第千四百十話 マルダールの戦い(六)
(光の羽!)
グロリア=オウレリアの鎧から発生する翼が瞬いた刹那、光の羽が奔流となってルウファを襲いかかってきた。何度も見た光景。何度となく受けた攻撃。わかりきった回避動作、そして、それに対する追撃も見えている。故にルウファは回避行動を取らなかった。翼を前面に展開し、硬質化させて盾とする。純白の盾。光の羽による攻撃を受け止めるが、いくつかは体を掠った。だが、追撃の直撃を食らうよりは遥かにましだ、光の羽による攻撃が止む瞬間を見逃さず、翼の盾を解除し、飛翔する。グロリアは、追撃の構えを見せていたが、ルウファが回避に移らなかったことで、空振りに終わるということがわかったのだろう。すぐさま、移動を開始した。
ルウファの接近を嘲笑うような急速移動。
ルウファは、メイルケルビムの性能をまざまざと見せつけられて、苦い顔にならざるを得なかった。グロリアの召喚武装の性能は、シルフィードフェザーを圧倒している。飛行能力、攻撃能力、防御能力、どれをとってもシルフィードフェザーの上を行くのだ。シルフィードフェザーは、メイルケルビムの下位互換といってもいいほどの代物だった。唯一、シルフィードフェザーが優っている点があるとすれば、シルフィードフェザーは外套に変化させることができるため、平時に使用しても問題がないというところだが、そんなことで戦いを有利に運べるわけもない。
ただ、飛び、グロリアを追いかける。
マルダール上空の広大な空間が、ふたりの戦場だった。晴れ渡る青空。流れる雲の輝きも、いまは目にも映らない。そんなものに見とれている場合ではない。グロリアから目を離したその瞬間、ルウファの敗北が決定的なものとなる。グロリアがルウファの隙を見逃してくれるわけもない。
敵に隙を見せるな。
耳が痛くなるほど叩きこまれた戦いの基本中の基本だ。
グロリアに学んだのは、武装召喚術の基礎や応用だけではない。基本的な戦い方も、グロリアに学んだ。武装召喚師は、なにも武装召喚術だけを学ぶわけではないのだ。体術や基本的な武器の使い方も学び、修めなければならなかった。召喚武装は、様々な武器や防具の形を成している。それら召喚武装を使いこなすには、様々な武器に精通していなければならなかった。様々な武器の扱い方を学び、その中でもっとも自分に適したものを選び抜いて、武装召喚術の術式を編み出す。それが武装召喚師の基本といっていい。
もっとも、グロリアの召喚武装にしても、ルウファの召喚武装にしても、一般的な武器の概念とはことなるものだ。
翼型と呼ばれる種類の召喚武装。
単純に背中から翼を生やすだけのものもあれば、メイルケルビムのように鎧の背部から翼が出現するものもあり、シルフィードフェザーのように外套の一部が翼へと変化するようなものもある。基本的に飛行能力を有し、羽を矢のように飛ばしたり、飛行するために操る大気を攻撃に転用したりする。そういった翼型召喚武装を用いた戦い方も、ルウファはグロリアに学んでいる。というより、グロリアに師事したからこそ、ルウファはシルフィードフェザーを召喚したというべきだった。グロリア以外の武装召喚師に師事していれば、まったく異なる武器を召喚していたに違いない。それほど、師事する相手の影響というのは大きい。
(戦い方も、あなたの影響そのものだ)
ルウファは、グロリアを追いながら、周囲の大気を凝縮して作った空気弾を発射した。これもグロリアの戦い方そのものであり、ルウファの基本的な戦闘術はすべてグロリアの薫陶によるものだ。故にたやすく対処されるのもわかりきっている。
グロリアは避けもしなかった。空気弾に対し空気弾をぶつけ、さらに光の羽を織り交ぜて反撃してきたのだ。ルウファは、急速上昇して光の羽をかわすと、翼を広げてその場に静止した。グロリアが意味もなく距離を取るとは思えない。
(消耗を狙っている?)
弟子のルウファ相手にそこまで慎重になるだろうか。
いや、弟子だからこそ余計に慎重になっているのか。
ルウファは、メイルケルビムの能力を知っていた。熟知しているといってもいい。グロリアは師匠としてこれ以上ないくらいに素晴らしい人物だった。自分が弟子の糧になることを厭わないという点で、彼女ほど優れた人物はいないかもしれないと思うほどだ。グロリアは、ルウファのためにメイルケルビムの能力のすべてを見せつけてくれたのだ。それがルウファの目指す先であると提示してくれたのだ。召喚武装がどれほどの力を秘めたものであるのか、教えてくれたのだ。
グロリアの素晴らしさは、ルウファに教えるにあたってなにひとつ隠さなかったところにあるだろう。
いくら弟子のためとはいえ、自身が愛用する召喚武装のすべてを明らかにするなど、普通ありうることではない。それは、弱点を晒すことにもなりうるからだ。
もちろん、彼女にはルウファ如きに負けるわけがないという確信があったのだろうし、事実、いまでも勝てる気はしなかった。
(師匠なら、どう出る)
メイルケルビムをどう使い、どう戦うのか。どのような戦いを描き出すつもりでいるのか。グロリアとの激しく苛烈な訓練の日々が脳裏に浮かぶ。グロリアに勝てたことなど、一度もなかった。一人前の武装召喚師と認められたときですら、ルウファがグロリアに勝ったわけではないのだ。グロリアの眼鏡に適ったというだけのことだ。
グロリアが、不意に飛行を止めた。その場で滞空したかと思うと、こちらに振り向きもせず光の羽を放ってくる。
(牽制)
見切っている。
こちらも羽弾で応戦する。速度は、光の羽のほうが断然早い。ルウファのすぐ手前で激突し、ひとつを除いて全て落ちた。残ったひとつは、ルウファの羽弾だ。グロリアの光の羽よりもひとつだけ多く、発射したのだ。無論、これも叩き落とされること前提で発射している。そして、彼の思った通り、羽弾は暴風に巻かれて消えた。グロリアがこちらを振り向いている。超然としたまなざし。
「どうした? わたしを越えるのではなかったか?」
「超えますとも」
「ならば、いますぐにでも超えてみせろ」
グロリアが翼を大きく展開した。光り輝く翼は、まるで後光のように彼女の背後に広がっていく。翳された両腕。組み合った両手。手の先に収束する力。奔流となって放出される。光の渦。大気が咆哮を発したかのような轟音とともに、竜巻が発生し、ルウファに迫ってくる。
メイルケルビムによる攻撃方法のひとつであり、光の羽よりも遥かに破壊力と殺傷能力の高い攻撃だ。ルウファは、修行時代、この攻撃で何度となく死にかけた。体が震える。手に汗握る。染み付いた恐怖は拭いきれるものではない。もちろん、竜巻を待ち受けている場合ではない。喰らえばただでは済まない。当然のことだ。
武装召喚師同士の戦いは、いかに一撃必殺の攻撃を避け、一撃必殺の攻撃を叩き込むか、なのだ。
半端な攻撃を当てたところでどうにかなるようなものではない。召喚武装の攻撃力というのは、通常の武器とは比較にならないものだ。多少傷を負ったところで、どのような召喚武装でも大抵の場合、逆転の可能性がある。だからこそ、確実に仕留めなければならない。
大気を切り刻みながら迫り来る光の竜巻に対しルウファが取った行動は、上空に飛翔するというものだった。飛行し、軌道上から逃れる。が、それだけでは意味がないことも知っている。光の竜巻は、直線に突き進むだけではなく、グロリアの意思によっていくらでも軌道を曲げることができるのだ。猛追。後方から迫り来る轟音に圧迫感を覚えながら、それでもルウファは飛行を止めない。大きく垂直に旋回し、竜巻の軌道を制御する。竜巻は、ルウファを追いかけてきている。それも微妙に速度を上げながらだ。ルウファはそれに合わせて飛行速度を上げ続けた。そして、ある程度逃げ回り、竜巻が一定以上の速度に達した瞬間、進路をグロリアに向けた。グロリアの頭上から、急降下する。グロリアは、こちらを見ていた。目が笑っている。
(バレてる)
ルウファは内心苦笑しながらも急降下を止めなかった。グロリアへと急速接近し、ぎりぎりのところで軌道をずらし、グロリアをかわし、通過する。大気の咆哮が轟く。ある程度距離を稼いでから振り返ると、光の竜巻が拡散していく瞬間を目の当りにすることができた。
ルウファは、自分を追撃する竜巻をグロリア自身にぶつけたのだ。竜巻の速度を限界ギリギリまで引き上げたのは、グロリアが気づいたときには手遅れにするためだったのだが、どうやら、直撃させることには成功したらしい。拡散する光の渦は、竜巻がなにかしら物体に激突したことを示している。光の竜巻は直撃と拡散という二重攻撃であり、拡散による二次被害は直撃の比ではない。だからこそ、回避しなくてはならないのだ。
無論、修行中、ルウファが食らった竜巻の威力は限界まで低く抑えられたものだ。でなければ、修行中に何度となく命を落としたことだろう。
「よく考えた……と思ったが、この程度、だれにでも思いつく……な?」
「否定はしませんよ」
ルウファは、光の渦の中、無傷で滞空する師の姿に少しばかり憮然とした。光の竜巻の速度、規模からいって、修行時代のように威力が抑えられているようには見えなかった。ルウファを撃ち落とすために放たれたはずの攻撃が低威力なはずがない。グロリアが手加減などしてくれるわけもないのだ。かといって、直撃の寸前に威力を下げるなどできるとは思えない。
「わたしが無事なことに驚いているようだな」
「ええ、まあ」
「忘れたか? メイルケルビムは攻防一体の召喚武装」
「……なるほど」
ルウファは、グロリアのその一言で把握した。竜巻の直撃と拡散という二重の衝撃にも耐えられるだけの防壁を構築していたのだろう。攻撃と防御を同時に行えるのは、メイルケルビムの強みのひとつだ。それはわかっていたことだが、まさかいまの威力の竜巻を繰り出しながら、同時にそれを防ぎきるだけの障壁を作り出せるとは考えていなかった。
「攻撃だけに全力を注いでいると、足元を掬われるぞ?」
「御忠告、感謝します。師匠」
「ふ」
グロリアは、鼻で笑うと、悠然と構えを変えた。
「感謝ならば、戦いで示せ。言い放ったのだ。わたしに勝ってみせろ」
「いわれずとも」
告げて、ルウファは、無造作にシルフィードフェザーの全能力を解放した。
「シルフィードフェザー・オーバードライブ!」
シルフィードフェザーの翼が二枚一対から六枚三対へと増加し、その瞬間、爆発的な力がルウファの全身に漲っていった。
そして、同時に飛び出している。グロリアに向かって殺到しながら、風弾を放つ。膨大な大気を圧縮した空気の塊。グロリアが翼を翻し、光の翼を前面に展開する。二重の防壁。風弾が激突し、爆ぜた瞬間、無数の羽弾を叩き込む。羽弾の尽くが光の翼に突き刺さるのを見届けつつ、グロリアの頭上を通過する。擦り抜ける瞬間、翼を二枚、刃に変化させ斬りつけたものの、光の羽で弾かれた。
通過し、振り向いたとき、ルウファは、グロリアの姿が視界から消えていることに気づいた。メイルケルビムの最大能力が発動したのだろう。メイルケルビムの最大能力は、シルフィードフェザー・オーバードライブでも追い切れるものではない。
(どこだ?)
制限時間は七十秒。七十以内に決着をつけなければならない。
でなければ、ルウファが負ける。敗北とは即ち死だ。
グロリアは、容赦はしてくれまい。
「それがおまえの限界か、ルウファ?」
声は、頭上から。
仰ぎもせず、ルウファは大きく後方に退き、光の渦が滝の如く降り注ぐ様を目の当たりにした。メイルケルビムが本気を出したのだ。見上げる。それこそ、天使がそこにいた。
光輝く無数の翼は、メイルケルビムが全能力を解放した証明であり、グロリアが真剣にルウファを倒そうとしていることの現れだった。
(それでこそ、師匠だ)
ルウファは、むしろグロリアに感謝したいほどだった。
どんなときにも手を抜かないひとだったからこそ、ルウファはここまでこられたのだ。そして、そんなひとだからこそ、こちらも気兼ねなく全力を叩き込める。
「限界を超えますよ、俺は」
ルウファは、だれかを真似するかのように不敵に笑った。
風力を解き放つ。