第千四百四話 マルダールへ
バルサー要塞奪還から二日後の四月二十九日。
ガンディア解放軍は、マルダールを奪還するべくバルサー要塞を出撃した。
ルシオン軍との戦いによって失われた戦力は、ルシオン軍の残党を組み込むことで補われ、それ以上のものとなって返ってきていた。もちろん、死んだものは帰ってこないし、ルシオン軍に恨みを抱くものたちもいる。だが、解放軍が真っ先にするべきことはガンディア本土からの反乱軍の一掃であり、ジゼルコートの討伐だった。そのためならば裏切り者のルシオン軍を利用するのも仕方がないと受け入れるよりほかなかったのだ。
総数二万に及ぼうという大軍勢が地を埋め尽くすが如くバルサー平原を南下していく。
その軍勢の真っ只中にあって、レオンガンド・レイ=ガンディアは、馬上、ただ前方だけを見据えていた。遥か前方にマルダールの丘が聳えている。その見慣れた丘が見慣れぬ風景へと様変わりしているということも知っている。
ジゼルコート軍は、マルダールを要塞化したようなのだ。しかし、マルダールを要塞化しているからといって打って出てこないわけにはいくまい。戦力は、こちらのほうが圧倒的に上だ。
報告によれば、マルダールの西方にアザーク軍の野営地があり、東にラクシャ軍の野営地があるという。それぞれ四千と五千の軍勢であり、マルダールのジゼルコート軍と合わせると、一万一千を超える大軍になるということだった。が、それでもこちらのほうが遥かに多い。兵数においては圧倒しているといっていい。
戦力では、どうか。
兵力と戦力は、必ずしも比例するものではない。
極端な話、多数の軍と少数の軍があったとして、多数の軍が常人ばかりで少数の軍の全兵士が武装召喚師だった場合、戦力的には圧倒的に少数の軍に軍配が上がる。かつては、兵力差が戦力差に直結していたものだが、武装召喚師が小国家群に氾濫するようになってからというもの、兵力だけで戦力を求めることが難しくなっていた。
なので、情報収集が肝要であり、敵戦力の把握こそが勝利の鍵となるのだ。
そして解放軍が入手した情報によれば、マルダールのジゼルコート軍には、少なくとも三人の武装召喚師がいることがわかっている。ジゼルコートが常に連れ歩いていた三人の武装召喚師が、マルダールに入っているということなのだ。ジゼルコートは王都ガンディオンにいるはずなのに側近ともいえる三名をマルダールに配置した理由は、マルダールの司令官がゼルバード=ケルンノールだからだろう。ゼルバードはジゼルコートの二男だ。レオンガンドの下についたジルヴェールとは異なり、ジゼルコートの片腕として動いていた彼が、ジゼルコートの謀反に従うのは当然のことのように想えた。そして、ジゼルコートが我が子ゼルバードにマルダールを任せるのもまた、必然だった。
そんなゼルバードのために三名の武装召喚師をつけたのだろう。三名とは、オウラ=マグニス、アスラ=ビューネル、グロリア=オウレリアのことだ。それぞれ優秀な武装召喚師だが、中でもグロリア=オウレリアは《獅子の尾》副長ルウファ・ゼノン=バルガザールの師匠であり、その実力はルウファの遥か上を行くという話だった。
オウラ=マグニスの実力は、クルセルク戦争の激戦を生き残ったことからもわかる。リネン平原の死闘を生き延びた武装召喚師は、彼を含め、たった四人だけであり、多数の武装召喚師が魔王軍の猛攻に耐え切れず、戦死している。戦後、彼の実力を評価したレオンガンドは、彼を登用しようと試みたものの、あっさりと断られてしまった。その後、いつの間にかジゼルコートの配下になっていたのだが、そのことでレオンガンドは不快に思うこともあったものの、ジゼルコート軍の戦力が強化されることそのものは、特に問題視していなかった。その当時は、ジゼルコートが完全に敵対するとは、考えていなかったからだ。領伯の私設軍隊は、ガンディアの戦力になりうる。
セツナが自前の軍勢を強化することを推奨しているのも、そのためだ。
ともかく、オウラ=マグニスは、レオンガンドが登用したがっていたほどの逸材であり、その能力の高さはファリアも認めるものだった。
アスラ=ビューネルの実力だけが未知数だということだ。
アスラ=ビューネルは、その名の通り、かつてザルワーンの支配階級として君臨した五竜氏族に名を連ねるビューネル家の人間だ。カイン=ヴィーヴルこと、ランカイン=ビューネルとは親類に当たり、ミリュウ・ゼノン=リヴァイアとも遠い血縁関係にあるという。オリアン=リバイエン(オリアス=リヴァイア)が運営した武装召喚師育成機関・魔龍窟にて武装召喚術を学んでいたというのだが、ミリュウがいうには、彼女はアスラを殺したはずであり、生き延びていることが信じられないということだった。
しかし、現実に生きていて、ジゼルコートの配下の武装召喚師として存在しているのは疑いようがない。
アスラの武装召喚師としての実力は、ミリュウの記憶の中では拙いものであり、幼稚というほかなかったというのだが、あれから何年も経ったいま、彼女がどれほど成長しているのかはまったくわからない。
ジゼルコートは、秘密主義者では、なかった。私設軍隊について、なにもかも公にしていたからだ。だが、彼が側近の武装召喚師の存在を明らかにしたのは、ごく最近のことだった。オウラ=マグニスはともかく、グロリア=オウレリアやアスラ=ビューネルの存在はおろか、武装召喚師としての実力さえひけらかさなかった。
ガンディア軍の所属ではないのだ。
彼らの召喚武装の詳細について、知る由もない。
『注意するべきはその三名でしょうね。《獅子の尾》の皆さんの話によれば、少なくとも、オウラ=マグニスとグロリア=オウレリアは特筆に値する戦力ですし、アスラ=ビューネルも、前述の二名に追随するだけの実力を持っていたとしても、なんら不思議ではありません』
バルサー要塞での軍議において、エインのいったことは至極最もだった。ジゼルコートが常に従えていた三名だ。実力は折り紙つきと見ていい。ジゼルコートが無能な武装召喚師を側近として連れ歩くとは思い難い。きっと、警戒する必要があるくらいには強いのだろう。
『ですので、この三名には、《獅子の尾》の皆さんに当たって頂きます』
それもまた、だれもが思いつくことだ。
武装召喚師には武装召喚師をぶつける。現代の戦争における鉄則といっていい。定石ともいう。武装召喚師は単騎で部隊に当たることができる強力な戦力なのだ。武装召喚師に部隊を差し向けるのは、自軍の損害を顧みない愚策だろう。もちろん、物量で圧倒すれば、武装召喚師といえど倒せないことはないだろうが、そのために膨大な犠牲を払うことに意味は無い。それならば武装召喚師をぶつけるべきだった。武装召喚師同士がぶつかり合えば、少なくとも味方の損害を減らすことはできる。それで自軍武装召喚師が敗れるようなことがあれば、一気に形勢が悪くなるだろうが。
『もちろん、このお三方が戦場に出てきてからのことですし、それまでは《獅子の尾》の皆様には本隊と行動をともにしてもらうことになりますけどね』
エインはそういって、卓上に広げられた地図を見下ろし、赤い駒を六つ、バルサー要塞に置いた。さらに三つ、青い駒を三つ、地図上に配置する。マルダールと、その東西――つまり、ラクシャ軍とアザーク軍だ。バルサー要塞の六つの駒は、解放軍本隊と別働隊を示しているのだろう。赤は、ガンディアの国色だ。
『大将軍閣下率いる本隊はまっすぐに南下し、マルダールを目指します。ゼルバード=ケルンノール率いるジゼルコート軍が打って出てきたのならば、これに当たり、籠城しているのであれば攻城戦に移って頂きます』
『この駒は?』
『《獅子の尾》の皆さんですよ。敵武装召喚師の出方次第では動き回って頂くことになるので』
『なるほど』
『別働隊は四つ。左翼と右翼に二隊ずつ当てます』
『ほう』
『東のラクシャ軍には、ルシオン軍とザルワーン方面軍に任せます』
本隊の左翼を見ると、大きく迂回しながらもルシオン軍が進軍している様が見える。その遥か遠方をザルワーン方面軍が進軍中であるらしい。
『西のアザーク軍にはログナー方面軍と傭兵の皆様に任せます』
本隊右翼を《蒼き風》、《紅き羽》の傭兵たちが邁進し、ログナー方面を先導しているように見えた。兵力的にはラクシャに当たる左翼部隊のほうが多いものの、戦力的には右翼部隊のほうが強烈だろう。右翼の傭兵部隊には“剣鬼”ルクス=ヴェインに加え、“剣聖”トラン=カルギリウスが参戦している。“剣聖”トラン=カルギリウスの実力の凄まじさについては、ルシオン軍との戦いで明示された。“剣鬼”ルクスにいわせると、常人でありながら超人であり、彼のおかげで自分はさらなる高みを目指せるとのことだった。それがなにを意味するのかレオンガンドにはわからなかったものの、トランとルクスがいる右翼部隊が負けることはなさそうに想えた。
無論、アザーク軍もラクシャ軍も武装召喚師を投入してきているだろうことは織り込み済みだ。右翼部隊には武装召喚師対策に“剣鬼”と“剣聖”が動くだろうし、左翼部隊にも武装召喚師が入っている。ガンディアに所属する武装召喚師は、なにも《獅子の尾》の武装召喚師だけではないのだ。
本隊は、ガンディア方面軍だ。ガンディア軍人ばかりということもあって別働隊よりも頼りないものの、戦力的には申し分ないだろう。《獅子の尾》というガンディア最強部隊が同行しているのだ。ジゼルコート軍が多数の武装召喚師を用意していない限り、負ける要素はない。
レオンガンドは、確信をもって、マルダールの要塞化した丘を見遣っていた。




