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第千四百三十四話 正義についての話をしよう・破(六)

「……ミヴューラ」

 光の柱の中でひとの形を成したそれを見据えながら、ラグナが囁く。セツナのみに聞こえるような小さな声だった。おそらく、この場にいるすべての騎士の耳に届いているのは疑いようもなく、小声で話す意味などないのかもしれないが、それでも彼女は警戒せずにはいられなかったようだ。

「聞いたことはない名じゃ。しかし、この世のものではないのは確かじゃ。少なくとも、人間でもドラゴンでも、巨人族の末裔でもないぞ。ましてや聖皇六将のひとりでもない。そしてこの神威……紛れもなく、あの日この世に解き放たれた神々の一柱じゃな」

 ラグナの断言にセツナは、背後を振り返りかけた。無論、前から目をそらすことはできない。神卓に出現した光の柱の中で、ミヴューラと名乗ったそれは、いままさに形を成そうとしているのだ。見逃すことはできない。見逃せば、なにをされるのかわかったものではない。

「解き放たれた?」

「聖皇によって召喚された瞬間を視たというておる」

「聖皇のことは思い出せないのに?」

「うるさいのう……聖皇とは直接関係ないから、思い出せるのじゃ!」

 ラグナが憤然と言い放ってくる。

 ラグナは、何万年ものときを生きてきた転生竜だ。その記憶量は膨大であり、すべてがすべて、瞬時に思い出せるわけではないという。しかし、聖皇に関する記憶のようにまったくもって思い出せないものはないといい、彼女の記憶に間違いがなければ、いま、神卓の上に降臨したそれは、紛れもなく神なのだろう。

 それも、聖皇によって召喚された神々の一柱――皇神と呼ばれる種類の神なのだ。

 神卓に宿る神――いや、神が宿る卓だから、神卓だったのか。ただ神秘的な卓というだけではなかったということだろう。

(神)

 フェイルリングを除く十三騎士が跪いたのも納得できるというものだし、彼らが黒き矛に匹敵する力を持っているのも理解できた。神の加護の元であれば、あれだけの圧倒的な力を発揮したとしてもなんら不思議ではないと思えたからだ。神の力は、絶大だ。セツナと対峙した神は、黒き矛では真似のできない破壊を引き起こしてみせた。ミヴューラがあの神と同等の力を持っているかはわからないが、人間などとは比較にならない力を秘めているのは疑いようもない。

 だからといって、十三騎士を卑怯と思うこともない。

 セツナも同じだ。セツナも、黒き矛という借り物の力を頼りに戦っている。むしろ、同じ立場と認識したからこそ、負けたことを深く考えなければならなくなった。黒き矛の力を引き出すだけでは、十三騎士に対抗できないのではないか。

 光の柱の中でひとの形を成していくそれを見据えながら、セツナは拳を作った。人間に酷似しながらも決して人間ではない姿。頭があり、首があり、胴体からは手足が伸びている。腕の先に五指が作られ、足の先にも指が形成される。頭部。顔面。人間ならば目がある辺りに切れ目が入ったかと思うと、瞼のように開いた。眼球から体液が零れ落ち、瞳が濡れて輝いているように見えた。金色の瞳。鼻筋が通り、口も作られる。つまり、つい先程の聲は、それの口から発せられたものではないのだ。頭髪はない上、衣服もなにもない。全裸ではあるが、性別はわからなかった。生殖器は作られなかったからだ。神に性別などないということかもしれない。

 最後に、ミヴューラの全身に光の筋が走った。神卓に描かれた魔方陣に似た幾何学模様は、ミヴューラの全身に神秘的な装飾を施した。

 光の柱が消え、ミヴューラの姿が明らかになると、それは、神卓の上に降り立った。その金色の目は、セツナを見、ラグナを見遣る。口が開いた。歯も舌も見えない。もしかしたら、ないのかもしれない。肌は人間と同じような色ではない。淡い灰色で、その上に黒い幾何学模様が張り付いている。

《竜よ。我は汝を知っている。だが、汝を知らぬ。汝は何者ぞ》

 ミヴューラの聲は、直接頭の中に響いた。神の聲。あのとき、クルセルクの戦場に出現した神と同じだ。口を開く意味も、そもそも口を作る意味もない。だから舌もいらないのだろう。ラグナは、怪訝な顔でミヴューラを見ている。

「知っているのか知らぬのか、どっちなのじゃ。わしはラグナシア=エルム・ドラース。セツナの下僕弐号ぞ」

《下僕……弐号?》

「ミヴューラ。ドラゴンのことはいい」

《わかった》

 フェイルリングの一言に、ミヴューラは傾げていた小首を元に戻すと、今度はセツナに視線を注いだ。金色に輝く瞳は、フェイルリングのそれに似ている。視線を注がれるだけで、異様な感覚に包まれるのは、フェイルリング以上だ。二度目の、神との対峙。あのとき以上の緊張感が意識を覆っている。それもそうだろう。状況はあのときとはまったく違う。

 あのときは、戦いの最中だった。

《では、セツナよ。改めて、汝にこの世に迫る危機について伝えよう》

「わしのことはどうでもいいじゃと!」

「いいから、黙っていてくれ」

「むう……」

 セツナは、不承不承ながらも黙り込んでくれたラグナに胸中で感謝しながら、ミヴューラに向き直った。見るからに人外異形の化け物たるそれは、しかし、ひと目見て神々しさを感じずにはいられない。それが神と対峙する、ということかもしれない。神の威の前では、セツナなどただの脆弱な人間になってしまうものなのかもしれない。拳を握り、力を込める。不安はない。むしろ、どうしようもないほどの安心感がセツナを包み込んでいた。

 それが気持ち悪いのだが。

「ミヴューラ。本題に移る前に聞いておきたい」

《なんだ?》

「あなたは、神と呼ばれる存在なのか?」

《ひとは、そう呼ぶ》

 ミヴューラが長く節くれだった右腕を折り曲げ、細い手を人間でいう心臓の辺りに触れさせた。人間の仕草を真似しているのか、それとも、神らしい挙措動作なのかは、わからない。ミヴューラが神だというのであれば、人間の常識や固定観念で計り知れないだろう。

《我は、ひとびとを救うためにある。故にひとは我を救世神と呼ぶ》

「救世神……」

 ミヴューラの言葉を反芻する。救世神。言葉通りに受け取れば、世を救う神ということになるが。

「我々が救いを標榜する所以がミヴューラだ。我々は、ミヴューラとともにこの世を救おうとしているのだ」

 フェイルリングが、セツナを見据えていた。ミヴューラと同じ金色に輝く瞳。既視感がある。金色の目。アズマリアの目。神の目。そこになんらかの意味があるのか。それとも、偶然なのか。偶然にしては、出来すぎであろう。なにかしらの因果関係あるとみるべきかもしれない。それがどのようなものなのか、いまこの瞬間に考えつくものでもないが。

《フェイルリング。なぜ、我々が立たねばならぬのか、伝えよう》

「頼む」

 フェイルリングが頷くと、ミヴューラがこちらに向き直った。神卓の上でわずかに浮き上がったかと思うと、そのまま、流れるように近づいてくる。ラグナが警戒するのを気配で感じ取りながらも、セツナは警戒しようもなかった。ミヴューラのまなざしは、途方もない安心感を与えてくれるのだ。

《セツナよ。汝も視たであろう。この世に破滅のときが迫っているという事実を。その破滅は、このイルス・ヴァレに生きとし生けるものすべてが死に絶えるということだ。ひとも、獣も、鳥も、魚も、虫も、魔も、神々さえも、消えて失せる》

 ミヴューラの目が輝くと、セツナの脳裏に神卓に触れた瞬間目撃した光景が過ぎった。イルス・ヴァレが破滅に飲まれていく光景。終末の風景。滅びの景色。全身が恐怖に震え、汗が流れ落ちた。

《なにもかもだ。なにもかもが消えて失せ、時は終りを迎える。すべてが無となり、永久不変に流転なき静止が訪れるのだ》

「だから、それを阻止しようというのか」

《そうだ。セツナよ。我はそのために呼びかけ続けた。この狭い箱の中で、呼びかけ続けたのだ。何十年、何百年もの間、我が聲が聞こえるものが現れるのを待ち続けた》

「それが騎士団……?」

 セツナが尋ねると、ミヴューラは静かに頷いた。そして、後方を振り返った。

《フェイルリングだけが、我の聲に耳を傾けてくれた》

 ミヴューラの視線の先で、フェイルリングは黙したまま、こちらを見ていた。


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