第千四百三十二話 正義についての話をしよう・破(四)
「フェイルリング閣下」
セツナは、フェイルリングの目を見据えた。異彩を放つ目は、超然とし、この世のものとは思えないほどの威を感じさせる。真正面から見つめ合えば、それだけで気圧され、打ち負かされてしまいそうな、そんな感覚。足が竦む。ここは敵地で、自分には味方がひとりしかいないのだということを、いまさらのように理解する。思わぬ失敗が命取りになりかねない状況なのだ。
だが、そんな状況だということを理解しても、問いかけずにはいられなかった。
「閣下はどうして、わたしが異世界の存在だということをご存知なのです?」
セツナが問うと、神卓を囲う十三騎士たちが様々な反応を示した。おそらくフェイルリングはほかの騎士たちには話していなかったのだろう。フェイルリングの台詞だけでは、セツナが異世界の存在であるかはわからない。セツナが肯定したことで、驚くべき事実となったのだ。
しかし、フェイルリングは、セツナの問いそのものには答えてくれなかった。ひとり、納得したように頷いている。
「魔女の言に間違いはなかった、ということか」
「魔女……?」
「アズマリア=アルテマックスが、あなたをこの世界に召喚したといっていたのだよ」
「アズマリア!?」
驚愕のあまり、セツナの声は裏返っていた。予想は、できたことだ。ほかに騎士団にそんな情報を流す人物がいるとは思えない。ジゼルコートから騎士団に提供された、という可能性もなくはなかったが、ジゼルコートがセツナの正体を知っているかどうかも不明だ。セツナが異世界出身だということはガンディアの最高機密であり、レオンガンドの側近の中でも、四友と呼ばれる四人しか知らないはずだ。あとはセツナの周囲の人間だが、彼らがジゼルコートに機密情報を漏らすことなどありえない。となれば、セツナを召喚した人物か、セツナよりも先に召喚された人物しかいないのだ。そして、後者もまた、ありえない。クオンが、フェイルリングにセツナの正体を伝える理由がない。少なくとも、セツナが考えられる限りでは、だが。
セツナは、思わず神卓に歩み寄り、身を乗り出した。
「アズマリアと話したんですか? なにを? いや、それ以前にアズマリアがなぜここに? いまもここにいるんですか?」
「そう慌てずとも、ひとつひとつ、解決していきましょう」
「あ……すみません」
フェイルリングの穏やかな声に諭され、冷静さを取り戻すと、途端に恥ずかしくなる。血が上って、周りが見えなくなってしまっていた。神卓と距離を取ると、背を軽く叩かれた。ラグナだ。
「いや、興奮されるのもわからなくはない。伯はアズマリアに召喚された身でありながら、彼女からはなにも聞かされてはいないようだ。その反応を見ればわかる」
そういわれては、返す言葉もなかった。事実その通りだ。セツナは、アズマリアのことをほとんど知らない。アズマリアがこの世界最高峰の武装召喚師であり、また、武装召喚術の始祖だということや、リョハンに仇なす存在だということは知っている。彼女の召喚武装ゲートオブヴァーミリオンの能力も知っているし、アズマリアという人物が傍若無人かつ自由奔放だということも、知っている。だが、その本質は、まったくもって知らないといっていいだろう。
「彼女も、ある目的のために動いている。牽制のつもりだったのでしょう」
「ある目的……それは騎士団の目的と関係があるんですか?」
セツナの脳裏には、アズマリアと交わした言葉が浮かんで、消えた。彼女の目的。この世にある理不尽。両極の力。セツナとクオン――。
フェイルリングが、厳かに頷く。
「おそらく」
「おそらく?」
「確証は得られません。なにせ、魔女もまた、記憶を失っている」
「そういえば、そうじゃったな。あやつめ、肝心な部分の記憶が曖昧じゃといっておった。まあ、わしもじゃがな」
とは、ラグナ。彼女なりにフェイルリングの言葉を補足してくれたのだろう。
「記憶……」
アズマリア自身、そのようなことをいっていた気がする。不確かな記憶を頼りに、この世界から理不尽な存在を消し去るべく動いているのだ、と。何百年もの間、他人の体を乗り継ぎながら世界を彷徨い続けているのは、そんな曖昧な記憶にこそ、自分の存在意義があると確信しているからなのだ、と。
「この世には、時間の概念など存在しないかのように長い時を過ごすものがいる。竜、巨人、長命種、呪われた存在、そして神と呼ばれるものたちだ。それらには共通することがある。ご存知かな?」
「神や竜の共通項……?」
「そう、共通項。長生きという以外にあるただひとつの共通点。それは、あるときを境にして、記憶が曖昧になり、精確に思い出せないということ」
「あるときを境に……」
「いうたじゃろう。聖皇のことははっきりと思い出せぬ、と。そのことじゃな」
「つまり、あるときっていうのは、五百年前のことか」
そういえば、巨人の末裔であり、不老不滅の呪いをかけられた戦鬼グリフも、聖皇に関する記憶ははっきりとせず、曖昧模糊だといっていたことを思い出す。聖皇六将のひとりであり、レヴィアのこと、ラグナのことは覚えていたというのにだ。そこにはなんらかの意味があるのだろう。そして、フェイルリングはそのことをいっているのだ。
「そういうことです。神々ですら、五百年前に起きた聖皇の死に関する記憶が曖昧だといいます」
「……神々ですら?」
「かつて、聖皇がこの世界を統一するためになにを行ったのか、存じておられるでしょう」
「召喚……神々の」
聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンは、神々を召喚したという伝説がある。
「その通り。聖皇ミエンディアは、魔法を用い、神々を召喚したといわれています。その際、神々に引き摺られるようにこの世界に現出した魔性のものどもは、のちに聖皇の魔性――皇魔と名付けられたことはいまやだれもが知る常識ですが、一方、召喚された神々は皇神と呼ばれていることも、ご存知のはず」
「ええ」
知ってはいる。が、皇神など、見たことはなかった。
話を聞く限りでは、皇神の存在が確認されたのは聖皇の時代だけであり、聖皇の死とそれによる大分断が起きてからは、皇神がひとびとの前に姿を表したという話はないという。皇魔の跋扈による絶望の時代、ひとびとは皇神に救いを求めたが、皇神が手を差し伸べてくれることはなかったのだ。人類は辛くも生き延び、街や村を壁で囲うことで滅亡を免れることができたといい、そういう時代背景が皇神への信仰が生まれ得なかった歴史的事実へとつながるのだという。
北の地では至高神ヴァシュタラへの信仰からヴァシュタラ教会が誕生し、教会の勢力の拡大により、ヴァシュタリア共同体が成立したが、その至高神ヴァシュタラの正体は不明であり、一部では皇神の一柱ではないかと囁かれているらしい。
神は、実在する。
セツナは一度、神に遭遇した。
オリアス=リヴァイアの疑似召喚魔法によってこの世に降臨した異世界の神は、なにもかもが次元の違う存在だった。黒き矛による攻撃を一切受け付けず、圧倒的な力で遥か地平の彼方まで破壊してみせたことをいまも覚えている。聖皇に召喚された神々も、同程度の力を備えているかもしれない。聖皇がどれだけの数の神を召喚したのかはわからないが、クルセルクで遭遇した神と同程度の力を持った存在が多数召喚され、聖皇の死後、野放しにされているとすれば、おそろしいというほかない。
「さて、セツナ伯。そこでわたしはあなたにひとつの提案をしたい。そのために十三騎士全員を招集し、会議を開いたのです」
「提案? ちょっと待って下さい。アズマリアの話はまだ終わっていませんよね?」
セツナは、フェイルリングが突如として話を進めたことに驚き、話題を戻そうとした。が、フェイルリングは、セツナの問いには答えてくれなかった。
「セツナ伯、あなたはいま、魔女の手の上で踊っているに過ぎないことは、ご存知でしょう?」
「……ええ」
冷ややかに認める。すると、ラグナが囁いてきた。
「セツナ」
「おまえがいるのも、それだろう。あいつの意志だ」
「……むう」
「俺は、あいつの思惑の上で踊っているだけなんだよ」
アズマリアの目的は、はっきりとはわからない。ただ、セツナの力、黒き矛の力が必要だということはわかっている。セツナが黒き矛を完璧に使いこなせる日が来ることを待ちわびてもいる。そのときが一日でも早く来るよう、成長を促そうともしていた。つまり、強くなろうとする限り、セツナはアズマリアの手のひらの上で踊り続けるということになる。
アズマリアの思惑から外れたければ、黒き矛に頼らないことだ。が、そんなことは、できない。黒き矛あっての自分だ。黒き矛は、いまやセツナの半身、あるいは体の一部といってもよかった。
そもそも、アズマリアの目的がセツナにとって良いものなのか悪いものなのかもわかっていないのだ。リョハンの件や王都襲撃事件から考えれば、アズマリアが善人ではないことは間違いないが、かといってそれだけで彼女のすべてを否定することはできない。少なくとも、セツナはアズマリアに感謝しなければならないことがある。
「とはいえ、あのものがなにを考え、なにを企み、なにを目論んでいるのかは、ご存知ではないでしょう?」
「……アズマリアは、この世を救うためだといっていました。この世に存在する理不尽を打ち倒すためだと」
そのために黒き矛のような強大な力が必要であり、矛の召喚者であるセツナが必要なのだというようなことを、いっていた。クオンの召喚も、その理不尽を打倒するためだという。強大な力を打破するためには、より強大な力が必要だということなのだろうが、その理不尽な力がいったいどういうものなのかは、教えてくれもしない。
もしかすると、アズマリア自身、記憶が曖昧なのかもしれない。
「しかし、それが真実なのかは、確かめようがない。違いますか」
「それは……そうですが」
「とはいえ、魔女のいうことに嘘はありますまい。彼女もまた、この世を救おうとする意志がある。なればこそ、我々は彼女と敵対しなかった」
フェイルリングは、一瞬、遠い目をした。アズマリアと接触したときのことでも思い出したのかもしれない。あるいは、まったく別の風景を見たのか。対峙しているセツナには、まったくわからないことだ。
違和感と緊張感の中で、対峙している。
複数の視線がセツナを見ている。騎士団長だけではない。十三騎士のほとんどがセツナの様子をうかがいながら、フェイルリングの話を聞いていた。
「ですが、協力関係も結ばなかった。紅き魔人アズマリア=アルテマックスの力は強大だ。ゲートオブヴァーミリオンは使い方次第では、十三騎士に匹敵する戦果を上げることができるでしょう。できれば、彼女を同志に引き入れたかったのは、事実。だが、それは叶わなかった」
「どうして、ですか?」
「彼女が協力を拒んだからです」
フェイルリングの回答に、セツナは、疑問を抱いた。十三騎士の力は、凄まじいというほかない。限定的かもしれないとはいえ、完全体となった黒き矛さえも圧倒するほどの力をシドは示した。十三騎士全員が同等の力を持っていると仮定すれば、十三騎士の総戦力はセツナと黒き矛の比ではない。比較することすら馬鹿馬鹿しい。アズマリアがこの世の理不尽を打ち破るために力を必要としているのであれば、騎士団と協力関係を結ぶべきなのではないか。
「アズマリアは、我々との協調を拒絶した。セツナ伯とクオン=カミヤだけで十分だというのでしょうな」
(俺とクオンで……か)
クオンとセツナ。
無敵の盾シールドオブメサイアと最強の矛カオスブリンガー。
それこそアズマリアがいう両極の力であり、彼女が長年探し求めていたものだったのか、どうか。
秘密主義者のアズマリアの本音など、わかるはずもなく、想像したところでどうしようもない。
「しかし、わたしにはそうは想えないのです。確かにクオン=カミヤのシールドオブメサイアと、カオスブリンガーは強力無比」
フェイルリングが右腕を掲げると、手のひらの上の空間が歪んだ。歪みは瞬く間に大きくなり、その歪みの中心から闇が漏れ出した。かと思うと、その闇はフェイルリングの手の上で一振りの矛を形成してみせる。一度見れば忘れることはないであろう異形の槍。
破壊的なまでに禍々しい漆黒の矛はフェイルリングの手の中に落ち着いた。歪みも消える。カオスブリンガー。この十数日、求め続けたものだ。どこにどうやって隠していたのかは、わからない。まるで魔法だった。それも十三騎士の持つ特異な力なのかもしれない。
セツナは言葉には出さず送還を試みたが、無駄だった。よく見ると、黒き矛に暗色の帯のようなものが絡みついている。それが黒き矛の送還命令を遮断しているのだろう。その封印がもし、十三騎士の能力ならばラグナの魔法で除去できるかもしれない。
セツナの声の封印を解除したように。
「おふたりが力を合わせれば、無敵といっていいでしょう。ですが、それだけではこの世に訪れる破滅の運命を退けることなどできないと、我々は見ています」
「破滅……?」
シドもそのようなことをいっていた。
「セツナ伯。我々と協力し、この世を破滅から救うつもりはありませんか?」
フェイルリングの黄金色の瞳が、試すような輝きを帯びていた。