第千四百二話 感情の生き物(一)
「バルサー要塞が落ちた……か」
ジゼルコートは、配下からの報告を驚くでもなく反芻した。
四月二十八日午前。
謀反以来日課となったジゼルコート主催による朝議を終えた獅子王宮は、いつものように冷め切った静寂に包み込まれていた。ジゼルコートの考えによってだれひとり立ち入ることの許されなくなった玉座の間、謁見の間のみならず、王宮区画全体がなにかを畏れるようにして静まり返っている。
ジゼルコートの謀反に反発するものは無論のこと、ジゼルコートの同調者たちですら、沈黙していることのほうが多かった。ジゼルコートが黙していることが多いからなのかもしれない。ジゼルコートとしては、謀反以来、すべての物事を自分の手で成し遂げなければならないという想いがあり、同調した政治家たちのご機嫌伺いなどしている場合でもなかったからだ。そもそも、彼らは数合わせに過ぎない。政治家としては二流三流ばかりの無能揃いで、物の役にも立たないのだ。機嫌を伺う理由さえない。
「存外、ルシオン軍も頼りにならんものだな」
長年、同盟国として頼りきっていた国を腐すのは抵抗があったものの、断ち切るために吐き捨てた。ジゼルコート自身は、ルシオン軍になにかを期待したことはないのだ。彼らも、所詮は数合わせにすぎない。しかし、敵に回ると途端に脅威になることもあり、味方に引き入れることができたのは喜ぶべき誤算だった。まさかハルベルクがジゼルコートの謀反に同調するとは、想定してはいなかった。
もっとも、ハルベルクがジゼルコートに与しないというのであれば、彼がこちらにつかざるを得ない方法を取ったまでのことであり、いずれにしても、ルシオン軍がジゼルコートの障害になることはなかった。ジゼルコートは、白聖騎士隊の騎士を通じ、ハルベルクがレオンガンドを裏切り、イシウス=ミオンを生かしたことを知っていた。そこを利用すれば彼がレオンガンドと敵対せざるを得ない状況を生み出すこともできたのだ。また、白聖騎士隊の内通者を利用し、リノンクレアの命を握る方法もあった。
ハルベルクを駒として扱うには、十分過ぎる準備が整っていたということだ。
故にジゼルコートは、彼が謀反に同調を示したときは拍子抜けし、むしろ裏があるのではないかと勘ぐったものだ。レオンガンドの差金なのではないか、と。だが、徹底的に調べたところで、ハルベルクがレオンガンドの指示で動いている様子はなく、ハルベルク自身の意向であるということに確信が持てたため、ジゼルコートは彼を使うこととした。
その結果が、これだ。
バルサー要塞は、ガンディア本土とログナー方面の境界に聳える難攻不落の要塞であり、かつてはガンディアをログナー軍の侵攻から守り続けた存在だ。そこに精強を誇るルシオン軍が鳴り物入りで入ったのだ。要塞に籠城すればしばらくは持つだろうと思われていたが、戦いは一日もかからずに終わったということだった。そもそも、籠城戦にはならなかったのだ。
ルシオン軍は野外での決戦を行った。兵力差で圧倒的に上回っている敵に対して野外決戦を挑むのは愚策というほかないが、籠城したところで勝ち目が見えなかったからこその判断だったのかもしれない。武装召喚師の台頭以来、籠城戦はそれほど大きな力を発揮しなくなっている。城壁や城門がいくら強固で、いくら堅牢であったとしても、召喚武装の破壊力の前には為す術もなさないからだ。
「レオンガンド陛下率いる軍勢が強すぎた――というのもありますが、最大の敗因はハルベルク陛下にあると思われます」
「ふむ?」
ジゼルコートは、報告者の言い分に怪訝な顔をした。報告者は、ハルベルクの死の一部始終をその目で見てきた人物であり、彼はバルサー要塞が落ちる瞬間をも目の当たりにしている。
シャルティア=フォウス。
ルシオンに所属していた武装召喚師は、ジゼルコートの支配下にあり、ジゼルコートの命によってルシオンに仕官していたのだ。彼は、つい先ほど、このガンディア王都ガンディオンに到着したのだが、どうやってここまでやってきたかというと、簡単な話だ。彼の召喚武装オープンワールドの能力を用いれば、自分を転送することくらい余裕でできるのだ。転送地点は複数箇所指定しておけるということもあり、彼は、ハルベルクとともに王宮を訪れた際、王宮に転送地点を作っておいたのだ。
そして彼は、ジゼルコートとハルベルクの連絡役を務めてもいた。もっとも、ハルベルクがジゼルコートになんらかの話を持ちかけてくることなどほとんどなく、ハルベルクがジゼルコートの謀反そのものに賛同しているわけではないことがよく理解できた。ハルベルクには注意しなければならない。ジゼルコートは。ハルベルクを完全には信用していなかったのだ。利用できるものを利用したに過ぎない。
「陛下が勝ちを急ぎすぎた。レオンガンド陛下との直接対決にこだわりすぎたのです。そのため、ルシオン軍は決戦を挑まざるを得なくなった。策を弄し、戦術を駆使するといったこともできず、純粋に力をぶつけあうことしかできなかった」
シャルティアの話を聞く限りでは、ルシオン軍の敗北はハルベルクの失策によるもののように感じられた。野外での決戦を挑まなければ。ハルベルクがレオンガンドとの直接対決に拘りさえしなければ、勝ち筋が見えていたとでもいいたげだ。
「まあ一応、わたくしめの召喚武装も存分にお使いいただけましたがね、もう少し、有用な使い道はあったはず。そしてそれに気づかぬバルベリド軍団長やハルベルク陛下ではございますまい。わたくしが気づくのですから」
「結果を求めすぎたか」
「おそらくは」
シャルティアが、静かにうなずく。
ジゼルコートの執務室。ほかにだれがいるわけでもなく、聞き耳を立てるものもいない。声を潜める理由さえない。王宮は、いまやジゼルコートの支配地となった。だれひとりとしてジゼルコートに楯突くものはいない。だれひとり、ジゼルコートに歯向かおうともしない。唯々諾々と従うことで、謀反後のガンディアでも生き抜こうと考えるものだけが、現在、この王宮に生活している。ジゼルコートの謀反に反発した政治家、貴族たちは、ジゼルコートの手のものや同調者たちによって捕らえられ、監禁されているか、自宅に蟄居幽閉されているかのいずれかだ。
謀反に際し、血は、流れなかった。
それくらいあっさりと、彼の謀反は成功している。
王都は大騒ぎになったものの、クルセルク方面軍や都市警備隊が制圧に乗り出したことで、あっという間に静寂を取り戻していた。王立召喚師学園の教師たちも、生徒を人質に取ることで制している。あわよくばジゼルコート軍の戦力として利用しようかと考えたが、忠誠心のかけらもないものを戦力に組み込むのは危険すぎるということもあり、行動を制するだけに留めていた。
静寂は、そのようにして王都そのものが静まり返っているからでもあるのだ。
「ハルベルク陛下は、純粋にレオンガンド陛下と戦い、超えることだけを考えておられました。なぜ、そこまで思い込んでおられたのかは存じ上げませんが、レオンガンド陛下を超えたことを証明することさえできれば、その瞬間、レオンガンド陛下にお味方し、逆賊ジゼルコートを討つつもりだったのでしょう」
「そう上手くいくものか」
「上手くいく、いかないの話ではないのです」
シャルティアの強い口調に、ジゼルコートは目を細めた。シャルティアは、自我の強い人物だ。《協会》所属の武装召喚師というのは、独立自尊の考えが強いという。シャルティアもその例に漏れず、ジゼルコートの支配下にありながらも、どこかでジゼルコートを己と対等の存在として認識しているようなところがあった。
「人間とは感情の生き物なのですから」
「ふむ……」
ジゼルコートは、シャルティアの意見を否定しなかった。
感情の生き物。
確かにその通りだ。
どれだけ怜悧冷徹に事を運んでいると想っていも、結局は、根っこの部分には感情があり、心が動いている。
ジゼルコートでさえ、そうだった。
感情が、この現状を生み出したと言っても過言ではない。いや、感情以外のなにものでもないのではないか。感情がなければ、国の利益だけを冷静に判断することができているのであれば、そもそも謀反など起こす必要などはなかったはずだ。
ガンディアは、上手くいっていた。なにもかも、上手く廻っていたのだ。無論、問題もある。拡大し続ける国土の管理。増え続ける国民の整理。戦争の後始末。政治。様々な問題を孕んではいるもののの、時間さえかけることができるのであれば、解決できない問題というわけでもなかった。時間さえ許せば、だが、時間くらいならばいくらでも作れよう。国土拡大を優先するのであれば、その隙を縫えばいい。常に戦争をし続けられるほどの体力があるわけでもなし。戦争と戦争の間には、必ず内政に注力できる時間が生まれる。その時間を利用すれば、なんとかなるはずだ。これまでそうやってなんとかしてきたのだから、これからもそれで上手くいくだろう。
楽観的に見ることだって、できた。
そして、そのほうがガンディアにとってより良い未来が待っている可能性はあった。
だが、ジゼルコートには、それは無理な問題だった。
「感情の生き物か」
感情。
人間を突き動かすのはいつだって感情だ。
利害や打算だけでは、ひとは動かない。
いや、利害や打算を越えて、人間を突き動かしてしまうのが感情と言い換えるべきだろうか。
いずれにせよ、ジゼルコートは己を駆り立てたものの正体をつきつけられたような気がして、シャルティアを不快ながらもただ見据えるよりほかなかった。