第千四百三十七話 正義についての話をしよう・破(九)
「……ならば、黒き矛はこのまま封印するよりほかありますまい。魔王の杖。その力、人間が扱うにはあまりに強大過ぎる」
フェイルリングがそういうであろうことは、最初からわかりきっていたことだ。交渉に応じなければ、そうなるだろう。ほかに彼が取るべき方法はない。ならば、セツナも強硬手段に出るしかないのだ。
交渉は、決裂した。
「武装召喚!」
術式を完成させるべく呪文を叫ぶと同時に、セツナは、床を蹴っていた。飛び上がりながら、術式が完成し、武装召喚術が発動したのを認識する。全身から生じた爆発的な閃光がその証であり、両手のうちに出現した重量が、思い通りの武器を召喚できたことを知らせてくる。
「セツナ君!」
「セツナ伯!」
セツナの足が神卓に乗る直前、十三騎士たちがほぼ一斉に動き出した。ルヴェリス、シヴュラがセツナに掴みかかり、ベイン、ドレイクがこちらに向かって飛びかかってくるのが見えた。フェイルリングは椅子に立てかけた黒き矛に手を伸ばしており、シドの手が雷光を帯びた。セツナは神卓に足の爪先が触れた瞬間、両手に握った短刀の刀身を素早く重ね合わせた。
直後、世界から音が消えた。音だけではない。空気の揺らぎも、騎士たちの気配も消えて失せる。見ると、こちらに向かって跳躍したドレイクとベインの巨躯が空中で静止していることがわかる。ふたりだけではない。ほかの十三騎士たちも、セツナの暴挙を止めるべく動き出したまま、凍りついたかのように動かなくなっていた。
時間静止。
(これがエッジオブサーストの能力)
ニーウェがセツナを苦しめた能力の正体が、これだ。世界中の時間を止め、自分だけが自由に動き回るという能力であり、能力としては強力極まりないものだろう。しかし、問題がないではない。それは時間を静止している間、凄まじい速度で精神力を消耗していくからだ。ニーウェが頻繁に使わなかったのも、これが原因だろう。そして、時間を静止しているからといって、一方的に攻撃できるというわけでもないのだ。
できるのは移動くらいのものであり、セツナは、神卓の上を飛び越えてフェイルリングに接近すると、エッジオブサーストの片方を手放し、彼が手にした黒き矛の柄を握った。攻撃することはできずとも、触れることはできるのだ。そして、時間静止を解く。解かなければ黒き矛を取り返すことはできない。
世界に音が戻った瞬間、セツナは叫んでいた。
「ラグナ!」
「なに?」
「任せよ!」
フェイルリングが怪訝な声を発したのは、視界からセツナの姿が消えたからであり、消えたはずのセツナの声がすぐそばから聞こえたからだろう。そして、ラグナの反応は、セツナの意図を理解したものだ。瞬間、黒き矛に纏い付いていた闇色の帯が消滅する。ラグナの解呪魔法が発動したからだ。セツナは、フェイルリングの長身を見上げ、告げた。
「黒き矛、返していただく!」
黒き矛をフェイルリングの手から奪い取り、瞬時に飛び退く。エッジオブサーストを送還し、消耗を最低限に抑える。中空、標的を見失った十三騎士が一斉にセツナに視線を向ける。ラグナは、神卓から大きく飛び離れていた。セツナは、黒き矛を手にしていることによる絶大な安心感の中で、自分がつぎに取るべき行動を無意識に判断していた。黒き矛の能力は使えない。といって、エッジオブサーストの時間静止では逃げるのは現実的ではない。そもそも、時間静止中、自由に動けるのは自分だけだ。ラグナを取り残すことになる。そんなことはできるわけもない。となれば、黒き矛で立ち回るしかない。敵は十三人。味方は自分を含めてふたり。数でも質でも不利。だが、敵対せざるを得なくなった以上、なんとか切り抜けるしかない。
眼下、ドレイクとベインの巨躯が神卓の上に到達し、セツナはベインの右肩を踏みつけてさらに跳躍した。神卓上空から神卓の間出入り口付近に降り立つ。直後、雷光が左から雷光が、右から突風が迫ってくるのがわかった。シドとシヴュラ。振り向きざま、矛を薙ぎ払う。
「邪魔すんな!」
斬撃に手応えはなかった。シドとシヴュラが間合い外に逃れたからだ。急速接近からの高速回避。“雷光”のシドと“疾風”のシヴュラの面目躍如といったところだろう。セツナは、ふたりが再びこちらに接近してくるよりも早く後ろに下がった。後方――つまり出入り口にはラグナが待っている。しかし、出入り口の扉は閉じたままだ。封鎖でもされているのか、それとも、セツナの到着を待っているのか。
前方では、十三騎士のうち、十二人が動いていた。迫りくるのはシヴュラとシドのみではない。ドレイクとベインの巨躯も、こちらに向かってきつつある。ゼクシズ、カーライン、ハルベルト、テリウスまでも、セツナに追い縋らんとしていた。そのとき、フェイルリングの声が響いた。
「止めよ」
予期せぬフェイルリングの発言に十二人の騎士は動きを止めた。騎士のひとりが、フェイルリングを振り返る。ゼクシスだ。
「閣下!」
「止めよ。無益な争いに意味はない」
「しかし……」
「我が命が聞けぬか?」
「……いえ」
フェイルリングの威厳に満ちた声によって、騎士たちが完全に動きを止めた。シドが帯びていた雷光も、シヴュラが纏っていた竜巻も、ベインの拳の発光現象も消えて失せる。戦闘態勢を解除したのだ。
「どういうつもりじゃ?」
「さあな」
セツナは、適当に相槌を打ちながらも、自分自身は警戒態勢を解除する気もなかった。気を抜けば、その瞬間、十三騎士に敗北しかねない。十三騎士の強さは、身に沁みてわかっている。
「セツナ伯、もう一度、考え直してはくださらぬか」
神卓の光の向こう側から、フェイルリングの声が届く。
「俺は、あなたと敵対したんですよ?」
「あなたが我々とともに救世の道を歩んでくれるのであれば、そんなことはどうでもよくなる。我らの目的は、来るべき破滅から世界を救うこと。それ以外にはないのです。この世に生きとし生けるすべてのものを滅びの運命から救う。それだけが我々のすべて。そのためならば、いかような手段も用いよう。いかような策も講じよう。それがこの世を救うためならば」
「いったはずです。俺は、あなたがたの正義を否定するつもりはない、と」
それは、本心だ。
ミヴューラが見せた未来を覆すため、すべてを擲ってでも戦い続ける彼らの高潔さは、尊敬に値する。できることならば力になってあげたいとも、想う。だが、そのために主君を裏切り、国を裏切るなど、論外だ。
ミヴューラのいう破滅が本当に訪れるものかどうかもわからない。
「でも、だからといって、そのためにガンディアを離れることなどできるわけがない。ガンディアが俺の居場所なんです」
「世界の存続よりも、自分の居場所に固執するか」
「なんといわれようとも、それが俺なんですよ」
「残念です。あなたならば、我らとともに救済の道を歩めると想っていたのですが」
「俺も、残念ですよ」
セツナは、心の底から残念に想っていた。ミヴューラの未来視が本当であろうとなかろうと、騎士団の高潔さに感銘を受けたのは事実だったし、協力したいと想ったのもまた、事実だ。私心もなく、利益も求めず、この世界のために戦い続けるという意志は、なによりも気高く、尊いものだ。
ガンディアに所属したままでいいのであれば、同志となるのも吝かではなかった。
だが、どうやら、騎士団はそれを認めないようだ。認められないのだ。騎士団が欲するのは、求心力だ。騎士団に救いを求める声が増大することが、救世神ミヴューラの力の根源となる。
セツナが騎士団の一員として活躍すれば、騎士団の名声は高まるが、逆に騎士団以外の組織に所属して活躍し、名声を高めることになれば、騎士団の求心力は低下することになりかねない。たとえ騎士団と協力していると明言していたとしても、だ。
「仕方がありませんな。こうなった以上、あなたを滅ぼすしかない」
フェイルリングが告げると、十三騎士たちが能力を解放した。シヴュラが風を纏い、シドが雷電を帯びる。ベインの拳が発光し、ルヴェリスの指先に銀色の光が生じる。多様な能力。多様な攻撃手段。それらはすべて救世神ミヴューラの加護によるものであり、召喚武装に匹敵するのも当然だった。
「どうしてそうなるんじゃ。まったく、理解不能じゃな」
ラグナが呆れ果てたとでもいうように、いった。
「竜よ。そなたにはわからぬのか?」
「なんじゃ?」
「黒き矛――魔王の杖は人の手に余る代物。いまでこそセツナ伯の制御下にあるとはいえ、いつまでも支配されているような存在ではない」
そう告げてくるフェイルリングの手にも光が灯っていた。
(魔王の杖)
セツナは、その言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。フェイルリングが黒き矛を指して使う言葉だ。いや、フェイルリングだけではない。ミヴューラも、そしてクルセルクに出現した神も、黒き矛のことをそういっていた。魔王の杖。その言葉に意味があるのか、それとも、なんの意味もないのか。意味がないとは、考えにくい。なんの関係もなさそうな神がいうのだ。
もしかすると、黒き矛の本質を示した言葉なのだろうか。
(魔王……魔王か)
黒き矛に秘められた絶大な力は、魔王に相応しいといっていいかもしれない。
「……そのことか」
ラグナが、一笑に付した。
「わしは、まったく心配しておらんぞ。我が主は完璧じゃからな」
「完璧? 俺がかよ」
「わしの主として完璧、というておる」
「そうかい。そいつは、嬉しいねえ」
「ふふん。故に、我らはここを完璧に脱さねばならぬ」
「そうだな」
セツナはラグナの言葉に安請け合いをした。なんとしても、ここから脱出しなければならないのは事実だ。
「逃がすとお思いか?」
「そうだぜ、セツナ伯」
「この状況、どうやって抜け出す?」
十三騎士たちがじりじりと迫ってくる。出入り口は真後ろ。しかし、ラグナが扉を開かないところをみると、厳重に封鎖されているらしいことが窺える。十三騎士の能力による封印なのか、あるいは、ミヴューラの力による封鎖なのか。いずれにせよ、簡単には突破できそうもなかった。
(ラグナの魔法なら……)
背後を一瞥すると、ラグナは扉の目の前に佇んでいた。魔法でも解呪に時間がかかるのかもしれない。つまり、セツナが十三騎士の相手をして、時間を稼がなければならないということだ。矛を握り、力を込める。
「無論、力づくで――」
といった瞬間だった。
「セツナ、ここは任せておけ」
「ラグナ?」
振り向くと、ラグナはどういうわけかふんぞり返っていた。宝石のように美しい双眸が淡く輝き、そこはかとない威圧感が彼女の全身から放出されている。間近にいるセツナの肌が粟立つほどだった。そして彼女は、十三騎士を見下すようにいってのける。
「まったく、聞いておればどいつもこいつも我が主に対して不遜があろう。控え、恐れ、崇め奉れ」
「なにいってんだ?」
「この状況をどう打開するかじゃと?」
ラグナが、胸を反らしたまま、不敵に笑った。
「まずは己等の住処の無事を祈るべきじゃ」
「なに……?」
だれかが疑問符を浮かべたときだった。
振動が、神卓の間を揺らした。いや、神卓の間だけではない。ベノア城そのものが小さく揺れていた。地鳴りのようなものが聞こえたかと思うと、それは怪物の咆哮のように響き渡った。振動は激しくなり、ベノア城を激震が襲う。
「な、なんだ?」
「この揺れ……」
「咆哮……?」
「わしをだれと心得る。我が名はラグナシア=エルム・ドラースぞ」
衝撃が神卓の間を貫き、天地が震撼した。東側の壁が壊れ、天井が崩落する。立ち込める粉煙の中、外部からの光が差し込み、巨大な影と緑の眼光がその巨躯を主張する。
神卓の間に生まれた大穴から首を覗かせたのは、巨大なワイバーンだった。