第千四百七話 マルダールの戦い(三)
グロリア=オウレリア。
ルウファが師事した武装召喚師である彼女は、当然、鍛え上げられた肉体と精神を持つ人物だ。ルウファ以上に鍛え上げられた肉体はむしろ細身なのだが、その華奢に見えなくもない体を覆う銀の甲冑は、神々しいまでに美しい。甲冑の各所に施された複雑で繊細な装飾は、召喚武装ならではであり、背部装甲から生えた一対の翼があざやかに輝いて見えるのもまた、召喚武装だからこそだ。そもそも、召喚武装でなければ、背中から翼が生えることなどありえないのだが。
《大陸召喚師協会》に属さないモグリの武装召喚師である彼女だからこそ、ルウファの目的に叶う訓練を施してくれたといってもよかった。《協会》の武装召喚師が、わけもなくバルガザール家の二男を弟子に引き受けてくれるわけがない。そんなことをすれば、《協会》とガンディアの関係が悪化することだってありうる。その点、《協会》とは無縁の彼女には関係がなく、ルウファには都合が良かった。ルウファが彼女に弟子入りしたのは十数年前、グロリアがまだ二十三歳のときであり、まだまだ若かった。
互いに。
それから十年、鍛えられ続けた結果、ルウファは一人前の武装召喚師になることができたのだ。ルウファには、彼女に対する感謝しかなく、こうして敵対することになるなど、想像してもいなかった。そして、敵対することがわかったときからずっと考えていたことが、ある。
それは。
「……ふむ」
「本当は、わかっていたんでしょう? 師匠が、こうなることくらい予測できないわけがない」
「買い被り過ぎだよ」
グロリアがこともなげに苦笑する。
「人間、五分先の未来もわかりはしないのだ。まさか、ジゼルコート伯が陛下を裏切るなど、だれが想像できよう」
「でも、師匠なら予測してそうですけど」
「……予感はあった」
「やっぱり」
「でも、それはおまえと戦うかもしれないという予感だけさ。ジゼルコート伯の手先となって、ガンディアそのものと戦うことになるとは想いも寄らなかったし、考えてもいなかった。正直、困惑している」
「だったら、投降、してくれませんか」
ルウファは、兜の庇の下で輝くグロリアの目を見据えながら、提案した。それこそ、ルウファがずっと考えていたことだった。ジゼルコートが謀反を起こし、グロリアが敵に回ったことがわかった瞬間から、ずっと、考えていた。グロリアと戦いたくなどはない。グロリアが強いからではなく、グロリアと戦うことになれば、殺さなければならなくなるかもしれないからだ。
グロリアは、苛烈なひとだ。どんなときでも油断せず、力を抜かず、容赦しない。敵対すれば、本気で戦わなければならなくなる。情けなどかけられる相手ではないのだ。勝てるかどうかはともかくとして、勝つのであれば、彼女の命を奪う以外に道はない。
師匠を殺したいと考えたこともない。
どれほど過酷な訓練、苛烈な試練の中にあっても、彼女には、常に思いやりがあった。
ルウファが望みをかなえられる最短の道を教えてくれたのが、グロリアなのだ。
「わたしが、おまえにか?」
「いえ。陛下に、です」
「まだ、負けたと決まったわけではないのに投降するもないだろう」
グロリアが、やれやれと頭を振る。提案が却下されるときの見慣れた仕草。そういうとき、ルウファは彼女を言い負かせることなどできず、ただ敗北するのだ。年齢も経験も知識も、すべて彼女のほうが上をいっているのだ。口で勝てるわけがない。だが、諦めなかった。
「負けますよ」
「なぜ、そう言い切れる。ここでわたしがおまえを破り、レオンガンド軍本陣を壊滅させれば、ジゼルコート伯の勝利だ」
「そうはなりません」
「ほう」
グロリアが目を細めた。
ルウファは、はっきりと言い切った。
「俺が勝ちますから」
「いうようになったじゃないか」
グロリアが微笑を浮かべたように見えた。だが、つぎの瞬間、彼女の表情は険しいものへと変わる。
「では、ますます投降できないな。わたしに勝つというのなら、勝ってみせろ。投降させたいのであれば、わたしを下してみせろ。言葉にはなんの力もない。力あっての言葉ということを思い知れ」
「……師匠」
ルウファは、グロリアの目に本気を見て取った。
「わかりましたよ。あなたを倒し、あなたを下し、それで終わりにしましょう」
その結果、たとえ彼女を殺さなければならなくなったとしても、もう止まれはしない。
自分は、ルウファ・ゼノン=バルガザールなのだ。グロリア=オウレリアの弟子のルウファではない。王立親衛隊《獅子の尾》副長にして隊長代理であり、王宮召喚師。それが自分だ。己の役割を全うするためならば、たとえ尊敬する師であっても、殺さなければならない。
「いい顔だ。さすがはわたしのルウファ」
寒気を覚えたのは、グロリアがぞくりとするような視線を送ってきたからだ。
「そういうところ、昔から変わってませんね」
「変わったよ。少なくとも、以前よりはおまえのことがよく見えている」
「どうだか!」
ルウファは、突風の如くグロリアに殺到した。
グロリアの翼が展開し、光り輝く羽が舞った。
ミリュウの砲撃によって城門が城壁ごと破壊された瞬間、ファリアは、粉塵の中に動く影に向かって雷撃を放っていた。オーロラストームの雷撃によって敵を炙りだすつもりだったが、敵影は戦場を逃れるように移動していた。左へ、左へ。空中に逃れたひとりに対しては、ルウファに任せればよく、戦場のどこかに潜んでいるであろう三人目はミリュウに任せておけばいい。城門を爆砕したミリュウの負担が大きいが、案じている場合でもない。敵武装召喚師は、三人とは限らない。
(いた)
ファリアの目は、マルダールの丘の斜面を駆け抜けるオウラ=マグニスの背中を捉えていた。軽装の鎧は、武装召喚師の証といってもいい。武装召喚師の戦闘は、基本的に一撃必殺の武器をぶつけあうものだ。どれだけ重厚な鎧を纏っていても、召喚武装の一撃の前では意味をなさない。それならば軽い鎧のほうがいい。一応、鎧を身につけるのは、武装召喚師以外との戦闘を考慮してのことであり、自分の実力に自信のある武装召喚師は、鎧さえ身につけないこともある。特にファリアのような射撃武器を召喚武装としているのであればなおさらだ。もっとも、ファリアは前線に出ることも多いため、軽装鎧を身につけている。
ファリアは、オーロラストームを掲げた。怪鳥の翼が放電し、嘴から雷光の束が吐き出される。蛇行する紫電が地表を刳りながらオウラへと殺到したものの、彼には直撃しなかった。オウラは飛び退き、回避してみせると、こちらに向き直ってくる。マルダールの丘の端。城壁や木陰から兵士たちが姿を見せた。百人はいるだろうか。弓兵が多いが、盾兵も槍兵もいる。
(伏兵……)
どうやら、オウラの策に嵌められたということのようだが、ファリアは表情ひとつ変えず、オウラを見据えた。オウラ=マグニスは愛用の召喚武装を装備している。両腕を覆う手甲こそが彼の召喚武装であり、マルダールの門に取り付いた解放軍前線部隊を吹き飛ばした岩盤は、彼の召喚武装の能力によるものに違いなかった。
「それで?」
「ん?」
「これでわたしに勝ったつもりかしら?」
「まさか」
オウラが一笑に付す。
「ただ、優位に立っただけのことだ」
「優位?」
今度は、ファリアが苦笑する番だった。オーロラストームを水平に構え、念じる。クリスタルビットが即座に散開し、布陣した。クリスタルビットとは、オーロラストームの翼を形成する結晶体のことだ。結晶体はそれ自体が発電する力を持ち、結晶体が発した電力を矢のように飛ばすのがオーロラストームの能力なのだ。結晶体が発した電力で結晶体そのものを操作し、攻撃や防御に応用する能力をクリスタルビットと命名していた。
「それは知っている」
オウラの言葉を聞き流しながら、ファリアは、迅速に結晶体の展開を完了させる。オーロラストームの両翼を拡張するような配置。無数の結晶体が同時に電光を発することで、怪鳥の翼が何倍にも膨張していく。
「オーロラストーム・クリスタルビット……!」
オウラが拳を振り上げたかと思うと、ジゼルコート軍の兵士たちが一斉に動き出した。拳を突き上げたのは、突撃の合図だったのだ。弓兵が矢を放ち、盾兵と槍兵が猛烈な勢いで突っ込んでくる。だが、ファリアは、矢を避けることも突撃を逃れようともしなかった。
飛来する矢の尽くは、ファリアの眼前で燃えて尽きた。オーロラストームは、クリスタルビットによって擬似的に巨大な翼を獲得し、それにより膨大な電力を発生させることに成功したのだ。発生する過剰なまでの電力が矢の接近を阻んだということだ。膨大な力は、攻撃のみならず、防御にも応用できる。
だが、これだけならばわざわざクリスタルビットを展開するまでもないことだ。
大事なのは、ここからだった。
敵兵の群れは止まることなく迫り来ている。
彼女は、オーロラストームの出力を高めるため、敵を引きつけられるだけ引きつけると、オーロラストームに留めていた電力を一気に解放した。膨大な量の電力は、視界を焼き尽くすほどの雷光となって荒れ狂い、放射状に拡散していく。爆発的な雷光の発散。一瞬にして敵兵の群れを飲み込み、轟音によって断末魔をも破壊する。大気を灼き、大地を引き裂き、空をも焦がす雷光の奔流。弓兵は無論のこと、こちらに殺到中だった敵兵に避ける方法などあろうはずもない。放射線上の敵は尽く雷光に焼き尽くされ、死んだだろう。オウラの後方の弓兵をも射程範囲に納めていた。
雷光が消え、視界がゆっくりと正常化する中、焦げ付いた肉のにおいが鼻腔に突き刺さった。何十人もの人間が焼け死んだのだ。においもするだろう。眼前、黒焦げになった死体が数多に転がっている。見上げれば、丘の地表そのものも広範囲に渡って焼け焦げていた。
超火力による前方広範囲攻撃。味方を巻き込む可能性を考慮すると、乱戦時に使えるものではないし、前方に味方がいる状況ではまったくもって使い物にはならない。が、単身突出した状況ならば使いたい放題だ。もちろん、自身の消耗を度外視すれば、の話だ。
「クリスタルビットの使い方は様々。これは、そのひとつにすぎないわ」
だれとはなしに説明して、ファリアは、クリスタルビットを元に戻した。結晶体を操るのは簡単なことではない。以前は、クリスタルビットを操りながらオーロラストームの雷撃を放つという芸当はできていないも同然だった。クリスタルビットを操作するには、周囲の空間を正確に把握し、認識し、その上で結晶体同士がぶつからないように最新の注意を払わなければならない。結晶体の数が増えれば増えるほど、ファリアの脳にかかる負担は増えていく。クリスタルビットを操りながら本体で雷撃を放つなど、夢のまた夢だった。少なくとも、一朝一夕にできることではない。
それこそ、リョハンでの修業の成果だった。ニュウ=ディーをはじめとする四大天侍が親身になって修行に付き合ってくれたおかげで、ファリアの武装召喚師としての技量が上がり、クリスタルビットの制御と射撃を同時に行えるようになったのだ。そして、その成果こそがいまの広範囲殲滅攻撃であり、その威力は辺り一帯が灰燼と帰すほどだった。
その分、消耗も激しいものの、オウラ=マクニスをも焼き尽くせたのであれば、なんの問題もない。
少しばかり、残念さはある。
オウラは、同郷の武装召喚師だった。リョハンに生まれ育った同世代の武装召喚師であり、ともにアスラリア教室で学んだ仲間だった。だからこそ、彼にはレオンガンドからの仕官要請に応えて欲しかったのだが、彼は、そのことが理由で拒否、ジゼルコートの配下となっていた。ジゼルコートの下につくことそのものは、問題ではない。少なくとも、ジゼルコートは疑念を抱かれていたものの、ガンディアのために働いていたのだ。ジゼルコートがレオンガンドの敵かどうかは、その当時は確定していなかった。味方のままであるのならば、領伯の配下になったところで、ガンディアの戦力であることに変わりはない。その点では、なんの問題もなかったのだ。
だが、ジゼルコートが謀反を起こした。その瞬間、ジゼルコートの私設軍隊も、配下の武装召喚師たちも、すべて、ガンディアの敵となった。レオンガンドの。ジゼルコートの謀反についていけず、離反したというのであればまだしも、ジゼルコートに従い続けるのであれば、戦うしかない。戦い、倒すしかないのだ。
同郷人であり、同じ教室で学んだ同輩を、この手にかけなければならなくなった。
苦悩はあったが、躊躇などしている場合ではなかった。だからファリアは、最初から全力攻撃を叩き込んだのだ。なにも考えず、なにも思わず、ただ全力をぶつけ、終わらせる。そうすれば、なにも悩む必要はなくなる。
だが、ファリアは、前方の焼け跡の地面が大きく隆起するのを目の当たりにした。地中から盛り上がった岩石が割れ、中からオウラ=マグニスが姿を見せる。無傷。ファリアは即座にオーロラストームの雷撃を放った。直線的な雷光の帯が岩石の中のオウラへと殺到する。しかし、オウラには直撃しなかった。直撃する寸前、なにかに阻まれたかと思うと、雷光が四散したのだ。
「いっただろう。それは知っている、と」
散っていく雷光の中で、オウラは、冷ややかに告げてきた。