第千四百三十話 正義についての話をしよう・破(二)
ルヴェリスとシャノアが早起きしたのは、今日が特別な日だったからだ。
神卓会議とも呼ばれる騎士団の幹部だけを集めて行われる会議は、そう頻繁に行われるものではないらしい。数ヶ月に一回開かれればいい方で、半年以上の間隔が開くこともあるらしい。そのため、神卓会議は、つぎの会議までの騎士団の行動方針やベノアガルドの運営方針を決めることになり、長時間に渡って行われることが多い。場合によっては一日では終わらず、三日三晩、会議し続けることもあるという。その間、十三騎士たちは一切神卓の間から出ることはなく、神卓会議中、ベノア城は凄まじいまでの緊張に包まれるらしい。
「三日三晩……ですか?」
城へ向かう馬車の中でセツナが驚くと、隣のラグナもあきれたようだった。
「それは難儀じゃのう」
「空腹で死ぬかと思うわよ」
ルヴェリスが茶目っ気たっぷりに笑う。彼はいま、いつもの女性服ではなく、騎士団の制服を着込んでいる。青と白を基調とする清々しさの漂う制服は、中性的な容貌の彼によく似合った。騎士団の制服には、階級に応じた変化があり、十三騎士の制服には金糸の飾りと独自の紋章があった。ルヴェリスの紋章は華。“極彩”のルヴェリスに相応しい紋章といえるだろう。
ちなみに、セツナとラグナも正装に着替えている。当然のようにルヴェリスが用意してくれた礼服であり、袖を通すだけで粛々とした気分になったりもした。ラグナは胸の辺りがきつい上、肌と衣服の生地がこすれる感触が気持ち悪いとうるさかったが、我慢してもらっている。
「飲まず食わず、なんですか?」
「死にはしないからね」
「いやいや……いくら死なないといっても、そんな状態で会議なんてできるわけないじゃないですか?」
十三騎士がいかに人外の如き力を持っているとはいっても、人間なのだ。たとえ三日三晩、飲まず食わずで耐えることができるのだとしても、とても会議になるとは思えない。空腹によって体力も思考力も奪われるはずだ。
「って、いうわね」
しかし、ルヴェリスは笑っていた。まるでセツナの考えが間違っているとでもいうような余裕の表情。
「普通のひとなら、そうなんでしょうけど、わたしたちにはなんの問題もないのよ」
「でもいまさっき空腹で死ぬ思いがするっていいませんでした?」
「冗談に決まっているでしょ。わたしたちが死ぬことなんて、ありえないのよ」
「はい?」
「どういうことじゃ?」
「秘密」
ルヴェリスは、片目を瞑って、人差し指を唇に当ててみせた。
「会議でなにか、わかるかもね」
彼の思わせぶりな発言に、セツナは、神卓会議への心構えを新たにした。
フィンライト邸から王城まで、それほど遠くはない。
ルヴェリスの屋敷もベノア城も、ベノア上層区画内にあり、上層区画の交通網は整備されているからだ。馬車を使えば、一時間もかからない距離にあった。
セツナたちを乗せた馬車がベノア城に辿り着くと、ベノア城は物々しい空気に包まれていた。セツナたちが乗車した以外にも多数の馬車がベノア城敷地内に停車しており、警備兵として駆り出された従騎士だけでも数え切れないほどの人数がいるようだった。ベノア城に集まっているのは、なにも従騎士だけではない。准騎士、正騎士も制服に身を包み、緊張に満ちた表情で城内を整備したり、警備にあたっていたりした。
ベノアに滞在中の騎士団騎士が勢揃いしているといっても過言ではなかった。
それもそうだろう。
神卓会議には、ベノア滞在中の騎士団幹部が全員出席するという決まりになっているのだ。十三騎士にもしものことがあってはならない。騎士団の警備が厳重なものになるのは当然だ。
そんな物々しさの中で、セツナとラグナはルヴェリスに引き連れられるようにして城内に入った。城内各所に屯している騎士たちの注目を浴びるのだが、それにはもはや慣れたことだ。フィンライト邸に身を置くようになってからというもの、騎士団本部たるベノア城を訪れたことはないのだが、ベノアを出歩くと騎士団騎士の視線を集めることが多かった。
セツナとラグナは、この騎士の都においては異物なのだ。
部外者であり、外敵とすらいっていい存在だった。それなのに騎士団幹部たちはセツナとラグナを捕虜として扱うのではなく、賓客のような待遇で扱った。騎士たちが奇妙な目を向けるのは当たり前だろう。それでも、ルヴェリス配下の騎士たちとは訓練を通して顔見知りになり、ある程度打ち解けたといってもいい関係になっている。
不思議なものだ。
つい二十日ほど前まで命のやり取りをしていた相手だというのに、戦場を離れ、顔を突き合わせて話し合えば、互いに悪くない感情を抱くようになる。
悪意がないからだろう。
理由があって敵対し、交戦することになったとはいえ、個人的な悪意や殺意で戦ったわけではないのだ。もちろん、敵味方に別れ、殺し合いをしたという事実は消えないし、セツナが何十人、いや、何百人の騎士団騎士を殺したことは拭い去れない現実として残っている。そのことを恨んでいるものもいるかもしれない。しかし、セツナが触れ合ってきた騎士のほとんどは、そういった感情をお首にも出さなかった。
だから、セツナは騎士団のことが嫌いになれなかったし、実力行使に出たほうがいいのではないかと想ったときも、すんでのところで思い留まることができたのかもしれない。
神卓の間への道中、シヴュラ・ザン=スオール、ハルベルト・ザン=ベノアガルドと合流した。ハルベルトは、シヴュラとよく行動をともにしている。というより、シヴュラがハルベルトの面倒を見ているというほうが正しいのだろう。ハルベルトが動けば、シヴュラも動く。ハルベルトがフィンライト邸を訪れれば、シヴュラも訪れる。そういった具合だった。
ルヴェリスの話によれば、シヴュラはハルベルトの騎士としての教育係といってもいいような存在であり、ハルベルトが面倒事に首を突っ込んだり、巻き込まれたりしないよう見張っているという。かつて、そういうことが多々あったらしい。セツナには、礼儀正しい好青年としか思えないのだが。
「やっぱり召喚に応じてくれたんですね、セツナ」
「ああ。俺が議題になるのなら、どうしたって参加しなきゃならないだろ」
「それもそうですなあ」
ハルベルトのにこやかな表情には裏表というものがない。常に全力で全開なのが彼のいいところであり、悪いところでもあるのかもしれない。そういう性格だから、面倒事に巻き込まれることもあるのだろう。
ハルベルトとはこの十数日の間に、名を呼び捨てにし合う間柄になっていた。年も近く、背格好も似たようなものだ。最初から親近感全開で接してきたハルベルトに悪意がないとわかれば、セツナが気を許すのも当然だった。鍛錬に付き合ってもらうことも多々あり、いつしか気を許していた。
十三騎士には、ひとのいい人物が多い。
シヴュラは、口数こそ少ないものの、いつだって紳士的で、穏やかだった。セツナやラグナに敵意を向けてくるようなことはなかったのだ。
シヴュラ、ハルベルトとともに城内を歩いて行く。
騎士団騎士や、本部勤務の使用人たちは、十三騎士三人とふたりの捕虜の和気あいあいとした雰囲気に茫然とすることしばしばだったが、セツナたちは一向に気にしなかった。
やがて、神卓の間に辿り着くと、張り詰めた空気を感じた。
神卓の間は、隔絶された世界だという。
ベノア城内にありながら、そこはベノア城とは無縁の領域であり、資格のあるもの以外、なにものも立ち入ることの許されない場所なのだ、と。
ルヴェリスは、セツナたちを驚かせるつもりでいったのかもしれないが、神卓の間と外界を隔絶する扉を目の当りにすると、彼の発言もあながち間違いではないのではないかと思えた。扉には、神秘的な模様が刻まれており、それがなにを意味するのか、セツナにはまったくわからない。
「そのような場所に、わしらが入っても構わんのか?」
ラグナがルヴェリスの脅迫めいた発言に対し、疑問を浮かべる。
「構わないわよ」
「といいますか、ラグナさんとセツナの扱いが議題のひとつなんですから、入っていただかないと困りますよ」
「わしとセツナの扱い、のう」
「ええ」
ハルベルトがにこやかに肯定すると、ラグナはそんな彼を横目に見て、冷ややかに告げる。
「セツナは、おぬしらには従わんぞ」
「はは、面白い冗談ですね」
「冗談ではないわい」
「ラグナ」
セツナは、ハルベルトのやり取りにひやひやして、ついラグナを睨んでしまった。こんなところで言い争うことになっては馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「なんじゃ?」
「いまからその話をするんだろ」
「むう? わかりきったことを話し合ってどうするのかと問うておるんじゃがのう」
ラグナには、セツナのいいたいことが上手く伝わらないらしい。セツナが怪訝な顔の彼女に苛立ちを感じていると、なぜかルヴェリスが彼女をなだめるようにいった。
「まあまあ、ラグナ様。ここはおとなしく、成り行きを見守るという方向で……」
「ルヴェリスがそこまでいうのであれば、聞いてやらんではないが」
「なんでそんなに偉そうなんだよ……ったく」
セツナは、ルヴェリスたちに対して常に上から目線のラグナのことが気になって仕方がなかった。注意しても、ルヴェリスたちが面白がっているから、どうしようもない。
「良いですかな?」
「え、ああ、どうぞ」
「では、中へ続いてください」
シヴュラが、セツナを先導するように神卓の間の扉を開いた。セツナは、導かれるまま神卓の間に足を踏み入れる。
その瞬間、セツナは確かに異様なものを感じた。
まるで現実から隔絶されるような感覚に囚われたのだ。全身を貫いたのは、違和感。なにかが意識に触れ、心を走った。異様な感覚だった。世界が揺れた。目眩がした。その場に転倒しかけたところを隣を歩いていたラグナに支えられ、事なきを得る。ラグナが耳打ちで問いかけてくる。
(どうしたのじゃ?)
(いや……なんでもない)
(む? それならよいが……気をつけよ)
(え?)
ふと見ると、ラグナは神妙な顔になっていた。
(ただならぬ気配を感じる)
(ただならぬ気配?)
セツナは、ラグナの忠告を反芻しながら、室内に視線を戻した。
神卓の間は、円形の広い空間だった。石造りの広間で、床、壁、柱、天井に至るまで石材を用いられている。柱に設置された複数の魔晶灯が光源となって室内を照らしており、明るさに困ることはない。足元もしっかりと見えている。普通に歩いていれば蹴躓くことなどありえず、部屋に入った瞬間、転倒しそうになったという事実が奇妙に思えた。
広間の中心に、奇妙な形状の卓がある。
(あれが神卓か)
神卓。
騎士団の異名の所以となった卓は、確かに神々しくはあった。奇妙ではあるが、神々しい輝きを帯びている。奇妙というのは、その形状だ。卓というのは、円や正方形、長方形など、ひとが使いやすい形状をしているものだ。しかし、神卓と思しき卓は、使いやすさなど度外視した形状をしていた。
大きな卓で、いくつもの出っ張りがある。その出っぱりの先に椅子が備え付けられていて、先着していた十三騎士の何名かが既に腰を下ろしていた。シド・ザン=ルーファウス、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、ロウファ・ザン=セイヴァスの見知った三名に、知らぬ顔が二名。サントレアで戦った騎士かどうかもわからないし、戦っていたとしても、顔はわからないはずだ。あの戦いのとき、十三騎士の多くは兜を被っていた。
セツナが見ている間にも、席は次々と埋まっていく。シヴュラが手前の席に腰を下ろすと、ハルベルトが大急ぎでその隣を確保する。ルヴェリスはそんなハルベルトの隣に座ると、セツナたちを手招きした。セツナはラグナと顔を見合わせ、彼の席に歩み寄った。そうすると、神卓の間の出入り口から入ってきた十三騎士たちにより、さらにいくつかの席が埋まる。
やがて、神卓の間の奥にある扉が開いた。
十三騎士がふたり、粛々とした足取りでやってくると、着席していた騎士たちが一斉に起立した。
その瞬間、セツナは、奥からやってきた騎士のひとりが十三騎士の長であることを悟った。
ふたりのうちのひとり。
年上であろう偉丈夫こそ、フェイルリング・ザン=クリュースに違いなかった。
超然とした目が、こちらを見ていた。