第千四百二十五話 ベノアのセツナ(三)
大陸暦五百三年五月一日。
セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドを首都ベノアに迎え、既に二十日以上が経過していた。
サントレアでの戦闘によって意識を失ったセツナは、移送中も目を覚ます素振りさえ見せないまま、ベノアに辿り着き、数日間、眠り続けた。彼が意識を取り戻したのは、先月十五日のこと。どこに潜んでいたのかもわからないドラゴン(それも人間の姿に変身しているという有様であり、報告を聞いたときにはくだらない冗談かと思ったものだ)とともに脱走を図ったが、ルヴェリス・ザン=フィンライト、テリウス・ザン=ケイルーンに阻止された。
セツナがドラゴンとともに力を合わせ、実力行使に出れば本部から抜け出すことくらいはできただろうが、彼は、ルヴェリスの説得に応じ、騎士団の監視下に入った。セツナには、騎士団に従わざるを得ない事情があった。
黒き矛の奪還。
セツナが最強たる所以である召喚武装カオスブリンガーは、騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースの管理下にあった。セツナは、なんとしてでも黒き矛を取り戻さなければならないのだが、セツナとドラゴンの力だけでは十三騎士全員を相手に戦えるわけもなく、取り戻せる機会を窺うほかはないと判断したのだ。話によれば、ルヴェリスがそう提案したらしい。
なぜルヴェリスがセツナの肩を持つような言動を行うのかは、彼にはよくわからない。が、どうでもいいことではある。
彼には彼の目的があって、セツナをこの都にとどめておく必要があったのだ。ルヴェリスには、感謝こそすれ、否定する道理はなかった。
シド・ザン=ルーファウスは、セツナを同志に迎え入れたいと考えている。
セツナと黒き矛の力、セツナ自身の人格や行動が救済者に相応しいと見ているからだ。まだまだ幼稚で子供っぽいところもあるが、そういう直情的なところこそ、救済者に必要不可欠な要素だと彼は想っている。
困っているだれかを救いたいという熱い想いこそが、救いのための原動力となるからだ。
もちろん、十三騎士の中には、セツナの存在を疑問視する声もある。テリウス・ザン=ケイルーンなどはその筆頭であり、セツナと交戦した騎士の中にも懐疑的なものがいた。ロウファ・ザン=セイヴァスも、あまり乗り気ではないらしい。
十三騎士には十三騎士の自負があり、矜持がある。
それは、シドにも理解できることだ。
しかし、救いとは、必ずしも十三騎士や騎士団のみの手で行うものではなく、有力な人材があれば協力を求め、手に手を取るべきだというのは、騎士団長の考えなのだ。
シドは、いままさにそのことを騎士団長フェイルリングに直接確認し、言質を取っている。フェイルリング・ザン=クリュースは、シドの考え方を肯定したのだ。当然だろう。そもそも、それはフェイルリングの考えなのだ。ここで翻っては、騎士団の根本が揺らぎかねない。
フェイルリングこそ、現在の騎士団の根幹そのものなのだ。
「しかし、団長閣下が会見に応じてくれるとは思いませんでしたね」
馬車での移動中、ロウファが思い出したようにいった。馬車の中が狭く感じるのは、隣りに座っている彼のせいではなく、目の前の座席を占領している大男のせいだろう。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートは、二人分の席が必要になるほどの巨体を誇る。もちろん、座り方に問題があるのだが、そのことについてはロウファでさえとやかくいわなかった。彼の横で窮屈な思いをするよりは、シドの隣の席のほうがましだと思っているに違いない。
「ああ。お忙しい中、ありがたいことだ」
フェイルリングは、多忙の身だ。革命以来、騎士団はベノアガルドの政治をも司らなければならなくなり、騎士団の代表であるフェイルリングは、為政者としても振る舞わなければならなくなったからだ。騎士団長として騎士団を導きながら、ベノアガルドの首脳として国民を導く必要があるのだ。休んでいる暇などないに等しく、公務に忙殺される日々が続いている。
フェイルリングとしては、騎士団とは直接関係のない政務については、民間から選び抜かれた政治家にでも任せたかったのだが、革命直後の混乱を収めるには、騎士団みずからが政治的主導権を握るほかなく、そうなった以上、ベノアガルドの政情が完全に落ち着くまでは騎士団が政治を行うしかなかったのだ。そして、ある程度落ち着いたいまでも、ベノアガルドの国民の多くは、政治も騎士団に任せることのほうがいいと考えており、国民の中から政治家を選出したいというフェイルリングの考えには否定的なものが多かった。
結果、フェイルリングを頂点とする十三騎士がベノアガルドの政治を担うことになり、フェイルリングのみならず、シドたち十三騎士も、多忙な日々を送っている。
そういうことから、フェイルリングが即日会見に応じてくれることなど、そうあることではないのだ。少なくとも、会見を求め、すぐさま会ってくれたことなど、経験上、一度たりともなかった。それだけ、フェイルリングもこの問題を深く考えているということなのだろう。
「団長閣下も、同じことを考えていたっていうのも、あれだな」
「あれってなんだ?」
「ああん? んなこたあ、どうだっていいだろ」
「よくないな」
「いちいち突っかかってくるのをやめたまえ、セイヴァス卿」
「卿こそ、十三騎士らしい言葉遣いを心がけるべきだな」
ロウファとベインの相変わらずなやり取りには、シドもいつもどおりの言葉を浮かべるしかなかった。
「……まったく、君たちの以心伝心ぶりには参るな」
「ルーファウス卿」
「シドよお」
「……冗談だ」
やがて、馬車が目的地に到着し、停車した。ベノアガルド上層区画の一等地。閑静な住宅街の真っ只中に、その広大な敷地は存在する。
馬車を降りるなり、ベインは大きく伸びをした。大柄な彼には窮屈過ぎたのかもしれない。シドですら手狭に感じるほどだった。
それから、ベインが目的地の屋敷に目を向ける。
「それにしても、相変わらず奇抜な屋敷だな」
「奇遇だな。同感だ」
「はっ、こればっかりは、だれだって同じ感想を抱くだろうよ」
「まったくだ」
「そうだな」
シドはふたりに同意するとともに、衛兵が門を開けるのを待った。
ルヴェリス・ザン=フィンライトが所有する屋敷は、ふたりのいうとおり、奇抜としかいいようのない外観をしていた。敷地を囲う塀から構えのしっかりとした正門に至るまで、なにからなにまで奇抜な細工が施されている。外観だけではなく、敷地内に入れば、さらに奇抜な世界を目の当りにすることができるだろう。
そして、そんな奇抜な景色は、何度訪れても見慣れることはなかった。一年も経てば様変わりするのがフィンライト邸の景観であり、そのたびに多くの職人、芸術家がフィンライト邸を賑わせ、周囲に人だかりができるという。ベノアガルドの名所のひとつ、といってもいいかもしれない。
正門をくぐり抜けたシドたちは、ルヴェリスの芸術家としての才能が遺憾なく発揮された世界を目の当たりにしながら、慌てて駆けつけた使用人の案内に従い、前庭を進んだ。
フィンライト邸を訪問するということについては、先に伝えてある。案内役の使用人が慌てたのは、シドたちの到着が予定よりも早かっただけのことだ。
シドたちがフィンライト邸を訪れたのは、ある人物に逢うためだった。
それはもちろん、シドが同志として迎え入れようという人物であり、彼はいま、ルヴェリスの預りとなり、フィンライト邸で過ごしていた。
なぜ、ルヴェリスが彼の身柄を預かることになったのかは、ほかの十三騎士のことを考えれば明白だ。団長フェイルリング、副団長オズフェルト・ザン=ウォードは多忙であり、セツナを見ている暇はない。テリウス・ザン=ケイルーンはセツナに対して悪感情を抱いているから駄目だ。同様の理由でロウファも除外される。ゼクシズ・ザン=アームフォート、フィエンネル・ザン=クローナはそういうことに向いていない。ドレイク・ザン=エーテリアに預ければ、彼と戦闘訓練ばかりを行い、セツナに負担をかけることになるだろう。同様の理由でベインも除外される。残り五名、カーライン・ザン=ローディス、シヴュラ・ザン=スオール、ハルベルト・ザン=ベノアガルド、シドとルヴェリスの中からならば、カーラインかシヴュラ、ルヴェリスの三人に絞られ、人当たりの良さ、面倒見の良さを考慮すると、ルヴェリス一択となるのだ。
ルヴェリスは、誰に対しても人当たりがいい上、面倒見もいいことから、騎士団騎士の中でも特に人望がある十三騎士だった。
彼に任せておけば問題ない、とシドも想ってはいた。
広い敷地内を使用人に案内されるまま、歩いて行く。
奇妙奇天烈な像や複雑に剪定された木々でできた道を進むと、本邸ではなく、フィンライト家に代々伝わる訓練所に辿り着いた。
「ここに?」
「はい。御館様も、御客人も、この中に居られます」
使用人の言葉に、シドたちは顔を見合わせた。