第千四百十六話 覚悟の先へ(中)
召喚は、一瞬だった。
術式を完成させる結語を唱えた瞬間、召喚成功を示す光が彼女の視界を灼いた。そして、右手の内に重量が出現し、彼女は、哀しみを帯びた。認めなければならない。確信しなければならない。把握しなければならない。
永遠の別離。
もう二度と、逢うことはできない。
もう二度と、愛に触れることはできない。
もう二度と、言葉を交わすことはできない。
だが、躊躇はなかった。手の内に現れたそれを握りしめ、眼前に迫った砂の巨拳に叩きつけた。砂が圧縮されてできた巨拳は一瞬壊れたが、そのまま、奔流の如くファリアを飲み込まんとした。
「砂は、壊れんよ」
「そうね。壊れないわよね」
膨大な砂粒に飲まれながら、ファリアは、オウラの言を認めた。認めざるをえない。この召喚武装では、砂を破壊することなどできるわけもない。そして、砂を壊せないということは、このままではオウラに力負けするということだ。だが、ファリアには勝算があった。負けるわけがないという確信が合った。湧き上がる力が、恐れを振り払う。
「でも、切り刻めばどうかしら」
「なに?」
ファリアは、手にした太刀の鞘を砂粒の中に捨て去ると、右腕の力だけで太刀を振り抜いた。斬撃が砂の奔流の中に奔る。一閃。ただの一閃。しかし、つぎの瞬間、無数の剣閃が彼女の視界を彩り、砂の奔流をでたらめに切り開いていった。しかし、その程度で砂の奔流が消え去るわけもない。膨大な量の砂粒が一瞬にして視界を埋め尽くす。
「まさか……それは」
愕然たるオウラの声。
ファリアは、太刀を二度、三度と振り抜き、前方のみならず、全周囲に数え切れないほどの斬撃を走らせた。斬りつけた砂粒をさらに細かく切り刻むことで、進路を切り開く。一歩ずつ、前へ。怒涛の如く押し寄せる砂粒の奔流の中で太刀を振り回し、一閃ごとに無数の斬撃を奔らせる。
一刀六斬。
砂粒を斬り裂くたびに走る六筋の斬撃が、砂の奔流をでたらめなまでに切り刻み、ファリアの進路を切り開く。オウラはもはや眼前。彼の驚きに満ちた表情は、ファリアが召喚した太刀の正体を理解し、認識しているからこそのものであり、彼が後ろに飛び退き、距離を取ったのも、太刀の性能を把握しているからにほかならない。後退しつつ、もうひとつの砂の拳を地面に叩きつけ、砂壁を作り出して時間を稼がんとする。だが、ファリアは止まらない。前進しつつ、肉体が躍動するままに太刀を振り抜き、砂壁を薙ぎ払う。横一文字の斬撃が走ると、瞬時に六方向からの追撃が奔り、砂壁を破壊する。能力も然ることながら、斬撃そのものの威力も凄まじいというほかない。
「閃刀・昴……!」
立て続けに斬撃を繰り出して砂壁を打ち砕くと、ファリアの視界が開けた。それは、オウラがアースレイカーで足元の地面を殴りつけた瞬間だった。飛ぶ。大地が揺れる。激しい振動。中空のファリアには、関係がない。一足飛びに到達する間合い。
「受け継いだというのかっ……!?」
「ええ」
厳然と、告げる。
激しく揺るがされた大地から噴き出したのは大量の岩片だ。勢いよく飛び出した岩片の直撃を喰らえばひとたまりもないのだが、しかし、それらはファリアの後方で暴れまわっただけに終わる。ファリアはそのときには既にオウラの目の前に到達していた。閃刀・昴を大上段に振り上げたまま、オウラを見下ろす。
オウラは、アースレイカーの手甲を地面に埋め込んだまま、吹き荒れる岩片を見ていた。
「降りなさい、オウラ」
ファリアは、オウラの実力を惜しんだ。武装召喚師として、彼は優秀だった。彼が作り上げたこの戦場を見れば、その力量は素人にだってわかるだろう。周囲一帯の地形を破壊し、敵の能力を封じ、更に逃げ場も封じることで自分だけに有利な状況を作り上げたのがオウラなのだ。彼ほどの実力者は、《協会》中を探し回っても見つかるものではない。アスラリア教室出身者の中でも上位といってもいいのではないか。
殺すのは、惜しい。
同郷の人間だから、というのもあるし、同じ教室にで学んだ仲ということもある。それになにより、彼ほどの才能をこのような戦いで終わらせるのは、損失という以外になかった。レオンガンドは、人材を欲している。オウラにその気があれば、投降を許し、重用してくれること請け合いだ。
なんなら、《獅子の尾》への配属を願い出てもいい。
ファリアは、それくらい考えていた。
「……まだ、戦いは終わっていないぞ」
オウラが動こうとした瞬間、ファリアは太刀を振り下ろした。閃刀・昴の美しい刀身は、オウラが振り上げた腕を篭手ごと斬り裂き、瞬時に六回の追撃を叩き込むと、さらに彼の肩口に吸い込まれていった。鎧を紙のように斬り、皮膚を裂き、骨を断つ。そのたびに六度の追撃が奔り、オウラの上半身は一瞬にして切り刻まれ、彼の顔面が苦悶に歪んだ。それでも、彼は止まらない。無事な右腕を大地に叩きつけると、口の端を歪めた。アースレイカーの先端から振動が走り、大地が震えた。最後の力。ファリアは、透かさず太刀を翻し、オウラの胸を薙いだ。六連撃が続くのを見るまでもなく、飛び退く。つぎの瞬間、地中から突き出した岩石の槍が虚空と貫き、ファリアの肝を冷やした。
「さ……すが」
「馬鹿ね」
「いいさ……これで」
「よくないわよ。なにも」
ファリアは悪態をついて彼の考えを否定したものの、彼はもはやなにも言い返しては来なかった。事切れている。都合三度に渡る斬撃と、なにかを斬りつけるたびに奔る追撃がオウラの全身をずたずたに斬り裂いていたのだ。
大量の出血と激痛が、彼の命を終わらせた。
膨大な量の砂が、アースレイカーの制御を失い降り注いでくる。まるで豪雨のように降りしきる砂粒は、戦場をあっという間に黄色く塗り潰していく。砂が口に入るのを止めようがない。口の中だけではない。鎧と服の間にも入るし、汗や血の上にも付着していく。
どうしようもない虚脱感は、消耗によるものも大きいのだろうが、喪失感のせいもあるに違いない。
オウラに勝利したことによる喜びは、一切なかった。勝つには勝った。だが、だからなんだというのか。同郷人を切っただけのことだ。同じ教室で学んだ級友を斬り殺しただけのことだ。なにも得るものなどはなく、ただ喪っただけなのだ。
砂の雨が止むと、戦場が黄砂によって塗り潰され、崩落や地割れが起きたということさえわからないくらいになっていた。オウラの亡骸も、オウラ指揮下の兵士たちの亡骸も、すべて砂の海に沈んでしまった。それくらい莫大な量の砂が空中に巻き上げられていたのだ。そして、それらの砂が、オーロラストームの力を封じていた。
故にファリアは、閃刀・昴を召喚したのだ。
右手の先に視線を移す。
閃刀・昴。
いわずとしれたファリア=バルディッシュの代名詞ともいえる召喚武装だ。濡れたように輝く刀身に、六つの星が浮かんでいるのがわかる。その刃紋こそ、閃刀・昴の能力を示すものであり、そして、その能力こそが、ファリア=バルディッシュを戦女神たらしめたものだ。一刀六斬。斬りつけた対象にさらに六回の追撃を叩き込むという能力は、閃刀・昴ならではのものといっていい。
ファリア=バルディッシュが紅き魔人アズマリア=アルテマックスの高弟にして、四大召喚師の筆頭と呼ばれる所以がこれにある。
閃刀・昴は、切れ味も硬度も能力も優れた召喚武装だ。すべてにおいて高水準で、とくに攻撃能力は他の追随を許さない。それほどの召喚武装を呼び出し、維持し、使いこなすのは、当然、簡単なことではない。少なくとも武装召喚師の多くが扱いきれないと判断するほどの代物であり、ファリア自身、一か八かの賭けだった。
そんな賭けにでなければならないほどに追い込まれていたということだ。
本当は、召喚したくなかったのだ。
召喚するということは、それを認めることになる。
(もうひとつは)
ファリアは、閃刀・昴を送還しながら、胸中でつぶやいた。圧倒的な力を見せつけた太刀は、眩い光に包まれると、無数の粒子となって虚空に散った。あるべき世界へと還っていったのだ。召喚には時間がかかるが、送還には時間はかからない。それが武装召喚術の特徴といえば、特徴だろう。
戦いは、まだ終わっていない。が、消耗しすぎていた。閃刀・昴の召喚と維持に精神力の多くを持って行かれてしまっていた。最初の広範囲攻撃でも消耗しているが、それよりも閃刀・昴のほうが消耗が激しかった。
ファリアは、たったいま、生まれて初めて、閃刀・昴を召喚したのだ。閃刀・昴の召喚によってどれほどの負担がかかるか、とか、消耗するか、とか、試したこともなかった。試すということは、召喚するということだ。
そして、召喚するということは、祖母の死を認めるということなのだ。




