第千四百二十七話 ベノアのセツナ(五)
ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートは、騎士団随一の巨躯を誇るらしい。
さらに十三騎士の中でも最も力に自信のある人物であり、膂力だけでいえば、“神武”のドレイク・ザン=エーテリアをも上回るという。ドレイクがあらゆる面で優れているとすれば、ベインは力に特化しているということだろう。実際、ベインの筋肉質な体を目の前にすると、それも誇張ではないとわかる。誇張するまでもないのだ。
筋肉の装甲を身に纏っているような男を眼前に捉え、セツナは、木槍を握る手に力が入るのを認めた。相手は、十三騎士だ。いまのいままで戦ってきた相手とは格が違う。気を抜いた瞬間、やられる。
まず、迫力が違った。
木剣から発せられる剣気そのものの圧が違うのだ。
ただ木剣を向けられているだけだというのに、真剣を眼前に突きつけられているような緊張感があった。
隆々たる巨躯はさながら巨大な山のようであり、どこにどう木槍を打ち込めば突き崩せるのかまったくわからない。
いままで相手にしてきた騎士たちが弱い、というわけではない。倒してきた三十二人、だれもかれも強かった。国によっては主力を張れるような人材ばかりであり、その人材の豊富さには、羨ましさしかなかった。騎士団がガンディアと協力関係を結んでくれれば、小国家群の統一はさらに加速するだろう。
もっとも、騎士団が一国の野心のために力を貸してくれるとは思えないし、小国家群統一の最大の障害になる可能性のほうが強いことはわかっている。
「始め!」
審判役の騎士が試合開始の合図を発すると、騎士団騎士の円陣によって作り上げられた試合場の緊迫感が増大した。ベインの巨躯から発せられる重圧に押し負けそうになる。黒き矛を手にしているときと勝手が違うのだ。黒き矛は、セツナに多大な力を与えると同時に、安心感を与えてくれてもいた。それがない上、木槍という頼りにならないものが得物なのだ。
(それでも)
戦い、打ち勝たなければならない。
なんとしてでもテリウスに認めさせ、フェイルリングに取り次いでもらわなくてはならないのだ。
黒き矛を取り戻し、ガンディアに帰る。
それだけがセツナがここにいる理由であり、ここで戦っている理由なのだ。
床を蹴り、間合いを詰める。得物の間合いは、木槍のほうが長く、有利だ。だから木剣同士のほうがいいのではないか、とセツナはいったのだが、テリウスがセツナの得意とする得物のほうがいいだろうといって聞かなかった。そもそも、百人倒さなければならないのだ。得物の有利で補えるようなものではない、とテリウスはいった。確かにその通りで、セツナは木槍を使うことにした。そして三十二人、倒した。
三十三人目が十三騎士になるとは、想像もしていなかった。テリウスにとっても想定外の事態だろう。テリウスは、このために百人超の部下を呼び集めている。
ベインは、動かない。
セツナが槍の間合いにベインを捉え、無造作に突きを繰り出すと、彼は待ってましたとばかりに木剣で木槍を跳ね上げ、すかさず踏み込んできた。そして、思い切り振り下ろしてきた斬撃を右に流れてかわしてみせる。と、剣先が変化し、セツナの左腕を痛打した。
「ラナコート卿、一点!」
「甘いぜ」
痺れるような痛みの中で、セツナはベインが妙に嬉しそうに笑っているのを見て、憮然とした。ベインは、なにも怪力だけが取り柄ではない、とでもいいたいのかもしれない。
(そうだ。相手は十三騎士だ)
アバードやマルディアの戦場で見たベインは、怪力こそ象徴的ではあったが、それがすべてではなかった。速度も尋常ではなかったし、技量もあった。あらゆる面で水準以上なのは間違いなく、その中でも飛び抜けているのが膂力というだけの話なのだ。
審判に促されるまま、再び対峙する。
競技試合形式なのだ。
加点方式で、得物による攻撃を当てたほうに点数が加算され、十点先制したほうが勝者となる。また、相手を得物による攻撃で転倒させた場合も、勝利となる。転倒勝利という奴だ。
セツナはここまで転倒勝利を狙ってきたのだが、それは、体力を考えてのことだった。百勝しなければならないのだ。一試合に時間をかけ、体力を無駄に浪費している場合などではない。とにかく、一試合にかかる時間を少なくしなければ、体力が持たない。
しかし、ベインにはその考えは通用しないだろう。
ベインの足腰は、これまで相手にしたどの騎士よりもがっしりとしており、転倒勝利を狙うのは困難だ。堅実に点数を重ね、十点先制による勝利を狙うのがもっとも安全だろう。しかも、彼を倒せば、五十人抜きと同等の価値があると、彼が宣言したのだ。五十人分の体力を彼に費やしても問題はない、ということだ。
(いや)
セツナが木槍を低く構えると、ベインは木剣を大上段に構えた。下半身が隙だらけだが、もちろん、誘っているのだ。隙を突こうと槍を繰り出せば、容赦なく振り下ろされる木剣によって叩き潰されること請け合いだ。間合いの差など、関係ない。ベインの速度、膂力ならば、こちらの木槍が届くよりも先に斬撃を叩き込んでくるくらい、やってのけるだろう。
(全力を尽くせ)
相手は十三騎士だ。
競技試合とはいえ、十三騎士を倒すことができなければ、なんのために厳しい鍛錬を積んできたのか、わからなくなる。負けられない。負けるわけにはいかない。こんなところで、足踏みしているわけにはいかないのだ。
踏み込み、突きを繰り出す。目標はベインの喉。容易く木剣に弾かれる。体当たりの如き前進が来る。後退。突風がセツナの脇腹を撫でた。ベインの、猛烈な突きが突風を感じさせたのだ。だが、辛くもかわしている。セツナはその瞬間、ベインの背中に槍の切っ先を叩き込んでいる。ベインがこちらを一瞥した。にやりと、笑う。
「セツナ伯、一点!」
審判の宣言が響く中、セツナはベインから離れた。
「さすがにやる」
ベインが獰猛な笑みを浮かべた。闘争本能に火が点いてしまったのかもしれない。ともかく、さっきまでとは気配が変わったのだ。実力を試していたのが、本気になった、そんな感じだった。再び、所定の位置に戻り、木槍を構える。ベインの面構え、気迫は、野生の猛獣を思わせた。やはり、気合の入り方そのものが変わっている。
「本気で行こうかね」
「俺はいつだって本気だ」
「なら、遠慮はいらねえな?」
問われるまでもない。
セツナが睨み据えると、彼は愉快げな表情をした。そして、無造作に剣を構えると、審判の合図とともに踏み込んできた。セツナは咄嗟に木槍を突き入れたが、おもむろに振り上げられた木剣によって跳ね上げられたかと思うと、つぎの瞬間、ベインの木剣によってセツナの脳天が叩き割られていた。
それほどの衝撃が頭防具を貫いたのであり、セツナは目の前が真っ白になるのを認めると同時に、ベインの怪力の凄まじさを思い知り、床を見た。意識が飛ぶのを止めようがなかった。ラグナの声を聞いた気がする。悲鳴のような、そんな声。
(らしくないだろ)
もっと笑えよ、とセツナは想った。
いつものように傲岸に、不遜に笑え。
それがラグナシア=エルム・ドラースだろう。
「……やりすぎだ」
シドは、訓練場の片隅で介抱されているセツナを遠目に見遣りながら、ベインに告げた。ベインはというと、木剣を素振りしながら、驚いたような顔でこちらを見てくる。
「え、あ、俺様が悪いのか?」
「当たり前だろう。本気でやるものがあるか」
ロウファが、やれやれと首を振る。呆れ果ててどうしようもないというような表情だ。
「けどよお、セツナ伯との試合だぜ? 本気でやらなきゃ失礼に当たるだろうが」
「だからといって、気絶させるか? 普通」
ロウファが至極最もなことをいうと、ルヴェリスが会話に割り込んできた。
「そうよ。セツナ君にもしものことがあったらどうするの?」
「防具を着込んでんだぜ? もしものことなんて、あるもんかよ」
ベインが三人に責められて、憮然とした顔をする。そんなベインを見ながら、ルヴェリスが憤然といった。
「あなたの馬鹿力なら、防具越しだって致命的なことになりかねないわ」
「そりゃあ……そうか?」
ベインが木剣を振り回す手を止めて、こちらを見てきた。シドが言い返す前に、ロウファが反応する。
「そうだな。反省しろ、この怪力だけが取り柄の大男が」
「てめえのような賢しら顔の陰険野郎になるよりゃましだ」
「それはどういう意味だ?」
ロウファが詰め寄ると、ベインは鼻で笑った。ふたりの間に火花が散る。
「そのまんまの意味だろうがよ」
「なんだと……もう一度、いってみろ」
「は、何度でもいってやらあ。賢しら顔の陰険野郎ってな」
ふたりの言い合いが熱を帯びると、周囲の騎士たちが戦々恐々とし始めた。自分たちに飛び火しないとも限らないからだ。ベインとロウファのくだらない言い合いが喧嘩に発展することはしばしばであり、無関係な騎士たちが巻き込まれることもしばしばだった。
「……少しは静かにできないんですか?」
といって、ぎろりとベイン、ロウファのふたりを睨みつけたのは、テリウスとともにセツナを介抱していたハルベルトだ。いつも明るく楽しい好青年といった様子の彼だが、ふたりを睨みつけるその表情にはなんともいえない凄みがあり、ベインもロウファも黙り込んだ。
ハルベルトは、その貴公子然とした佇まいや人懐っこい言動から、愛嬌だけが取り柄の好青年と見られがちだが、その実は違う。
修羅場を潜っているのだ。
フェイルリング・ザン=クリュースが主導して行われた革命。それは、ベノアガルドの統治者であるベノアガルド王家への反乱そのものであり、ベノアガルド王家の打倒こそが革命の第一歩として掲げられていた。ベノアガルド王家に連なるものは、皆、等しく殺された。王家の血を絶やさなければ、ベノアガルドの呪縛する腐敗から解放することはできない。革命という儀式のための必要な犠牲。それがベノアガルド王家の血であり、国王、王妃、王子、王女のみならず、王家の血を引くほとんどすべての人間は革命の祭壇に捧げられた。
唯一、生き残ったのがハルベルトだ。
彼ほど地獄を見たものはいまい。
普段の彼からは想像もできないが、稀に見せる表情からは彼の人生について考えさせられる。
「最年少のハル君に諌められたいまの気分は?」
ルヴェリスが横目にふたりを見遣る。
「……反省するぜ」
「……右に同じ」
「よろしい。これからは気をつけるように」
ルヴェリスの一言に、ふたりはほとんど同時に頷き、そのまま沈黙した。
「……仲が良いのも困りものだな」
「まったくです」
シドは、シヴュラの皮肉を皮肉のまま肯定するとともに、セツナが無事なことに安堵した。ルヴェリスのいう通りだ。万が一、セツナの命に別状があれば、なにもかもご破算だ。フェイルリングの思惑も果たせず、シドの望みも叶わなかったかもしれない。もちろん、ベインがそこまで考えなしの男であるわけもないし、絶妙な力加減でセツナを打ち負かしたのは理解しているのだが。
それでも、セツナが脳天への一撃で昏倒したときは、冷や汗が出るほどに驚いたものだ。
しかし、セツナがベインに敗れたからといって、シドの中のセツナの評価が下がることはない。正面からまともにやりあえば、シドもベインに敵わない。ベインは、膂力のみならず、戦闘における才能や勘といったものが人並み外れて優れている。
怪力だけが取り柄の男ではないのだ。
そのことは、シドのみならず、十三騎士ならばだれもが知るところだし、多くの騎士団騎士が常識的に知っていることだ。だから、セツナがベインに敗れたとき、円陣を組んでいた騎士の多くがその結果を当然のこととして受け入れ、セツナの評価を下げたりはしなかった。そもそも、セツナはそれまで三十二人の騎士を打ち負かしている。それも連戦だ。休憩を挟んでいるとはいっても、消耗しているのは間違いない。そんな状態で十三騎士と剣を交えるなど正気の沙汰ではない、と、この場にいる誰もが想ったことだろう。
「しかし、セツナ伯は、黒き矛頼りの無能者ではなさそうだ」
「ええ」
肯定する。
黒き矛がなければ大した実力もないと報告したのは、ガンディアに潜入したテリウスだが、そのテリウスも、三十二人抜きを果たし、ベインから一点でももぎ取った彼のことを評価しない訳にはいかないだろう。彼が気絶したセツナを率先して介抱しにいったところをみると、思うところがあるようだった。
「卿の眼鏡に適ったのは、そういうところもあるのだろうな?」
「……ええ、まあ」
シドは、言葉を濁しながら、うなずいた。
力だけがすべてではない。
もちろん、力は重要だ。
言葉だけでは、意志だけでは、想いだけでは、ひとを救うことなど出来はしない。
だが、それは逆も同じだ。
力だけでは、救えないのだ。
だからこそ、セツナのようなものが必要だ。