第千四百六話 マルダールの戦い(二)
ガンディア解放軍本隊は、ひたすらにマルダールへ向かって進軍していた。ラクシャ軍は左翼部隊に、アザーク軍は右翼部隊に任せている。たとえ両軍が凶悪で、両翼の部隊が窮地に陥ろうと、マルダールさえ奪還してしまえばこちらのものだ。アザーク軍もラクシャ軍も、軍を退かざるを得なくなるだろう。戦いとはそういうものだ。そして、退いた先こそが、最終決戦の地となるのだ。
ジゼルコート軍を含む敵軍全軍が退くとすれば、王都ガンディオン以外にはない。マルダールとガンディオンの間には、平野が横たわるのみであり、砦もなにもなかった。マルダールが落ちれば、王都に逃げ帰るしかなくなるのだ。そしてそうなれば、解放軍は全戦力を以って王都ガンディオンを取り戻すだけのことであり、王都ガンディオンの奪還を以って、この戦いは終結する。
そのためにも、まずはマルダールを攻略しなければならない。
マルダールは、ガンディア本土における第二の都市だ。王都ガンディオンに次ぐ都市であり、クレブールやケルンノールとは比べ物にならない規模を誇る。マルダール(月の丘)の名称通り、丘の上に作られた都市だが、ジゼルコート軍は、丘そのものを要塞化していた。幾重もの城壁と堀に囲われたマルダールの丘は、遠目から見ても堅牢な要塞に見える。
ジゼルコート軍がマルダールを制圧して、まだ二ヶ月も経過していない。にも関わらず、幾重もの城壁が聳え立ち、マルダールの丘そのものを囲っているのは、どういうわけか。尋常な建造速度ではない。常識的に考えればありえないことだが、武装召喚師を利用すればできないことではないのかもしれない。王都ガンディオンの新市街の城壁は、カインが召喚武装によって作り出した岩壁が元になっている。同じような方法を用いれば、短期間で作ることができるものかもしれない。
それら堅牢な城壁群に護られたマルダールのジゼルコート軍は、沈黙を保っている。
解放軍本隊がマルダールの丘の麓に到達しても、一切、動きがなかった。
解放軍本隊は、ガンディア方面軍で構成されている。指揮官は大将軍アルガザード・バロル=バルガザールであり、レオンガンドは本隊後方にいた。隣には本陣付き軍師としてアレグリア=シーンがおり、彼女の部下たちによって、逐次、様々な情報が飛び込んできている。それによると、各方面で戦闘が始まったということであり、ラクシャ軍もアザーク軍もそれぞれに武装召喚師を前面に展開しているということだった。両翼の部隊には、それぞれ武装召喚師対策がある。特に問題はないだろう。少なくとも、ラクシャ軍とアザーク軍が用意できるような戦力で、解放軍が敗れるようなことはないはずだ。
「問題は、こちらだけか」
「ジゼルコート軍の主力は、まず間違いなく、軍議で取り上げた三名でしょう」
三名とは、無論、グロリア=オウレリア、オウラ=マグニス、アスラ=ビューネルのことだ。特にグロリア=オウレリアには注意するべきだと周知徹底された。グロリア=オウレリアの弟子であるルウファによれば、彼女の召喚武装メイルケルビムは、飛行能力を有しており、その飛行速度はシルフィードフェザー以上だという。つまり、やりようによっては、一瞬でマルダール内から戦場まで飛んできて攻撃することもできるということだった。
その対策としてルウファが前線で待機しているし、残るふたりの武装召喚師に対しても、ファリアとミリュウが対応することになっている。
問題は、その三名がいつどこから攻め込んでくるのかわからないことであり、遠距離から攻撃されれば、さすがの《獅子の尾》でも防ぎきれるものではないかもしれないということだ。
「問題なのは、その三名の居場所がいまのところわからないということ」
ジゼルコート軍は、幾重もの城門をすべて閉ざし、静観の構えを見せている。解放軍本隊がいくら接近しようと、迎撃の様子すら見せない。たった二千の兵数では、七千近い解放軍本隊と正面からぶつかり合うなど不可能であり、要塞化したマルダールに篭もるのは常識的な考えだ。両翼の軍を動かすことで、解放軍の戦力を分断している。籠城するに足るだけの状況は整っている。あとは、持ちこたえ、後方からの援軍を待つだけのことだが、当然、解放軍としては援軍など到着させるつもりもない。手早くマルダールを落とし、奪還するのだ。そうすれば、援軍もなにもあったものではない。
「そして、三名が《獅子の尾》の皆様で抑えられるかということ」
「その点は、心配してもしかたがない」
「はい」
「信じるしかないのだ」
レオンガンドは、遥か前方を見遣りながら、告げた。
丘の麓に聳え立つ城門へ、前線の部隊が突っ込んでいくのが見えていた。閉ざされた城門をこじ開けるのは、武装召喚師の役割であり、ガンディア術師局所属の武装召喚師が前線部隊ともども城門へと到達し、地中から隆起した岩盤に吹き飛ばされる瞬間を目の当たりにした。
「あれは……!」
「こちらが無造作に接近するのを待っていたようですね」
アレグリアが、極めて冷静に告げてくる。
「常套手段ですが……こちらとしては接近せざるを得なかったのですから、仕方がありません」
巨大な岩盤は、前線部隊を蹴散らしただけでなく、城門前に聳え立ち、解放軍本隊の進路をも塞いでいた。その岩盤に雷光の帯が叩きこまれたかと思うと、岩盤が粉々に砕け散り、粉塵が舞った。ファリアのオーロラストーム。粉々に砕け散った岩盤だったが、無数の破片は空中で静止したかと思うと、嵐のように本隊に襲いかかってきて、前線部隊を攻撃した。しかし、さらに吹き荒れる嵐が岩の雨を押し返し、天に舞い上げる。刹那、どこからともなく降り注いだ光芒が城門を破壊し、周囲の城壁をも粉々に粉砕した。
直後、本隊が一斉に動き出す。マルダールの第一の城壁が崩壊したのだ。攻めこむならいましかなかった。
前方、敵武装召喚師たちの姿は、ない。
《獅子の尾》が受け持ってくれたのだ。
レオンガンドは、本陣にありながら、親衛隊の活躍に狂喜乱舞した。
閃光がなにもかもをぶち壊した瞬間、彼は、影となって上空へと飛翔し、逃れていく物体を目撃していた。物体というには、見慣れた姿だ。もはや何年も見ていないが、見慣れたものを見間違えるはずもない。美しい流線型の銀甲冑。そして、背中から生えた一対の翼。
メイルケルビム。
グロリア=オウレリアの召喚武装にして、シルフィードフェザーの着想元となった召喚武装。
ミリュウの砲撃とでもいうべき攻撃がマルダールの城門と城壁を容易く爆砕したことで、戦況は大きく動いた。解放軍の前線部隊が破壊された城壁を乗り越え、つぎの城門の突破に取り掛かったからだ。ジゼルコート軍もそれに対応せざるを得ない。解放軍を迎撃するために派遣した武装召喚師たちが戦場を離れた以上、二千の兵力でどうにかするしかないのだ。
対する解放軍も、主戦力を失うことになるのだが。
ルウファたち《獅子の尾》は、戦場を離れた三人の武装召喚師を猛追していた。
ルウファは、シルフィードフェザーの飛行能力を全開にして、前線から遠く離れていく影を追った。大気を纏い、風を操り、飛翔する。追うに連れ、戦場から遠ざかり、高度も上がっていく。ただひたすらに、高く、遠く。旋回し、今度は戦場へと近づいてく。地上へ、地上へ。再び空へ。
遊ばれているのだ。
グロリア=オウレリアに、もてあそばれているのだ。
察した時、彼は、シルフィードフェザーの羽を矢のように飛ばした。グロリアの進路上に置くような丁寧さで。グロリアは、こちらを一瞥したようだった。遥か先を行く銀甲冑の兜が、わずかに動いた。羽弾は、瞬く間にグロリアの前方へ至ったが、彼女に触れることさえなかった。分厚い大気の層が防壁となって彼女を守っている。メイルケルビムは、大気を司る。シルフィードフェザーと同じだ。違うところがあるとすれば、メイルケルビムは、シルフィードフェザーよりも支配力が強いということだ。
グロリアが唐突に空中遊泳を止めた。空中で静止し、こちらに向き直る。ルウファも瞬時に停止すると、警戒した。グロリアは、容赦などすまい。容赦してくれるような寛大な人物だったならば、修行中、ルウファが命を落としかけるようなことなどなかっただろうし、同時に、ここまで強くはなれなかっただろう。
「まさか、敵となるとはな」
グロリアが、告げてきた。離れている。互いに警戒し、距離を保っているからだ。それでも声が聞こえるのは、別に大声を出しているからではない。もっと単純な理由だ。グロリアが己の声を風に運ばせているからに過ぎない。
「それはこっちの台詞ですよ」
ルウファは、師匠の威厳に満ちた姿と対峙し、心の底から震える想いを抱いた。