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第千四百四十三話 特異点

(ここは……?)

 ふと、左を見遣ると、都市があった。薄っすらと半球型の光がその都市を包み込んでいる。紛れもない、ベノアだ。

 ベノアガルド首都ベノア。

 つまり、セツナはラグナの転移魔法によってベノアのすぐ近くに飛ばされたということだ。素早くここを立ち去らなければならない。ベノアから離れているとはいえ、うかうかしていると、十三騎士に見つかるかもしれない。ここで騎士団に捕縛されるようなことがあれば、ラグナが犬死したことになる。それだけは許されない。

 まず、現在地を特定しなければならないのだが、ベノアから遠くはなれていることがわかるだけで、方角は定かではなかった。ラグナのことだ。ベノア付近に転移することになったとしても、ガンディアからより遠い地点に飛ぶようなことにはなるまい。それくらいの配慮をしてくれるのがラグナだった。

(ラグナ)

 セツナは、左手でみずからの胸に触れた。ラグナの体温がわずかに残っている気がする。それもすぐに消えてなくなるだろう。それがわかっているから、辛い。

「脱出に成功したようだな」

「……あんたは」

 頭上から降ってきた低い声に、セツナは、びくりとしながら顔を上げた。戦鬼グリフの巨躯が聳えていた。しかし、威圧感はさほど感じなかった。フェイルリングの真躯があまりにも巨大すぎたから、感覚が麻痺しているのだろう。それに加え、飛竜や真躯といった巨大な怪物を見すぎたせいもあるかもしれない。

「生きていたのか」

「不老不滅。いうただろう」

「ああ。そうだったな」

 聖皇の呪いによって不老不滅の存在となった彼は、なにものにも殺すことなどできない。十三騎士の力を持ってしても不可能だったのだろう。だから彼は生きている。サントレアの戦いにおいて十三騎士が彼を拘束しなかったのは、十三騎士の目的がセツナの確保であり、グリフのことなどどうでもよかったからだと、ルヴェリスから聞いている。セツナと同じように拘束したところで、黒き矛を確保したセツナとは違い、彼を従わせることなどできないだろうと判断されたのだ。

 グリフはセツナを奪還しようと試みたらしいが、シドの真躯と激戦の末、力尽き、倒れたという。そのまま放置されたといい、彼がセツナを奪還するべく、ベノアに現れる可能性を騎士団は考慮していたようだ。

「一足、遅かったか」

「俺を奪還しにきたのか?」

「そうだ。それが旧友との約束ゆえ……な」

 グリフの旧友とは、無論、アズマリアのことだ。彼は律儀にも、アズマリアとの約束を護り、サントレアからこのベノアまで歩いてきたらしい。ベノア到着に時間がかかったのは、騎士団に見つからないように慎重に進んできたからなのかもしれない。

「ラグナが死んだか」

 頭上から降ってくる冷ややかな声音に、セツナはどきりとした。グリフには、ラグナが死んだことがわかったというのだろうか。

「ああ」

「うぬを救うためか」

「ああ」

「ラグナが……人間のために、な」

 どこか感慨深げなグリフの反応が気になった。グリフは、ラグナの古い知り合いであり、セツナの知らないラグナのことを知っているようだった。

「……おかしいか?」

「あやつは人間を見下していた。聖皇に敗れ、聖皇に従いながら、心の奥底では認めてなどいなかった。あやつの目を見ていればわかる」

「そうだったのか」

「しかし、どうやら、あやつはうぬのことを認めていたようだな。なればこそ、うぬの身代わりとなって死んだのだろう」

「なんでそこまでわかるんだよ」

「竜王の死を感じ取れぬほど、壊れてはいない。それだけのことだ」

 グリフが遠方を見遣る。視線を追うと、彼はベノアを見たようだった。ベノアは、いまだ光の結界に包み込まれている。中では飛竜たちとの最後の戦いが繰り広げられているのかもしれない。

「そしてあの結界。容易く超えられるものではない。少なくとも、現状のラグナの魔力だけでは、どうにもならん。命を燃やすほかあるまい」

「……ああ、そうだよ。ラグナは俺の身代わりになってくれたんだよ。俺のために、命を燃やしてくれたんだ」

「ならば、生き抜いてみせよ」

 瞬間だった。グリフの眼光が輝いたかと思うと、豪腕が唸り、鉄槌のごとく振り下ろされてきたのだ。セツナは咄嗟に矛を振り上げ、柄で受け止めたものの、凄まじい衝撃に吹き飛ばされてしまった。

「なにすんだよ!」

 セツナは、空中で受け身を取りながら、叫んだ。グリフは、アズマリアと約束したのではないのか。

「おまえを護るという旧友との約束は、ここまで。ここからは、我のために戦ってもらおう」

「なんだと……!」

「我はグリフ。闘争にその身を焼き尽くすために存在するものなり」

 降り注いできた巨拳を矛の切っ先で受け止めた瞬間、衝撃がセツナの全身を貫いた。

 ラグナの死を悲しんでいる暇などあろうはずもなかった。



 ベノアを見渡すと、惨憺たる状況といわざるを得なかった。

 ベノア城には、遠目からでも神卓の間が覗けるほどの大穴が空いており、塔や城壁も破壊され、半壊しているといっても過言ではない。破壊されているのはベノア城だけではない。ベノア全体が飛竜の魔法などによる攻撃を受けており、特にベノア城を中心とする上層区画は壊滅的な状態だった。建物という建物が倒壊し、美しい町並みは完全に失われている。瓦礫や飛竜の死体が地上を埋め尽くしており、数百体に及ぶ飛竜の死体を撤去するだけでも相当な労力が必要となるだろう。

 被害は、上層区画のみならず、下層区画にも及んでいる。飛竜の魔法と真躯の力の激突が破壊を引き起こすのは当然のことだ。そこにもし黒き矛のセツナとラグナシアが参戦していれば、ベノアそのものが地上から消滅するほどの事態になっていたとしてもおかしくはなかった。黒き矛の力と竜王の力があわされば、そうもなるだろう。しかし、幸いなことに、ふたりは戦闘には積極的に参加しなかった。ベノアからの離脱を最優先していたからだろう。

 一方、絶望的な光景からは想像できないことだが、人的被害は皆無だった。死者はおろか、負傷者ひとりでていないのだ。何百体もの飛竜が嵐の如く攻め寄せてきたというのに、軽傷のものさえでなかった。

 それもこれも、事前に市民を地下に退避させ、結界の準備を整えておいたからにほかならない。結界は、地上にいる騎士たちや、ベノア城内の使用人たちを守り抜いたのだ。ミヴューラは救いの神だ。庇護下にある生き物はどのようなものであれ、守り抜く。たとえ罪人や悪人であってもだ。一方で、敵対者には容赦しないのが、ミヴューラでもある。救済の妨げになるのであれば、滅ぼし、その上で魂を救ってみせる、というのがミヴューラの考えであり、騎士団が敵対勢力に容赦しないのはそういう理由からでもあった。

 救済と戦闘は、必ずしも矛盾するものではないのだ。

 もちろん、戦わずして救うことができるのであればそれに越したことはないし、命を救うことに重きを置いているのはいうまでもない。

 今回だって、飛竜たちが攻撃を諦め、戦闘領域から逃げ出してくれるのであれば追撃してまで殲滅しようとはしなかっただろう。

 結果的に飛竜を殲滅することになってしまったのは、飛竜たちが執拗に攻撃してきたからにほかならない。殲滅しなければベノアを元に戻すことができないのであれば、真躯の力を用いてでも滅ぼし尽くすしかない。

 交渉の余地さえなかった。

 あの飛竜たちは、まず間違いなくラグナシア=エルム・ドラースの眷属であり、彼女の命令に従っていた。フェイルリングがミヴューラを通して呼びかけても応じてくれはしなかっただろう。迎撃し、討ち滅ぼす以外の選択肢はなかった。

 残念なことだ。

 彼は胸を痛めていた。

 一方的な殺戮劇。見ていて心地いいものではない。ドラゴンもまた、この世界を構成する生命であり、重大な要素だ。

 万物の霊長。

 現在のイルス・ヴァレにおいて最古に誕生した生物であり、現存する生物の中でもっとも強大な力と生命力を誇る種族だ。知性があり、膨大な魔力を持ち、魔法を行使することができる。人類が神の如く崇めていた時代もあるほどの存在なのだ。それらが救世のために力を貸してくれるならば、どれほど心強かったか。

 セツナが同志となれば、それも可能だった。

 なぜならば、三界の竜王が一柱、緑衣の女皇はどういうわけかセツナの下僕だったからだ。セツナがフェイルリングたちの同志となってくれていれば、自然、ラグナシアも同志となり、ラグナシアの影響下にあるドラゴンたちも同胞となりえたのだ。

 フェイルリングがセツナの説得を最後まで諦めなかったのには、そういう理由もあった。セツナだけでなく、ラグナシアを同胞に迎え入れたかったのだ。

 全ては、この世を救うためだ。

 破滅が約束された世界を救うには、力がいる。

 そしてそのためにも、世に力を示し、ミヴューラに救いを求めるものを増やしていかなければならない。

 それには力持つものを同志として迎え入れるのが一番の近道だ。シドたちがサントレアで交戦したという巨人の末裔グリフも同志にできればよいのだが、グリフはセツナを執拗に奪還しようとしていたということから、交渉の余地はないと判断された。シドたちのその判断は正しいだろう。数百年、大陸を渡り歩き、闘争に身を焦がしてきた巨人を説得できるとは思えない。

 戦鬼グリフが救世の同志となってくれるのならば、これほど心強いことはないのだが。

 廃墟の如きベノアの町並みを見渡しながら黙考に耽っていると、近づいてくる気配があった。振り向くと、一体の真躯がこちらに向かってきていた。ほかの真躯に比べると、やや細身な印象を受ける真躯はいかにも騎士然とした甲冑であり、光輪を背負っていた。得物は腰の鞘に収められており、戦闘が終わったことを示している。オズフェルト・ザン=ウォードの真躯ライトブライト。

「閣下。飛竜の掃討、完了しました」

 オズフェルトは、フェイルリングの目の前で居住まいを正した。

「ご苦労。想定よりは早く終わったようだな」

「はい。ラナコート卿とエーテリア卿が大暴れしてくれたおかげですよ」

 苦笑混じりの報告に、フェイルリングは遠方を見遣った。

 十一騎の真躯が、廃墟同然の都市に立ち尽くしている。周囲には飛竜の死体が数多に転がっており、竜の血や体液がベノアを赤黒く塗り潰していた。

「そちらは?」

「逃げられたよ」

「逃げられた? まさか……」

 オズフェルトは、想定外の答えに衝撃を受けたようだった。

 まさか、ミヴューラの結界の中から外へ転移することができるなど、考えられるはずもなかった。ミヴューラの結界は、強力無比だ。ミヴューラは、神なのだ。神の力によって編み上げられた結界は、フェイルリングの真躯ワールドガーディアンの力をもってしても破壊することはできない。幾重にも張り巡らされた次元を断絶する障壁。それがミヴューラの結界なのだ。アズマリアのゲートオブヴァーミロンによる空間転移ですら制限を受けるほどの結界。いくら三界の竜王と謳われるドラゴンといえど、たやすく突破できるはずはなかった。

 だからこそ、フェイルリングは、余裕を持って彼らの飛竜を追った。焦る必要はなかった。時間は、むしろ有り余るほどにあったからだ。

「ラグナシアは死んだが、それもみずからの魔法に生命を注ぎ込んだために死んだのだ。わたしが手を下したわけではない」

「では、セツナ伯はラグナシアの魔法によって?」

「うむ」

 フェイルリングは、静かにうなずいた。脳裏に浮かぶのは、ラグナシアが魔法を発動した瞬間の光景だ。飛竜の背に乗ったラグナシアから魔力の光が迸った瞬間、フェイルリングはワールドガーディアンの剣を振り下ろしている。だが、剣はラグナシアを粉砕するのではなく、ラグナシアが展開した魔法障壁に受け止められたのだ。考えられないことだった。ワールドガーディアンは、他の真躯とは異なり、ミヴューラの加護を最大限に受けた真躯だ。神の化身といってもいい。全盛期の竜王ならばまだしも、不完全な状態のラグナシアに受け止められるはずもなかった。

 それが受け止められた。

 考えられる可能性は、ひとつしかなかった。

《命を燃やしたのだろう》

 ワールドガーディアンを通してすべてを見ていたミヴューラは、ラグナシアの魔力の光が、生命の炎が燃え尽きる様を見届けると、むしろ慈しむようにいった。竜王が全生命を燃やし、焼き尽くして生み出した魔力がワールドガーディアンの剣を受け止め、その上でセツナを結界の外へ飛ばしたのだ。転移が終わったあと、ラグナシアの肉体は消滅し、ワールドガーディアンの剣は飛竜を真っ二つに切り裂いていた。

《それだけあのものには、セツナという存在が大切だったということだ》

 ミヴューラは、この世に生きとし生けるすべてのものを平等に愛している。彼がこの世界に召喚される前から存在していたラグナシアであっても、その愛は変わらないのだ。だからこそ、彼はラグナシアの死を悲しみ、命がけの行動に敬意を表していた。

 フェイルリングも同感だった。

 黒き矛とその主たるセツナを見逃す結果になったとはいえ、その命を賭した行動には、心動かされるものがある。

 そもそも、セツナたちと戦うことになったのは、彼が黒き矛の持ち主だったからだ。それ以外のことで彼と敵対する理由はなかった。アバードで騎士団による救済が妨げられたとはいえ、そのことがセツナへの敵愾心を育てるはずもない。敵意もなく、悪意もなく、ただ、黒き矛の存在を放置できないから、彼を滅ぼすほかなかった。

 それだけのことだ。

「ラグナシアの命がけの魔法によって、彼は結界の外へ逃れた。おそらく、いまごろ我々の手の届かぬ場所にいるだろう」

「……でしょうね」

「戦いが終わるまでは結界を解くわけにはいかなかったのだ。仕方のないことだ」

 ミヴューラの結界は、強力であるがゆえに融通の効かないところがあった。結界展開中、結界の内外を行き来することはなにものにもできなかった。それはたとえ神の化身たるワールドガーディアンであったとしてもだ。でなければ、ラグナシアが命を費やすほどのこともなく飛び越えることができただろう。それくらい強固な結界なのだ。準備に時間がかかる上、一度展開すると、即座に解くといったこともできなかった。

 強大な力は、そう簡単に扱えないものだ。

「結界を解く。準備を」

「は」

 オズフェルトは首肯すると、残りの十三騎士たちに伝えに向かった。

 結界を解けば、仮想化していた空間は元通りになる。

 問題は、何百という飛竜の死体の処分であり、そのためにも十三騎士たちにもうひと働きしてもらう必要があった。

(黒き矛のセツナ……)

 三界の竜王と謳われし最古の生命体が命を賭してでも守ろうとした少年。

 黒き矛の――魔王の杖の主。

(特異点か)

 異世界から召喚された彼がこの世界にとっての特異点となるのは、自然の成り行きだと、ミヴューラはいっていた。

 そして、そういった特異点の多さがこの世界の歪さの原因なのだ、とも。

 だが、特異点の多さは、この世界の破滅にとっては一因に過ぎず、特異点を抹消することができたとして、問題を先送りにするだけのことなのだ、という。

 世界を破滅的な未来から救うには、やはり、ミヴューラの力を高め、乗り越えるほかないのだ。

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