第千四百十七話 覚悟の先へ(後)
他の武装召喚師が編み出した術式を用い、召喚武装を呼び出すためにはいくつかの条件がある。
ひとつは、当該召喚武装が呼び出されていないこと。
前提条件だ。
もうひとつは、当該召喚武装の術式を編み出した武装召喚師が契約を破棄していること。
武装召喚術の術式は、古代言語や古代文字と呼ばれる言葉の組み合わせによる呪文のことだ。数え切れない数の単語の組み合わせによって思い描いた武器を召喚することこそ、武装召喚師の真髄であり、武装召喚術というものなのだ。つまり、別の召喚師と同じ言葉の組み合わせを唱えれば、同じ召喚武装が呼び出せるということになる。そのままでは、強力な召喚武装の取り合いになりかねない。
そこで武装召喚術の祖アズマリア=アルテマックスは、術式に聖約句と呼ばれる文字列を組み込んだといわれている。
聖約句は、武装召喚師と召喚武装の聖なる契約を言語化したものであり、聖約句によって結ばれた契約は、武装召喚師が破棄するか、武装召喚師が死ぬまで履行され続け、契約者以外の召喚には応じなくなるものだ。
ミリュウたち魔龍窟の武装召喚師は、本来オリアン=リバイエンが契約者である召喚武装を使い回していたということだが、どうやって契約を欺瞞したのかは定かではない。オリアンがその方法を編み出したのだろうが、ミリュウに聞く限りでは不明なままだった。また、ウェイン・ベルセイン=テウロスがランスオブデザイアを召喚することができた理由も判明していない。無論、ランスオブデザイアの呪文に聖約句が含まれていないわけではない。聖約句がなければ、術式は完成しないのだ。つまり、ランスオブデザイアは最初に召喚したルウファと契約を結んでいた。だが、なぜかウェインの手によって召喚され、セツナと黒き矛に破壊されたのだった。
例外はともかく、聖約句が術式に組み込まれている以上、契約者以外の人間によって召喚されることはない。
つまり、ファリアが閃刀・昴を召喚するためには、祖母ファリア=バルディッシュが閃刀・昴との契約を破棄しているか、あるいは――。
薄れることのない痛みに苛まれながら、ファリアは、砂の海に沈んだオーロラストームを探そうかと視線を巡らせた。膨大な量の砂によって埋め尽くされた戦場からオーロラストームだけを探し出すのは困難を極めるだろう。時間もかかる。しかも、ファリアは片腕しか使えない状態だ。諦めて、送還する。視線の先で地中から光が噴き出し、オーロラストームの在り処を主張したものの、送還中の召喚武装を戻すといったことはできない。
ファリアは、静かに嘆息した。再び呪文を紡ぎながら、瞑目する。
ファリア=バルディッシュは、みずからの意志で閃刀・昴との契約を破棄するような人物ではない。たとえ体が弱り、命の火が消えかけていたのだとしても、最期の最期まで、武装召喚師であろうとし続ける。それが祖母であり、戦女神と謳われた人物の有り様なのだ。なにが起こるかわからない。もしかすると、リョハンの、彼女の寝所が襲撃されるかもしれない。万が一にもありえないことだが、絶対にないとは言い切れない。そんなとき、閃刀・昴を召喚できなければ、彼女の戦闘力は極端に落ちるだろう。ほかにいくつもの術式を持っているとはいえ、ファリア=バルディッシュ最強の召喚武装が閃刀・昴なのだ。最後の最期まで頼るのは当然の話だ。
それなのに閃刀・昴がファリアの召喚に応じたということは、どういうことか。
結論はひとつしかない。
ファリア=バルディッシュが天寿を全うしたのだ。
召喚に成功し、右手の中に太刀の重量が生まれた瞬間、ファリアはその事実を認識した。深い痛みがあり、喪失感に襲われた。戦闘中だというのに、危うく、涙を流しそうになった。わかっていたことだ。覚悟していたことだ。理解していたことだ。だからこそ、ファリアは閃刀・昴を召喚した。
ほかの召喚武装ではなく、閃刀・昴を。
それは、祖母がもはやこの世にはいないということを確信しているからこその詠唱だった。もし、祖母が生きている可能性が少しでもあると思っていれば、そのような賭けには出られない。賭けに出れば、オウラに殺されていただろう。
ファリア=バルディッシュは、昨年十二月の段階で余命幾ばくもないという状態だった。老齢ゆえの衰弱だといい、なにかしらの病を得ているわけではないということだった。つまり、快方に向かうことなどありえず、回復することもまた、あり得ないということ。
残された時間はわずかばかり。
年を越せるかどうかもわからなかった。ファリアがリョハンを出た直後に亡くなる可能性だって、少なくはなかった。
だから、なのだろう。
祖母は、ファリアに閃刀・昴の呪文を伝えてきた。ファリアは、なぜ、と問うた。祖母の召喚武装は、祖母だけのものだ、と彼女は想っていたからだ。ほかのだれかが扱うべきではない。扱いきれるものではないし、たとえ扱えたとしても、戦女神の代名詞を他の人間に使ってほしくはなかった。それがたとえ自分であっても、だ。
『力が欲しいのでしょう?』
祖母は、ファリアの疑問に、そのような質問を返してきた。力は欲しい。だが、祖母にはそのことはいわなかった。いえば、祖母に負担をかけることになる。そう想った。残り幾許もない時間を、自分のわがままのために費やさせたくはなかった。
『聞いたわよ、ニュウちゃんに懇願して修行に付き合ってもらったそうじゃない』
あっ、と想った。ニュウ=ディーたちが主たる戦女神に報告しないはずはなかった。
『あのひとのため?』
祖母のいたずらっぽくも暖かな問いには、なんとも答えようがなかった。気恥ずかしさが先に立つ。
『だったら、受け取るべきよ。あなたが継承するの。わたしの閃刀・昴』
召喚に成功した太刀を鞘ごと掲げて、戦女神は、いう。
『戦女神はわたし一代で終わったとしても、閃刀・昴まで、わたしだけのものにするのは、もったいないわ。そうでしょう?』
その通りでは、あるのだろう。
閃刀・昴は、絶大な攻撃能力を誇る召喚武装だ。一刀六斬。斬りつけるたびに、六度の追撃が叩き込まれる魔法の太刀は、一対一の戦いにおいて無類の強さを発揮したし、一対多でも、圧倒的な力を見せつけた。リョハンがヴァシュタリアの軍勢を押し返すことができたのも、第一には、ファリア=バルディッシュが閃刀・昴を召喚することができたからだといわれている。たったひとりで数え切れない量のヴァシュタリア僧兵を撃破し、戦女神と呼ぶに相応しい活躍を見せたという。
それほどの召喚武装。
これからも連綿と受け継がれていくべきだという祖母の考えを否定することはできなかった。
故にファリアは、祖母から口頭で教わった呪文を記憶に刻みつけた。何度も何度も繰り返し胸中で唱え、永遠に忘れないよう、魂に刻印した。
それから、一度たりとも唱えてはいない。
祖母が存命中に唱えれば召喚はできない上、もし、万が一でも召喚に成功すれば、祖母の死をその目で認めることになるからだ。
年が明け、四ヶ月以上が経過したいま、祖母はもはやこの世にはいまい。昨年十二月に逢ったときですら、ぎりぎりの状態だった。年を越せたのかどうか、それだけが気にかかるくらいで、何ヶ月も生きていられるとはファリアですら想っていなかった。
覚悟してはいた。
別離のときはくる。
力なく寝込んでいる祖母の姿を目の当たりにしたときから、ずっと。
ただ、確認したくなかっただけだ。
認めたくなかっただけだ。
信じたくなかっただけだ。
だから、ファリアは閃刀・昴を召喚しなかった。マルディアでの戦いにおいても、十三騎士との戦闘においても、閃刀・昴の召喚だけは見送った。
それをすれば、祖母の死を認めるほかなくなる。
そして、いま、ファリアは、圧倒的な喪失感の中で、祖母ファリア=バルディッシュの姿を脳裏に描き出し、呆然と空を仰いだ。
閃刀・昴の召喚に成功したということは、そういうことだ。
祖母ファリア=バルディッシュは、天に召されたのだ。
「お祖母様……」
その場に膝から崩れ落ちたのは、消耗が激しすぎたからだ。立っていられないほどの消耗と痛み。特に左腕の痛みが酷かった。見遣る。もう元には戻らないかもしれない。そう思わせるほどの負傷。でたらめに破壊されてしまった。
全身を粉々に破壊されるよりはずっとましなのだろうが。
そんな風に意識を別に向けようとするのは、現実から目をそらしたいという想いの現れなのだろう。
戦女神ファリア=バルディッシュは、天に昇った。
リョハンにおけるひとつの時代が終わったのだ。
リョハンはいま、どうなっているのか。
マルダールの戦場よりも、そのことのほうが気になった。
ラヴァーソウルの無力化は、ミリュウにとっての窮地を意味している。
ラヴァーソウルは、ミリュウがガンディアに所属後、独自に編み出した術式によって呼び出した召喚武装であり、幻竜卿を始めとする魔龍窟の召喚武装とはまったく異なるものだ。幻竜卿、火竜娘、魔竜公といった魔龍窟の召喚武装は、本来、オリアン=リバイエンの召喚武装であり、彼が契約を結んだ代物だった。契約を欺瞞することで、魔龍窟の武装召喚師たちにも使い回せるようにしていたのだが、あるときを境にミリュウには召喚できなくなってしまっていた。
そのため、ミリュウは独自に召喚武装を呼び出す必要が出てきた。試行錯誤の末、ラヴァーソウルの術式が完成したのだ。性能も見た目も気に入っている。一対一、一対多に対応する能力。切れ味、硬度も申し分ない。ひとつ問題があるとすれば、磁力刃を封じられると、途端に戦いようがなくなることだ。
アスラ=ビューネルが召喚武装・空王によって作り上げた半球型の空間。その中にいる限り、ラヴァーソウルの刀身を結ぶ磁力がまったく作用しなくなるようだった。アスラが、ラヴァーソウルを完封するためだけに編み出した術式によって召喚されたのが、空王なのだろう。いつかミリュウと戦い、打ち勝つために紡がれ、結ばれた呪文。術式。
ミリュウは、改めてアスラの執念を理解するとともに、彼女が本気で自分を殺そうとしていることを認めた。
(ラヴァーソウルは使えない)
その上、こちらは負傷している。人体の複数箇所に痛撃を叩き込まれ、血も流れている。精神的に消耗してもいる。城壁を破壊するために多少なりとも力を使ったからだ。幸い、足は動く上、回避行動そのものに支障はないものの、それもいつまで持つものかわかったものではない。
空王の飛行速度は、目にも留まらぬほどだ。回避に重点を置いているからこそ、アスラの突撃をなんとかかわせているものの、少しでも判断をしくじれば、直撃を喰らいかねない。そして、それほどの速度の体当たりの直撃を喰らえば、ミリュウの肉体など粉々に打ち砕かれるだろう。
「さあ、お姉さま、どうぞ逃げ回ってください。逃げ回り、感じてください」
空王の結界内を飛び回りながら、アスラが告げてくる。勝ち誇りながら油断ひとつ見せない彼女には、隙がなかった。逃げる隙も、攻撃する隙もだ。結界から逃れようとすれば前方に回り込まれ、攻撃しようとすれば、容易く対応される。ミリュウの武器は、ラヴァーソウルの柄しかない。柄で殴りつけるだけが現状の精一杯だ。
(現状の)
アスラは、暴風の如く結界内を蹂躙し、土砂を巻き上げていく。舞い上がる土砂は、ミリュウの視界を狭めるためのものらしかった。
「死の恐怖を。そしてわたしの愛を」
「死の恐怖?」
視界の死角から、殺気が迫ってくる。振り向く。空王の力によって凄まじい速度を得たアスラが、短刀を翳して肉薄してくるのが見えた。
「はっ」
ミリュウは、交錯の瞬間繰り出されてきたアスラの短刀をラヴァーソウルの鍔で叩き壊し、通過する脇腹を蹴りつけながら、鼻で笑った。
「死ぬことなんて怖くないわよ」
蹴り飛ばされながらも空中で体勢を立て直すアスラを見据え、ラヴァーソウルの柄を握りしめる。
「あら、強がりばかり」
「まさか」
またしても、一笑に付す。
死は、常に隣りにあった。