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第千四百四十五話 亡霊(一)

 マルダールが陥落したという報せが耳に届いたとき、彼は、いよいよかと想った。

 ときが来たのだ。

 長らく待ち続けていた自分の出番が、ようやくきた。

(わたしの役割を果たさねばな)

 デイオン=ホークロウが王都ガンディオン防衛のため、クルセルク方面軍の将兵を率い、王都を出撃したのは、五月三日のことだった。

 クルセルク方面軍は、クルセルク戦争後、クルセルク方面を一任されたデイオンが一から作り上げた軍団であり、軍団長から一兵卒に至るまで、デイオンの薫陶を受けている。デイオンを絶対の存在と仰いでおり、デイオンがジゼルコートの謀反に同調したときも、一切の動揺なく、受け入れた。鉄の掟と鋼の意思がクルセルク方面軍を、他の方面軍にはない組織につくりあげているのだ。

 デイオンは、そんなクルセルク方面軍を自分の子のように愛していたし、彼らに戦場を与え、活躍させることが彼らの想いに応えることだと信じていた。将はともかく、兵は、戦場での戦功を立てることでしか評価されない。

 クルセルクの大地で生まれ育ち、魔王の支配下でも腐らず、自己を鍛錬し続けてきた兵士たちは、高く評価されるべき存在だと信じて疑わなかった。少なくとも、ガンディア方面軍の弱兵よりは遥かに強く、使い勝手がよかった。デイオンの命令に電光石火の如く応えてくれる彼らの心地よさたるや、ガンディア兵を率いていたころには感じられないものだった。

 だからといってガンディア方面軍が悪いといっているわけではない。

 ガンディア方面軍にはガンディア方面軍のやり方があり、クルセルク方面軍にはクルセルク方面軍のやり方がある。ただそれだけのことだ。そして、デイオンには、クルセルク方面軍のやり方があっているというだけに過ぎない。

 それに、将たるもの、軍のやり方に合わせて采配の仕方を変えるというのも、ひとつの考え方だ。ガンディア方面軍を率いるときには、それなりの采配がある。それはクルセルク方面軍には生ぬるいものかもしれないが、ガンディア方面軍の実力を完全に引き出すには、それで十分なのだ。逆にクルセルク方面軍の力を引き出す采配もある。苛烈な大地で育ったクルセルクの将兵には、雷火の如き攻めがよくあった。それは、ガンディア方面軍には無理難題を押し付けるようなものであり、ガンディア方面軍を指揮する際には使えない采配だった。

 だからといって、ガンディア方面軍を愛していないかというとそうではない。

 デイオンは、どうあがいてもガンディア軍人なのだ。染み付いたものは拭いきれない。

 五月三日、正午。

 王都北西にデイオン率いるクルセルク方面軍が本隊として布陣した。本隊の西にアザーク軍、東にラクシャの軍勢が着陣すると、ジゼルコート軍の布陣が完成した。

 クルセルク方面軍は、八軍団最大一万二千の兵数を誇る大軍団だが、全戦力がガンディア本土に集まっているわけではない。国土防衛の観点から考えれば当然のことだ。ガンディア本土を護るためとはいえ、クルセルク方面をがら空きにしては意味がない。半数の四軍団、六千の兵がマルディア救援軍のために戦力のなくなったガンディア本土防衛のために駆り出されている。そして、その六千名はすべて、デイオンの指揮下に入っていた。

 布陣後、デイオンは、アザーク、ラクシャの軍勢のことは、それぞれの指揮官に任せることとし、その旨を伝令兵に通達させている。アザークもラクシャもマルダールの戦いで手酷い損害を被っており、デイオンがジゼルコート軍の指揮官として命令したところで、積極的に動いてくれないことは明白だった。もしかすると、この結果が見えた戦いの最中、ジゼルコートを裏切る可能性だって考えられた。

 マルダールが落ちたことで、ジゼルコートの命数が風前の灯となっているのは、だれの目にも明らかだ。戦力的にも、兵力的にも上を行くレオンガンド軍が勝利する可能性は極めて高い。戦後の立ち位置を考えれば、ここでジゼルコートを裏切り、レオンガンド軍の勝利に貢献したと言い張るものが現れたとしても、不思議でもなんでもなかった。

 特にアザークのようななにを考えているのかわからない国など、信用できるはずもない。それでも戦力を欲したジゼルコートは、アザークを利用しなければならなかったのだ。

 やがて、レオンガンド率いるガンディア解放軍の大軍勢がデイオンたちの遥か前方に着陣した。

 ガンド平野に展開するその陣容の絢爛さたるや、息を呑むほどに美しく、勇ましい。デイオンの周囲のものが思わず声を上げてしまったほどであり、彼らはデイオンの視線に気づき、慌てて口を塞いだものだ。デイオンは苦笑して、頭を振った。

 開戦のときが迫っている。

 五月三日。

 謀反から二月も経過していない。

 ジゼルコートにとっては、わずかばかりの天下。

 いやそもそも、天下すら取れてなどいない。

 ガンディアは大国化しつつあるとはいえ、小国家群の一国に過ぎないのだ。これが天下だとすれば、あまりにも狭いといわざるをえない。

(そんなもので満足だったか? ジゼルコートよ)

 デイオンは、遥か彼方ではためく数多の軍旗に目を細めた。

 そして彼は、腰に帯びた剣の柄に手を触れた。

 


 ガンディア解放軍がマルダールを奪還したのは、四月三十日のことだ。

 四月三十日に開戦し、その日の内に奪還に成功。その日は、戦後処理に明け暮れた。それから丸二日の休養を挟み、マルダールを出発している。

 目指すは、王都ガンディオン。

 ガンディオンさえ奪還することができれば、解放軍の戦いは終わるだろう。少なくとも、謀反人たちにはどうすることもできなくなる。ジゼルコートは、ケルンノールとクレブールを支配下に収めているとはいえ、王都を失った彼にはレオンガンドに対抗する力など残されているはずもない。ただでさえ戦力を失い続けている。彼の協力者も、彼の主戦力も、敗れ続けた。

 もはや、王都ガンディオンを残すのみといっても過言ではなかった。

『とはいえ、ここで気を抜くわけには参りません。相手はデイオン将軍ですからね』

 マルダールでの軍議で、エイン=ラジャールは開口一番にそういった。ジゼルコートに与したものの中で第二に衝撃を与えたのは、デイオン=ホークロウそのひとだった。デイオンは、レオンガンドにとって忠実な武将だったからだ。まさか彼がデイオンに通じ、裏切るなど、考えたくもなかった。しかし、起こってしまったことをとやかくいうことはできない。受け入れるしかなかった。

『デイオンはクルセルク方面軍を率いている。デイオンいわく、クルセルク方面軍は、どの方面軍にも負けない自信があるというぞ』

『扱きに扱きぬいたという話ですからね』

『数ではこちらが勝っているとはいえ、手強い相手となるだろうな』

 レオンガンドは、真面目というほかないデイオンのまなざしを思い浮かべながら、嘆息したものだった。

『アザークとラクシャの残党もいる』

『ええ。先の大敗で懲りていないらしいですね』

 エインが肩を竦めた。マルダール奪還戦における両軍との戦いでは、解放軍側が大勝している。アザーク軍に対しては“剣鬼”と“剣聖”が大活躍し、ラクシャ軍に対しては魔晶人形ウルクが大損害を与えて撤退させるに至った。とはいえ、それらの大勝は、通常にはない要因があったからこそのものであり、本来の戦力ならば苦戦した可能性は大いにあった。

 トラン=カルギリウスも魔晶人形ウルクも、ガンディア軍に属しているわけではないのだ。ウルクは、どういうわけかセツナを主と認識し、開発責任者であるミドガルド=ウェハラムがセツナを調べる必要があるため、ガンディアと取引し、従軍している。トラン=カルギリウスは、マルディアでの戦いの後、ガンディアと契約を結べたからこそ同行し、戦力となっている。もし両者が戦力として解放軍に帯同していなければ、戦況は大きく変わっただろう。

 さらにいえば、トラン=カルギリウスは、“剣鬼”ルクス=ヴェインにも好影響を与えているという。“剣鬼”は、トランとの共闘によってさらに強くなったというのだから、驚くよりほかない。

『ジゼルコートに与した以上は最期まで付き従うつもりか』

『どうでしょうね?』

『戦力的にも、兵力的にも、我々の勝利は揺るぎようがない。ジゼルコート軍に奥の手があるのであればまだしも、主力級の戦力は先の戦いで使い切っているといっても過言ではないでしょう。いくらジゼルコート伯といえど、確保した武装召喚師を隠匿し続けることなんてできないはずです』

 アレグリアのいう奥の手とは、ジゼルコート配下の武装召喚師三名のことだろう。ルウファら《獅子の尾》の武装召喚師を持ってしても、辛くも勝利をもぎ取ることができたというほどの実力者ばかりであり、ルウファに至っては死を覚悟しなければならなかったという。もし《獅子の尾》の三人がいなければ、解放軍はグロリア=オウレリアら三名に蹂躙されていた可能性も低くない。マルダールを奪還できたとしても、多大な出血を強いられたことだろう。

 それもこれも、セツナがひとり、殿を務めてくれたおかげというほかない。

 セツナが単身サントレアに残り、騎士団を引き止めてくれたからこそ、レオンガンドたち解放軍は戦力を大きく分散させることなくガンディア本土に辿り着くことができたのだ。セツナひとりでは不安だからと《獅子の尾》全員に殿を任せていれば、マルダールを奪還するころにはぼろぼろの状態になっていたかもしれない。

『ジゼルコートの戦力で気になるのは、ルシオンにいた武装召喚師シャルティア=フォウスと……』

『マスクウェル=アルキエルか』

 シャルティア=フォウスは、バルサー要塞の戦いにおいてルシオン軍に属し、ルシオン軍の奇襲作戦の要という重大な役割を担っていた武装召喚師だ。死に際のハルベルクとリノンクレアを巡り合わせてくれたこともあって、彼の扱いに関しては緩いものだったのだが、それが裏目に出た。気が付くと彼は姿を消していた。彼の召喚武装オープンワールドは、空間転移能力を持っており、その稀有な能力こそがルシオン軍の奇襲作戦を可能にしていた。戦闘能力そのものは低いというが、軍団そのものを戦場に転送することができる能力は、厄介というほかない。

 とはいえ、オープンワールドの空間転移に関して言えば、それほど自由度があるものではないらしく、戦術に利用するのは難しいとのことであり、そこまで注意するほどではないということだった。

『ええ。マクスウェル=アルキエル』

 マクスウェル=アルキエル。

 ジゼルコート配下の武装召喚師のひとりであり、ゼルバードを始め、ジゼルコート配下の数名に武装召喚術を教えていた人物だという。その存在を認知したのは、解放軍に投降したグロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルが様々な情報をもたらしたからだ。それまで、マクスウェル=アルキエルの存在は完全に隠匿されていたのだ。

 ジルヴェールからも知らされていなかったことを考えると、ジゼルコートは、マクスウェル=アルキエルに関する情報を親族にも伝えていなかったようだ。そのことを考えるとほかにも戦力を隠匿している可能性も大いに有り得るのだが、どうだろう。マクスウェル=アルキエルひとりだから隠し通せたということも十分にある。

『グロリア=オウレリアの話によれば、マクスウェル=アルキエルはケルンノールに引き篭もったままだそうで、戦場に出てくる可能性は低いとのことですが』

『警戒しないに越したことはないだろう』

『はい。なにせ、グロリア=オウレリアとアスラ=ビューネルの師匠だそうですからね』

 マクスウェウ=アルキエルを警戒するのは、エインの言葉通り、強敵として立ちふさがったふたりの武装召喚師にとっての師匠だからだ。そして、そのふたりいわく、マクスウェル=アルキエルの実力は、グロリア=オウレリア以上であり、一筋縄ではいかない相手だということだ。

 さらにいうと、マクスウェル=アルキエルは、戦女神と謳われた大召喚師ファリア=バルディッシュの直弟子であり、ファリア=バルディッシュの薫陶を受けたという話もあった。《獅子の尾》のファリアにはほとんど覚えがないらしいのだが、それもそのはず、マクスウェル=アルキエルがリョハンを降りたのは二十年以上前の話であり、二十代のファリアが覚えていなくとも仕方のないことだ。ファリアは申し訳なさそうにしていたが、マクスウェルの近況についてはグロリアとアスラのふたりから聞けたのだから問題はなかった。

 問題があるとすれば、ファリアたち《獅子の尾》の武装召喚師も、投降後、即座に戦力に組み込んだグロリアとアスラのふたりにしても、マルダール奪還戦で負傷しているということだ。特にファリアは左腕の損傷が酷く、戦場に投入するのもためらうほどだった。

『敵軍に件の武装召喚師が出てきた場合は、“剣鬼”と“剣聖”に任せるか、ウルク殿を当てることにするしかありませんね』

『カインは本陣守護か』

『はい。アーリア殿が動けないいま、カイン殿を戦場に派遣するのは難しいでしょう』

 アーリアは、ハルベルクとの戦闘で負傷し、バルサー要塞で療養中だった。半身であり、鉄壁の守護者といってもよかった彼女の不在は、レオンガンドに多少の不安を覚えさせたが、カインがいれば防御面での心配はいらないだろう。

 それから、解放軍の配置について話し合い、軍議は終わった。

 それがマルダールでのことであり、戦場に到達した解放軍は、軍議によって取り決められた配置に布陣し、敵戦力と対峙した。

 本隊正面の敵軍もまた、ガンディアの軍旗をはためかせている。

 クルセルク方面軍。

 ガンディアの左眼将軍デイオン=ホークロウの将軍旗は、晴天の空の下、高々と掲げられていた。



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