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第百四十話 暴圧


「南門前広場に展開した部隊が壊滅……!」

 ゴードン=フェネックは、伝令からの報告に絶句した。

 第三龍鱗軍翼将――つまり、ナグラシアの守将である彼は、夜明け前に寝室に飛び込んできた敵軍強襲の報告に叩き起こされ、着替え、武装し、外に連れだされたのち、北門前広場に布陣する第三龍鱗軍本隊と合流していた。寝起きではあったが、意識は鮮明にならざるを得ない。

 雷音鳴り響く豪雨のナグラシアは、敵味方の喚声に埋め尽くされている。幸いにも町の人々が出歩かないような時間帯、天候である。間違っても市民に被害が及ぶことはないだろう。それはいい。怪我を負うのは、軍人の役目だ。

 だが、南方から続々と届く報告は、悲報以外の何物でもなかった。しかし、そういった報告をいくら聞いても、彼にはどうすることも出来なかった。

 本隊合流直後に届いた報告が、衝撃的に過ぎた。

 南門大破。

 閉門に成功し、籠城戦になるだろうと思われていた矢先の報告は、翼将以下第三龍鱗軍幹部の口を閉ざすのにあまりある威力を持っていた。門が破られるにしても、もっと時間の掛かるものだとだれもが想っていた。それまでには他の街、他の龍鱗軍との連絡も取れ、援軍を寄越してくれていたはずだった。援軍とナグラシアの軍で挟撃すれば、敵軍など簡単に蹴散らせるはずだったのだ。だが、ゴードンたちの目論見はもろくも崩れ去った。

 門が破られ、敵が雪崩を打って侵入してきた。

 しかし、よくよく考えれば、ナグラシアへの突入経路は南門だけなのだ。うまく迎撃すれば、撃退はかなわずとも、大打撃を与えることくらいはできただろう。襲撃の報に接した面々が、それぞれに最善の行動を取っていれば、迎撃の布陣を敷き、敵軍を迎え撃つことだってできたのだ。だが、彼らはいまやゴードンの忠実な部下になってしまっていた。ゴードンの命令を待ち続けていたのだ。

 しかし、ゴードンが命令を発する前に敵が攻め込んできた。兵士たちは対応せざるを得ない。日頃の訓練の成果は、敵軍に多少の手傷を負わせる程度はできただろうか。そのころになってようやくゴードンは北門前広場に辿り着いたのだ。南門大破の報と、南門前広場に敵兵が雪崩れ込んできたのは同時期と見ていい。ゴードンは即座に命令を発し、部隊を纏めて南門前広場に結集させた。その数五百だ。残りの兵士は、七百を中央に布陣させ、三百を翼将――つまり自分の周りに集めた。南門前広場である程度削り、中央で更に打撃を与えるというのが彼なりの策だったのだが。

 南門前広場の部隊は壊滅し、彼の策は水泡と帰した。いまはナグラシア中央で戦いが起きているに違いない。中央は高層建築物が密集しており、高所に配置した弓兵が上手く機能すれば、敵の進軍を食い止めることもできるかもしれないが、望みは薄い。

 ナグラシアは四方を城壁に囲まれた、北と南に長い長方形の街だ。北と南にしか門がないのはそのほうが守りやすいだろうという考えによるものだろう。交通においては不便だったが、街で生活する上では特に問題もなかった。隣国に近い南側に兵舎が多いのも、敵が攻め寄せてきたときに瞬時に迎撃に移れるようにという配慮だったはずだが、門を破られればそれも意味をなさない。装備を整えているうちに、敵兵が侵入してきたのだ。どうすることもできない。


 幹部たちは一癖も二癖もある連中だった。ゴードンのように中央から左遷されたものも多い。彼らは一様に中央に返り咲くことを望み、そのためにこそゴードンに協力的だった。ゴードンが中央に戻った暁には引き上げてくれると勝手に信じている節があった。そういう人の良さが中央での政争に負け、地方に左遷された遠因なのだが、彼らにはそれが理解できないようだった。本質的には気のいい連中なのだ。ここの守兵たちとすぐに打ち解け、宴会を開くほどに。

「翼将殿、そろそろナグラシアからの撤退を決断すべきかと」

 幹部のひとりが目を細めた。彼の声音からは苦渋が滲んでいるのがわかる。

「敵に、明け渡すというのか……この街を」

 ゴードンは、居並ぶ幹部たちを見回した。屈強そうな男のほうが少ない。文官出身の連中が幅を利かせているという時点で、ナグラシアの防衛的価値の低さが伺える。しかしそれも昔の話だ。ログナーが属国であった頃はそれでよかったのだ。国境はないに等しく、散歩に行くような心地でマイラムに出かけるものもいた。そういう時代だった。なにもかもがおおらかだったのだ。

 だが、いまは違う。ログナーがガンディアに取られたのだ。このナグラシアの防備を今まで以上に強固にすべきと何度となく上申したものだが、「考慮する」の一点張りだった。結局のところ、千五百の兵力でどうにかなると踏んでいた軍師が無能だったのだろう。

 そう考えると、すべてが納得できた。彼を第三龍鱗軍翼将に任命したのも、第三龍鱗軍の幹部の多くが文官なのも、防備の強化が後回しにされるのも、全部、ナーレス=ラグナホルンという無能な人物のせいなのだ。彼は上手く国主ミレルバスに取り入り、あまつさえミレルバスの娘さえ手に入れたようだが、その結果、この国は敗北するだろう。

「市民に害は及びますまい。敵はガンディア軍。ガンディアの軍規の厳しさは知られるところ」

 部下の言葉は戯言ではなどではない。ログナーの平定が早々に片付き、大きな反乱さえ起きなかったのがその証左だ。それにログナーに程近いナグラシアには、ガンディアの治世の良さが伝わってくるのだ。軍規云々の話も、何度となく聞いた。略奪こそが戦争の醍醐味であるというのが時代の風潮なのだが、ガンディア軍は都市を制圧してもなにも奪わず、むしろ奪うものを厳しく罰したという。

 その点では、信用しても構わないかもしれない。そして、ナグラシアのひとびとが無事ならば、心置きなく撤退できるというものだ。唯一の心配がそれだったのだ。妻は、置いて行くことになる。

「しかし、どこへ撤退する?」

「スルークの翼将ザルカ=ビューディー殿は武で鳴らした御仁。一方、ゼオルの翼将ケルル=クローバー殿は、我らもよく知る中央官僚出身の御方。どちらが与し易いかは翼翔殿のご判断で」

「我らは翼将殿の判断に付き従うのみ」

 ひとりがいったが、それは当然のことだ。翼将の命令を無視して行動を取ったのであれば、軍の規律を乱したとして罰するよりほかはない。ゴードンは出来る限りそういうことをしたくはなかった。

「ですが、考えこんでいる時間はありません。中央を突破されるのも時間の問題かと」

 数で圧倒されたわけではない。勢いだろう。そして、士気。ゴードンに統率力がなかったのも大いに関係するところではあるが、予期せぬ襲撃に、実戦の経験もない彼が対応できるはずもなかった。我ながらよくやったほうだとは思うが、もう少し敵軍に打撃を与えることができればよかったのだが。あるいは、もっと早く敵軍の実態を理解し、撤退を命令するべきだったか。

 そうすれば、無駄に死ぬようなものも少なかった。

「ケルルを頼ろう。彼はわたしもよく知っているが、ひとに頼られると拒めない人間なんだ」

 だから政争に敗れたともいえるのだが、こういうときはその性格が頼りになった。ゴードンは、常に泣いているようなケルルの顔を思い浮かべながら、部下たちに命令した。

「兵を纏め、ここナグラシアから撤退する!」

 雷雨は、彼の選択を嘲笑うようだった。



 鐘の音が、雨の街に鳴り響いている。ナグラシアの北部から中央へ向けて、打ち鳴らされる鐘の音が伝播するように広がっていく。

 セツナは、頭上から降り注いでいた矢の雨が止んだことに気づき、手を止めた。眼前、敵兵たちがこちらを注視したまま、間合いを広げていく。後方へ、後方へ。後退りである程度の距離を確保できると、ようやくこちらに背を向けた。逃げ出していく。

 ナグラシア中央部での激戦が、静かに幕を閉じたのを実感として認識する。中央付近に密集していた高層建築物からも数多の兵士が逃げ出し、蜘蛛の子を散らすような騒ぎになっている。追撃する部隊もあったが、セツナは追いかけなかった。既に殺しすぎるくらいに殺している。敵軍はとっくに戦意を失っていたし、攻撃も精彩を欠いていた。特に建物からの矢の雨はでたらめに降り注ぎ、自軍の兵士を負傷させてしまう始末だった。

 敵ならば殺し尽くしてもいいのだが、指揮官は敵軍が逃走を開始したら追わずとも良いといっていた。混合軍の目的はナグラシアの奪取であり、それにより戦場をザルワーン領土内に固定化するということだ。そして、後続の部隊を受け入れるための準備もしなければならない。

 敵の殲滅が任務ではないのだから、これ以上殺す必要はない。

 周囲を見回す。セツナに殺された兵士たちの亡骸がそこら中に転がっている。あるものは胴を断ち切られ、あるものは首を切り離され、あるものは頭蓋を貫かれて絶命した。血の臭いは、激しい雷雨が洗い流してくれるだろうか。

 鐘の音は、まだ鳴り響いている、おそらく、撤退の合図なのだろう。セツナの周辺にはもう敵兵は残っていない。ほとんどは街の北部へ逃げおおせただろう。あとは門を抜け、どこかへ退散するはずだ。自軍兵士が数名、セツナの横を通り抜けていったが、追撃によって少しでも手柄を上げようとしたのかもしれない。セツナは、そんな彼らを少しだけ羨ましく思った。

 黒き矛に求められるのは、雑兵の首ではない。

「隊長、なにぼーっとしてんです?」

 頭上を仰ぐと、ルウファが白い翼を羽ばたかせながら降下してくるところだった。天使のように白い翼も、雷雨の中では堕天使じみて見える。シルフィードフェザーの飛行能力の原理は不明だが、そんなことをいえば、カオスブリンガーだって同じことだ。召喚武装とは異世界の力を借りるのと同じだ。なにがあっても不思議ではない。

 セツナは、彼が降り立ってから思っていることを口にした。

「あっけないなーって思ってね」

「こちらの強襲に浮足立ってましたし、こんなもんでしょう」

 ルウファの翼が、あっという間に純白のマントに変化する。シルフィードフェザーは便利な召喚武装だと思わざるをえない。攻撃にも防御にも移動にも使えるのだ。ある意味では万能かもしれない。

「そういうもんか」

「ま、門をぶち破ったひとのせいだけど」

「他に方法が思いつかなかったんだ」

 セツナはそういったものの、咄嗟の思いつきにほかならない。あの場でドルカの命令に従って後退したところで、門を突破できなければ意味がないのだ。ドルカたちにも方法がないわけではなかったのだろうが――攻城用の兵器を運搬しているという話もあった――、セツナはカオスブリンガーの力を試す意味もあってあのような行動に至ったのだ。矛の力に不安はなかったし、心配はしていなかったが、まさか一撃で大穴を開けるとは思わなかった。

 ルウファがにやりと笑う。

「城壁を飛び越えなくて済んだので、俺としてはよかったんですけどね」

「普通に飛び越えられたよね?」

「雨風のおかげで、飛び越えられそうではありましたけど、それからどうするっていう話ですよ」

 確かに、彼の言うとおりではある。門を内側から開けるなど、たったひとりでできるものかどうか。それに、そこに辿り着くまで数多の敵兵と戦わなくてはならない。彼も一流の武装召喚師で、身体能力も極めて高く、召喚武装も強力ではあったが、数に圧倒されればどうなるものか。

「そこはルウファがひとりでナグラシアを陥落させてだな」

「ははは、隊長殿は感覚が麻痺していらっしゃる」

「冗談だけどさ」

 ルウファの乾いた笑いに半眼になりながら、セツナは歩き出した。ルウファが後ろに続く。

 撤退を告げる鐘の音は聞こえなくなっており、そこかしこで鬨の声が上がった。こちらが勝ったのだ。圧倒的かつ迅速な勝利は、セツナたち先発隊に求められるものに違いなかった。この報はマイラムを沸かせるだろうし、ガンディア全軍の士気を高めてくれるに違いない。そう考えると、そこはかとない安堵がセツナの心を埋めた。

 あとはこの町の人々が暴動を起こしたりしないことを祈りながら、後続の受け入れ準備を始めることになる。そういった作業はグラードたちに任せておくとして、セツナたちは周囲の警戒を行えばいい。黒き矛を用いた索敵は、ただ高所から街の周囲を眺めるよりは効果的だ。

 前方、化け物じみた弓を携えたファリアが、きょろきょろとしていた。軽装の鎧を纏う彼女の姿は、ひたすらに凛々しく、格好良いと思える。

 セツナはというと、黒き矛と真逆をいく白金の鎧だった。これはマイラムで見繕ったもので、性能よりも運動性を重視していた。軽くて頑強、などという夢みたいな防具はないのだ。運動性を優先するのなら、防御性能を犠牲にするしかない。レオンガンドがかねてからいっていたセツナ専用の特注の鎧は、ガンディオンで制作されており、完成したとしても今回の戦争には間に合いそうもない。それは少し残念だったが、今身につけている鎧も動きやすいという点では気に入っていた。もっとも、ファリアには不評だったが。

 彼女曰く、「セツナには黒が似合う」だそうだ。

「隊長!」

 ファリアがこちらに気づき、弓を掲げて主張してきた。

 駆け寄ると、彼女はずぶ濡れだったが、手傷ひとつ負っていなかった。セツナよりもよほど危なげのない戦い方をしているのだから、当然といえば当然だが。

「混合軍各部隊、ナグラシアの完全制圧に向けての行動を開始。我々《獅子の尾》は、別命あるまで待機、だそうです」

 ファリアが、ガンディア軍式の敬礼とともに伝えてきたのは、指揮官からの命令なのだろう。セツナも敬礼で応える。

「了解」

 黒き矛のもたらす超感覚は、敵意を捉えていない。意識を集中して広範囲の索敵を行ってみるが、感じるのは恐怖や戦慄であり、戦意や闘争本能は味方のものばかりだ。町の人々は、戦いが早期に終結したことには喜んでいるだろうが、ザルワーン軍が去り、敵国に制圧されたことには恐怖するしかないだろう。

「俺たちの仕事は一旦終了ってことですかね」

「そうみたいね……」

 ルウファとファリアが、それぞれに召喚武装を送還した。怪鳥のような弓も、純白のマントも、まばゆい光となって元の世界に帰っていく。

「任務完了、か」

 セツナは、それを見届けた後、黒き矛を送還した。

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