておらず(召喚武装を用いても、完治するまで一月はかかるというくらいの重傷らしい)、ミリュウも完治していない。ルウファも不完全な状態だった。《獅子の尾》と行動をともにさせているアスラに至っては戦闘行動などするべきではないといわれるほどの状況だ。グロリアは、そんな彼らを回復させるための召喚武装を使い、消耗している。

 だれもが先の戦いで消耗しきっていた。

(この戦いが最後だ)

 王都の奪還に成功し、ジゼルコートを討つことさえできれば、彼らを休ませることができる。

(我慢してくれ)

 いまは、そう心の中で謝るしかなかった。

 戦いが終われば、思い切り療養に専念させてやろう。

 レオンガンドは、胸に誓いを刻みながら、戦いの始まりを感じた。

 本体中央に布陣する大将軍アルガザード・バロル=バルガザールが、全軍に号令を下したのが、遠眼鏡に映ったのだ。

 そしてそのとき、思わぬことが起こった。

 左眼将軍旗が、翻ったのだ。

 

「全軍、転進」

 デイオンが命じたのは、眼前の敵軍が動き出した直後のことだった。

 ジゼルコート軍とレオンガンド軍の睨み合いが終わり、ついに戦闘が始まろうとしたちょうどそのときだ。上天の太陽がわずかに傾き始め、風が強くなっていた。ガンド平野に砂が舞い、両軍の間に緊張が高まりつつあった。

「は……?」

「転進……ですか?」

 デイオンの号令に対し、部下たちから疑問の声が上がった。予期した通りの反応だ。しかし、デイオンは気にせず、部下を一瞥し、同じ言葉を続けた。

「そうだ、転進せよ」

「は、はい、全軍転進! 転進せよ!」

 軍団長のひとりが、デイオンの指示を全軍に伝えるべく、声を荒らげさせる。デイオンの冷ややかな視線が効いたのだろう。クルセルク方面軍は、デイオンの掌中にある。疑問を感じたとしても、彼の命令に逆らうことなどありえない。彼は、そうなるべく辛抱強く教育してきたのだ。クルセルク人、ノックス人を完全に掌握するために時間を費やした。それが彼に与えられた策を果たすための絶対条件だったからだ。

「しかし、なぜです?」

 もうひとりの軍団長が、怪訝な顔を向けてくる。号令によって全軍が進路を変え始めている最中のこと、デイオンも馬首を巡らせ、敵に背を向けようとしていた。

「敵と戦わずして逃げるというのですか? 確かに戦力差もあり、勝てる見込みは少ないかもしれませんが、一戦も交えぬまま諦めるのはどうかと」

「そう、敵と戦わぬまま、味方を討つなどありえぬことだ」

「は?」

 デイオンは、軍団長の素っ頓狂な声を聞き流し、大きく息を吸った。声を張り上げるために。

「敵は、王都にあり!」

 デイオンは、宣言した。あらん限りの声で。全軍に届くような大声で。

「逆賊ジゼルコートとその支持者を討ち、ガンディアより陛下の敵を殲滅せよ!」

 クルセルク方面軍の将兵たちは、当初、なにが起こったのかわからないといった顔をしていた。だれもが、デイオンはレオンガンドを裏切り、ジゼルコートについたのだと信じていたからだ。それでよかった。デイオンは、そう演じた。演じ続けた。ジゼルコートの同志として、レオンガンドの敵に回ったのだと自分に言い聞かせてさえいた。自己暗示の果て、ついには夢の中でレオンガンドを斬ったこともあった。それほどまでに徹しなければ、ジゼルコートを騙すことなどできるわけがない。

 ジゼルコートは生粋の政治家だ。ガンディアにおいては、政治家として彼の右に出るものはいない。おそらく、先の王シウスクラウドですら、その政治手腕は遅れを取るだろう。ジゼルコートを出し抜くには、自分をも騙し切る必要があった。

「生死は問わぬ! 陛下の信頼を踏みにじり、国を裏切った逆賊共に情けをかける必要なし! 容赦もするな! 抵抗するならば殺せ! 投降したものも厳重に拘束せよ! 従わぬものは、斬れ!」

 デイオンの号令が響き渡ると、クルセルク方面軍の各所から声が上がった。喚声は熱を帯び、雄叫びとなり、全軍を鼓舞し、士気を高めていく。疑問は消え、代わりに義憤が炎と燃え上がった。

 彼らとて、心苦しかったに違いない。デイオンは、彼らにまず、レオンガンドの忠臣であることを求めていた。そのうえで、デイオンの指示に従うよう、教育していたのだ。デイオンの命令とはいえ、主君たるレオンガンドを裏切るなど、己が身を切るように辛かっただろう。

「我はレオンガンド・レイ=ガンディアが家臣にして、ガンディアの左眼将軍デイオン=ホークロウ!」

 呪縛は、解かれた。

「これより、ガンディアにはびこりし邪悪を一掃する!」

 すべては、そのために。

 熱を帯びた軍勢の中で、デイオン自身、強烈な熱気に焦がされる想いがした。

(これで、よいのですね)

 デイオンは、手綱を握る手に自然と力が篭もるのを認めた。

(ナーレス殿)

 それは、ナーレス=ラグナホルン最期の策だった。



 

「いったいどういうこと?」

 馬上、ミリュウが疑問の声を上げたのは、ジゼルコート軍のうち、クルセルク方面軍だけが後退を開始したからだ。彼女は、白色の新式鎧を身につけているのだが、それは、先の戦いで専用色の防具が使い物にならなくなったためだった。専用色の防具一式の予備は、王都に保管してある。

 ファリアも同じだ。破損し、防具として機能不全に陥った防具の代わりに、白の新式防具に身を包んでいる。新式装備は白基調が多く作られており、赤が象徴色であるガンディア方面軍の将兵も、白の新式防具を纏っていた。

「さあ、どういうことでしょうね?」

 軍師候補は、馬に乗ったまま、遠眼鏡で前方を見遣っていた。ファリアたちは最前線にいる。つまり、エインも最前線に出ているのだが、それは彼が前線指揮の役割を担っているからだ。大将軍は中央から全軍を指揮し、前線部隊の動きはエインが決める。そのため、《獅子の尾》はエインの護衛に戦力を割くことも考えなければならない。もっとも、その点は、特に心配はなかった。

《獅子の尾》は、マルダール戦後、戦力が増加していた。優秀な武装召喚師がふたりも、《獅子の尾》指揮下に入っている。グロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルだ。満身創痍から大幅に回復したグロリアはともかく、複数箇所を貫通する傷を負ったアスラは、今回の戦いではあまり使い物にならないかもしれないのだが、エインの護衛を任せることはできそうだった。動けなくとも、召喚武装は使える。

「追撃するの? しないの?」

「罠かもしれません。誘引策は、デイオン将軍の得意とする戦術。野戦においては、ガンディア随一の戦上手という話ですし……」

 ミリュウの質問に、エインはクルセルク方面軍の様子を見遣りながら答えた。遥か前方、クルセルク方面軍数千の大軍が、土煙を上げながら王都に向かって疾駆している。戦い、撃破するのであれば、すぐにでも追いかけなければならないのだが。

「とはいえ、どうも様子が変です」

「そうね。なんだか慌ててるみたい」

「戦意も上がっているようだな」

 と、上空からいってきたのは、グロリア=オウレリアだ。メイルケルビムから放射される光の翼が、彼女の姿を天使のように思わせる。その天使の鎧が遠方の軍勢の状態を把握させているに違いない。

「戦意が? どうしてまた」

「我が方を誘引するつもりならば、戦意高揚している様など見せないはずですし……やはり、奇妙ですね」

 罠にかけるのであれば、敵を引きつけなければならず、そのためには追撃させる気を起こさせなければならない。後退中とはいえ、戦意高揚している敵など、追撃する気にもなるまい。なにか策を弄しているといっているようなものだ。

「空中から様子を見てこようか? わたしとルウファのふたりで」

「え、俺もですか?」

 ファリアたちと同じ白鎧を身につけ、その上からシルフィードフェザーを纏ったルウファが、グロリアの発言に仰天してみせた。ルウファの負傷も、ファリアやミリュウたちに比べれば、まだ軽い。ミリュウは複数箇所骨折していたし、ファリアに至っては左腕は当て木をし、包帯を巻いたままだった。とても戦場に出ていい状態ではない。それでも解放軍の勝利のためには出撃しなければならなかった。

《獅子の尾》は、ガンディアの最強戦力だ。たとえまともに戦えずとも、その隊旗は戦場に翻っていなければならない。

「当たり前だ。おまえがこの隊の隊長代理なのだろう? おまえがいかずして、だれがいく」

「師匠がおひとりでいかれればよろしいじゃないですか」

「わたしをひとりにさせれば、なにをするかわからんぞ」

 グロリアがにやりとすると、エインが同調した。

「そうですよ。グロリアさんの監視も兼ねて、隊長代理も一緒に見に行ってくださいませ」

「はあ……わかりましたよ、行けばいいんでしょう、行けば」

「うむ」

 グロリアの嬉しそうな表情には、エインも肩を落とすしかないといった様子だった。

 ファリアは、そんなルウファの様子が不思議でならなかった。

「どうしていつもと違って乗り気じゃないのかしら?」

「グロリアさんとふたりきりで飛び出していったとなると、後がうるさいからじゃない?」

「……なるほど」

 ミリュウの耳打ちにファリアはすぐさま納得した。グロリアは、投降してからというもの、ルウファへの愛情を隠さなかった。周囲が驚くほど積極的にルウファに接触し、疲れ果てたルウファの回復を真っ先に行うなど、贔屓の引き倒しといってもいいほどだった。獄卒のように厳しい師匠というルウファの評価が嘘だったのではないかと思えるほどの甲斐甲斐しさは、彼の婚約者であり軍医見習いのエミル=リジルの妬みを買ったりしているのだ。

 グロリアはルウファの師匠であり、弟子の面倒を見るのは当然だというのだが、彼女のそれは、どう考えても師弟関係の垣根を超えたものだった。

 ルウファはそんなグロリアに辟易しているようなのだが、グロリアが強力な武装召喚師であり、味方になってくれている以上、強気には出られないらしい。それがまたエミルの怒りを増幅させる結果になる。ルウファはふたりの板挟みになっているのだ。大変だろうが、セツナに比べれば随分とましだろう。

 セツナを取り巻く女性の数は、ふたりどころではないのだ。

 毎日、休む暇なくだれかの相手をしなければならなかった。休日だというのに疲れ果てることもしばしばであり、だからこそ、ファリアは彼との距離を保たなければならないと自制するのだ。自分までもセツナに甘えはじめれば、彼は自分たちのことだけで手一杯になるかもしれない。

 ルウファは、ふたりでも手一杯のようだが。

「いくぞ、ルウファ」

「ああ、待ってくださいよ!」

 ルウファは、鞍から飛び降りながらシルフィードフェザーの翼を展開し、急上昇すると、先行するグロリアを追っていった。

「あたしたちはどうするわけ?」

「そうですわ。待っていても仕方がないのではありませんか?」

「では、微速前進、ということで」

 エインの指示に従い、ファリアたちは前進を開始、解放軍本隊そのものがゆっくりとクルセルク方面軍を追撃する形になった。

 クルセルク方面軍――引いてはデイオン=ホークロウの思惑がどこにあるのか、ファリアたちには想像もつかなかった。



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