第千四百十九話 魔法遣い(中)
それは、蹂躙といってよかった。
遥か上空から降り注いできた流星雨の如き光の雨は、アスラの肉体をずたずたに破壊すると、それだけでは満足できなかったかのように戦場そのものを破壊していった。爆撃といっていい。強烈な爆発の連鎖によって巻き起こった爆風の嵐は、ミリュウをも巻き添えにした。不可抗力だ。敵を倒すための攻撃で威力を絞ることはできない。たとえ自分を巻き込むことになったとしても、だ。敵を倒せなければ意味がない。
自分の身の安全を確保するために威力を絞った結果、アスラを撃ち落とせなければ死んでいたのは自分なのだ。
(それでも、ちょっとやりすぎたわね)
爆風に翻弄されながら、ミリュウは内心、後悔した。アスラの召喚武装の能力がわからないうちに設定した攻撃なのだ。どれだけの威力で、どれだけの射程、どれだけの範囲を攻撃すればいいのか定かではなかったため、威力、射程、範囲ともに高めに設定せざるを得なかった。その結果、ミリュウ自身も負傷することになったのだが、仕方がないと諦めるしかないだろう。
アスラのように相手の召喚武装の能力が事前にわかっているのであれば対処もできるが、そういうわけにもいくまい。
そもそも、ラヴァーソウルの磁力さえ封じられなければ、爆発範囲から逃れることなど簡単だったのだ。まさか、ラヴァーソウルを完封する能力を用意しているとは、想定していなかった。よくよく考えてみれば、ありうることなのだが、そこまで頭が回らなかったところが自分の限界なのかもしれない。
光の雨が止み、爆発の連鎖が終わった。爆煙が立ち込め、焼け焦げた空気のにおいが鼻腔をくすぐった。
ミリュウは、地に伏している。爆風によって吹き飛ばされ、中空で何度か弄ばれた後、地面に叩きつけられたまま、爆発が終わるのを待っていた。そう長く続くものでもない。そこまで長時間の攻撃を設定してはいなかった。人間に対しては一撃必殺の威力を持つ攻撃だ。敵が逃げきれないだけの範囲を攻撃すれば、それで済む。
事実、それで戦いは終わった。
勝てたのか、どうか。
負けてはいまい。
ゆっくりと息を吐き、呼吸を整える。全身、あらゆる部位が悲鳴を上げている。特に痛いのは背中と太腿だが、脱臼した左肩も痛いし、それ以外の部位も涙が出そうになるくらい痛かった。毎日鍛錬を欠かさず、どれだけ肉体を鍛え上げていても、人間の肉体が皇魔の肉体のような防御力を得られるわけもない。感じる痛みが減るようなこともなければ、傷の回復が早くなることもない。人間から別の生き物に変化できるのであれば、そういうこともありうるのだろうが、残念ながら、そんなことはありえない。
(残念?)
苦笑する。それでは、人間以外の生き物に変化することがまるで喜ばしいことのようだ。むしろ、人間のままでいられることのほうが喜ばしいにきまっているというのに。人間のままでいられなければ、彼の側にいることなどできないのだから。
右手は、ラヴァーソウルの柄を握りしめたままだ。半死半生の状態でありながら体を動かすことができるのは、召喚武装による身体能力の強化のおかげといってよかった。右腕に力を込め、大地にへばりついた体を引き剥がすようにして、起き上がる。激痛が電流のように全身を走り抜け、断続的に襲い掛かってくるが、耐え抜く。耐えるしかなかった。でなければ、勝利を確定させることはできない。
アスラが死んだかどうかは不明だった。
空王の破壊には成功したし、空王が発生させた結界は消滅したらしいのだが、それとアスラの生死は同じではない。
ミリュウが体を起こすことに成功すると、爆撃によって破壊され尽くした戦場の風景が目に飛び込んできた。もともと、アスラの旋回行動によって掘削されてはいたが、ミリュウの攻撃がとどめを刺した形になった。丘の斜面がなくなり、水平になっている。それくらいの破壊。
アスラは死んでいてもおかしくはない。
少なくとも、ミリュウは手加減はしていなかったのだ。
視線を巡らせると、アスラの姿はすぐに見つかった。平坦になった地面の上、仰向けに倒れている。胸が上下しているところを見ると、生きているらしいことがわかる。殺し損ねたらしい。とはいえ、重傷を負わせることには成功したはずだ。でなければすぐにでも立ち上がって、ミリュウを殺しにかかってきただろう。
そういう様子はなかった。
ミリュウは、苦痛を噛み殺しながら、這うようにして、アスラに近づいた。彼女との戦いを終わらせるためだ。体が重い。とにかく、きつい。全身、至る所が泣いている。痛みを訴えてきている。仕方のないことだ。自分を巻き添えにしなければ、アスラを倒すことはできなかった。
体を引き摺るようにして近づくと、アスラが反応を見せた。生きていて、意識もあるらしい。ミリュウは、自分の繰り出した攻撃の精度の低さに呆れるとともに、それで良かったのだ、とも想った。アスラが生きているということは、彼女と話す機会が設けられたということだ。
アスラの前に回り込むように移動し、彼女の顔を覗き込む。自身の血を浴びた美女の顔は、苦痛に歪んでいたが、ミリュウを見るなり表情を変えた。辛い表情は見せたくないとでもいうのだろう。そして彼女の口が動く。
「……お姉さま」
「あたしの勝ちね」
ミリュウは、勝ち誇るでもなく告げて、その場に座り込んだ。右腕を翳す。手にはラヴァーソウルの柄。念じると、鍔から磁力が拡散し、瞬く間に、周囲に散らばったままだった刃片が集まった。見る見るうちに真紅の刀身が形成されていく。わずかな破損部分さえもない刀身が完成するまでに時間はかからなかった。その真紅の刃を、アスラの首に突きつけるようにして地面に突き刺す。彼女が攻撃の素振りを見せれば、即座に首を刎ねられるようにだ。
アスラは、その間、なにもしてこなかった。ただ、ミリュウを見ていたのだ。どこか嬉しそうな表情に困惑を覚える。なにが嬉しいというのか。負けることがか。殺されるかもしれないということがか。ミリュウには皆目見当もつかない。
「ええ。わたしの負けですわ」
「潔いわね」
「だって、あんな攻撃、耐えられるわけないじゃないですか」
アスラが子供のような表情でいってきたことで、ミリュウは、少しばかり警戒を問いた。アスラには、もう戦う意欲が失われているようだった。殺意も、敵意もない。それもそうだろう。両肩を撃ち抜かれただけでなく、体の様々な箇所に攻撃を受けていた。辛うじて意識はあるものの、いつ意識を失ってもおかしくはない状態だった。
それをいえばミリュウもそうなのだが。
「あれは、城門を破壊した攻撃ですね?」
「ええ」
マルダールの城門と城壁を破壊した攻撃であり、威力も範囲も違うが、ヘイル砦そのものを破壊した攻撃でもある。アスラの反応を見る限り、ジゼルコート軍は、ヘイル砦攻略の詳細についてまでは知らなかったようだ。ヘイル砦を破壊したということまでは知っていたとしても、それがミリュウとラヴァーソウルの能力によるもの、ということまでは掴めていなかったのだろう。
「ラヴァーソウルの能力……だったのですか?」
「厳密には違うけれど、まあ、似たようなものよ」
「どういうことです?」
アスラが怪訝な顔をする。納得していいものかどうか、よくわからないといった表情だ。ミリュウの答えから納得できる部分としては、ラヴァーソウルの能力というにはあまりに強力過ぎるという点が上げられる。また、ラヴァーソウルの本来の能力である磁力刃とは無関係に思えることも、あるだろう。召喚武装の能力というのは、召喚武装の属性に関連することが多い。火に属しているのであれば、火炎と熱に関する能力を持つ。もちろん、多いというだけであって、必ずしもそうではないのだが、属性と無関係の能力を持つことは稀だ。
黒き矛のように属性を持たない故に多様な能力を持つ召喚武装もまた、希少だ。大抵の召喚武装は、なんらかの属性を持つ。シルフィードフェザーは風に属し、オーロラストームは雷に属する。ラヴァーソウルの場合は、磁力に属しているというべきだろう。
ラヴァーソウルが真価を発揮したとして、あのような爆撃を行えるようになるとは、考えにくい。かといって、ラヴァーソウルの能力でなければ、なんだというのか。ミリュウは、ラヴァーソウル以外の召喚武装を呼び出してはいない。そのことは、ミリュウの行動を見ればわかるだろう。たとえば爆撃のための召喚武装があったとすれば、いま、アスラにラヴァーソウルを突きつける必要はない。爆撃の準備をしてみせればいいのだから。
アスラが混乱しているのには、そういう理由がある。ラヴァーソウルの能力ではないことはわかるが、ラヴァーソウルの能力でなければおかしいということだ。
それには無論、ちゃんとした答えがある。
「あれは、もはや失われた技術の再現なのよ」
「失われた技術……?」
アスラが理解できないというように、つぶやく。
彼女が理解できないのは、当然のことだ。ミリュウ以外のだれにもわかるまい。リヴァイアの“知”を受け継いだミリュウでなければ、理解できることではないのだ。
そう、それは、リヴァイアの“知”がもたらした力だ。
ミリュウが、旧リバイエン邸に籠もり、リヴァイアの“知”を紐解く中で見出した可能性、その結実なのだ。
「魔法と呼ばれているわ」
レヴィアから連綿と受け継がれてきた膨大な知識は、まるで海の如く、記憶の奥底に封じられていた。魔法もまた、そのひとつだ。武装召喚術よりもずっと高度で複雑な術式を必要とする技術は、常人には決して扱いきれぬものであり、現代に蘇らせるには、失われた技術が必要だった。そして、失われた技術を復活させる手段などはなく、故にオリアス=リヴァイアは魔法の復興を諦めざるを得なかった。魔法さえ行使できるようになれば、リヴァイアの“血”の呪縛から解放されるかもしれないという淡い期待は消えて失せ、彼は“血”と戦い続けなければならなくなった。
そんな中でオリアスは疑似召喚魔法を完成させるに至ったのだが、疑似召喚魔法には多大な代償が必要であるとともに、それだけでは“血”の呪縛を解消することはできなかった。それでもオリアスは諦めなかったようだが、彼は最期まで“血”の呪縛を解くことはできなかったのだ。
ミリュウは、そんなオリアスが作り上げた疑似召喚魔法の技術と記憶の海に漂う知識を用いることで、失われた魔法の理論の構築に成功した。が、その魔法は不完全な代物であり、ラヴァーソウルを用いる必要があった。ラヴァーソウルの能力は、刀身を無数の刃片に細分化し、磁力によって自在に操るというものだ。ミリュウは刃片によって呪紋を組み上げ、術式を構築し、魔法の発動に成功したのだ。
魔法は極めて高度な技術だ。少なくとも武装召喚術よりも難解であり、呪文の詠唱による術式では再現不可能だった。オリアスの疑似召喚魔法でさえ、魔方陣によって術式を構築しなければならなかったのだ。疑似召喚魔法よりも高難易度な技術である魔法を再現するのは不可能に近い。ラヴァーソウルがなければ再現できなかっただろうし、違う方法で力を得なければならなかっただろう。
魔法が歴史に埋もれ、失われたのもわかるというものだ。
オリアスのような天才にも再現できなかったどころか、武装召喚術の生みの親であるアズマリア=アルテマックスでさえ使えないのだ。人間の手に負える力ではない。
ミリュウが魔法を駆使できるのは、リヴァイアの“知”とラヴァーソウルのおかげだった。“知”がなければ魔法を再現しようなどという考えには至らなかっただろうし、ラヴァーソウルがなければ再現など不可能だったに違いない。そのうえで、ミリュウ自身の実力がなければ、魔法を完成させることはできなかっただろう。
魔法の行使には、膨大な精神力と集中力が必要だ。
術式となる呪紋を刃片によって完璧に構築しなければならないし、精神力の消耗も、激しい。アスラを撃ち落とした魔法ですら、多大な精神力を消耗している。ヘイル砦を破壊したときなどは、全生命力を消費し尽くしたのではないかと思うほどの消耗を感じたものだ。生命の危機に瀕するほどの消耗。あれから魔法の発動に消極的になったのは、いうまでもない。
死は恐ろしくないが、死んでしまっては元も子もない。